言語学者の異常な愛情
---または私は如何にして心配するのをやめて、言語学を愛するようになったか
Dr.Strangespeech : or How I Learned to Stop Worrying and Love the Linguistics
「先生、言語学だけはだめです。言語学は災難の源です」
------E・イヨネスコ『授業』
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Y君へ
あなたがもうすぐ教養部を終えて、学部では言語学を専攻したいとのご希望をお持ちだと言う話をお父さんからうかがいました。あなたがどんな学問を選ばうと自由だと約束はしていたのだけれど、よりによって言語学とかいう耳新しい奇妙な学問にとりつかれているといって、お父さんは大変困惑なさっています。あれほど立派な人も言語学について世間並にちょっびり誤解なさっていたので、私の知っている範囲のことは説明しておきました。
すると、是非一度あなたと話してみてくれとおっしゃったので、こうして手紙を書いている訳です。私にとっても言語学という文学部で隅のほうに追いやられている学問についてあまり語る資格がありませんが、そば屋の娘でもないのに『更級日記』を書いた人の前例に助けられて、私なりに何とかまとめて見たいと思っています。このことは私にとっても言葉の限界を、知性の限界を知る作業になると思います。何を語り得て、語り得ないのか、限界に近づく時にはじめて知性が輝くのだと思います。
□ 言葉というのは魔法のようなもの。呪文のように繰り返せば、魂が宇宙を越え、新しい世界への感触が生まれてきます。
ヤン・カタラ・マンタル(殺したものは殺される)と唱えれば、ベドウィンのテントの中でナイフを振りかざしているような気分になってきますし、クト・クト(ナイフ・ナイフ)と言いながら言語学の授業中に女生徒を殺してしまう先生もいます。現実に「へルター・スケルター」(しどろもどろに)というビートルズの歌を歌っている間に女優を殺し、血だらけの文学で壁にピッグと書いた「教祖」もいました。異国で向こうの人が自分の一言で、徹笑みかえし、何かをしてくれるのを見る時も、言葉はまさにイフタフ・ヤー・シムシム(開けゴマ!)だと思えてきます。ですから運命の障りにならないよう少しは言葉に気をつけた方がいいのです。
しかし……。
先に結論をいってしまえば、言語学だけはやめてもらいたいというのが、あなたのお父さんの希望されるところでもあり、私自身の意見でもあります。馬鹿馬鹿しいとお思いならば、これ以上読まれなくて結構ですが、毛沢東のいうような反面教師とでもお考えになって少し付き合ってみてくだざい。ヤーコブソンはモスクワ大学一年生の時、言語学のウシャコーフ教授に指示を仰ぎ、自分で作った参考文献のリストをみてもらったことがあります。シチェルバのロシア語の母音に関する論文以外はOKとの返事を貰ったのですが、ヤーコブソンは真っ先にその禁じられた論文を熟読して、音素に関してのシチェルバのアイディアから深い感銘をうけたと言います。
東大の言語学科の教授だった金田一京助でさえ、息子の春彦さんが東大の言語学科へ進むのには難色を示したと春彦さんが次のように書いておられます。
「…自分は〈言語学〉へ進んだために苦しい思いをした。お前は〈国語学〉へ進め、そうしたら困ることはないだろうと言った…」。この時の父の忠告は、今から思うと真に適切だった、私はこの時のことを一生感謝しそうである
三代目の金田一秀穂は大学卒業後もなかなか目標が見つからずに3年間ニート(パチンコ屋通い!)を続け、日本語教師として初めて給料をもらったのは30歳のときだそうだ。『15歳の寺子屋 15歳の日本語上達法』(講談社)で書いている。
もし、みなさんが将来に不安があったり、目的が見つからないというなら、「三十歳までに一人前になればいいんだ」ぐらいの余裕を持って、自分の人生を歩んでいったほうがいいと思います。現にぼくみたいにゆっくり大人になっていった人間だっているんですから。
言語学では「食えない」けれど、国語学ならば「食える」のです。服部四郎の『アクセントと方言』を手渡したとされ、もともと作曲家を目指していて(挫折して)絶対音階もあった春彦さんは方言学、特にアクセント研究で著名になる(後に吉展ちゃん誘拐事件の犯人の出身地・福島を当てる)。マーケティングという言葉を勉強してください。
作家の野上弥生子も1936年5月2日の日記で「成城の市川三喜宅訪問。清貧に感動」などと書いていて、どうやら英語学者も食えなかったようです。
ちなみに、春彦さんは「学者なら東大の先生になりたいと思った。でも私は学内で評価されず、外れたわけなんです」と語っていました(朝日新聞夕刊2003年5月16日)が、他にも東大に受け入れられず日本語の起源などをライフワークにしている学者もいらっしゃるから、学問というものはむずかしいものだと思います。
□ お父さんの要請を受けてから直ぐ大修館から出ている『言語学のすすめ』という本を読んでみたのですが、どういう理由で勧めるのか判然とはしませんでしたし、反対にこんなに易々と勧めていいものかと危惧を感じました。私がこれから話す『言語学のとまれ』もしくは『言語学の苦しみ』の方は明確な理由がいくつもあります。けれど、それらの理由はあなた自身のためにお話しするのであって、多くの言語学者の立派な業績を決して忘れた訳ではありません。くれぐれも誤解のないように、聞いてください。
また、何のための学問?という問題は永遠のものですし、些か小児病的でもあるので、ここではあまり触れません。ただ、かつて炭鉱事故があった時、千野栄一先生がこんな悲惨があるのに言語学をやってていいのかと思う、とおっしやった事があります。アドルノのいうように、アウシュビッツの悲惨の後に文学があっていいのかどうかと同じ疑問です。
ここではまあ、ウィトゲンシュタイン(『哲学探究』)のひそみにならって、言語学の目的は次のようにいっておきましょう。
言語学の目的はハエ取り壷のハエにハエ取り壷の構造を教えること。
出口まで教えることはできません。
さて、まず言語学を取り囲む日本の(特に、ここ10年の)環境について話したいと思います。自発的に始めたつもりが、実はブームにのっかかっていただけでは、あまりにもオソマツだからです、どんなブームでもまともにつきあって考えていたら馬鹿を見るというのが大体です。
10年ほど前に言語学がブームになった事があります。今は定着したのか、下火になったのか、以前のように騒がれることはなくなりました。当時は言語学がすべての学問の救世主のように扱われ、色々な雑誌に言語論(?)が特集され、言語学を語れなければモグリの大学生(とはいえ理解されていることは実に他愛もないことでしたが)というくらいの勢いだったものです。時あたかもチョムスキーの全盛期で、かれの生成文法論もベトナム戦争論(「文法学者も戦争を呪詛し得ること」について日本では渡辺一夫がとっくの昔、1948年に論じています)も一緒くたになって『朝日ジャーナル』などに掲載されたものでした。
同じ頃、文化人類学もブームになりました。この二つの学問の共通項といえば、総合性(人間科学として)、構造主義、フィールドワーク、職の無いこと(モラトリアム人間にピッタリ?)、それから、かつては帝国主義の先兵だったこと(文化勲章をもらった言語学者が二人ともアイヌ語を研究したというのは偶然の一致だと思いますが…)などがあげられます。
総合科学という言葉が人を魅了したのは、極度に専門化した学問が分断を引きおこし、いわば田吾作化して外が見えなくなったからです。「自分はムカデの43番目の右足の専門家だから他の足のことは分からない」といってはばからない人が増えてきたのです。
こうした分断化への反省・反発として「学際的」な、大きな領域をもっていそうな言語学・文化人類学が脚光を浴びるようになっていったのです。どちらも日本の学問体系では文学部に籍がありますが、文科の人には理科の、理科の人には文科の雰囲気を昧わわせ、双方の人々の劣等感を癒してくれるコウモリみたいな学問といえます。
今になって落ち着いてみるとすこし期待はずれだったようです。
□ 構造主義の台頭(言語学者には自明のことだったのですが、世間的に台頭に映ったようです)も二つの科学の流行に寄与したことはいうまでもありません。
なにしろ構造主義の始祖が言語学者のソシュールだったのですから……。みんな『言語学原論』を読んで、ショキやノウキについてや、ゲンゴカッドウやゲン、ゲンゴについで真剣に語ったものでした。知らないうちに教祖にされ、しかもアルチュセール(80年に奥さんを絞殺して精神病院に収容されてしまいました)を代表としてマルクス主義の老化現象を救済するために構造主義が利用され、一方でサルトルに「構造主義はブルジョワジーがマルクスに対して築いた最後の砦である」(ミシェル・フーコーがサルトルの『弁証法的理性批判』を「20世紀を考えるために、19世紀の人間がしている壮大で悲壮な努力」と挑発したせいなのですが)といわれているのを知ったらソシュールはきっとお墓の中で目を回すことでしょう。
更に最近では「記号論」の始祖としてもてはやされています。何だか、深読みとさえ思えないではありませんが、でも、彼の20歳代に生み出したラリンジャル(喉頭音)理論が半世紀後にヒッタイト語の解読で証明されたと同様、やはり半世紀後に構造主義者として崇拝されるのですから、天才というのは偉いものだと感心します。
記号論の社会学者に上野千鶴子がいますが、例えば、こんな風に言語学を評価しています(『「生きづらさ」の時代』専修大学出版局)。
社会というものをみなさんは個人の集合と思っておられるようですが、間違いです。社会学では社会というのは、個人の集まりではなく、ふるまいの集合なんです。人と人のあいだも目には見えませんが、ふるまいは、外から観察することができます。人々の行動に一定の規則があるから、その人の行動の社会的な意味が解読できます。というより、意味が解読できる行動だけを社会的行為といいます。こういう考え方ができたのは、言語学のおかげなんですが、たとえば言葉というものを単語の集合だと考えたら大間違いです。言葉というのは、こうやって喋っている発話の集合ですね。人の音声が意味に聞こえるのは、言語の規則を知っているからですね。それと同じで、人々のふるまいの集合に一定の規則があるから、その行動がなにを意味しているのかがお互いにわかるおかげで成りたっているのが社会というものです。
思想としての構造主義が世間でもてはやされたのは60年代後半からです。フランスの「五月革命」(evenement de mai)後に多くの構造主義者が活躍しました。その旗手は文化人類学者のレヴィ=ストロースです。そういえば彼は『構造人類学』の中で「言語学が社会科学に属することは異論の余地がないが、それは社会科学の全体の中で例外的な地位を占めている」と述ぺ、「最大の進歩を遂げた社会科学である」と誉めちぎっています。彼はヤーコブソンからその手法を学び、自然の分断化とその秩序付けを文化と把揮し、分析の手段として「構造」という概念を用いている訳です、ただ、理論の抽象度が高くて、まるで形而上学的人類学のようにみえます。日本ではもともと「構造」という言葉が好まれていたようです。『いきの構造』、『甘えの構造』、構造汚職に構造不況というように…。
ヒトそれ自体が言語ですから、言語学と文化人類学は表裏一体の学問です。いや、それどころか、アメリカの言語人類学者F・ボアズに影響を与えたH・E・ヘイルは次のように言っています。
人類学に独立の科学としての資格をあたえるのは言語を措いてほかにないが、……その言語によってのみ、民族を科学的に分類し、民族の相互関係を発見し、精神的特質を見抜くことができるのであり、言語人類学こと唯一真の人間の科学である(宮岡伯人訳)。
□ こうして、言語学と人類学が同時にブームになったのは当然だったといえます。これに対し、言語学だけに奇与した原因があります。いわゆる第三次日本語ブームがそれです。自国語がブームになるという国民性にも興味深いものがありますが、ともかく、これには五つ程の理由が考えられると思います。
まず第一に、戦後のドサクサに「路傍の石」を動かす如く行なわれた国語改革の見直しがあげられます。たとえばクニの中心に王がいては民主主義といえないから「国」にしようとか(「國」の原字は「或」で城壁で囲まれた地域を示す「囗」と、土地の境界線の「一」、武器である「戈(ほこ)」があり、さらにその外側を城壁の「囗」で取り囲んでいる)、日本語に魅力がなくなっては困るから「魅」を当用漢字に入れよう、詩人や学者に差し支えがあるから人名漢字別表に土岐善麿の「麿」、大野晋の「晋」も入れよう、などとかなり主観的に決められた改革の功罪が問われたのです。
第二にリスト・アップできるのはニッポン語がモダンなシチュエーションにマッチしていないことへのフラストレーションです。ナウいフィーリングにフィットしなくなったのです。
次に、言語教育への疑問が投げかけられたことがあげられます。文学教育への傾斜、英語教育のあり方、更に外国人向けの日本語教育のあり方などが問題となりました。日本が国際社会にどう対応できるかという問題も含まれています。
第四に、日本人とはなにかを問う日本人論の中で、世界における日本語の位置、特徴が追及されたこと。日本語を劣等と考えたり、特殊と考えたりする風潮への反省もありました(日本語では論理が働かないと考える植民地主義的文化人も多いのです)。
最後に、言葉そのものへの興味が示されたことがあげられます。それまでは振り返る必要もないほど言葉が自明な、空気のような存在だったのですが、ある日ふと、言葉が不思議に思えてきたのでしょう。それに第一、言葉で言葉を考えることは難しいことだったのです。ナンセンス・クイズやマザー・グース、ライト・ヴァースなどの言葉遊びの流行とあいまって、言葉そのものへの関心が深まったといえるでしょう。
これらの論点や関心に言語学が明解な解答を出しているとはいえません。未だ暗中模索の状態ですし、中には言語学を知ったかぶりで発言している人もみられるようです。言葉というのは弄んでいると、どうにでもなってしまいますから気をつけなければなりません。だからこそ、禅宗では「不立文字(ふりゅうもんじ)」といって、悟りは言葉によって書けるものではないから、言葉や文字にとらわれてはいけないと教えたのでした。
こんな経緯で言語学が脚光を浴び、市民権を得てきた訳です。とはいえ、東京帝国大学に博言学の講座が開設されたのは明治十三年で、チェンバレンからの長い伝統があるのですが、あまり大衆の親しむところではなく、少なくともあなたが思い描くような言語学はここ二十年足らずの非常に若い学問だといえます。しかもマイナーな学問でしかありません。若い人にはそれがむしろ魅力なのかもしれません。でも、「言葉だけでスーブは作れない」というロシアのことわざを知っていますか。ヤーコブソンも六歳のとき、こんなことわざに興味を抱いていたら、言語学者にはならなかったでしょう。大学が学問のウンノウを授けるところでなくなり、総合レジャーランドになって久しいのですが、言語学のプロになるというのは映画評論家になるのとは訳が違って大変なのです。私が知っている言語学者のイメージはソルジェニツィンの『ガン病棟』でラテン語を教えてくれる人です。「収容所の衛生室に、書類を整理したり、ときどきお湯を沸かしに行ったりする、気の弱そうな初老の男がいたが、この男はもとレニングラード大学の古典文学科の教授だった」という風に描かれています。無料で教えてくれるのですが、「わずかのあいだでも人間らしい気持になれるだけで充分にありがたいと言う」人なのです。
そこで今度は日本の言語学の現状をみてみましょう。
あまりにもマイナーな学問ですから、周囲の人に「言語学を研究している」とでも言ってごらんなさい。鳩が豆鉄砲くらったような顔をされるのがオチです。外国語に苦しんだ人には「エッ、じゃ十ケ国語でコンニチワといってみて」とか、アフリカの言語を研究しているというと「土人(??)の言葉にも文法はあるの?」とか、文法を研究しているというと「まだ、文法やってるんか、会話の方が大事だぞ」とか、ちょっと知ってる人でも「変形文法って、フロイトの深層心理を文法に取り入れたんだろ」とか、「おっ、フランスのソシュールか、有名な哲学者だろ」とか、「前から知りたかったんだけと、ウワバミってのはウワがバミるからじやないんだろ」とか、もっとよく知った人でも「日本語はチベット(最近では何故かインド)から来たんだってね、やっぱり顔がそっくりだもんな」とか、韻文と散文の違いをブルジョワに教えると「何と、わしは40年間も知らぬ間に散文を使ってたのか」とかいわれ、何だかハムレットになった気分がしてくるはずです。
ほら、狂気を装った王子にポローニアスがハムレットにカマをかけて「なにをお読みで」と尋ねますね。すると「ことば、ことば、ことば」と答え、間違ってはいないのだけどピントがずれています。この後は小田島雄志訳だと、「いえ、その内容で?」「ないよう?俺にはあるように思えるが」となっていますが、常人にとって言葉には内容がないようにみえるのらしいのです。
冗談はさておき、もうすこしまじめに言語学という学問を考えてみましょう。そのあと言語学者について述べてみたいと思います。言語学というものが成立するくらいですから、言語学学、言語学者学だっであっていいわけです。ショーペンハウエルも『パレルガとパラリポメナ(余録と補遺)』の中で、書物だけに依存している「書籍哲学者」を「自主的思想家」と対比させて、前者を「すべてが二番煎じで、概念や言葉も受け売りであり、がらくたを買い集めたおもむきを呈し、複製をまた複製したように、ぼやけて冴えないのだ」と嘲笑しています。バジル・ホール・チェンバレンも『日本事物誌』の「哲学」の項目で、「日本の哲学者(と称される人びと)は外来思想の単なる解説者にすぎなかった」としているのですが、日本の文科系の学問にはどうしても舶来品を高く買っているだけという側面があります。あなただけはこんなものに陥らないでください。
哲学者のエルンスト・カッシラーは「科学の全歴史において、新しい言語科学の勃興以上に心を魅する章はおそらくあるまい。その重要性においては、十七世紀において物理学的世界についてのわれわれの観念全体を変えたガリレオの新しい科学に比してもゆうに支障なかろう」といっでいます。同じく言語学者のバーンスタインも19世紀から20世紀にかけて「言語論的転回」(the linguistic turn)があり、哲学や思想において言語が一斉にメインステージに躍り出たといいます。現象学、解釈学、構造主義、記号論、ポスト構造主義という流れがあり、これらと並行して論理実証主義、分析哲学の流れがあるなどすべてが言語を中心的な問題とするところから始まっているのです。
反対にポール・ヴァレリーは『カイエ』で「言語学は言語に関して本質的なことをわれわれに教えない」と非難していますし、たとえば「サピア・ウォーフの仮説」にしても哲学者のマックス・ブラックは「このように広範な関心を呼んでいることが、かくもつかみどころのない形のまま残されているのは驚くべきことだ」といっています。
□ 一体、どちらが正しいのか。少し考えてみましょう。
前に、言語学は若い学問であるといいましたが、これは同時に未完成ということも意味するのです。大体、言語学の範囲というものがまるで決まっていません。
ウィトゲンシュタインは「語り得ぬことについては沈黙せざるを得ない」といいましたが、この状況を私は次のようにいっています。
言語学とはないものはない学問である。
こうして、ある人は言語形式を一歩も離れようとはしませんし、ある人は言語に関するすべて(ヒトのすべて?)を扱おうとします。音韻論から始めるオーソドックスな言語学の講義から、プロクセミックスやエソロジー、ハチの言語からチンパンジーの言語、失語症から言葉遊び、等々さまざまな角度で言語を採りあげる講義まで多種多彩のようです。実際にあなたの大学の先生のご専門は数理言語学と心理言語学というではないですか。どちらがいいのか私には分かりませんがあまり、手を広げすぎて空中分解を起こしては困ります。せっかくソシュールが他の補助科学の鎖から言語学を解放したのに……。
未完成ということは学派の多さにも現れています。思いつくだけでもジュネーブ学派、プラーグ学派、コペンハーゲン学派、ロンドン学派、ブルームフィールド学派、MIT学派(更に内部では複雑なセクトに分かれている)などなど。
幸か不幸か、東京学派、京都学派というのはあまり耳にしません。
周辺領域も広くて「形容詞付きの言語学」(hyphenated linguistics)が多くて、psycho-,socio-,bio-,neuro-,pseudo-など多様化しています。ソシュールがせっかく「一般言語学」を打ちたてようとしたのに分断をおこしています【社会学では「連字符社会学」というものがある】。
また、文法と名がつくものだけでも変形文法、適用文法、成層文法、格文法、核文法、関係文法、機能文法などと様々なのです。フロベールが彼の『紋切り型辞典』の「文法家」の項目に「すべて衒学者」と書いているのもうなずけるような気がします。こんな状況ですから、「音素(音韻)」という言語の一番基本的な単位の定義がまるで違っていて、英語には一体いくつの母音があるのか素人には分かりません。それどころか「音素」を否定する立場さえあります。
幸い、学派ごとの用語辞典ができています。特にチョムスキーの学派は「進歩」が早くて一つ辞典ができるともう古くなっているという凄まじい状況(生成流転といいます)です。複雑な理論は作られるが、単純な理論はただ発見されるということです。更にPied Piping ConventionとかFlip-flopとか怪しげな用語もあって、ゾロゾロついていっても、ひっくり返るのがオチというものです。何故か「言葉の奴隷になるな」というカーライルの教えを思い出しました。シュウセイカクダイヒョウジュンリロンと聞いただけでなんだか押し潰されそうになります。今度はきっと新修正拡大標準とか続々拡大標準理論になることでしょう。
人間は言語という便利なものを発明してしまって、安心して自分の感性の中で暮らせるようになった。ごくごく閉ざされた生き物になってしまったが、学者が閉ざされた世界に入ってしまっては困るのです。
これにはしかし、言語を考えるためには言語を用いなければならないという言語学の宿命が絡んでいます。トワデルという言語学者は「木でできたストーブのなかで薪を焚く」と言ったそうですが、だれもカエルを解剖するのにメスではなく、カエルを用いる人はいないのですから。
ヤーコブソンは大作家となるナボコフがハーヴァードに入ろうとする時に反対をして“Gentlemen, even if one allows taht he is an imortant writer, are we next to invite an elephant to be Professor of Zoology.”と言った。これにはナボコフがドストエフスキーを認めなかったからだとされる。いずれにしろ、象が自分のことを知っているとは思えない。だから、言語で言語を解明できるのか?
田村隆一は『言葉のない世界』のように「言葉が意味にならない世界に生きてたら/どんなによかつたか」と歌う。そして「言葉のない世界を発見するのだ/言葉をつかって」といいます。言葉のない世界に辿り着くには言葉を使って行くしか方法はないのです。
そのせいかパースは「意味」を考えようとして「意味の意味」、そのまた「意味」を求めようとして、59049の定義に達したといいます。
人間には言葉しかない。言葉を否定するためにも言葉が必要なのです。
言葉は
言葉に生まれてこなければよかった
と
言葉で思っている
そそり立つ鉛の塀に生まれたかった
と思っている
そして
そのあとで
言葉でない溜息を一つする
------川崎洋「鉛の塀」 (『川崎洋詩集』昭和43年所収)
日本には外国のすべての学派が輸入され(物凄く開放な市場なのですよ、アメリカ通商外商部の皆さん)、しかもタコツボの中にしっかりと収まっているので、チョムスキー読みのソシュール知らずがいたり、(逆に)痕跡理論も知らないで言語学を説く人もいます(という人がいる)。ある著名な英語学者の息子さんがT大(お父さんが教えている)の大学院生の時、ヤーコブソンて誰?って聞いたという有力な噂があります。
とはいえ、たとえばソシュールとチョムスキーのルーツは近いのです。形態音韻論を通時的に応用して内的再建をすれば、ソシュールですし、統語論に応用して共時的な深層構造をたてるとチョムスキーになります。彼の代表作SPE(Sound Patterns of English)の手法はソシュールのと大して違いませんし、チョムスキーの修士論文が現代へブライ語の形態音韻論だったことを思い出してみて下さい。しかし、表面上の違いをとてつもなく大きくしているのが今の日本の学問体系ではないでしょうか。
初心者にとって困難なことは学派の多さに加え、対象になる言語の多さにもあります。なにしろ2796(!?)も言語があって研究者はその半分もいないのです。学会の発表もユーラシア比較言語学という壮大でマクロなものから、日本語のヒラクという語の分析というミクロなものまであります。言語学を専攻するなら、どの理論でどの言語を対象とするか選択しなければならず、結局はタコツボの中へしっかり入って行かなければならないのです。ファウストみたいに「みんな知り尽くしたけれど……」というような状況はもうないのです。
そうすると魅力的だったはずの総合性とか包括性とかいうのはどこかへ消えていってしまいます。人類学者でもあったボアズは「生きている何ものかを理解しようと望むものははじめにその魂を追い出そうと意図する。それで、部品(パーツ)を手に入れてみると、不幸にも部品をまとめていた魂がない」と書いていますが、これは構造主義にも、言語学にも当てはまることなのです。
□ ソシュールはアトミズムを脱却するために(自覚せずに)構造主義を生み出したのでした。それが忘れ去られて再びアトミズムに陥ろうとしています。文科系の学者は今も「断片を握りしめながらも、それらを結びつける精神の紐をもっていない」というメフィストフェレスの嘲笑に悩まされ続けているのです。
そして何よりも「愛すべき知」である哲学の状況も同じです。ミシェル・フーコーは「哲学がもし、考えること自体について考える批判的な作業でないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。また、すでに知っていることを正当化するというのではなく、別のしかたで考えることが、どのようにして、また、どこまで可能かを知ろうとする企てに哲学が存在するのでないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか」(田村俶訳『性の歴史II 快楽の活用』新潮社)と書いている。
今、必要な「知」は「重箱の隅型」の学問ではなく、少し祝祭的な雰囲気もある「闇鍋型」の研究なのではないでしょうか?
奇妙なことがあります。
言語学といっても言語学者の指すのと、英語学者、国語学者のそれとは意味の違いがあることです。現在のところ英語学における「言語学」とはチョムスキー理論(いや、みんなもう、キャピュレット文法とかいうのに移行しているかもしれないのですが、とにかく「最先端」が言語学)のことですし、ある国語学者にとっては日本語系統論などを正当化するための御紋所(黄門様の子孫が学生にいるのかもしれない)だったりします。英語学や国語学の上位概念として言語学が存在すぺきなのに、この三つはバラバラに分裂していて、しかも言語学が最もマイナーな学問にみえてきます(だからこそ、金田一京助は息子さんに国語学者になるよう勧めたのです)。服部四郎さんは次のように指摘しています。
このような対立が生ずるのは、一つには学問的“伝統”、学問的派閥主義、割拠主義に起因し、また一つには外国語学力の多少、外国の学問に対するディスポジションの相違------それを追いかけ廻すか、それに対して(感情的に)反発的であるか------などに起因するものであるが、このようなセクショナリズムは、広い学問的見地から無意味かつ有害なものである。
言語学は未完成だといいましたが、いまはちょうど変革期で新しいパラダイムができていないため特にそう映るのです。直接の契機はチョムスキーが57年に出した『統語構造(SS)』で、その役、親衛隊ができ、言語学界全体を脅かしたのです。
また、ブームのおかげで、ここ10年間、言語学は大きく変容しました。『広辞苑』の「言語学」の訳も旧版のphiloIogyからlinguisticsに代わりましたし、欧米でもphiloIogy,Sprachwissenschaftなどからlinguistics、Linguistikへと世代交替しています。つまり、「言語を愛する学」から「言語の学」に変わってきたのです。ちょうど10年前に月刊『言語』が創刊されたのですが、以前は学会誌『言語研究』と一般向けの『言語生活』があるだけでした。『ことばの宇宙』というおもしろい雑誌がその前にあったのですが、機が熟していなかったのか、わずか30号で廃刊になっています。同じように『ことば』という雑誌も直ぐに廃刊に追い込まれました。
10年前に入門書といえるのはサピアの『言語』とブルームフィールドの『言語』しかなかったものですが、いまは専門書があふれています。けれど、入門書にいいのがあるとはいえません。ある先生にお伺いしたらソシュールの小林英夫訳『言語学原論』(一般言語学講義)と服部四郎『言語学の方法』を勧めてくださいました。「ただし、『原論』は訳が生意気だし、『方法』は人間不在だよ」といって……。
亀井孝さんに至っては日本の言語学界を小林に代表される翻訳言語学と服部に代表される翻案言語学があり、これからは真の言語学が必要だと言っておいでなのです。
亀井さんの言葉が正しいかどうか分かりませんが、日本の大学に蕃書調所の雰囲気があったことは否めません。恐らく日本には二つの言語学があるように思えます。つまり、サイエンスとしての言語学、ヒューマニティーズ(人文主義)としての言語学です。
服部四郎に代表される「冷たい言語学」と千野栄一や西江雅之に代表される「暖かい言語学」または「言語楽」と分けてもいいでしょう。人間不在の言語学から脱却すべきだ時と思います。「私は言語学者だから、言語に関することを無関係としない」といったヤーコブソンは、だから間違っています。
これからのスローガンはむしろLinguista sum, humani nihil a me alienum puto.ではないでしょうか(言語学者にあたるラテン語はないが…)。
印欧語学者のK先生は東大の学部に進んで「さあ、これからは西洋古典がゆっくり読めるぞ」(当時は西洋古典学科というのはなかったのです)と思っていたら、音声学の講義で口の中にいきなり鉛筆を突っ込まれたそうです。それを技術と割り切れるかどうかというところに大きな違いができてくるのではないでしょうか。これは言語学者をメカニストやメンタリストに分ける以前の問題だと思います。また、チョムスキーの言語学は理学部の方が似合いそうです。実際、論文の出し方までが理科系の方法を踏襲しているみたいです。今はも一度、文学部の中の言語学をみつめ直す必要があるのではないでしょうか。
※後に黒田龍之助の『物語を忘れた外国語』(新潮社)に『マイ・フェア・レディ』の話からモデルといえるヘンリー・スウィートのこと、さらに音声学者の悪口が書かれていた。こちらは鉛筆を突っ込んだ先生ではないが、ここでは誰かとても書けない。書いている本人の性格も疑われる。
だが音声学者の性格については、正直なところ、ズバリ当たっている気がする。日本にもヒギンズ教授に負けないくらい優秀な音声学者がいて、わたしのような凡人がいくら努力しても出せないような難しい言語音をいとも簡単に発音し、聴き分け、発音の仕方を理解する。天才である。天才ゆえに性格がやはり微妙なのである。
あるいは「ベラルーシ語みたいなつまらない言語を追いかけて、なんか意味あんの?」といわれた二十年前の発言を、わたしが執念深く覚えているから、そう感じるだけかもしれないが。
□ さて、いよいよ言語学者になる条件について考えてみましょう。モスクワ大学の教授になったフェドロク女史は、自分の仕えている主人の生活があまりにもよさそうなので職業を尋ねたら言語学者とのこと。そこで発奮して学者になったといいます。そんなにいい職業なのでしょうか。また、本物の、立派な言語学者になるのはもっと大変なのではないでしょうか。プラーグ学派がご専門のC先生は「言語学者と言うのは言語を研究し、論文を書き、言語研究の進歩に貢献している人たち【…】にふさわしい名で、私などは学者ではない」と厳しい定義をなさっています。ただ、伊丹十三の「クワセモノ」(『再び女たちよ!』)という文章にお父様の万作監督が宿帳に「映画監督」と書くのを躊躇されたし、自分自身「俳優」などとは書けないと書いておられます。「宿帳の職業欄に行き当たったとたんに、心の中が喧喧囂囂という状態になってしまうらしい。/ 作家なり俳優なりとして、世の中で通用するということと、自分の中で通用するということはまるで違う」そうです。ちなみにお父様は名前の下に「山師」と書き加えたそうです。
國廣哲彌先生によれば言語研究を目指す人は(1)流行に押し流されてはダメで、自分自身の感覚(センス)を大切にしなければならない、(2)全分野を一人でやることは出来ず、自己の得意を極めることが大切、(3)言語学的な直観が鋭く、現象をとらえ、うまく伝える能カや、更には直観を分析する能力も必要(だめな人は電算機処理)だとそうです。
必ず、これからどんな学問が流行しますか?という学生がいます。問うべきことではなくて、自分の研究を流行させるくらいの気概がなければならないのです。流れは自分でつくること。
この辺りを、ここでは全く別の角度で考えてみたいと思います。
□ 二つの意味でpoor linguistというのはいません。他国語に通じることが言語学の目的ではないのですが、語学の出来ない言語学者なんでコーヒーを入れないクリープのようなものです。実際、言語学の講義で引用できる言語が日本語や英語だけでは信用をなくします。「生粋の話し手」が意識しないことまで自明にしなければなりませんから深さが必要です。しかも「文法を知っている」だけではなく「文法家的に知っている」ことも要求されます。ブルームフィールドは結婚しないで一生懸命やれば人は一生に三つの言語が記述できるといっています。あの大学者ですら、僅か三つなのです。
どの言語学者がいくつ言語を知っているか調査したことはありませんが、10近くの言語を「操作」できる先生が多いようです。尊敬するK先生は年とってからも忘れないようサイクルを組んで各々の言語を研究なさっていました。50ケ国語できるという噂(本人は否定)の西江雅之先生に語学の天才ですかと聞いたら「これでも努力しているんですよ、ただちょっと努力への適応性があっただけです」とおっしゃいました。
さて、あなたには努力への適応性がありますか?
凡人は共通語と方言が話せてバイリンガルだと喜ぶのが精一杯です。ただし、抜け道があり、国語学や英語学では語学的な広さをあまり必要としないようです。フランス語をできなくてもソシュールは批判できますし、エスキモー語を知らなくとも言語の普遍性をウンヌンできるらしいのです。
語学は言語学への不可避の技術で、思索から始まる哲学などとは違い。一時的にせよ子供に戻す馬鹿げた例面があります(再婚のたびに言語を習得していった学者もいますが)。
だから、なぜラテン語の呼格で「おお机よ(メーンサ)」と机に向かって叫ばなければならないのかと疑問に感じる人はチャーチルのような政治家にでもなるしかありません。
言語学者の関心は弁別素性にあるのですから、滑らかに話せる必要はありません。
もし、あなたがめざすのが、言語学ではなく、語学だけなら私は大賛成です。マルクスもレーニンも毛沢東も「語学は生活の武器だ」といっています。こんな話があります。
ある日、アヒルが散歩していると薮の中からグワッグワッと声がします。何だろうと思って薮に入るとキッネが現れ、パックリ。後でキツネがいいました。「外国語はやっばりやっておくものだ」と。
また、貧しい言語学者もいません。世界最初の言語学者は恐らくエジプトの王様プサンメティコスでした。ヘロドトスの『歴史』(巻2エルテルペの巻2、3)に出てくる話ですが、彼は羊餌いに一言も話しかけないように命令して二人の子供を育てさせ、どんな言語を発達させるか実験しました。最初に口にしたのがベコス(パン)という言葉だったので、彼はプリギア語が最古の言語との結論を出しました【この話は円城塔の2007年の小説「「つぎの著者につづく」の冒頭で使われている】。
結局、素姓が良くなければ言語学者になれません。フンボルトはプロイセン王の侍従の子ですし、ソシュールはスイスの名門出身(小さな百科事典にはアルピニストの祖父しか出ていませんでした)ですし、音韻論のトゥルベツコイの父親はモスクワ大学の総長でした。といっても、言語学者になって裕福になったという話は聞いたことがありませんし……。
蛇足ながら、言語学の本の高いこと、高いこと。和書も比較的高いのですが、洋書のメチャンコ高いこと。オランダのムートン社なんて詐欺罪で訴えたいくらいです。そのうち「円安とその言語学への影響」という論文が出るでしょう。かといって言語学の本が充実している図書館(大学でも)は殆どありません。
作家の高橘和巳が次のように書いています。
大学時代、サンスクリットを学ぼうとして研究室をおとずれた私に向って担当教授は「梵語を身につけるには金と暇がいる。君にはそれがあるかね」と質問した。どちらもない旨を伝えると、まあ諦めた方がよいと忠告され、しばらくはその言葉を酷なものとしで記憶していたが、今にして思えば、それは人生経験にとむ先達の親切で率直な忠告だったと思える。
どうです。あなたには金と暇がありますか。
私たちが進みつづける理由〜百万人の労働者行進にて
【作詞】キム・ロザリオ 【訳詞】堤未果 【作曲】池辺晋一郎…
利用されたあげく上司に屈辱を受け、語学を習う時間すらないために
一生きぬくことに必死な人間がどうやって
語学学校に行く時間がもてるのだろう?−
言い返す言葉を持たない、すべての労働者のために
私たちは進む
…□ 金と暇があり、語学を身につけても言語学の端緒に着いただけのことです。ある先生のお説に「言語学概論は二十歳前に」というのがあり、感受性豊かな、みずみずしい時期に概論を修めなければ、ひとりよがりの「言語学」になってしまうというのです。語学だけではクリープのいれない苦いコーヒーができてしまいます。といっても概論バカも困るし、語学キチガイ(差別用語を使ってゴメン、頭の不自由な人というのも……さしずめ私は胴回りの不自由な人?)でも困るのです。
バランスが必要なのです。チョムスキーは「言語の本質に興味をいだいている科学者に関する限り、最も大きな重要性をもつものは、一般的原理である。個々の言語の特別な性質というものは、あまり興味の対象とはならない」と書いていますが、ほんとにこれでいいんでしょうか。英語だけで言語の普遍的特性を譲論するのは余りにも世界の言語の多様性を無視したものです。
著名な言語学者はソシュールの印欧語、サピアのアメリカ・インディアン諸語、ブルームフィールドのゲルマン語、ヤーコブソンのスラブ語などとバランスがとてもいいのです。彼等は決して理論だけの学者ではありませんでした。先ほど、国語学者や英語学者のいう言語学は少し違うようだといいましたが、これもバランスに問題があるようです。つまり、二十歳前に概論を聴講していない人が多いらしいのです。いま騒がれている日本語起源論にも奇妙なものがあります。それでもテレビで「あった、あった」と小躍りされると、私のようにマスコミ盲従型の単純な人間は本当にあってよかったなお、と一緒に喜んでしまいます。言語学者がキチンと批判して下さればよいのですが(あっ、『UP』に載った歴史学者の批判は見事だった)、すぐに別の起源論が流行してカメを追い掛けるアキレスのような状態になっています。
また、日本語を非論理的だと決めつけるような哲学者も概論を聞かずに発言しているのかも知れません。そんな言語を使っているなら、日本はたちまち大混乱に陥る筈です。外来語を追い出せ、という学者もいます。だったら、漢語もやめて大和言葉だけで語るべきです。いやはや、全く言語学を知らないで言語を語っている人も多いのでは……。
ところで、語学キチガイと概論バカのバランスは個人だけの問題ではありません。これまでの言語学の歴史を見ると、実証的研究と理論的研究が交互に現われては消えていっています。弁証法的発展と喜んでいる分には構わないのですが、それらの波に翻弄される学生が少しかわいそうです。
フランシス・ベーコンは1620年に出した『ノヴム・オルガヌム』(Novum Organum)で哲学を3つのタイプに分けました。クモ型とアリ型とハチ型です。
クモ型というのは自分の体からクモの糸を次々に出して網を作りますが、同じように自分の原理・原則を中心にして、すべての観念をひねり出し、推理の網を張り巡らせるもの、つまり、演繹的手法ですね。
アリ型というのはひたすら地上を這い回って餌を集めるアリのように、個々の事実ばかりを集め、データをたくさん集めればいつか判断できると考える、帰納的手法を指します。
ハチ型というのは花から花へ移動しながら餌を集めてくるものです。材料を集めてくるが、そのまま使わず、ハチの巣のように自分の力で形を変えるのです。精神の生み出した原理や観念に頼ることも、観察から得た個々の事実だけに固執することもせず、変化させて、理性の中に蓄えることこそが大切だとベーコンは考えたようです。
言語学でどれが正しいか僕にはよく分かりませんが、クモ型とアリ型が交互に強調されて、言語学が発展してきたことだけは事実だと思います。
これまではチョムスキーを中心とした演繹的な理論の時代でしたから、今は来たるべき実証の時代に向けて少し語学キチガイになった方がいいでしょう。それに若者にはアーム・チェアよりフィールドの方が似合っています。少しでもアフリカの高原に住んだ人は空の高みに生きていた気がして心うたれるでしょうし、モンゴルの砂漠で馬乳酒を飲み交わすのも、氷原のエスキモーと戯れるのも言語学者や人類学者の特権です。何でも見てやろう、と言った小田実も東大の言語学科出身です。「言葉は人を遠くの国へ運ぶ駿馬だ」というアラビアの諺もあるではないですか。
□ ついでながら、人類学者の梅棹忠夫さんはなるべく別の学問を学んでから人類学を専攻して欲しいと発言していますが、言語学ではむしろ逆で、同じ総合科学でも収束と拡散の大きな連いがあるようです。エエッ、言語学を学んでから人類学をやれば両方できるって?
私はそんな学者を三人ほど知っていますが、あなたがあんな天才になれるはずはないと思いますよ。
待てば花咲くものでなし、いざ口づけを、恋人よ、若さもはかない夢のうち。
少し愛の話をしましょう。文学を専攻していれば女の子に熱っぽく詩を朗読したり、人生や愛について語れるでしょう。だけど、言語学は人生を教えてくれますか?“Not bloody likely. I am going in a taxi.”などと汚ない言葉を使っていた花売り娘イライザを言語学の力で淑女に仕立てた『ピグマリオン』のヒギンズ博士は見事に振られてしまいます。もとの神話がハッピー・エンドなのに……。これでは、130もの母音が聞き分けられても何にもなりません。事実、D.H.ロレンスは恩師の言語学者ウィークリーの妻フリーダと駆け落ちしたのですから、文学にくらべ、明らかに言語学は不利だと思います。ロレンス26歳、フリーダ31歳で3人の子供がいました。
フィロロジーでジュリエットは作れないのです。
SFでもモテません。星新一の「愛の通信」(『悪魔のいる天国』早川書房)に出てくる男が主人公で「電波天文学と宇宙言語学という面白くもない研究に寝注していて、女のくどき方といった役に立つ本など読んだことがないのだから、全然もてないのも無理はなかった」と表現されている。
ウィトゲンシュタインは「世界とは言語が見る夢である」といいましたが、「悪夢」なのかもしれません。
また、人が「仏文でてます」と言うときの少し恥ずかしげで、実は誇らしげだったりする、ああいう態度が言語学の場合、なぜか委縮してしまうとぼやいている友人もいました。さあ、どうします。それとも小田実や三浦朱門をめざしますか。
次に、就職の話をします。大学を就職の手段としか考えない学生は大嫌いですが、全く無関係と思うのも困りものです。それに専門職に就くのがいいとは限りません。たとえば、ウォーフはトゥルベツコイにあてて、「アカデミックな進歩を求めるよりも、保険会社で働きながらの方が、自分の言語学的な見解を発展しやすい」と書いています。
学問を産業のように考えるアメリカ流のとらえかたはひどくいやらしい気がします(論文の点数で決めで行くやり方はslave marketとも呼ばれています)。だから、あんまりこんな話をしたくはないのですが、敢えて言います。国文や英文に比べて言語学はまだまだ「不況」です。「カジ・ヤ・テンベア(散歩職)」と自称していた西江先生は四十歳にして初めて定職を得たくらいです。ほぽ一民族一言語という風土が言葉について考えるのを妨げるのでしょうか。
夏目漱石の『野分』は「白井道也は文学者である」で始まる。白井は行く先々の学校で土地の実業家らの金権主義と衝突してクビになります。ようやく覚ったことは「学問をして金をとる工夫を考えるのは北極へ行って虎狩をするようなものである」。聴衆の失笑を浴びつつ「学問をするものの理想は何であろうとも――金でない事だけはたしかである」と言い放つのだが、あなたは白井道也になれますか?
瀬尾まいこの『優しい音楽』に「がらくた効果」というのがあって、ここでは大学の言語学の先生がリストラされて「がらくた」になって主人公の家にやって来ます。
「悪いことというのは重なるものです。解雇と時を同じくして、長年連れ添った家内からも離婚を言い渡されました。結婚して二十六年、私はまったくといっていいほど、家庭を顧みませんでした。家内のために何かしてやったという記憶は皆無です。我が家には子どももいませんし、家内は活動的な女性でしたので、時間をもてあまし、不満が募っていたのでしょう。ですから、これも、当然のことと言えるでしょう」
こうして、離婚され、家や財産がすべて奥さんのものになってホームレスとなって公園で仮住まいをしているところを拾われるのです。佐々木さんの知識で役立つのは年賀状の賀詞のことくらいです。
「普通、二文字や一文字の賀詞は目上から目下に使われるものなんですよ。迎春だとか賀正だとか」【…】
「こんな知識があっても、仕方がないのですね。現に、去年、章太郎さんは頌春で賀状を出されても、何もなかったのでしょう。本当に無駄な知識です」
佐々木さんは心なしかしょんぼりとして見えた。
「そんなことないですよ。僕が無知なだけで…」
「いいえ、章太郎さんは無知ではありません。必要ではないから知らないのです。公園で暮らしていると、今までの自分がばからしくなります。昔の文書を紐解いて、言語について調べて、何の、誰の、役に立つのでしょうか。世の中と同じように言葉は常に進化し、変わっていくのに。公園の先人たちは多く語らずして、大事なことを教えてくれます。私は言葉をあれこれ使い、結局無駄な知識を学生たちに伝えているだけにすぎません」言霊の幸わう国の言語学に未来がないなんて……。
□ 英文科なら大学に四百もの講座があり、(自分のためには悪魔だって引用できる)シェイクスピアの一節を引用できるのが教養だと思っている馬鹿げた伝統が今でも残っています。そんなものよりアラビア語とか、スワヒリ語とか、さまざまな言語を知っている人の層を厚くしておいたほうが、軍備増強よりも遥かに優れた(そして安上がりの)安全保障政策の筈です。
太乎洋戦争が始まるとすぐ日本語の専門家を養成しはじめたアメリカを倣うべきでしょう。敗戦国・日本では言語学が戦後の大学の教養教育の科目から外されてしまいました。これは暗号を読み解く技術を身につけるスパイの学問は許さないというGHQのお達しがあったからだという話であります。「パープル」と呼ばれた日本の暗号がフリードマンという天才に破られて、戦争前からアメリカに筒抜けだったというのは有名な話です。
そのアメリカではブームになると不要な講座を漬して言語学科ができました。日本では時代が変わってもブームに左右されないというか、制度が旧態依然というか、ほんの少し増設されただけです。
もし、中学や高校の教師になろうと思っても、英文や国文の人と競合しなければなりませんし、面接で奇妙な質間をされるのがオチです。会杜でも英語屋さん、中国語屋さんを欲しがりますが、理屈はいいというでしょう。それとも大学に残ってプロをめざすのですか?学問の道をあだやおろそかに考えては多くの立派な言語学者に対して失礼というものですし、あなた自身の人生を狂わすことにもなりかねません。大学院といっても博士課程まである大学はごく僅かで、仮に修了しても、おいそれと就職があるとは思えません。私の友人で優秀な人が未だに定職をもっていません。好きなことをやっているのだから経済的なことは度外視する、といっても限度があります。あなたは果たしてそれらに耐えるだけの意志と学問的興味を持っていますか?
大学院へ進む人には是非読んでもらいたい随筆があります。藤原正彦の「学問を志すひとへ------ハナへの手紙」(『数学者の言葉では』新潮文庫)です。
学者の条件は知的好奇心が強いこと、野心的であること、執ようであること、楽観的であることと明解に述べてあります。また、学問とまじめに取り組み始めた頃の青年には自分の能力に関する不安、自分のしていることの価値に関する不安、自分の将来に関する不安があると述ペ、能力についでは天才だけで学問は成立せず、幾多の平凡な学者による地道な努力の成果に立って初めて、天才が画期的飛躍をするのだ【一人のソシュールが生まれるために何百人ものソシュールが死ななければならなかった】といい、学問の価値については「役立たないは価値がないを必ずしも意味しない」というポアンカレの言葉を引いています。なお、将来の不安については書かれていません。
最後に、あまり大きな声でいえないのですが、ある先生がそっと教えて下さった説に「言語学者はみんな気違いだ」というのがあります。これはとんでもない話ですから、絶対まともにしないで下さい。第一、その先生は除外されているのか、自分は言語学者ではないとのお考えなのか、あるいは自虐的な発言なのか定かではないのです。この言明にはエピメニデスの嘘つきのパラドックスのような背理が含まれでいます。ラッセルにでも聞かなければ解けないような大問題です。
あなたももう他人のいうことは聞かないでください。分かりましたね。
まあ、確かに言語学者の作業は人畜無害にせよ、少し変わっています。マラソンをオリンピックに取り入れるべきだと主張した意味論のミシェル・ブレアルはごくごくまともな方ですが、中華そばとラーメンの意味論的相違(鳴門巻きの有無が弁別的だったとか)の研究とか、Colorless green ideas sleep furiously.という無意味な文の文法性を議論したり、何年もかかってバリカンの語源を探求してみたり、「神」と「上」が同源かどうか(神のみぞ知る)論争してみたり)、ある英語学者にいたっては劣った遺伝子を持つ人は子供を作ってはいけないとまでいいました。また、NHKにエン・エイチ・ケイとちゃんと発音しろとねじこんだり(じぁあ、言語学はゲンギョガクとしなければ)…。きっと、ごく一部の人が奇妙なことをするのでしょう。
それにしてもひどい説があったものです。とはいえ、ニーチェやアルチュセル(広義の言語学者ですが)のように本当に狂人になった人もいます。前途有望な言語学者が自ら命を絶ったこともあります。また、加賀乙彦の『くさびら譚』には言語学者のモデルがいたといいます。
それは、10年ぐらい前に私が病院で診た患者で、某大学の助教授までして、言語学のほうではかなりの水準の仕事をした人である。研究に没頭するあまり、ついに大学教師としての義務である講義をやめ、自宅に閉じこもり、食事もしないで読書にふけった。大学側から何度、出講命令を伝えても頑として応ぜぬ。電話線を切り、家の周囲にガラクタを積みあげたバリケードをめぐらした。息子さんが困りはてて病院に相談にみえて、私が家まで迎えに行き、入院させた。院内でも言語学の勉強を続け、自分の出した著書の改訂をしていた。完全な被害妄想の世界にのめり込んでおり、彼の妻子も大学も、むろん私を含めた病院側の人間も、彼の勉強を邪魔する迫害者とみなされていた。この妄想は、治療により次第に軽くなっていくのだが、この患者は学問への一方的没入がどんなすさまじい狂気と転化するものであるか私におしえてくれた。(『黄色い毛糸玉』)
勿論、これらの事情は何も言語学のせいではないはずですから、あの先生の説は絶対に誤りです。ただ、私の姉の家の隣に住んでいた言語学者も晩年に狂気じみた生活を送っているのを知っていてちょっと気にかかるのです。その人は放浪癖があって、迷子になるのですが、フランス語しか出てこなくて余計そんな風にみられたようです。そういえばソシュールだって……。
いかがですか。これまで言語学を取り巻く環境、言語学の状況、言語学者の条件と、いわば言語学外のどうでもよいことを怪しげな言葉の綾を交えながら述べてきたのですが、諦める気になりましたか?
□ 私は何も総ての理論が灰色で、緑に萌えるのは生の黄金の樹であるといいたかったのではありません。言語学だけに特有の困難があるのだということを認識してもらいたかったからです。無知というのは常に自身過剰か臆病に結び付きます。言語について知りたければ今はいろんな本があります。趣味としてなら、一向に構いません。しかし、職業とするには今の処、間題がありすぎます。
学問を遊びにたとえるのは嫌いです。しかし、そんな面も確かにあります。ヒトラーは「嘘をつくなら大嘘」といいましたが、学問にもある程度あてはまります。ある仮説を考えてもそれが別の大きな仮説の中に組み込まれるならば、その最初の仮説は一面の真理しか伝えておらず、嘘だともいえます。「科学とはその時点における最も深みのあるウソ」なのです。嘘というのが嫌なら、「真理とはもっとも新しい誤り」ということもできます。
真理というものは相対的だというのが20世紀の科学の達した認識です。普遍的なものを模索しようとしている生成文法に関しても同じことがいえます。原理論があって、それがだめで標準理論になり、更に拡大標準理論、GB理論などに「発展」していきました。元の痕跡さえ残していません。説明のための説明になっているフシがあります。チョムスキーの理論は言語への思索が厳密科学になろうとしで歩んだ末にたどりついた破局であるとさえいう学者もいます。
つまり、別の面からみると学問は「大循環論」なのです。よくいえば大きな嘘(真理?)をついたほうが勝ちということになります。理論というものは自分で創るものであってそれに追随するものではないのです。そうすると学者も真理を追い求めるのではなく、真理に遊ぶ知的なプレイポーイということになります。それならば、言語学は知的興味がサンタの袋のように詰まっている最高の知的ゲームです。ただ、それをどのように自分のものにしていくかが、大きな問題です。けれど、あまりにも広大な言葉の海を眼のおたりにしたとき、委縮しそうな自分に気付く筈です。
さて、言語学断念のすすめを書くのが私の役割でした。うまく断念させることができたかどうか分かりませんが、長々と述べてきたのが日本の言語学の現状ですし、また、私がアウト・サイダーとして言語学に感じているところです。
その辺をよく、くみ取って今後どう進むか考えてみて下さい。
まだ決まらぬ不決断、観想と修正のための時間ならあるでしょう。
それからゆっくりトーストを食ベてお茶を飲んだってそれくらいの時間ならあるでしょう。
人は、ことばを覚えて、幸福を失う。
そして、覚えたことばと
おなじだけの悲しみを知る者になる。長田弘(絵本『幼い子は微笑む』から)
(かながわ きんじ=映画評論)
なお、千野先生のベストセラー『外国語上達法』(岩波新書)159頁にはこのエッセーに書いた僕のジョークが「若い友人から聞いた話」として引用してある。
鈴木孝夫・田中克彦の対談『言語学が輝いていた時代』(岩波)で鈴木が「言語学は下火になっています」というのに対して田中は「下火どころか、ほとんどご臨終です」(p.219)と語っている。
※OCRを使っていて、フォントが「パピプペポ」か「バビブベボ」か分からなくて随分間違った表記になっていた。馬鹿だと思わないで!
※「言語の問題が現在ほど多くの人たちの強い関心の的となったことは、これまでなかったのではないだろうか」と池上嘉彦は1982年の『ことばの詩学』(大修館)で書いていたが、その後、言語学から何のヒントも得られぬまま、ブームは去った。ただ、「日本語ブーム」は21世紀になってから再来したが、「正しい日本語」とか語源ばかりの上っ面な内容ばかりで、金田一秀穂の髪の毛のように薄いものだった。
'You have never done any Latin before, have you?' he said.
'No, sir.'
'This is a Latin grammar.' He opened it at a well-thumbed page.
'You must learn this,' he said, pointing to a number of words in a frame of lines. 'I will come back in half an hour and see what you know.'
Behold me then on a gloomy evening, with an aching heart, seated in front of the First Declension.
Mensa a table
Mensa O table
Mensam a table
Mensae of a table
Mensae to or for a table
Mensa by, with or from a tableWhat on earth did it mean? Where was the sense in it? It seemed absolute rigmarole to me. However, there was one thing I could always do: I could learn by heart. And I thereupon proceeded, as far as my private sorrows would allow, to memorize the acrostic-looking task which had been set me.
In due course the Master returned.
'Have you learnt it?' he asked.
'I think I can say it, sir,' I replied; and I gabbled it off.
He seemed so satisfied with this that I was emboldened to ask a question.
'What does it mean, sir?'
'It means what it says. Mensa, a table. Mensa is a noun of the First Declension. There are five declensions. You have learnt the singular of the First Declension.'
'But,' I repeated, 'what does it mean?'
'Mensa means a table,' he answered.
'Then why does mensa also mean O table,' I enquired, 'and what does O table mean?'
'Mensa, O table, is the vocative case,' he replied.
'But why O table?' I persisted in genuine curiosity.
'O table, - you would use that in addressing a table, in invoking a table.' And then seeing he was not carrying me with him, 'You would use it in speaking to a table.'
'But I never do,' I blurted out in honest amazement.
'If you are impertinent, you will be punished, and punished, let me tell you, very severely,' was his conclusive rejoinder.
Such was my first introduction to the classics from which, I have been told, many of our cleverest men have derived so much solace and profit.
-----Winston Churchill MY EARLY DAYS言語学が「人畜無害」かどうか怪しかったが、風間喜代三先生が次のように語っておられたのを40年後に知る。
大学院の時、もっとも敬愛する「比較言語学」担当の風間喜代三先生が、演習(ギリシャ語、ゴート語、古アイスランド語、古英語)のとき、あの朗らかな笑顔で、「言語学は人畜無害!」と仰ったが、岩波から厚い著書(『印欧語の親族名称の研究』)を出されている大先生がこう言うなら、仕方がないか、とりあえずこれでいいんだという気持ちにもさせられた(ただし、先生の方法は、平凡社『ことばの生活誌』などを読めばわかる通り、エミール・バンヴェニスト的で、日常生活に即しており、すぐれて文化的・社会的、単なる形式の研究ではない)。おそらく、人は興味を持つものを選べない。まあ、自分に正直であったとは言えるだろう。
中村幸一『言葉の森から出られない 言語学のよろこび』(明治大学出版会)