追悼・千野榮一先生
河野六郎先生は大学で同じ研究室だった“知の叡知”先生じゃなくて、千野栄一先生【東京外大教授を経て和光大学教授】と一緒に毎週、色々な言語で書かれた論文を読んでおられた。習得した言語を忘れないようにしっかりとローテーションを組んであった。大学者なのに語学に関しては不断の努力をされている。
千野先生は外大から東大に学士入学して、そのままチェコに渡られて帰国後は教育大の助教授だった。関根正雄先生と河野六郎先生が教授で、助教授にはもうひとり、田中春美先生がいた。
先生にはプラーグ(プラハ)学派の機能主義などを教わった。
先生は月刊『言語』の多彩な、ユーモアあふれるエッセイで知られるようになった。先生には『外国語上達法』(岩波新書)というベストセラーがある。読めばすぐに外国語が得意となるわけではないが、基本的な考え方が書いてある。
河野先生と『言語学大辞典』(三省堂)という全七巻の辞書の編集をされ、僕は第1巻を結婚式に来て頂いた時の結婚祝いにもらったので全巻買わなければならなくなった。何しろ、1冊が5万もする辞典で一財産なのだ。
悪口が得意(?)でいつか言語学者列伝を書く、とおっしゃっていたが、さすがに出ていない。飲んでいても、誰かが帰ると「さあ、今度はあいつの悪口だ」といわれるので誰も帰れなくなる。「ライオン」で飲むのがお好きだった。
『ポケットの中のチャペック』(晶文社)というチェコの作家で文人のカレル・チャペックを描いた本も出しておられる。チャペックはロボットという言葉を作ったので有名であるだけでなく『山椒魚戦争』という素晴らしいSFもある。手塚治虫は『鉄腕アトム』や『0マン』で影響が強い。エッセーや評論などにもすばらしい作品がいっぱい残っている。25年後の今になってチャペックは日本で正当な評価を得ているように思う。先生の翻訳ではないが、『園芸家12カ月』(中公文庫)は僕の大好きな本だ。
僕が教わった先生方の中で千野先生は最も忙しく、ジャーナリスティックでマスコミ受けがいい。タモリがまだ無名だった頃に「タモリの言語学」というエッセーを出されてみんなアッと思った。『言語学のたのしみ』(大修館)が出版された時、三省堂書店で平積みされたというのが自慢であった。その後も、平積みされる本をいっぱい出された。国語学では大野晋さんがいるが、言語学で平積みされるのは千野先生くらいである。
時々は一緒に飲んだ。お昼は神田のランチョンで、お寿司屋は大塚の江戸一だった。もちろん、コンパにも律儀に出席してもらった。当時は、大学の研究室で飲んだ。つぶれることが分かっている大学だったので、だんだんと人がいなくなり、最後には守衛さんまで呼んだ覚えがある。
烏山のご自宅まで何度か伺ったことがある。ある時は子どもさんたちのいなくなったベッドで寝させてもらったこともある。朝はチェコ風のコーヒーをいれたもらった。
ただ、先生の欠点は同じジョークを何度も繰り返されることで色々なところで似たような話をしておられるから混同されるのだと思う。辻さんの結婚式でも同じジョークを聞いた。これを『ジョークの耐えられない軽さ』と呼ぶ。ジョークの繰り返しが多くて困る先生だ、と友人に話したら「お前、前にもその話をしたよ」と言われた。
大塚英語研究会の記念パーティに出席した時、スピーチで「今日だけはチョムスキーの話をやめましょう」といったら皆賛成したのだけど、10分後にはまたチョムスキーの話に戻ってしまった。
最初に教わった時、先生はチェコのズデンカさんと結婚されていた。子供たちのバイリンガルぶりを描いたエッセーはとりわけ素晴らしい。チェコ動乱の時だったので、お店屋で「チェコ人」だというと「プラハの春っていうんですか、大変ですねぇ」といって、安くしてくれたそうだ。ただ、チェコと日本の往復はなかなか大変そうだった。
後に国際離婚し、58歳で28歳の女性と結婚するという快挙?を果たされた。
外語大学ではスラブ語学科を開設された。後に和光大学の学長になられた。言語学者で学長になったのは大束百合子さん(明海大学)、井上和子さん(神田外国語大学)などが知られる。
2000年にはチェコ共和国でヴァーツラフ・ハヴェル大統領より国家功労メダルを授与された。
マルチで活躍されているから色々な所で名前を見る。ある時、作曲家の林光の文章を読んでいたらシューベルトの関係で千野先生の名前が出てきて驚いた。妻がドボルザークの月の曲を歌おうと中丸三千繪のCDを見たら、翻訳は先生だった。
でも、今では一番有名なのはミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』などの翻訳である。教わった先生の中で一番著作が多いのは間違いなく、千野先生だ。
2002年の3月16日に古稀祝いのパーティを開くことになっていて、僕も発起人だったのだが、ご病気で延期になり、3月19日に亡くなられた。嗚呼!
2002年4月9日朝日新聞「惜別」に学芸部・伊左恭子さんの追悼文がある。
チェコ語やスラブ語学の権威で、和光大学前学長の千野栄一(ちの・えいいち)氏が19日、骨髄異形成症候群で死去した。70歳だった。通夜は26日午後6時、葬儀は27日午前11時から東京都杉並区永福1の8の1の築地本願寺和田堀廟所で。喪主は妻・保川亜矢子(やすかわ・あやこ)さん。
東京外国語大ロシア語学科、次いで東京大言語学科を卒業。チェコスロバキアの政府留学生として58年から67年までプラハに滞在、カレル大学を卒業し、古代スラブ語を文献学的に研究した。
帰国後、東京教育大、東京外国語大、和光大学でチェコ語や言語学などを教えた。十数カ国語を話す語学の天才だった。
「言語学大辞典」の共編者で、言語学を広めるのに力を尽くした。著書は「言語学のたのしみ」「チェコ語の入門」など多数。チャペックの「ロボット」や、「存在の耐えられない軽さ」などミラン・クンデラの訳者としても知られた。
僕は下っ端なのと、遠くへ行っていたので、葬儀には出席できなかった。友人の話だと、偉い先生がいっぱい仕切っていて、末席を濁してきただけだったという。
女友達が大塚の江戸一の女将さんを見つけたのだが、先生が最後に倒れたのが江戸一だったという。一番好きなお店で倒れたのだから、これも本望だと思う。僕らにとって確実に先生に会えるのは江戸一と新宿のライオンでしかなかった。
奥さんの亜矢子さんが『この素晴らしき世界』について書いている。
「この素晴らしき世界」は岩波ホールにて6月29日(土)ロードショー公開される同名の映画の原作本である。映画のノベライゼーションではなく、チェコでも本の方が映画より先に出版されている。作家のペトル・ヤルホフスキーはこれまで映画の脚本を手がけてきた人で、小説はこれが初めての作品となる。しかし、さすがに多くの脚本を手がけてきただけあり、小説もしっかりとした構成になっていて、読みごたえがある。
内容は第二次世界大戦中にナチスに占領されたチェコの町でヨゼフとマリエというチェコ人の夫婦がユダヤ人の青年を自宅にかくまう話である。話は単なる美談として進んでいくのではなく、皮肉やユーモアがたっぷり詰まっている。チェコ語の原題は Musime si pomahat (我々は助け合わなければならない)であるが、この題名には文字どおりの意味だけでなく、皮肉っぽい意味もこめられているのである。しかし、人々が助け合うという気持ちを少しでも持つことで、話は感動的なエンディングへと向かって行く。ラストシーンは映画と原作では少し違っていて、映画の方はフジェベイク監督のインスピレーションで、付け加えられたということである。でも、原作の方も十分感動的だ。
ヤルホフスキーは映画の方の脚本も書いているので、基本的な筋は映画も原作も同じである。しかし映画の方は、よくあることではあるが、登場人物や人間関係を簡略化し、分かりやすくしているし、細かいエピソードは一部異なっていたり、省いたりしている。何より映画はセリフが多いので、日本語の字幕は字数の制限があってずいぶん簡単になっているという印象をいなめない。さらに、原作の方が主人公たちの心理描写が十分なされていて分かりやすくなっている。そういう点においても映画を見た方にも、またこれから見ようと思っている方にも、映画は見に行かれない、という方にもぜひ読んでいただきたい。
ちなみにあとがきにも書かせていただいたのだが、訳者の名前が三人並んでいるのはもともと翻訳をすることになっていた千野栄一が三月末に亡くなってしまったために、私と千野栄一の娘である千野花江で残りの部分を訳すことになったためである。実際に三人で訳しているため、そのまま名前を列記させていただくことになった。
映画の方も原作の雰囲気のままで、よくできた作品になっている。東京近辺にお住まいの方でもし機会があったら、こちらの方もぜひごらんいただければと思う(保川 亜矢子)。出版社:集英社 著者名:ペトル・ヤルホフスキー 訳者:千野栄一・保川亜矢子・千野花江
ISBN:4087733653 発行予定:2002.06.26 予価:1900円+税 四六判 /208頁同じように池内紀も書いている。
池内紀・評
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この素晴らしき世界
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ペトル・ヤルホフスキー・著<集英社・1900円>
------------------------------------------------------------------------◇「力を合わせなくてはならない」
さきに訳者のことを述べておく。千野栄一氏は本年三月、亡くなった。著名な言語学者であり、とりわけチェコ語を中心とする東欧語にくわしかった。研究のかたわらエッセイと翻訳があった。カレル・チャペックやミラン・クンデラがわが国に根づいたのは、温厚で洒脱な、この文人学者の力があずかって大きかった。
『この素晴らしき世界』は最後の仕事にあたる。チェコの新しい世代による新しい小説であるが、とともにチェコ文学におなじみの精神要素をそっくり受けついでおり、読んでいて何度も膝を打ちたくなる。病床の千野栄一氏は大いにたのしんだことだろう。だが、死神は意地悪く訳了までの時を与えなかった。
中断して以後を、ともにチェコ語に堪能な夫人と娘が受けついだ。訳者が三人なのは、このような事情による。ちなみにチェコ語の原題は「力を合わせなくてはならない」。運命はときおり、意味深いいたずらをするものだ。
さらにつけ加えると、本来の訳者と編集者には、乏しい猶予期間への危惧があったようだ。バトンタッチのためのひそかな準備がされたらしい。また、この小説を作者ヤルホフスキーの友人が映画化した。本の刊行とほぼ同時にわが国でも公開された(六月二十九日より、東京・岩波ホール)。その公開に尽力した人がすてきな表紙絵を描いている。本を開いた人は、読み出してすぐにこんなセリフを目にするだろう。
「……大丈夫ですよ、お互いに助け合わなくては。楽な時代ではないんですから……」
本づくりにも楽な時代ではないなか、力を合わせて、なんとも愉快な本を世に送り出した。
小説の時は一九四三年から四五年にかけてのこと。チェコがナチス・ドイツに併合されて四年になる。所はチェコの小さな町。ユダヤ人が強制退去、収容所送りになって、大きな家が空家になっている。
隣り合って平凡な夫婦の住居。結婚してかなりになるが子供ができない。そんな二人に男の子が生まれるまでの物語である。この誕生には三人の男が力を合わせた。それにしても、一つのいのちの誕生に男が三人「力」をかすとは、どういうことだろう?
平凡な夫婦の住居にも、壁の裏に周到につくられた隠し部屋があった。その種の部屋には食べ物を備蓄するだけでなく、ほかにもいろんな用途がある。たとえば三人の男のうちの一人をひそませるといったことだ。
「我々はこういうことの専門家だったんだよ。戦争前には多くの人がどんな時代になるか予感していたので、同じようなものを作ろうとしていた」
知恵は経験の娘であって、小国チェコの住人は、たえずこの娘の世話になってきた。そうでなくては生きていけない。外からやってきた権力者にどのように対処するか。まわりの誰も信じられない。そんな状況に耐えなくてはならないとき、どのような能力が必要か。
「今の時代は顔の表情にも注意したほうがいいかもしれんぞ」
三人のうちのべつの一人がもう一人に耳打ちした。人は顔で読むからだ。とりわけ権力者は表情に敏感だ。となれば鏡で顔つきの練習をしておくのがいいだろう。卑怯(ひきょう)に見えるかもしれないが、卑怯であるのがどうしても必要となれば、勇気ある卑怯者にならなくてはなるまい。いたって深刻な状況である。そのなかで気の好い主人公が追いつめられていく。のべつイラついているように見えるが、実のところ、稀代(きたい)のユーモリストというものだ――自分のいるおかしさを、人間のおかしさとして認め、ちゃんと生き残るための奥の手にするのだから。そして助けた者が助けられる。その一瞬のために「父親」の役割をゆずったあと、つづいて章が転じて春の気配の描写に移る。これまでの春とは少し違っていて、終わりかけている戦争のかすかに甘い香りがするところ。こういった転調こそ小説のダイゴ味というものだ。
男三人の奇妙な友情の物語でもある。ひとえにそれぞれの利益から出たものであるところに気をつけよう。そして作者はそれとなく述べている。友情は真実とは両立しないのだ。それは男の沈黙でつつみこむからこそ実りゆたかになる。
「いよいよ困ったときに、ウイットでかわし、ユーモアで笑い、ジョークを楽しむ。ジョークの対象は権力であり、無知であり、エロ、グロ、ナンセンスは得意ではない」(千野栄一「チェコ人のユーモアと『積極的思考』」)
生まれた赤ん坊を見守って六つの大人の顔があった。そしていっせいに「父親」のようにかがみこんだ。みんなほっとして、感動し、少し間の抜けたやわらかなほほえみを浮かべたというが、読者もまたそうである。読み終わったとき、きっと感動し、少し間の抜けた、やさしいほほえみを浮かべるだろう。(千野栄一、保川亜矢子、千野花江訳)
(毎日新聞2002年6月30日東京朝刊から)
□ 言語学は語学ではないが、語学に強くなる必要もある。語学のために先生がいつも話していたことをまとめる。
・語学の特効薬は何もない。一定の努力が必要となる。
・無駄なものは覚える必要なし。日常の会話でどれだけ必要かを考え、必要なことを覚えるだけでよい。
・「人間は限界の見えないものに恐怖を感じる」ため、無駄なものは覚えない、グループにして区切る、など有限に考えること。
・完璧を求めるな。どんな偉い語学の先生もミスしているもんだ。まちがってもへっちゃらである。
・君たちには、「現地に行って役立つために」という明確な目標があるので習得するのは、たやすいはずだ。(使える英語)
もし「教養のため」なんて目標は、試験には受かっても、実際に現地なんかでは話せないもんだ。(使えない英語)・1つ1つきちんと積み重ねていけば、あとは楽天家でやっていけばよい。
1)発音 最初から丁寧に覚えること。りっぱに物まねすること。
2)単語 300の単語を覚えるだけで十分話せる。単語を覚える時は、10個位ずつなど区切って覚えていくと良い。一気に100単語なんか覚えようとすると、すぐ嫌になる。
3)文法 日本語で書いてある薄い、薄いの文法本でいい(白水社の『エクスプレス』など)。
4)挨拶 よく使う挨拶は30種類くらいしかない。すぐ覚えてしまおう!
挨拶は毎日使うため、覚えると現地の人と非常に近くになる。
千野栄一先生フォーエバー 上の中央のアーガイル柄のセーターの人物が千野先生