メークドラマ現象

「何故(なぜ)シンガア(芸妓“げいぎ”)をワイフ(妻)にするとヂスオノア(恥辱)になるのであるか。このプルウフ(証明)が…」
坪内逍遙『当世学生気質』

言葉だけは「舶来品はみな上等品」と飛びつくわけには行かない。
  ------井上ひさし「演劇ノート」(『パロディ志願』)


 先日、外国人による日本語弁論大会があって、僕が指導したノールザリ君が見事に最優秀に輝いた。

 2位になったのが、富山工業高専に非常勤に行っていた時に教えたドミンゴ君だった。

 会場に行くといきなり「先生の話を使わせてもらいました」といわれたので驚いたが、彼の話は立派だった。

 日本語を学び始めて、かなり自信がついて富山にやってきたのだが、いきなり「飯、食った?」といわれて自信が瓦解した。

 そのうち、富山弁にもすっかり馴れて上手に話していたら先生や友達が「そんな汚い言葉、使うとったら、東京行って笑われっぜ」といわれたという。

 フィリピンには400もの言語があるし、方言もあるけど「汚い」というのはない。どうやって「汚い言葉」といえるのだろうか。

 私は英語も使うが、暖かい雰囲気を出すためには方言を使う。

 自分の言葉に自信がないから英語も使えないのに英語があふれている。ハンバーガーショップで英語が書いてあってDouble Cheese Bergerと英語で話すと分かってもらえなかった。

 もっと自分の言葉に自信をもたなければダメだ。

 という趣旨だった。これを富山弁を駆使して話したので大好評だった。

 昔から義憤を感じているのはカルタ競技で、和服で雅びに行われるところはとてもいいのに、優勝した選手は「クイーン」と呼ばれる。更に、同時に札に触れたら「セーム」と叫ぶ!?「百人一首」というのを小さいころ化け物だと思っていた僕には理解しがたいことなのだ。

 以前から「和製英語」は問題になっているが、最近は第2の和製英語ブームになっているのではないだろうか。

 一応、言語学の立場は「言葉はあるがままに」であるのだが、考察するくらいはいいだろう。

 ちなみに、言語学では“prestige language”(威信言語)という概念がある。多の言語を「憧れ、かっこいい」と考えるものだ。こういうとすぐに外来語を止めて日本語を使えという人が出てくるが、そういう人が考える「日本語」というのは漢語でしかない。江戸時代までは威信言語が漢語だった。明治以降は英語になり、戦後、その傾向が爆発してしまった。文化的に日本はおっぱい文化ではなかったのに、戦後、マリリン・モンローなどの巨乳女優が出てきたことによって、巨乳賛美に傾いてしまった。

 日本語に外来語が多いというが、どの国でも外国との交流が深くなれば増えてくるのは当たり前である。ただ、日本語は構造上、表音文字をもっているので外来語を受け入れやすい。

 劉徳有『日本語の面白さ』によれば、日本語、韓国語、中国語の順で多いという。ただ、中国語だと思っている多くの言葉も実は日本で明治期に作られた「漢語」である可能性が強い。劉徳有によれば、日本に外来語に多い理由は1)客観的な必要性、2)外国崇拝の思想、3)マスコミの作用、4)外来語をよく使う広告の影響だという。個人的にはこれに国民をケムに巻きたい行政の外来語まがいの多用も挙げるべきだと思う。ちなみに、中国語は漢字中心で分らなくなっているが、何回も外来語?が入っている。


 第1の和製英語ブームというのは明治期から国際化が進む直前までである。ウェブスターには“homestay”“salaryman”が入っているが、これは日本にいた外国人が伝えたとされる。

 敢えていうならソニーの「ウォークマン」が売り出される頃までである。あのカラヤンが会長に所望したという伝説もある携帯用カセットレコーダーである、「ウォークマン」というのは滅茶苦茶な英語である。恐らく、「ウォークマン」という名前から意味が分かる人はいなかっただろう。もちろん、ソニーの人々も分かっていて外国では別の名前だった。例えば、アメリカではSound About、イギリスでStow away(「密航者」の意味)、スウェーデンでFree Styleだった。

 ところが、来日した人々の間で「ウォークマン」の名前でヒットした。

 問題は、これが成功してから日本人は自信をもってしまった。和製英語に自信をもってしまったのだ。

 ただ、ここまでは語彙のレベルだった。和製英語が文のレベルにまでなってきたのである。

 そりゃ、確かに「(英米文化特有の)部族語としての英語」ではなく、「(誰もが道具として使える)国際語としての英語」が大切だとはいってきた。

 しかし、何かが違うのである。

 97年11月1日の朝日新聞に「和製英語ポップス花盛り」という記事が載った。

 これによると安室奈美恵のCan you celebrate?は「喜びを祝ってくれる?」のように聞こえるが、これでは「あなたはドンチャン騒ぎが出来ますか」だとピーター・バラカンが話している。

 こういう細かいニュアンスというのは英和辞典では分かりにくいが、この場合、celebrationというのは祝典などのことで個人を祝うという感じはない。

 バラカンによればWish me well.とするべきだという。

 この理由はよく分かる。「結婚おめでとう」もCongratulationという人が多いが、Conguratulationsと複数にしなければならない。しかも、女性に対しては使ってはいけないとされる。『ラーナーズ英和』にはちゃんと「(花婿に)結婚おめでとう」と書いてあり、しかも(「うまくやったね」というニュアンスを伴うので、花嫁にはI wish you every happiness.などの表現を用いるほうがよい)という注がついている【第2版では「最近は男女とも使うようになった」と記述が改められた】。

 ここからCan you celebrate?が間違っていることが分かると思う。Wish me every happiness.などと言わなければならないのだ。

 「ヘアヌード」なんてものは間違った英語だし、正しい英語に直しようがない。そんなヌード写真に欲情を感じるのは日本人だけだからである。

 こういうのをレアリアというが、どこで教えるべきなのだろう。

 カレーライスが正しいのか、ライスカレーが正しいのか、というのもよく論議された。昭和の初期に新宿中村屋が売り出したのは純インド式「カリーライス」だったが、例外らしい。漱石の『三四郎』で本郷の食堂で出るのは「ライスカレー」だった。明治41年の執筆だ。カレーライスになったのは高度成長の頃らしい。エスビー食品は背景に「家庭のカレー料理の本物志向がある」と分析していた。つまり、カレーライスの方が高級に思えるのだ。ただ、井上靖が「ほんとうのライスカレー」というエッセイを書いていて、伊豆の村では祖母だけがライスカレーを作ることができて誇らしく、その味が忘れられないという。「私はいまの祖母の作ってくれたものをライスカレーと呼び、他はカレーライスと呼んで、きびしく両者を区別している」という。

 英語では“curried rice”または“rice and curry”という、といろいろな本に書いてあるが、あまり意味がない。だって、インド人が日本に来て、「これって何て言う料理なの?」と聞くくらい、元とは似て非なるものなのだから。

 カレーライスとライスカレーの区別は何だろう。
 カレーとライスが別の容器で出てくるのがカレーライス。ごはんの上にかけてあるのがライスカレーだという説があるが、私は違う。
 金を払って、おもてで食べるのがカレーライス。
 自分の家で食べるのが、ライスカレーである。厳密にいえば、子供の日に食べた、母の作ったうどん粉のいっぱい入ったのが、ライスカレーなのだ。
 すき焼きや豚カツもあったのに、どうしてあんなにカレーをご馳走と思い込んでいたのだろう。
 あの匂いに、子供心を幻惑するなにかがあったのかも知れない。
     -----向田邦子「昔カレー」『父の詫び状』

 最近、いきなり変な英語の意味を聞かれることが多くなった。

 朝日新聞では英語の練習問題で「feel like」に続く動詞の形を質問され、とっさにglobeの曲「feel like dance」を思い出して「原形」と答えてしまった黒木さんが紹介されていて結論は「間違いだらけで影響心配」ということだ。

 が、まあ、いつものマスコミらしい威しである。

 こうした英語の元凶である小室哲哉の談話が載っていて「文法上のことはあまり考えず、曲のイメージに合う英語を選ぶ」といっている。16ビートが中心のスピード感を出すためにはまだらこしい日本語では合わないのだ。リズムやメロディを合わせるにはどうしても英語のアクセントが必要なのだ。

 一方、なかにし礼は「歌詞が心の琴線に触れるといわれた時代が懐かしい。今は言葉も音も記号の一部。記号化されている」と憂えている。

 井上史雄『日本語の値段』(大修館2000)に「歌の外国語」という章がある。当たり前だけれど、外国語の使用が増えていて、中でも英語の使用が圧倒的になっている。

 実は、外国語に劣等感を持つのは日本人だけではない。英語だってフランス語にコンプレックスを持っていて、上等な言葉の多くがギリシャ語、ラテン語からフランス語を経由して入っている。「ノルマン征服」のおかげで上流社会はフランス語を使っていて、家畜の時は“pig”“cow”と英語なのに、食べる方は“pork”“beef”とフランス語を使うというのもよく知られていることだ。上等な言葉には外国語が使われるというのは日本だけではない。

 最近でも「起業家」というのがブームになっているが、“enterpriser”と英語を使えばいいのに“entrepreneur”とフランス語を使っている。もちろん、従来の“enterpriser”と違う意味合いが入っている、つまり、「企業家」と「創業者」を同時に意味するので、使い出したものだろう。

 アメリカ人がもっとも効果的に外来語を使った例としては『アパートの鍵貸します』であろう。ジャック・レモンは上司の浮気に自分のアパートを貸しているのだが、相手がなんと自分の好きなエレベーター・ガールのシャーリー・マックレーンである。上司は浮気がばれて離婚することになって、マックレーンと結婚するといって鍵を貸してくれ、といった時に、“Just following doctor's orders. I've decided to become a mensch. You know what that means? A human being.”といって断る。“mensch”というドイツ語を使って男の意地を見せたのである。ちなみに、監督のビリー・ワイルダーはユダヤ人でドイツからナチスを恐れて逃れてきたのである。

 婉曲のためだから、ちょっと理由は違うが、フランスではトイレをヴァテールということがある。ようするにwater closetのwaterをフランス語読みしたもの(Waterlooがワーテルロー、ウォータールーになるようなものだが)だ。英語でトイレットというのはもちろん、フランス語のtoiletteを英語読みにしただけだ。

 外来語ではないが、漱石『坊ちゃん』の学校の教頭赤シャツは時々「帝国文学」という雑誌を学校へ持ってきてありがたそうに読んでいる。坊っちゃんは気に入らず「赤シャツの片仮名はみんなあの雑誌から出るんだそうだ。帝国文学も罪な雑誌だ」という。赤シャツが並べた片仮名は人名だったが、坊っちゃんが今の世を見たらカタカナの氾濫に日本から逃げ出すかもしれない。

 日本はそれでも外国語が蔓延しすぎている。Tシャツで訳の分からない英語や“BITCH”“COCU”などひどい意味を持った言葉が氾濫していたから悪い予感はいっぱいあった。

 しかし、こんな風になったのはサザン・オールスターズの桑田佳祐からである。70年代後半にデビューして以来、よく分からない日本語、よく分からない英語を駆使(?)してきた。

 理由は分からないこともない。どうしてもロックに日本語を乗せようとするとどうしてもあんな歌い方になってしまうからで、逆にいうとそれまでのロックは「和製ロック」、つまり偽物でしかなかった。

 それはちょうど、エルビス・プレスリーが黒人を真似てロックに入ってきた時に訳の分からない英語だと思われたのと同じである。

 それにしても、その後の追随者が日本語の歌詞の中で和製英語を使いまくり、最近ではサビまでが和製英語になっている。

 語彙のレベルから文法のレベルに達しているのである。

 言語学的な理由はよく分かる。もちろん、コンプレックスが基本にあって色々なネーミングから日本語が避けられているのと同じ理由である。

 日本語、特に表意文字である漢字は意味がすんなりと頭に入りすぎるのだ。意味というのはやっかいなもので、その人が生まれ育った時からの癖というか手垢がついてしまっていて、イメージを膨らますことができない。意味が限定されてしまうのである。「憂鬱な気持ち」よりも「ブルーな気持ち」だとが意味が広がる。

 これは「マリエ富山の言語学」などでも述べたことだが、英語やその他の言語に置き換えることによってメッセージを(よくいえば)膨らますことができ、(悪くいえば)曖昧にぼかすことができるからである。

 和製英語が語彙のレベルから文法のレベルになった段階で、内容はますます不鮮明になってしまった。

 つまり、英語コンプレックスだけではなく、日本文学、すなわち、俳句などの伝統が日本のポップスの歌詞に生きているのである。

 「コンテクストの中の日本文化」で明らかになっているように、日本人は日本人に分かればいい、情緒で雰囲気が分かれば、「WHITE LOVE」(SPEEDの曲)が「白人の恋」であろうと何であろうと、いわば知ったことではないのである。「純白の愛」というと「純白」も「愛」も日本的な、演歌的な世界が見え隠れして、とてもじゃないけれどポップスには受け入れることができないのである。

 (我ながらすごい結論なのだけれど)ポップスの歌詞にはコンテクストに依存した日本文学の伝統が今も息づいているのである!

 日本には「和製英語」がたくさんある。例えば、テレビ討論などの「パネラー」という言葉から英国人が想像するのは、ヘルメットに作業着姿の人だ。「パネラー」とは車の車体を修理したり、家の外装材の取り付けや修理をする人のことだから。正しくはpanelist(パネリスト)である。「ペアルック」は「洋梨体型」だし、「スキンシップ」は「皮の船」だ。「ターミナルホテル」は「最終ホテル」を意味するという。日本に住む外国人が最も嫌がる「マンション」は「邸宅」の意味だからだが、「ワンルームマンション」って一体?

 96年の流行語大賞は巨人長嶋監督の「メーク・ドラマ」だった。

 この年には大逆転したが、97年には30億円の補強をして「メーク・ミラクル」を標榜したがならず、「負けドラマ」Make Dramaになってしまった。

 この英語も正しくいうならばBe dramatic.だろう。

 何しろ、大学に入った最初の授業で隣の学生が英和辞書をもっていて「へえ、便利だね、こんな本があればいいね」と言った噂のある人だ(『シコふんじゃった』に出てくる)。 

 ただ、丸谷才一の話では彼が初めてドイツ語の講義に出たとき、先生が独和辞書を説明したときに「へえ、こんな便利な本が英語でもあったらよかったのに」といったことになっている。

 定冠詞“the”を「てへ」と読んでいたという話も残っている。

 「“I live in Tokyo.”を過去形にしなさい」という問題の答えを“I live in Edo.”としたという話も残っている。

 村上春樹が『村上ラヂオ2』で書いていたが、「肉離れ」を「ミート・グッドバイ」と言ったそうだ。「離れ」を「グッドバイ」とするところが、常人離れしている。

 日本語では「私は今年初めて還暦を迎えました」と挨拶したという。選手に「大切なことは“Give up.”だ」と言ったらしいが「“Never give up..”だったらしい。

 さすが、神話の人という感じだ。ガッツ石松が「ボクシングのおかげで人生が380度変わりました」と言ったのも有名だ。僕は「学生のおかげで360度人生が変わった」だけだ。

 しかし、ここで思い出したが、僕が巨人を嫌いになったのは長嶋が、戦後続いた純血主義というか、外国人選手はいない、という原則を破ってジョンソンを入れた時に始まる。おまけに「トマソン運動」のきっかけとなったトマソンまで入れてしまった。つまり、彼の英語コンプレックスが巨人嫌いをいっぱい作ったのだ。

 そもそも、野球用語は日米でずいぶんと違う。というか、日本人が勝手に作ってきた歴史なのだ。しかも、日本の方が面白い。

  • デッドボール walk by pitch
  • ファーボール walk
  • ピッチャーゴロ comebacker, grounber to pitcher
  • ホームランバッター home run slugger, home run producer, power hitter
  • ファストフライ fly ball to first
  • ランニングホームラン inside-the-park-homer
  • ポテンヒット texas leagure, blooper texas leagure's hit , looper
  • ライトオーバー over the right fielder over the right fielder's head
  • ロングヒット extra-bass hit, clout, swat
  • アベックホームラン back-to-back homers,back-to-back jacks
  • イージーフライ routine fly
  • ゴロ grounder, ground ball
  • サイクルヒット cycle
  • テキサスヒット Texas leaguer【テキサス人はほら吹きが多くてまぐれ当たりもヒットと呼んだことから】
  • トスバッティング pepper(game)
  • タイムリー run-scoring hit, timely hit
  • トップバッター leadoff(man), leadoff hitter
  • ノック fungo
  •  一番有名なのは「ナイター」かもしれない。外山滋比古は『ことば点描』(大修館)は後に東京外国語大学の学長となった岩崎民平が英和辞典を改訂中に、nighterを新しく入れようとしたと書いている。ところがもの好きがアメリカに照会したら日本製の英語だということが分かって、あわてて印刷中の輪転機をとめてnighterを外したという逸話が残っているという。

     それはそうとして、ナイターはいかにもしゃれて、アカ抜けしている。アメリカではなぜ使わないのか、気が知れない、とわれわれは思ったものである。アメリカの新聞だって、night gameなどと長々しくては、見出しなどには使えない。nighterなら、スペースの節約になるのに、と日本の英語好きの人間は思った。それから四十年、アメリカでも夜間試合としてnighterが使われるようになったのである。日本から輸出したことばの一つだ。

     ところで、「メークドラマ」の何が困るかというと、本当らしい姿をしているだけに困るのである。「メーワクドラマ」なのである。

     こんな事態は旧国鉄のキャンペーン“Discover Japan”に始まるという人がいるかもしれないが、あれは“Discover America”という英語をそのまま使っていた。

     Make Dramaの場合は英語らしくて英語でない部分が困るのである。

     ピジン・イングリッシュみたいになっていくか、というとそれは絶対にない。ピジン・イングリッシュというのは例えば「三匹の子豚」(“Triple little pigs”)というのが“Tripela likiliki pig”になるような言語である。ピジンというのはビジネスが訛ったとされる。

     それは使う必要がないのに存在している奇妙な英語だからである。自然発生的でもない。コマーシャリズムに乗せられているだけなのだ。

     「語彙は動いているけれど、文法はまだ犯されていない」と井上ひさしは『ニホン語日記』に書いていたが、巨人軍と巨人軍ファンによって日本文法が侵略され始めているのである。

     そうだ。前兆は引退時に「巨人は永遠に不滅です」と畳語的に語った時にあったが、こんなチームを期待して待つことはできない。

     ある時「鯖って漢字はサカナ偏にブルーでしたっけ?」とか「フランスの国旗は赤と白とブルー」と言った話も残っていて日本語がよく分かってない人だ。

     考えてみれば、野球の球団名からしておかしい。ジャイアンツやドラゴンズ、カープ(“鯉”は単複同形)はいいが、タイガース【ATOKで変換できた】はタイガーズ【ATOKで変換できず】でなければならない。英語教育のため阪神は改名すべきである。ニューヨーク・ヤンキーズもヤンキースというのは止めるべきだ。

     長嶋効果はプロ野球のライバル、Jリーグにまで及んでいる。サッカーは…。

     鹿島アントラーズは英語の“antlers”で「鹿の角」、ヴェルディ川崎はポルトガル語の“verdi”で「緑」、横浜フリューゲルスはドイツ語“flugels”で「翼」、横浜マリノスはスペイン語“marinos”で「船乗り、ガンバ大阪はイタリア語の“gamba”と日本語の「頑張れ」(ふざけるな!)、サンフレッチェ広島のサンは日本語の「三」でイタリア語“frecce”との合作(毛利元就の三本の矢の故事から)。

     こんなバベル的状況で、ワールドカップに勝てるはずがない!

     と思っていたら、井上ひさしの『にほん語観察ノート』(中央公論新社)に加藤久(元・日本サッカー協会強化委員長)の最初の仕事が紹介してあった。それは用語の統一だったという。

     相手のゴール近くへ駆け上がってきた味方に向けて、右や左からボールを蹴り込むことを、それまでは「センタリング」などと言っていたのですが、それを「クロス」という言葉に統一する。パスをもらう際に円を描くように動くことをすべて「ウエーブ」という言葉にまとめた。「体を寄せる」を「アプローチ」に、「当たれ」を「チャレンジ」に言い換えることにした。

    「外国人指導者から、いきなり英語を使われ、何を言われているのか分からないままでは先に進めない」(加藤さん)からでした。

     確かに、この「チャレンジ」を日本人は「彼はその問題にチャレンジした」というように使うが、英語では“He tried to solve the problem.”となる。英語のchallengeは“He challenged me to judo bout.”(彼は私に柔道の試合を挑んだ)といったように、スポーツなど勝負事に関連した場面で多く使われる。「アピール」も「新商品をアピールする」というように、自分から何かを売り込むときに使うのが、英語の「appeal」は“She appeals to me.”(彼女は私の好みだ)」といったように、自分が何かに魅力を感じた場合に使う。つまり、自分にとって受動的な場面で使う言葉なのです。ちなみに、appealを能動的に使うと「懇願する」「控訴する」といった意味になってしまう。日本人の英語が通じないというのはこうしたニュアンスの違いから生まれていることが多い。

     英語を使うな、ではなく、どうせなら世界に通用する言葉を使え!ということだ。

     英語は発音、特にアクセントが違うとまるで通じないが、日本の外来語にはそうした配慮は何もない。LとRはもちろん、BとVの区別も設けていない。それどころか、ミネラルウォーターのEvianが「エビアン」になっていて、Volvicが「ヴォルビック」(「ヴォルヴィック」でなく)になっているのは何か悪意さえ感じる。「ボルヴィック」の水源はフランス中部の高原だそうだ。彫刻を施した石塔から流れ落ちてきた水を無料でみんなが容器に詰めていく。これに値段をつけているのだ。

     日本人以外の外国人が英語が上手なのは使う必要がある、生きるための手段だからである。

     小学校の教科書から英語で教えなければならない国が今でも多いのである。

     日本は大学教育まで母語の日本語で教えることができる幸福な国なのにどうして英語があふれているのだろう。

     外山滋比古の『「ことば」は「こころ」』(講談社)にフランスの家庭の話が紹介されていて、娘を嫁がせる母親が婚約者に言う。

    「うちでは、たくさんの持参金を持たせてやることは出来ませんけれど、ただひとつ、娘に美しいフランス語を持たせてあります」

     相手の青年が答える。

     「それは何よりのもので…」

     詩人の薄田泣菫は大正時代に、フランスの日刊紙「フィガロ」に風変わりな広告を見つけたという(『茶話』岩波文庫)。「飼っているオウムの発音が悪いので、正確なフランス語の話せる人を家庭教師に雇いたい」。泣菫は鳥の言葉にさえ敏感なお国柄を称(たた)えたあと、「多くの代議士に狗(いぬ)のような日本語で喋舌(しゃべ)らしておいて、黙ってそれを聴く事の出来る日本人の無神経さがつくづくいやになる」と結んでいる。

     フランソワ・トリュフォーの自伝的映画『大人は判ってくれない』の中で、学校をさぼってばかりいる息子にお母さんが「偉くなりたければ、国語の勉強をしっかりやりなさい」と叱る場面がある。そして、国語の成績が上がったら、褒美をあげると約束する。褒美をもらえると知って、一念発起してバルザックの『絶対の探究』の冒頭部分を暗記する。そこまではよかったのだが、作文にこれをそっくり写して先生に叱られることになる…。

     こうしたフランス語を大切にする機運は1635年に始まる。宰相リシュリューが学者や作家を宮廷に招いて質問した。

    「フランスの国王は一人か?」
    「はい、一人でございます、閣下」
    「そうであろう。国王が一人なら、我々も一つの言語を話すべきではないのか…」

     などといって、1635年にアカデミー・フランセーズが創設された。報酬は国王が支給し、彼らにはアカデミー会員の称号が授与された。任期は終身で「イモルテル」(Immortelle不死)という。高名な小説家、政治家らが名を連ね、就任式で緑の礼服に、剣を腰から下げる正装はかつての貴族を連想させる。彼らが標準語という物を決めているのだが、鹿島茂『フランス歳時記』(中公新書)によれば、実際は事務職員まかせで、会員はアカデミー会員「である」ことを最大の名誉としている。定員は40名と決まっているから激戦で、ヴィクトル・ユゴーも3回落選して、4回目にようやく当選した。しかも、ユゴーが会員になれたなら自分にも可能性があるとバルザックは考えたのだが、わずか9日間の間に2度も落選してしまった。落選理由は借金が多すぎるというものだった。サルコジ大統領もフランス語の間違いが多かったので会員になれないだろうといわれている。1992年に始まった「辞書第9版」の編集は未だに終わっていない。「明晰でないものはフランス語ではない」という表現もあるが、曖昧にいうことはないのか、とツッコミたくなる。

     フランスの政治家は講演で2つ文法の間違いをすると当選しなくなるという。

     フランスでは英語の侵入に抵抗してコンピューターはordinateur、ファイルはfichier、 ソフトはlogiciel、マウスは sourisと譲らない。ネット(l'Internet)関係でもウェブはla toile(ただし英語のle webも)、サイトはle site(元フランス語で逆輸入)、ホームページはla page d'accuel、ダウンロードはtelecharger、ネットワークはle reseau、オンラインはen ligne、Eメールはcourrier electroniqueなどである。大変なのはADSLでla LNPA(la Ligne numerique a paires asymetriques)となって訳が分からなくなる。輸出入の書類もフランス語でないと通関できないようにしようとしたことがあるが、 これはさすがにうまくいかなかったようだ。ちなみにカラオケはkaraokeとしてフランス語に入っているが、「カラオケのように簡単」などという表現も生まれているという。

     政府が推奨しても国民の支持を得るとは限らない。国立国語研究所が提案した外来語の言い換えには「納得診療、説明と同意」「第二診断」とか「操作開始」というのがあるが、まさか「インフォームドコンセント」「セカンドオピニオン」「ログイン」だとは思わないだろう。フランスでもweekendはvancancelleというが、ジャン=リュック・ゴダール監督の『ウィークエンド』という、いっちゃかめっちゃかな映画は“Week-end”となっていた。

     「フランス語の使用に関する法(トゥボン法)」が1975年にすでに制定されていたバ・オリオル法を強化した形で94年に制定された。具体的には労働関係(契約書など)、消費分野(フランス語での表示)、教育分野(フランス語の義務化)、テレビ・映画・ビデオの分野(番組や広告におけるフランス語使用の義務化)、シンポジウムや会議などの分野(フランス人参加者はフランス語で発表できるようでなければならない)といった5つの分野に介入するものであった。しかし、憲法院によってトゥボン法のなかのいくつかの条文と条項が「人権宣言」に反すると判断され、無効となっている。

     ミッテランが大統領だった頃、「コンピューター言語が全部英語系なのはけしからん、フランス語をベースにしたコンピューター言語を創れ」と命令して完成した。研究所へ大統領が視察に訪れ、試作品を試してみて「で、これはどれくらい普及するかね?」「無理です。これはフランス語で書かれていますから…」。

    高田保『ブラリひょうたん』「審査投票」
     キング・イングリッシュとプレシデント・イングリッシュとを比べたら、プレシデントの方がずっと簡便だが、その簡便をもっと簡便にしたいと考えたプレシデントがあった。鼻眼鏡と虎狩りで有名なセオドール・ルーズヴェルトである。
     動詞の語尾変化をみんなtの字だけつければよいことにしようという説など、相当共鳴者もあったのだそうだが遂に実現しなかった。言葉は生きもの、アメリカのような国でさえ簡便ということだけではどうにも動かせなかったところに微妙なものがある。
     それを政府の方針だけで決め、一片の布告で国民に押しつけてしまったのが日本だから大したものだ、「新体制仮名つかい」とか「漢字制限」とか、まことに政府の権能は大したものである。ところがこれは、憲法学の権威故美濃部博士の説によると、明らかに憲法違反になるのだそうだ。そういわれるとわれわれ素人にもわかる気がする。それでこそ憲法だという気になれる。
     国語をいじくると、これがもしもフランスだったら大騒動だろう。何しろドイツ語は馬の言葉で、英語は犬の言葉で、わがフランス語だけが人間の言葉だと誇っている国民である。事がフランス語に関したらそれはフランスの伝統的道徳につながる問題だとして騒ぎ立てる。その事例なら数え切れぬほどであるだろう。
    「ブウルボン宮殿をアカデミイの如くにした」と木下杢太郎がパリ通信の中に書いているのもその事件の一つだ。中学校の必修課目としてラテン語、ギリシャ語を残すべきか除くべか、日本ならば平気で文部省内の一局ぐらいで片付ける問題だが、これが国会の議題となり、甲論乙駁、二十日余りにわたってやっと納まったのだそうだが、国会が、ためにアカデミイの如き観を呈したということ、われわれとしてはただうらやましいと嘆息するだけである。
     最高裁判官の経歴書というのが廻って来たが、これだけではどうにも頼りない。曖昧あいまいなものは判定の材料として取上げぬのが裁判の常識だと聞いていたが、これで投票しろというところをみると、裁判と審査とは違うのだろう。それにしても、もしも文芸家協会あたりで「新制仮名つかい」の決定を憲法違反で告訴してくれていたらと思った。
     つまりその判決次第で、私は確信的?印をつけることが出来たろうからである。
                                (一・二三)

     造語力の強いドイツ語ではコンピューター、ソフトウエアなどは英語を取り入れているが、 OSはBetriebssystem、ウインドウは Fenster、マウスポインターはMauszeigerとできるだけドイツ語に翻訳するが、やたら説明的で長い単語になってしまう。

     斎藤孝も造語力だけの学者で、「四字熟語力」などという本さえ出している。日本語やドイツ語はそうした造語力が強い。だから、ウヴェ・ペルクゼンという独作家は『プラスチック・ワード』(藤原書店)という本を出しているくらいだ。もともとは「ロゴ・ワード」としたかったというが、ロゴのように自在に組み合わせることができる言葉で、内容がないような言葉を指す。官僚たちが大衆の目くらましに使うような言葉だ。

     「略奪愛」があったと思えば、「事実婚」があり、「できちゃった婚」などと簡単に造語できる。駅弁があれば、「空弁」ができて、「速弁」までできた。しかも、「空弁」というのは国内線で食事が出なくなったから生まれたと思うが、飛行機の中で食べている人など見たことない。つまり、ただの土産だったりする。柳父章のいう「カセット効果」をもたらす魔法の言葉なのだ。

     「エンパワーメント」のような外来語だけでなく、安倍「無責任」晋三が使った「戦後レジーム」(何語か知っているのか?)とか「子育てフレンドリー」とかがこれに当たる。自虐的日本史を問題視する総理なのに、自虐的日本語観と言い換えることができる。

     漢字の世界の中国語ではカラオケのオケをOKとするなどの例を除きすべて漢字化する。 字体は日本と違うが、コンピューターは電脳、ソフトは 軟件、 インターネットは網絡などとなっている。同じく意訳で彩電、熱狗、方便麺はカラーテレビ、ホットドッグ、インスタントラーメンだ。音訳では比基尼、的士があり、それぞれビキニ、タクシーである。音訳、意訳をうまく合体させた、ビタミン維他命 (weitamin)、コカコーラ(可口可楽)(kekoukele) 等の傑作も生まれている。「ミニ(スカート)」は「迷イ尓(裙)」で「あなたは迷わせる」という意味もある(「裙」は意訳)。「熱狗」は日本人なら「焼いた犬肉」みたいで嫌がるところだが、中国人には「熱海」だって別に海が熱い訳でもないし、温泉を海と思っている訳でもなく「あたみ」としか考えていないでしょ、といわれる。

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    ノートパソコン 筆記本型電脳
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    インターネット・アドレス 国際互連網地址
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     どの言語も戦っている。日本人も西周らが戦ったのに、今はそんな大切なことを忘れてしまっている。“society”の訳語として「侶伴(りょはん)」「仲間」「組」「社中」「連衆(れんしゅ)」「会社」「総体人」「交際」などが、幕末から明治初頭にかけて考案された。「社会」という造語が使われるようになったのは明治も7、8年たってからだ。「なぞり」とか「翻訳借用」という方法も使われた。原語の単語を成分に分けて各成分に自国語訳を当てて、組み合わせたものである。「中東」「死角」(dead angle)がそうだし、「盲腸」や「陰毛」もドイツ語の“Blinde Darm”“Schamhaar”をそのまま使ったものだ。何よりも「摩天楼」がすごい。“skyscraper”をそのまま「摩擦する+天+楼閣」と考えたのである。民主党が政権を持って最初の鳩山総理が国連で演説をした時に「プロツェント」を多用していた。ドイツ語の“Prozent”が分かる人など100%いない。英語で「パーセント」といえば良かったのである。

     「社会」をはじめ「個人」や「近代」といった翻訳語の成り立ちをたどった柳父章の『翻訳語成立事情』(岩波新書)は、翻訳語の「カセット効果」を指摘している。カセットとは小さな宝石箱のことだ。つまり翻訳語には中身がよく分からなくとも人を魅惑し、ひきつける効果があるというのだ。誰が作ったか知らないが、「銀行」だって見事なものである。“bank”を「銀座」と考え、「銀」を借り、会社を意味する「洋行」の「行」をとって「銀行」とした。本来の日本語にはない欧米のモノの見方や考え方を言い表すのに、やはり外来の漢字の造語能力は大いに役に立った。だがそれらは意味がよく分からず、逆にだからこそ深遠な意味を秘めているように感じられた。結果、乱用されてしまう成り行きは昨今のカタカナ言葉と同じである。

     日本人のTシャツは外国人の笑いものだと言ったが、実は気にしなくいい。あいつらだってむちゃくちゃな意味の漢字が書いてあるTシャツを着て喜んでいる。黒田龍之助『その他の外国語』(現代書館)には旧ソ連で女の子が「尿素」と書かれた手作りバッグを持っていたという。教えてあげようかと思ったが、その女の子が気の毒に思ったから止めたという(どうせ誰にも分からない)。それに、「尿素」というロシア語を当時は知らなかったからだという。

     戦争中に英語は「敵性語」だとして言い換えられたが、意味のないことだった。「ニュース」が「ニュース」のままだったように、言い換えができない言葉も多い。それに中国とも戦っていたのだから、中国語=漢語も禁止すべきだったのにそうはならなかった(絶対に不可能だが)。清水義範は「言葉の戦争」でこのモチーフを使っていて、最初、英米豪と戦っているので英語禁止となるのだが、途中から中国・台湾とも戦争を始め…。

     日本は政策を持てない国家であった。太平洋戦争が始まったらアメリカはすぐに日本語の専門家を要請し、占領政策を練り始めたのにもかかわらずだ。

     言語政策については3つの側面があるとされる。白井恭弘『ことばの力学』(岩波新書)によれば、次のようである。

    ●コーパス計画…使われるべき、(正しい)言語のあり方を決めるもので、アカデミーフランセーズがそうだし、日本の国語審議会(2001年から文化審議会国語分科会)がそう。

    ●地位計画…言語や方言の価値の決定。どれを公用語にするか、など民族対決にもつながりかねない。マレーシアでは英語の価値を下げてマレーシア語に重要な価値を与えた。明治政府は標準語政策を採った。

    ●習得計画…どの言語を(どの程度)国民が習得すべきか、ということ。シンガポールでは1987年に小学校教育からすべて英語(公用語にはなっていた)で行うことにした。日本政府がどの外国語を教えるかということも(ほとんど英語になった)この一貫である。

     長谷川眞理子は『科学の目 科学のこころ』(岩波新書)で次のように書いている。

    …他の人々は、科学もすべて大和言葉で書くことを提案した。その派の人々は、なにかのもとになる最小単位のようなものを表す大和言葉は「ね(根)」という言葉であるということから、「水素」、「炭素」の替わりに「みずね」、「すみね」という訳語を提案したそうだ。結局のところ漢語派が買ったので、私たちは現在、「水素」、「炭素」という言葉を使っている。「みずね」、「すみね」が勝っていたら、いまの私たちは、どんな科学の教科書を手にすることになっていただろうか?


     言語の話に戻りますと、わたしは、どの言語も複雑で豊かなものだと思います。アフリカ土着の言語も、もともと実に豊かなものです。ただ、人びとが日常使用しないと、言語は次第に貧しくなっていくのです。セネガルも、植民地時代を経験して、フランスから独立したものの、フランス語の導入、そして皮肉にも教育の普及が、私たちの母国語、古来よりの言語を日に日に失わせる結果となっています。

     映画を制作するうえで一番の苦労は、俳優たちにまず純粋なウォロフ語を教えなければならないことでした。彼らの会話から、フランス語を完全に排除していくことは、大変なことでした。

     セネガルには、フランス語を話せない人もまだ多く、その一方で、ウォロフ語のよくわからない若者も育っています。自分の本来の言葉を失いつつあるのです。

     ウォロフ語とともに、セネガル伝統文化も失われていきます。わたしたちはどうにかして、それを救おうとしています。アフリカの直面する重大問題なのです。文化が死んでいくのですからね。
         ------センベーヌ・ウスマン(映画監督)

     ただし、劇作家の別役実は『左見右見 四字熟語』(大修館)で漢字の造語力を評価している。「あとがき」で「最近、おしゃべりしていて、楽しくないんだよ」という仲間の愚痴を紹介しながら、言葉が言葉らしくなくなっていく世相を憂えているが、劇作家にとって気のきいた会話が書けなくなったり、書いてもそれを観客に楽しんでもらえなくなったら、演劇の仕事そのものが成立しなくなるからだ。その対策として、言葉の意味以外のひびきや匂い、手触りを体感できる方言と、漢字の造語力に期待しているという。かつて男性優位の象徴だった四字熟語の「ますらお」文体は戦後、女性の「たおやめ」ぶりの系譜に連なる口語文体に取って代わられたけれど、ここへきて四字熟語のような、珍奇で骨張った字面の手触りと音韻法則を面白がる風潮は大歓迎だという。試験で「〇肉〇食」を「焼肉定食」と答える学生などは、漢字のポップ化の好例だ。毎年、創作四字熟語が発表されるが、大好きだったのは韓流に沸いた2004年の「様様様様」(ヨン様)だった。『電車男』がヒットした翌年は「車内恋愛(社内恋愛)」というのが面白かった。ちなみに「左見右見」とは「あちらを見たり、こちらを見たり」することだ。

     長嶋監督のおかげで日本人がみんな「いわゆるひとつの和製英語」を話すようになってきた。

     でも、そうした変な英語を笑う方がおかしい。柳沢有紀夫『日本語でどづぞ』(中経出版)では、香港のマッサージ店の電飾看板にあった「エしペーターで一階でどラざ」とか、韓国の居酒屋の入り口に書かれていた「いらつしゃませ。わりがとらございます」とか、中国のホテルのお土産店の看板に書かれた「はいはいふらいき」 などを笑っているが、微笑ましいではないか!

     2008年に福留がカブスで鮮烈デビューをしたのだが、3ランHRが飛んだ座席には「偶然だぞ」というプラカードが掲げられていた。失礼な、と思ったが、カブスの合い言葉“It's gonnna happen.”を誰かがgoogleで機械翻訳したために生じたものらしい。「何かが起きるかも」という意味だったろうに。

     日本人は英語を間違って使っていることに恥じることはない。外国人の漢字のタトゥーやTシャツを見れば分かる。誰だってありうることだ。

     全ての外来語をなくせ、と主張してはいけない。「テレビ」や「ラジオ」をなくすこともできないし、漢語だって外来語だった。漢語がなかったら、司馬遼太郎が「日本語について」(『歴史と小説』集英社文庫)でいうように、様々な概念を表せなかったはずだ。司馬が学んだモンゴル語では鉛筆のことを直訳して「ナマリノフデ」(ホルゴルジン・ビル)という。抽象概念表現の鍛錬を経ぬまま近代に至り、やむなくロシア語を大量に輸入した。モンゴル語と同祖といってもいい日本語は、千数百年前、漢語を取り入れることによって、形而(けいじ)上的な概念を表現できる言語になった、と指摘している。

    「鰐梨」って何か分かるだろうか?これは「アボカド」の訳語である。正確には英語で俗に“aligator pear”というところから訳したものだ(学名でもワニナシ属になる)。これでおいしさが分かるかどうか?同じ気持ちを阿川佐和子が『残るは食欲』の「情熱果物」の中で書いている。

     バナナとかマンゴとかパパイヤなんて、いかにも南国の海辺、あるいはジャングルのご出身というトロピカルな香りが名前からにじみ出ているが、パッションフルーツと言われると、ご先祖はたしかにジャングルなのですが、ニューヨークに移り住んで三代目になります、って漢字の都会的な雰囲気が漂う。

     ややこしいことに、この「パッション」は「情熱」ではなく「受難」である。更にややこしいことに、「時計草(トケイソウ)」の仲間なので、この花を「アッシジの聖フランチェスコ」が夢で「十字架上の花」だといって、南米での布教に役立てたから、キリストの「受難」を意味するようになったのだ。

    「バリアフリー法案」(2000年)でいいものを「高齢者、身体障害者の公共交通機関を利用した移動円滑化促進法案」などといわなければならないのも問題である。「アメニティライフ」を「快適な暮らし」というと、「どこが快適なんだ!?」と文句が出てくるが、「アメニティ」だと何となくアメニティという感じでごまかせるのだともいう。

     2003年にこれでは行けないというので、国立国語研究所の外来語言い換え案の第2弾では、計52語の例が示された。気持ちは分かるのだが、「時空自在」「等生化」「情報集積体」「複合媒体」は、それぞれ「ユビキタス」「ノーマライゼーション」「データベース」「マルチメディア」のことだといい、無理があるし、「ミスマッチ」の「不釣り合い」、「キャッチアップ」の「追い上げ」などを除けば、よけい混乱させるだけだと思える。2回目として「インセンティブ」は「意欲刺激」、「ボーダーレス」は「無境界、脱境界」、「モラルハザード」は「倫理崩壊」といった例が示されたが、例えば「インセンティブ」は商品の「オマケ」としてアメリカでは使われることが多く、「意欲刺激」では何が何だか分からなくなる。また、「アイデンティティー」は中間発表の「自己認識」に「独自性」を加え、2例を示した。「ノーマライゼーション」は、「等生化」という造語に加え、「福祉環境作り」という言い換え例を示したが、わかりにくいとの批判があり、「等しく生きる社会の実現」に変えたが、誰がこんな言葉を一つの言葉として受け止めていくのだろう。戦時中だって、「ニュース」は「ニュース」だったし、「零(れい)式勘定戦闘機」は「ゼロ戦」だったし、「加藤隼戦闘隊」は「エンジンの音轟々と…」していたのだ。

     2004年の第3弾では前回、最終提案に至らなかった5つの外来語のうち、「オンライン」「データベース」「フォーラム」について、<1>近い将来、外来語のままでの定着が予測される<2>言い換え語を絞り込むのが困難<3>外来語に勝る言い換えがない――などの理由で、言い換えの断念を表明した。 「メセナ」は「文化支援」とする中間案に対し、大手企業人らでつくる「企業メセナ協議会」などが「新しいコンセプトの芸術文化支援運動に大打撃を与える」などの理由で反対したことを尊重して、言い換えを断念。残る「ユビキタス」は、どこでもパソコンを使える環境を意味するとして、前回提案された「時空自在」の言い換えについて、さらに検討を重ねることになった。

     2004年の第4弾ではドメスティックバイオレンス(DV)は言い換え語提案を先送りした。「配偶者間暴力」では「配偶者に限定すべきでない。元夫婦、内縁関係、恋人間にも起こっている問題だ」と異論が出たというし、「家庭内暴力」も子が親に振るう暴力のようだ。委員の間では「親密間暴力」「近親間暴力」などの苦しい案も出たがまとまらなかった。

     結局、新しい概念を既成の言葉で言い換えようとしても英語を漢語にするだけであり、既に手垢がついているので機能しないのだ。

     滝廉太郎に「憾み(うらみ)」という遺作がある。当時不治の病だった結核に冒され、志半ばで他界しなければならなくなった作曲者の思いが込められているピアノ曲で「うらみ」という「音」には、おどろおどろしい響きがあるが、「残念に思う」という意味があって、今なら「遺憾の意」とかで語られるような言葉である。

     もっと言えば、「遺憾」という漢語がおかしいからといって、大和言葉の「憾み」に今さら言い換えても誤解を生じさせるだけということになる。

     2008年に『ティファニーで朝食を』の村上春樹訳が出た。

     龍口(たつのくち)直太郎訳「ある晴れた朝、目をさまし、ティファニーで朝食を食べるようになっても、あたし自身というものは失いたくないのね。」
     村上春樹訳「いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの。」

     タイトルに関する部分なのだが、「朝食」と「朝ごはん」、どちらがいいのか分からない。『ティファニーで朝ごはんを』となると、何だか卓袱台で食べているような気がする…。


     もし、英語がなかったら「プライバシー」について語ることができないし、「ハラスメント」ほどぴったりする言葉も日本人は持たない。南方熊楠は「千百年来斧斤(ふきん)を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおることに御座候」(和歌山県知事宛の書簡『南方熊楠全集』平凡社)と初めて「エコロジー」という語を使ったが、「エコロジー」の先進国であったにもかかわらず、「エコロジー」という概念を持っていなかったのである。

     それどころか、「コミュニケーション」という言葉は人間のもっとも本質的な活動を指すにもかかわらず、今でもなじみにくく、「コミュニケーションする」のか「コミュニケートする」のかためらってしまうのだが、「伝達」というのは上からの一方的な指示のようだし、「伝え合い」というのも二人だけの関係のように思えるし、相互的に、心身共に触れあうことはやっぱり「コミュニケーション」としか言いようがなくて困ってしまう。

     「人が泊まる場所」について、日本語には「宿屋」「旅館」「ホテル」「ペンション」などがあるが、これらは機能としては同じであるが、それぞれ違うものである。ソシュールは「語義」(signification)と「価値」(valeur)は違うと言ったが、これらの場合、まさに「価値」というか、言葉も重みが違うのである。英語の“water”と日本語の“mizu”とは価値が違う。日本語は“mizu”と“oyu”と“sayu”があるからだ。

     ある程度は日本語の活性化につながるが、行き過ぎはいけない。

     「全体、君等が西洋の原書を翻訳するに四角張つた文字ばかり用ふるは何の為めなるや」とは福沢諭吉の言葉だ。古代から外来思想の消化を運命づけられた日本文化の面白さと悲しさを思い起こさせる「言い換え案」である。

    (夕陽妄語)悲しいカタカナ語 加藤周一

     今ここで「カタカナ語」というのは、主として英米語からの借用語で、カタカナ表記して日本語文のなかに混ぜて用いる言葉である。
     たとえば、「百貨店の地下の食品売り場」という代わりに「デパチカのフードコーナー」という。ここで「チカ(地下)」と助辞「の」以外はすべて借用語で、本来の日本語ではない。借用語の元は英米語だろうが、それをカタカナで表記し、その読みに従えば、もはやほとんど原語の音(発音とアクセント)をとどめない。「コーナー」の場合には意味も違う。売り場は広大だから英米語で「corner」とは言わない。カタカナ語の「コーナー」は「センター」と相互交換的だが、英米語ではそうではないからだ。「デパチカのフードコーナー」という発語(または表記)は日本語でもなく、英米語でもない。
       *
     私がそれを理解できるのは、私が日本語や英語を知っているからではなくて、カタカナ語をいくらか知っているからである。しかもカタカナ語では二つの単語を分かち書きしない。句読点の用法にほとんど規則がない。さらにカタカナ語の知識が限られていれば、そもそも文章の意味を測りかねることも少なくない。
     「ゴールデンウイークプラン 夕朝食バイキング」はわかるが、「サンバレーにフォレスト・ヴィラ アクア・ヴィーナスにアネックスツイン」は何のことか私には見当がつかない。これは最近日刊新聞の広告らんに見たものである。すなわちカタカナ語は、実際に日本で義務教育を受けた人間の間のコミュニケーションにビッグなオブスタクル(カタカナ語の名詞には英語とちがって普通複数がない)をつくりだす。日本語で喋(しゃべ)ったり、書いたりすれば、誰にも即座にわかる話を、わざわざカタカナ語を多用してわかりにくくするのはなぜだろうか。
     もちろん政治向きの話では、一般国民にわかりにくい発言が便利なこともある。たとえば一方で「非核三原則」を堅持する日本国が、CTBTを破り、NPTを脅かす他国の行動を支持するという。その矛盾は、CTBTやNPTという外国語の略称を知らないかぎりはっきりしない。はっきりしない方が政府にとって都合のよいことも実に多いのである。
     学者の中には、「いや、それは特殊な場合にすぎない」という人がある。「一般に借用語を多く導入するのは、その言語に活力がある証拠で、むしろめでたい。現に日本語は中国語から多くの語を輸入してその表現力を豊かにしてきたではないか」という論議である。しかし、昔の日本人は借用語によって日本語の語彙(ごい)を拡大してきたので、日本語で言えることを借用語で表現して話をわかりにくくしてきたのではない。学者の議論には安易な言語学的ポピュリズムの臭気がある。
       *
     ざっとそういうことを考えながら暮らしていると、最近文部科学省に英語教育を小学校の必修科目にしようという動きがあることを知り、その動きに対する石原都知事の批判を知った。石原氏の批判の内容は、「人間の感性や情念を培うのは国語力だ」として、ろくに自国の言葉を知らぬ人間が外国の文化を吸収できるはずがない、若い人の国語力が低下しているとき、小学校から英語を教えるのは、全くバカげている、ということらしい(「朝日新聞」、〇六・四・八)。
     私は大すじにおいて知事の考えに賛成する。日本全国の小学生に英語の学習を強制すれば(一週一時間か二時間の授業の)、日本国民が、英語を話すようにはならず、カタカナ語を今よりもっと多用するようになるだろう、と思う。これより先、石原氏はフランス語について、フランス語では数を数えられぬといい、今回は英語について英文法はいいかげんなものだという意味のことを語ったらしい。それはどちらも誤りだが、その理由を説明するまでもないだろう。しかしそのことは、小学校において何よりも日本語力を養うべしという意見の当否と直接には関係しない。
     小学校での英語教育を思いついた人たちは、外国語教育は早く始めた方がよいと考えたのであろう。日本の子供を英語国の小学校に入れれば、忽(たちま)ち英語を流暢(りゅうちょう)に話すようになる。その国に赴任した両親よりもはるかに短い期間に、はるかに正確に英語を話す。
     しかしその場合と、日本の小学校の「英語の時間」とは、条件が全くちがう。日本では学校の「英語の時間」の外部の環境において――学校でも、家庭でも、社会でも、TVでも――、子供の生活は英語を必要としない。したがってそれを習う自覚的動機は弱い。しかるによほど強い動機がなければ、――その強い動機が突然英語国の小学校に入れられた子供にはある――、日本語から英語へなめらかに移行するなどという芸当が少しでもできるはずはない。
     しかし例外を以(もっ)て原則とすることはできない。あえて強制すれば、出口は日本語でも英語でもない、コミュニケーションの手段としてきわめて不便なカタカナ語にもとめる他はなくなるだろう。
       *
     カタカナ語はカッコがよいのではない。英語の強制が生みだす挫折のはけ口であり、うらぶれた、悲しい楽園幻想の結果である。国際化、または国際協調の幻想。現実には自国民相互のコミュニケーションの障害、そしてもちろん感性の質の低下……。
    『朝日新聞』2006年4月20日夕刊「夕陽妄語」

     三保忠夫『数え方の日本史』(吉川弘文館)によれば、「一百七十九万二千四百七十余歳」を平安期に成立した『日本書紀私記』には「モ丶ヨロズトセアマリ、ナ丶ソヨロズトセアマリ、コ丶ノヨロズトセアマリ、フタチトセアマリ、ヨホトセアマリ、ナ丶ソトセアマリ」と読むと書いてあるそうだ。百万歳+七十万歳+九万歳といった具合に分解している。一般的な文書類や漢籍などは「ニヒャクサンジュウイチ」などと字音で読まれたが、日本書紀の訓読や万葉集などの韻文は、こうした和語で読まれていたらしい。僕の知っているのでは『源氏物語』の「空蝉」に「指をかげめて、とお、はた、みそ、よそ、など数(かぞ)ふる」というのがあって、やっぱり難しい。つまり、フランス語を笑うことなどできない。いや、石原が監督をした『俺は、君のためにこそ死ににいく』は見ていないが、「零戦」は何て呼ぶつもりだったのだろう。「レイ」なら漢語だし、「ゼロ」なら鬼畜米英の英語だ。ゼロがなくて、どうして現代数学ができるのだろうか?

     おおっ、中国語の数詞はもっとすごかった。相原茂『ちくわを食う女』(現代書館)によれば、こうだ。「二百五」は205ではなく250で、205は「二百零五」という。「両千五」で2500で、2005は「両千零五」で0が二つあっても「零」は一つでいいらしい。2050は「両千零五十」となる。頭が痛くなった。

     池内紀『世の中にひとこと』(NTT出版)にもこれを批判した文がある。

     ドイツ語も、日本語やフランス語ともちがう数のかぞえ方をする。それは歴史や文科や国民性と関係している。フランスやドイツから優れた数学者が排出しているから、誰も「数を勘定できない言葉」とは思っていないわけだ。

     ヨーロッパのユーロをはじめ、地球上のほとんどの国で日常の金銭単位は、ひとけたか、ふたけたである。その程度で暮らせるのが文化的な生活なのだ。ところがわれわれは、ちょっとした買い物にも四けたの数字を必要とする。ちっぽけなマイホームに八けたの数字が出てくるなんて、およそ野蛮なことなのだ。

     国民全部が同じ傾向をもってしまうから、変な英語を共に生み出すから、英語共産主義、「いわゆるひとつのチョーサン主義」なのである。

     そういえば、昔、外人講師の講師料が日本人の倍くらいの時代があった。教務係のおじさん(今はアル中になっている)が「どうしてこんなに違うがけ?」と不思議そうに聞くので「何いうとるがいね、日本ちゃ、アメリカに負けてしもうたがいぜ」と話したら納得していた。

     武力で負けて、今度は日本語までが「負けドラマ」になってしまう。

     Can you celebrate?



    #ええっ、お前の「レット・イット・ベビー」というのもひどいって!そんなぁ、なすがままに作っているだけだぁ。

    2007年08月27日北日本新聞他

     日本を代表する女性シンガー・ソングライターの中島みゆきさんと松任谷由実さんの曲の歌詞に出てくる外国語の割合が、1970年代のデビューから90年代後半までは増加したが、2000年以降は減り「日本語回帰」とも言える現象が起きていることが27日、伊藤雅光・国立国語研究所文献情報グループ長の調査で分かった。
     調査は、デビューから昨年12月までに発売された中島さんの321曲とユーミンの347曲のいずれも3万語以上の歌詞を(1)日本語(2)アルファベット表記の外国語(3)カタカナ表記の外来語−などに分類した。
     全年代を通じて共通して使用頻度の高かった外国語は「I」「you」「love」などで、ラブソングの多い2人の曲を象徴。中島さんは「never」や「maybe」など心情を表す副詞、ユーミンは「wow」「oh」などの感嘆詞が上位だった。

    ※ジャングリッシュ・リスト


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