語源学・仮入門

「引き出しの中にきちんと折ってくるめられた綺麗なパンツが沢山詰まっているというのは人生における小さくはあるが、確固とした幸せのひとつ(略して小確幸)。
---村上春樹「小確幸」『ランゲルハンス島の午後』(新潮社)

「サラリーの語源を塩と知りしより幾程かすがしく過ぎし日日はや」---島田修二


 「語源」(「語原」とも書く)というとどうしても思い出してしまう話がある。

 金田一春彦さんが隠岐に旅行された時である。トイレに入ったら、当時はまだトイレットペーパーがなくて草の葉が置いてあった。

 それが「蕗」(ふき)の葉だった。国語学者の金田一さんは「なるほど、これが蕗の語源だったのか」と納得したという。

 人は、ある日突然、語源を意識する。言葉というものを反省することができるメタ言語能力を得た瞬間である。

 父とは50歳近くも離れていてあまり思い出がないのだが、小さい頃、連れられて富山市の大和(だいわ)デパートの食堂で「親子丼」を食べたのが唯一の楽しい思い出かもしれない。

 だから、「親子丼」というのは親子で仲良く食べるから「親子丼」だと思っていた。

 大きくなってから「他人丼」というのを初めて食べた時に「親子丼」の語源が分かった(余談だが、「ラーメンライス」という言葉を知った時にどんな食べ物か想像できなかった)。

 こんな思い出は誰でもが持っていることだろう。

 「ままはは」って初めて聞いた時に「ぱぱちち」はいるのだろうかとか、「ねこばば」と聞いて「いぬじじ」はいるのだろうかと思ったことはないだろうか?

 ないと知ったら、「継母」や「猫糞」の語源に興味を抱くはずである。語源から言葉に興味を持つ。「猫舌」と聞いたら「犬舌」は冷たいものが苦手なのかと誰もが考える。

 正月になると「鏡餅」というのが分からない。調べると「鏡」には丸いものという意味があったようで、ただ「丸い餅」といっているに過ぎない。

 こうした語源意識をもっているとNHKを見たときに加賀美幸子アナウンサーの名前はこの「鏡」から来ていることに気付くのである!?

 池上嘉彦は『記号論への招待』(岩波新書)の中で次のように書いている。

 日頃見慣れた景色が、ある時ふとしたことから急に、初めて見る時のような新鮮な美しさに輝いて見えることがある。ことばにも同じことが起こる。『蛤(はまぐり)』というのは日常のことばではある種の貝を指す符号にすぎないけれども、改めて見直してそこに『浜』と『栗』を見出すなら、われわれのこの語に対する印象は一変するであろう。

 逆に言えば、これ以上は分からない、証明しようがないということになる。河野(かわの)裕子に「たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり」という、歌枕の湖と胎内の子と重ね合わせた女性ならではの和歌なのだが、「近江」が「淡海(あわうみ)」、つまり淡水の湖が語源だというと理解が深くなるかもしれない。

 「チコちゃんに叱られる」で花と鼻を取り上げたことがあった。ハナはどちらも目立つ、ハは抜けて甦る、クキは茎も歯茎もハが生えてくる場所、メは芽から実が裂けて出るし、目もマブタが裂けて出るという。確かに『古事記』では、食の女神でイザナギの子である大気都比売神(オオゲツヒメ、表記は色々)はスサノオに食物を求められた時、鼻・口・尻から食物を取り出して奉ったため、怒ったスサノオに殺される。その死後に五穀、すなわち目から稲、耳から粟、鼻から小豆、下腹部から麦、お尻から大豆が生じたとされる。しかし、これも証明できない。当時の人がそういう理屈を考えただけかもしれない。

 語源が分からないということが分からない人もいて、ホルモンが「放るもの」から来ているという説があると言っただけでどこに書いてあった、証拠を見せろ、とパワハラ気味に言われたこともある。

 これがメタ言語能力というもので、特に語源への興味は「語源意識」という。

 だから、学生たちには語源意識を持つようにと話している。語源意識が言葉への関心につながると思うからである。

 語源というとすぐに「サンドウィッチ」を挙げる人がいるが、これが人名から来ていることは誰でも知っていることだし、これだけではちっとも面白くない。むしろ、面白いのは日本語で賭博場のことを「鉄火場」ということから「鉄火巻」の語源にも気付くこと(鉄火で熱くなった赤を意味していたようだ)、つまり、同じような現象を身の回りでも見つけることである。同じ店でも「鉄火丼」と「マグロ丼」があるが、前者は赤身のみを使って酢飯だが、後者はトロなども乗せて普通のご飯を使う。

 岡山で「ままかり」という魚を食べたがこれ「まま(ご飯)を借りてきても食べたくなるようなおいしさ」から来ている。なるほど、と思うが、酒の肴に「酒盗」というのもある。これは「酒をぬすんできても飲みたくなる」肴だからだ。そんなにおいしいものが他にもあるか考えてみると一時流行った「ティラミス」がそうである。これはTira mi su.「私を上(天)に連れていって」という、おいしさのお菓子なのだ。 一説によると18世紀のヴェネツィアで夜の街で遊ぶための栄養補給源のデザートだったという。 また別の説ではこのお菓子に含まれている強いエスプレッソのカフェインが興奮をもたらすための命名だという。スポンジにコーヒーリキュールをひたしてあることから、アルコールがほんのりといい気分にさせてくれるとも考えられる。文字通りの「語源」は分かるが、それ以上は証明しようのないことだ。

 お菓子といえば、「金平糖」がポルトガル語のconfeito(英語のconfection砂糖菓子、confectioneryお菓子屋)から来ているというのも有名である。

 なお、「サンドウィッチ」「カーディガン」「ボイコット」のように人名などがモノの名前になるのは「エポニム」(言語学ではeponym名祖先なおや)と呼ばれる。日本では「出歯亀」(池田龜太郎という出っ歯の変態性欲者の名から)「土左衛門」(水死体が成瀬川土左衛門という力士に似ていたから)「八百長」(これも相撲社会から起こった語で八百屋長兵衛という人の名によると言う)、【柄井】川柳、沢庵【和尚】、隠元【禅師】、【宮崎】友禅、金時豆(坂田金時=金太郎)、金平ごぼう(金平=金太郎の息子)、のろま(野呂松勘兵衛=人形遣い)、阿弥陀くじなど人名から生まれている。ただ、名前を優先させる欧米よりも随分少ない(大体、「ヨーロッパ」だって、「アメリカ」だって、神様の名前や人の名前に由来している)。

 パリのレストランのマキシムは人名から来ているが、マキシムには「格言」という意味がある。これはマキシマム(最大)の名言ということから来ている…。

 関係なく好きなのは「ゴイサギ」である。『平家物語』に出てくる話で醍醐天皇の宣旨に従って捕らえられたために「五位」の身分を与えられたのだという。好きなのは捕まえた人が六位だったということだ(能「鷺」にも出てくる話だ)。

 こんな風に語源についての蘊蓄を語りたかったら、本屋にいっぱい並んでいる『面白語源辞典』なんていう本を読めば十分である。ここではむしろ、語源をどう考えるかを述べてみたい。

 語源学というのは言語学の中で地位が低い。専門家の仕事ではなくて、素人学者の仕事だと思われているフシがある。ちょうど、クラシックの愛好家に“蘊蓄屋”とでも呼ぶべき人々がいて、演奏家が彼らを嫌うのに似た精神構造かもしれない。知らないことを知ることが大切なのに“蘊蓄屋”は知っていることだけ知っていて自慢する。言語学の場合、“蘊蓄屋”の性癖は誰も知らないような語源を述べて、だから「○×だ」という結論を出すものだ。

 例えば、次のようにギリシャ語やイタリア語を駆使すると蘊蓄らしくなる。リンゴのことをギリシア語では melon (μηλον) という。これは別に歴史の過程でリンゴがメロンに化けた訳ではない。メロンや瓢箪の類を pepon といい、のちにその pepon の一種が melon と pepon を合わせて melonpepon と名づけられた。その melonpepon の前半だけが俗語の中で切り取られ呼び名とされたのが、今日のメロンである。強弱自在の音が出せるというので pianoforte と名づけられた楽器が今日ピアノといわれるのと同じ原理である…。

 言葉の歴史は複雑で、全てが文字で記されているわけでなく、いつの間にか変化していることが多い。だから語源探究は難しい。「おたまじゃくし」とご飯をよそうためのもので、蛙の子は形が似ているからそう呼ばれる。では元はというと、昔は強飯(こわめし)かお粥で杓子を使っていたのだが、お米は魂をもつとされて「お魂(たま)」と呼ばれていた。これがくっついて「おたまじゃくし」と呼んでいた地域もあったのだが、天下統一されたのは滋賀県湖東の多賀神社のおかげとされる。養老年間、元正天皇が病気になり、シデの木で作った杓子を添えて強飯を献上したところ、全快したために「お多賀杓子」として有名になった。他の杓子より大きく窪んでいて、柄も彎曲していたという。江戸時代になると本地垂迹によるお寺の坊人(ぼうじん)たちが「お伊勢参らばお多賀へ参れ」という、コマーシャルソングみたいなものができて、伊勢の帰りに寄っていく場所として全国展開した。これにより、「お多賀杓子」が土産になって、統一されたのだが、いつの間にか「おたまじゃくし」と混ざって、後者の方が定着してしまった。

 鈴木孝夫『鈴木孝夫の曼陀羅的世界』(冨山房)で日本語や英語は蝶と蛾、butterfly.mothとはっきり分けるが、フランス語は後者を特にpapillon de nuitと「夜の蝶」という。ギリシャ語では「蛾と鯨は、関係があった」といい、ファライナphallainaと言う単語の意味に、「蛾」と言う意味と「鯨」という意味がある。それについて、著者は、長年疑問に思ってきたと書いている。ところが、アメリカの大学の図書館に飾ってある鯨が水に潜る瞬間を捉えた写真を見て次のことをひらめいたとある。それは、鯨の「テイリング」の時の尾と蛾の形が似ているからではないかということであった。ギリシア人は、鯨という生き物を見たことがなかったので、自分達がよく知っているものを当てはめたところ「蛾」という結論に達したようだ。「胡蝶蘭」はphalaenopsisというが、同じ発想である。部分で全体を表わすのをPars pro totoという。「白雪姫」は肌の色から来ている隠喩だが、「赤頭巾」は関係がなく、換喩とあり、頭巾だけで女の子を指しているのと同じだ。

 語源的思考ができれば文章は簡単だ。どれだけでも書ける。例えば次の通り。まるでフレーザーの『金枝篇』みたいな高尚な話になってしまう。

 先日、ひょんなことから友人に「ひょんな」って何だと聞かれた。お前は言語学者だろう、調べろ、といわれて「ひょんなー」なんて思ったものだ。

 研究室に戻って調べてみるとなかなか面白い。

 大体、「ひょんな」という言い方は江戸時代からある。

 じゃあ、「ひょん」て何だろうと思って、これまた調べてみると、江戸時代、柞(いすのき)のことを「ひょん」と呼んだらしい。つまり、「ひょん」とできるからだと思っていたら、この常緑の高木である柞には葉に大きな虫こぶができて、子どもたちが笛にして遊んだ。そこから方言で「ひょんのき」といったらしい。

 昔の人はこの「ひょん」を取って、頭にかざしたともいう。目出度い印とされたのである。「ひょん」を神聖なものとして考える古代人の心性に触れたような気がする。

 そこから、「ひょん」というのを予期しない出来事のことを指すようになってきたのだ。

最近は間違って「ひよんな」と書く人も増えてきたが、発音が「ひよんな」とはっきりいうためだろう。

 中には、いい年をした大人までが若者に媚びて「ひよんな」と書いている。

 私はいいたい。

 お前ら、ひよんな!    ←日和るな、でしょ。

 しかし、これは元の意味を知らないでも生きていける現代人にとって、また、言語学を専門とする者にとってもあまり生産的な話ではない。「さかな」というのは「酒+菜」からできているが、いちいちそんな風に分解して考える人はいないし、いたら、おかしい(と思っていたら、国研の調査で関西地方の一部で「うお」と「さかな」を呼び分けている地域があったという。前者は生きているもの、後者は調理されたものだという。なお、前者を川魚、後者を海魚という風に分けている地域もあるそうで、これは内陸では生きている魚は川魚だけで、海魚は調理されたものでしか見ないからだという)。「魚」を「さかな」と読めるようになったのは1973年の当用漢字改訂以降だという。それまでは「うお」として読めなかった。

 とはいえ、言語学の分野の中で一番か二番目に素人受けがよくて言語学者が言語学を習っていてよかった、と思える瞬間を作ってくれる。何しろ、それまで変人とかにしか思われてなかったのが、いきなり「物知り」と認められるようになるからだ。

 サバを読む、というのは鯖の数をごまかしたことから始まるが、英語でも“baker's dozen”というと、元々1ダースをごまかしたパン屋に厳しい刑罰が課せられたことから、逆に13個になった…なんて話を延々とすることができる。

 まあ、生意気そうなことをいう人がいて気分が悪い時に、僕は語源を使って、ケムに巻くことを覚えた。英語のヴァニラはヴァギナと「莢」(さや)という意味で語源が同じとか、相手に合わせて適当に語源の蘊蓄を傾けておけばいいのだ。

 もう一つ、素人受けのいいのは「日本語起源論」である。こちらは言語学界の「忠臣蔵」と呼ばれる。「忠臣蔵は芝居の気付け」という言葉があるほど、芝居の入りが悪い時、客足を取り戻す切り札は日本で「忠臣蔵」、西洋で「ハムレット」に決まっている。10年位の周期で思い出したように新しい説が出てきて、マスコミを巻き込んで大騒ぎとなる。学者の系統論だけでも、1889年の大矢透、白鳥庫吉に始まり、1930年代の新村出、小倉進平、金田一京助、50年代の泉井久之助、大野晋、服部四郎、70年代の亀井孝、村山七郎、西田龍雄、80年代の川本崇雄、大野晋、中本正智などがある。

 もっとも素人受けしたのは1955年の安田徳太郎の「レプチャ語説」である。チベットのレプチャ語で万葉集は読める、というものだったが、金田一春彦がすぐに「万葉集の謎は英語でも解ける」(『文藝春秋』1956年7月号)を書いた。「万葉集」というのは「たくさんの頌歌のの陳列」“many+ode+shew(showの古形)”であると喝破した。最近では藤村由加というグループで書いている『人麻呂の暗号』(新潮社1989)などを揶揄して安本美典が『朝鮮語で万葉集は解読できない』(JICC出版局1990)という本を書いた。これによれば「万葉集」は「あなたの手を見せよ」「男たちの昔の船」「農民兵による戦争」「若者たちがくちびるを当てる」「累々たる骨は、だれのものか」という5つの可能性があるという。つまり、どの可能性もないのである。李寧煕の『もう一つの万葉集』(文藝春秋1989)なども同様である。

 富山でも方言を全部アイヌ語で説明しようという人がいる(間方徳松『アイヌ語は日本語の源 北陸篇・南方篇』)。

 そんな人は清水義範の「序文」(『蕎麦ときしめん』講談社1986)というパスティーシュを読んでほしい。ここには吉原源三郎なる学者が日本語を英語で説明するために次のような語を挙げている。

 

 どれだけ馬鹿馬鹿しいか分かってもらえると思うが、本人たちは必死である。

 と学会・編『トンデモ本の世界』(宝島社文庫)にはドン・R・スミサナ『古代、アメリカは日本だった!』(徳間書店)があげられているが、例えば、次のような説明が並んでいるという。

 そして、まさかと思うだろうが、「オハイオ」は「お早う」と説明しているのだ。

 こんなのは偶然の一致だ。ドイツ語の“Name”と「名前」が似ているのは知られているが、“Nanu”というのもある。これは驚きや不審の念を表す際に使う感嘆詞で、日本語の「あれっ?」「何だって?」と同じように「なぬっ?」と使う(短く「ナヌッ」と発音するパターンと「ナヌー」と伸ばして発音するパターンがあり、唇をとがらせて言う)。ドイツ語で“Ach so”といえば日本語の「あ、そうか!」という意味だ。イタリア語で「乾杯」は「チンチン」(Cin cin!)というが、オノマトペであって、日本語のチンチンとは無関係だ(「君の瞳にチンチン」なんて…)。

 『ロリータ』の作家ナボコフも英語の中にロシア語っぽい言葉をまるで珍種の蝶々を集めるようにしていたという。

 他にも探せば「スケベニンゲン」という土地がオランダに、「エロマンガ島」がフィジーにある。どんなところか男としては興味があるが、言語学者としては興味がない(水没したという噂が流れたことがあるが、「イロマンゴ島」という表記になったため)。ただ、これらはトンデモ本だけど、よく売れるから、儲からない言語学の人間としては本当に羨ましい。

 こうしたトンデモ本、妄想史観のルーツは明らかに『成吉思汗ハ源義経也』という本を出した小谷部全一郎である。ジンギスカンはニロンの落人だったのだが、ニロンは日本に他ならず、母ホエルン・イケは池の禅尼、父エゾカイは蝦夷海、テムジンは天神であり、ジンギスカンという名前も源義経(ゲンギケイ)がゲン・ギ・スとなまったものである。という。トンデモ本は病理的現象であり、妄想史観だから、小谷部の精神史を徹底的に調べたのが長山靖生『偽史冒険世界 カルト本の百年』(筑摩書房)である。そして、これ以上の言及はそちらに譲る。

 そうそう、バスク語というのはヨーロッパの他の言語と違っているのだが、バスク人の多くはバスク語と日本語は同源だと信じているそうだ。なにしろ、「鳥」を「チョリ」というそうだ。ここから一気にザビエルが日本を目指したのはバスク人だったから、などという人が出てこよう。

 鈴木孝夫先生はビートたけしとの対談で「私は言語学の3Kというのはしないことにしています」といい、「敬語、系統論、それと漢字の起源解釈です」と答えている(『鈴木孝夫の曼陀羅的世界』冨山房p.302)。

 英語で「台風」のことを“typhoon”だということを学ぶと、日本語から来ているように思うが、英語の方は16世紀に登場している。逆で明治時代末に、当時の中央気象台長・岡田武松が「颱風(たいふう)」を使ったのだ。中国語の「大風」とギリシャ神話のテュポン“typhon”の話が混ざった語源のようである。中国では昔、「颶風」(ぐふう)と呼んでいたという話もある。そして、“typhoon”の翻訳として「颱風」「台風」が日本語に入ってきた。テュポンは黒い舌のちらつく100ものヘビの顔を持ち、目からは炎を噴く怪物で、その口は、雄牛のようにほえ、シュウシュウと音をたてたという。その強さもゼウス相手に壮絶な立ち回りを演じ、一時は手足の腱(けん)を切って動けなくするまで追い詰めたほどだという。だが、人間の食物を食べると急に弱くなり、結局はゼウスの雷を受けて地底の闇に追いやられてしまう。彼はそこで人に害をなすすべての風の父となった。袋をかかえた少しひょうきんな日本の風神とは違ったすさまじい神だ。しかし、アラビア語で、ぐるぐる回る意味の「tufan」が、「typhoon」となり「颱風」となったという説もある。

 幸田文(明治37年=1904年生まれ)は「秋の音」という随筆の中で「博多のひとえ帯のぎゅっぎゅっと摺(す)れる音が耳立ってくると、暑熱はまだはげしくても、すでに秋はきている」と衣(きぬ)ずれの音に加えて、「あらしできいた音」がそうだという。庭の萩やすすきが暴風雨にたたかれ、あおられる姿を描き、「あらしだなどといえば、いまはその威力はなはだ貧弱にきこえるが、私の十五、六の頃は台風とはいわなかった」と書いている。

  「助六鮨」という稲荷鮨と巻き鮨の取り合わせまたはその弁当があるが、名の由来は稲荷鮨の油揚げと巻き鮨が、歌舞伎「助六」に登場する花魁の揚巻(あげ+まき)に通じることからであるが、みんな歌舞伎で出されたものだと思っている。

 言語の起源と民族の起源は違うが、一致する場合もある。日本人の起源に関しては2001年に「NHKスペシャル 日本人」でブリヤート族とDNAが近いことが紹介された。縄文人とアイヌ民族のDNAが近いことも検証されている。

 日本語起源論は新しい段階に来ているように思える。

 NHKのクイズ番組「日本人の質問」に寄せられる質問の半数以上は語源についてのものだという。語源に対する関心は非常に強いのである。にもかかわらず、国語学者の反応は鈍い。古館伊知郎が「報道ステーション」を降りてから再びNHKに出た「日本人のおなまえっ!」は最初こそ人名を扱った番組だったが、徐々に語源番組に変化していった。

 例えば、柴田武『日本語を考える』(博文館新社)の「語源について」には次のように書いてある。

現在、「わたしは語源が専門だ」と語源学者を名のっている専門の国語学者は五人といないのではないか。毎年発表されるおびただしい数の論文の題目を見ても「……の語源について」というものは少ない。あっても、それは、素人や素人に近い人の手になる随想的なものである。専門の国語学者は、語源に研究に対して冷たい態度をとり続けているかに見える。

 語源は話のネタとして最高だ。「勿忘草」(忘れな草)について語源について語っていないが、星野道夫の「ワスレナグサ」(『旅をする木』所収)はアリューシャン列島で探していたが、なかなか見つからなかった。腰をかがめた時に風に揺れるワスレナグサではなく、岩陰にはいつくばるように咲く、見過ごしてしまいそうな小さな花だったという。このいじらしいほど可憐な花が、荒々しい自然を内包するアラスカの州花であることがうれしかったという。厳しい自然の中で僅かな間に「忘れないで」と語っているかのようなのだ。日本名は英語のforget-me-notで、元はドイツで騎士が恋人のために花を摘もうとして川に落ちて、花を岸辺に投げて亡くなったことから恋人がVergiss-mein-nicht(僕を忘れないで)と名づけたことから、他の言語でも同じような命名になったのである。後に「クローバー」と英語で呼ばれるようになり、「四つ葉のクローバー」は希望・誠実・愛情・幸運を象徴しているとされる。

 シロツメクサも外来種だが、「白詰草」だ。これは1846年にオランダから献上されたガラス製品の包装の緩衝材に使われていたからである。ガラスは「ぎやまん」(これはdiamondダイヤモンドが訛ったもの)と呼ばれた。同じ19世紀には輸出する工芸品の包み紙だった浮世絵がジャポニスムを生んだ。

 2002年には語源が訴訟になった。フジテレビのクイズ番組「クイズ$ミリオネア」に出演した沼津市の男性会社員が、答えが間違っていないのに不正解とされ、賞金が得られなかったとして、フジテレビを相手取り、賞金650万円の支払いを求める訴えを起こした。 男性は2002年2月21日放送の同番組に出演。マヨネーズの語源を問われた4択問題に対し、「人の名前」と解答したが、番組では「町の名前」が正解とされた。男性は、正解なら750万円を獲得できるはずだったが、不正解とされたため、それまでの正解分として100万円しか得られず、「事典などで人の名前という説も有力に主張され、間違いではない」と、差額分650万円を求めている。一般にはリシュリュー公爵が1756年スペインのメノルカ島にある港町 Mahon 港を攻め落とした後、食事を求めたが、調理してなく、食べられるものをかき混ぜて食べたことから「マオネーズ」と呼ばれ、後に「マヨネーズ」となったという説がよく知られている。元々はバイヨネーズといい、フランスのベアルヌ地方のバイヨンヌ(生ハムが有名)にちなむ、マイエンヌ公爵の料理人が作ったから、あるいは卵黄を意味する古いフランス語のモワイユという言葉からきているなどともいわれる。 果たしてどうなるか?【裁判で新阜裁判官は34の文献を取り上げた上で「いずれの文献も町名説に触れているが、人名説に触れているのは一つしかない」と指摘して「人名説があることを考慮して選択肢から除外するなどの配慮を欠いた面はあるが、フジテレビの正解設定には相当性が認められ、正解は町の名前のみというべきだ」と述べた。 男性の弁護士は「少数説が正解とされないことや正解権限が被告側にあるというのは納得できない」と話している】。

 語源で何が正解か探るのは難しい。「バカ貝」という貝があって別名「青柳」というが、「青柳」の方が後(市原市のの青柳で明治期に養殖された)で、「バカ貝」が本当の名前だという。

 『不思議の国のアリス』に出てくるmad hatterの語源を昔、帽子屋さんが水銀を使っていたためにおかしくなって、という説を信じていたが、『アプローチ英和』によれば、「むかし持っている物を貧しい人々に与え、自分はスカンポ(山にはえる植物の一種)など食べて暮らしていた変わった帽子屋がいたことからきているとか、フェルト帽(felt hat)を作るときに使う薬のために帽子屋が舞踏病にかかり気が狂ったように見えるためとかの説がある。また hatter は帽子屋ではなくその毒が狂気のもととなる毒ヘビの毒のことであったなどの説もある」と書いてあった。

 「すき焼き」は「鋤の金属部分の上で肉を焼いて食べたところから」というのが現代の辞書の解釈だが、寺田寅彦は「言葉の不思議」で次のように懐疑している。

 話は変わるが二三日前若い人たちと夕食をくったとき「スキ焼き」の語原だと言って某新聞に載っていた記事が話題にのぼった。維新前牛肉など食うのは禁物であるからこっそり畑へ出てたき火をする。そうして肉片を鋤(すき)の鉄板上に載せたのを火上にかざし、じわじわ焼いて食ったというのである。こういうあんまりうま過ぎるのはたいていうそに決まっていると言って皆で笑った。そのときの一説に「すき」は steak だろうというのがあった。日本人は子音の重なるのは不得意だから st がsになることは可能である。漆喰(しっくい)が stucco と兄弟だとすると、この説にも一顧の価値があるかもしれない。ついでに (Skt.)jval は「燃える」である。「じわりじわり」に通じる。
 なすの「しぎ焼き」の「しぎ」にもいろいろこじつけがあるが、「しき」と変えてみると、結局「すき」と同じでないかという疑いが起こる。

  最近はほとんどの番組で語源について「異論もあります」とテロップがつくようになった。どうせなら「いろんな異論もあります」だろう。

 昔から語源に関して多くの人が興味を持っていた。あのプラトン君の話によれば、ソクラテスさんだってheros(英雄)の語源をeros(恋愛)としたようだが、理由は恋愛から英雄が生まれたからというのだ。

 もっと前に遡ると聖書にも例えばish(男)から生まれたからissha(女)だという。現在でもman(男)から生まれたからwoman(女)だという人がいる。つまり、womb(子宮)から生まれたからwomanなどといいかねない。本当はwif(wife)+manでmanは別に「男」の意味ではなかったのだが、そういう説明の方が人気がある。

 というのも、語源というのは証明が難しい。

 その前に、語源といっても単語のでき方に2種類あることに注意しておきたい。

 つまり、「梅干し」というのは「梅を干し」たたものだからという具合に合成語はある程度説明ができるけど、元の名前がどうしてそう決まったかは神様にも分からない。「梅」は中国語の「梅」(メとか発音されていたはず)から来ている(「馬」もマから)が、どうして中国語で「梅」がメなのか、日本語で「干す」ことを「干し」といういうのか(「ほ」+「し」かもしれないが)誰にも分からない。「ダフ屋」は「札」を隠語として逆さまにした「ダフ」から来ていることは言えるが、どうしてチケットのことを「札」というようになったか説明はできない。「チケット」と「エチケット」の関係は分かるが、なぜ最初に「チケット」というようになったか分からないのである。

 語源に遡り、原義を知れば、「真」なるもの(etymos)が判明する、という論理(logos)がある。これを「語源的論理」といってもいいだろう。

 しかし、これは一種の「歴史主義」ともいえ、タマネギのように剥いていったら最後には何も残らないことも多い(と書くと、芯が残るといわれそうだが、芯だって皮の小さいものだ)。

 「じゃじゃ馬」「おきゃん」「お転婆」と似た言葉があって、「じゃじゃ」は「うるさい声」の「暴れ馬」、「おきゃん」は「御侠」で「きゃん」は唐音でかつては男性にも使った「恥じらいもなく、活発に行動すること」、「お転婆」はオランダ語の「馴らすことができない」“onbembar”から来ている【「転婆」が18世紀初頭には使われていてオランダ語でないという説も】、「御伝馬」という宿場で公用で使われるために状態がよくて他の駄賃馬よりも元気に跳ね回る馬、「足早に歩く」の「てばてば」に「お」がついたという説がある。だからといって、今現在の意味の違いを説明することはできない。

 なぜかといえば、「さかな」が「酒+菜」、「みなと」が「水+の+門」などと語源に遡ることができる。そして、こうした「歴史主義」は「魚」の語源が「酒+菜」だからといって、子どもに食べさせないようなものだ。

 なぜ「酒」が日本語で「さけ」というか「水」を「み」というかまでは分からない。

言語の体系はすべて、記号の恣意性という・万一無制限に適用されたならばこの上ない紛糾をもたらすに相違ない不合理な原理にもとづくものであるが、さいわいにして精神は、記号の集合のある部分に秩序および規則性の原理を引き入れてくれるのである。これこそ相対的有縁の役割にほかならない。

 などとソシュールは難しく書いて(語って)いるが、言語記号は指示内容(意味されるもの)と無関係であるから、遡ることができないということだ。同じことを、ドイツの哲学者フッサールは「伝統とは起源の忘却である」といっている。つまり、起源をたどっていくと、まるで違うものに行き着いてしまう。

 いや、日本語はどこかの言語から生まれたのだから、それを求めれば答えが分かる、という人がいるかもしれない。実際、印欧語の場合は研究が進んでいる。

 中にはこれを突き詰めて、世界の言葉は全て「ヤフェテ語」から生まれたとした学者がいた。ソ連のマールという学者で「マーリズム」とあだ名される。「ヤフェテ語」というのはハム、セムの兄弟である。つまり、ノアの方舟に乗った男なのであるが、ハム・セム語などと同様な言語があったはずで、勝手に「ヤフェテ語」と名付けて人類言語の元だとした。

 この問題はこれだけで長くなるので、はしょるが、マールはソ連の御用学者となり、多くの立派な言語学者の粛清にもつながった。しかし、スターリンはマールを批判した論文「マルクス主義と言語学の諸問題」(『弁証法的唯物論と史的唯物論』国民文庫=新版には載っていない)を書いて彼の時代は終わったのだ。スターリンの論文は唯一、自己批判した文章だといわれている。

 また、「ノストラ語」説というのもある。全ての言語は「ノストラ」(ラテン語「我々」から命名)から生まれているとする説である。これに関してはディクソンが『言語の興亡』(岩波新書)で徹底的に批判している。

 これらは言語起源論とも関係があり、際限のない話で、何とでも思弁的な結論を見いだせるので、1866年パリ言語学会創立に際し、同学会規約第二条で「当学会は言語の起源や普遍言語考案に関するいかなる論文も受理しない」ことが決められている。

 源泉主義はミロのビーナスの両腕を探そうとするようなものである。「民間語源」というのは勝手に腕を想像することである。

 18世紀末のアイルランドである男が「新しい言葉を作って一晩で流行させられるかどうか」との賭けを仲間とすることになった。男は「quiz」という文字を建物の壁や塀などに落書きして回った。一夜明け、落書きを見た住民の間で「あの文字は何?」と大きな話題となり、一気に広まったという。「クイズ」の語源として今に伝わる。

 「小松菜」は鷹狩りに訪れた将軍吉宗が、隅田川から江戸川にかけての野菜畑の菜っ葉を食べて気に入り、「この菜は何という」と問われた神主が菜を知らず、「困ったな」とつぶやいたのを吉宗が聞き間違えたという説がある。実際には近くを流れる川にちなみ名づけた(亀井千歩子『小松菜と江戸のお鷹狩り』)。「小松菜の一文束や今朝のの霜」小林一茶。

 「イチョウ」は民間語源で「一葉」だと考えられて歴史的仮名遣いを「いてふ」としてきたが、後に「鴨脚」の宋音ヤーチャオに由来することがわかり、「いちゃう」が正しいことが分かった。英語でgingkoというがこれも複雑な語源になっている。

 オーストラリアでジェームズ・クックが名前を尋ねたら「知らない」と答えたのが、kangaruという言葉だったという俗説が有名だが、土田滋先生の話では本当だった可能性があるという。

 あらびっくりなのは、「アラビア数字」を考案したのはインドだから「インド数字」にしなければならない。インドは数学で最大の発明とされる「0」の発祥地で森本哲郎はインドを「ゼロの文明」と称していた。8世紀には今のような表記が普及し、バグダッドの学者がこの表記と、これによる加減乗除などの計算法を詳述した本を書いたことで、欧州に広まり、「アラビア数字」と誤解されたようだ。

 天野正子の『老いの近代』(岩波書店)には次のように書いてあるが、民間語源と突っ込むことなく耳を傾けるべきだろう。

「あきらめる」ことは、けっして消極的で後ろ向きの生きかたを意味しない。言葉の本来の意味での「あきらめる」は「明らかに究める」ことなのだから。

 ある言葉を誰が使いだしたか分からないと同様、語源というのは証明できないものである。「うるち米」の「うるち」がサンスクリットのvrihiから来ていると言われても、誰も一緒にその語を見守ってきたわけではないので分からない。

 稀に証明できるものもある。金田一京助の本に出てくるが、彼は「バリカン」の語源を知りたくてずっと調査していた。ある日、古いバリカンが見つかって、それを見たらBarriquand et Marreというフランスの製造会社の名前が刻んであった。

 僕も同じ体験があって、老人が貼り薬を「ローヒコ」と呼ぶのが分らなかった。一体、何語か検討も付かなかった。ある日、ドラッグストアで「ロイヒつぼ膏」というのを見つけて、製品名だったことに気づいた。

 最近では黒板消しを「らーふる」と呼ぶのが宮崎、鹿児島、愛媛だけに見られる「方言」だということで、騒がれた。普通はそんな分布をしないはずである。よく調べてみると、実は名古屋のしにせ業者の商品名でいつの間にかこの三県だけが黒板消しそのものを指すようになったという。

 英語っぽいけれどそうではなく、当の業者も語源は分からないと言う。宮崎国際大助教授だった岸江信介さん(方言学・現徳島大)によると、鹿児島では七十代でも使うが、宮崎ではせいぜい 四十代まで。まず鹿児島で教員が広め、宮崎に移ってきたらしい・・・宮崎日日新聞

 そして、驚くべきことに、「ラーフル」というのは内田洋行などでごくごく普通の普通名詞として使われていた。そして、日本理化学工業ではもっと衝撃的な記述があったという。それはオランダ語のRAFELから来ているというものだ。英語のRAVELに相当して「こする、磨く」だというが本当だろうか?

 これを確かめるためにはオランダへ行ってRAFELで通じるかどうか、レアリアが分からなければならない。つまり、オランダ人が黒板消しを「ラーフル」と呼んでいれば問題ない(オランダ語の専門家で『エクスプレス・オランダ語』白水社などを書いている桜井隆さんに聞いたが、思い当たる言葉はないという)。

 時代によっても違う。「キセル乗車」というのは、煙草のキセルを知っている人ならすぐに分かる。両端だけ金(かね)を使っていて中はラオと呼ばれる竹なので、途中をごまかすことを指す。自動改札とスイカなどのカードによってキセルができなくなっていて廃語候補である。「煙草」だって、読めなくなるだろう。フィンランド語では「キセル乗車」を"Matkustaa janiksena"(ウサギになって旅をする)というらしい。ウサギは小さくて改札口を通り過ぎて好きなように旅行することからの表現だという。

 他の可能性を勝手に考えると「ウエス」(英語の“waste”から)が「ボロ布」から「雑巾」の意味で使うのと同様、英語の“raffle”(「ゴミ、がらくた」)から黒板拭きになったというものである。そう思っていたら真田信治・友定賢治『地方別方言語源辞典』(東京堂出版)には愛媛方言として出てくるが、語源はオランダ語rafel(ぼろ切れ)だとしている。実際に黒板を消すのにぼろ切れが使用されていたという。

 さて、ここで思い出すのは富山方言である。富山弁ゼミナールには次のような記述がある。

 富山市近在では、今でも70歳を越えた人であれば、時には消防自動車のことを「らふらんす」と言うことがはずである。

 大正10年(1921)8月に富山市は、新威力を誇るロータリー式消防自動車を1台購入した。赤一色に塗られ、異様なサイレンのうなりをあげて街を疾走する姿は、市民の目を大きく奪ったことであろう。この消防自動車が、アメリカのラフランス会社製であったので、人々は消防自動車のことを「らふらんす」と呼ぶようになったわけである。

 消防車のことは他の地方でも「らふらんす」と呼んだはずである。ということは「火消し」からの類推で「黒板消し」を「らふらんす」と呼んだ地域があっていいはずである。その「らふらんす」を縮めて「らふる」、そして「らーふる」になった。

 なんて推測が成立すれば面白いのだが、今となっては誰にも分からない。

 分からない語源で一番有名なのはOKの語源かもしれない。この語源説は30ほどある(とハッタリをきかせると相手は聞いてくれる「色々あるけれど、Oll Korrect<All Correct=All Rightから来ているという説が有力だね……」)。

 こうなるとほとんど呪文の世界だ。幸田露伴は娘の文に掃除を稽古させた。鍛錬と呼べるほどの厳しさで、ぞうきんの絞り方、用い方、バケツにくむ水の量まで指導は細かい。終わると「あとみよそわか」と呪文を唱えさせたという。「あとみよ」は「跡を見て、もう一度確認せよ」、「そわか」は成就を意味する梵語“svaha”で密教で呪文の最後につける語で、密教ではさまざまに解釈するが、元来は仏への感嘆・呼びかけの語だという。江戸の草双紙にも「後看世蘇和歌」(蘇婆訶/薩婆訶とも表記)とあり、露伴の造語ではないらしい。「馬鹿」というのも語源が分からなくなっていて、既に呪文になっているが…。

 語源を遡ると、いろいろのことが判ってくる。

 僕らには日が「暮れる」と「暗い」は無関係のように思われる。ところが古くは夜の「明ける」と「明るい」、夜が「ふける」と「深い」など、これらの動詞と形容詞は密接な関係にあった。「暮れる」と「暗い」は、明りのない古代の人たちの生活を考えれば、まったく自然の関係だった。

 腹が立つのは「未亡人」である。「夫と共に死ぬべきであるのに、未だ死なない人」の意味で、元は自称だったのが、他人から指していうようになった。これではスピヴァクの「サバルタン」と変わらない。サバルタンというのは植民地の中で最も下に置かれた人々で特に女性に注目していう。ヒンドゥー教では夫が死ぬと妻だった女性(幼な妻であることが多かった)は夫の亡骸とともに焼身自殺する風習があって(日本と関係があるかどうか分からないが)「サティ」(sati)と呼ばれていた。古くから支配階級の間で行なわれていたのだが、一般化する。ラーム・モーハン・ローイがイギリス総督を動かして禁止させ、19世紀にはなくなった。しかし、イギリス人にとってサバルタンは「旧習から救われる女たち」であり、インド人の男性にとってはサティを守るのが「イギリス帝国主義に抵抗するインド人女性」だった。どちらの立場にも、女性自身の声は反映されなかった。サバルタンは自ら置かれている立場を客観的に把握する場にもアクセスできず、抵抗したとしても抵抗とも認識されない。スピヴァクは、サバルタン当事者でない人間が、自己満足ではなしに、サバルタン当事者を指示したりその声を代弁することがいかに難しいか説いている。

 最初の使用者がどういう意味で使ったか、なんてことはその人に聞かなければ分からないし、ある人が一人で「犬」を「ゴッド」といっても聞いた方が理解できなければ言葉は成立しない。誤解だってありうる。

 国語辞典には「カメ」で「犬」や「洋犬」という意味が書いてある。明治時代の英和辞典には犬のことをカメヤという、と書いてあった。つまり、外国人が犬に向かって“Come here!”と言っていたのを犬を指す英語だと誤解したのだ。状況を聞き間違っていることになる。ちなみに、牛丼は最初、「かめちゃぶ」といったそうで、「ちゃぶ」は「卓袱台」からご飯という意味で「犬飯」ということだったらしい。

 言語学で一番有名な聞き間違いにカンガルーがある。これはキャプテン・クックの率いる探検隊がオーストラリアのアボリジニー(原住民)に「あの動物は何か?」と聞いたらカンガルーと答えたという話から来ている。アボリジニーは「知らない」と答えたのだが、それを動物の名前だと間違ったのである。この話は一度、嘘だったと否定された(「カンガルー類」を指す「gangurru」が語源で元は「跳ぶもの」を意味する言葉から来ている)が、T先生に聞くと、やっぱり本当だったという。

 ちなみに「ナンジャモンジャ」の樹というのがある。『大辞泉』には「主に関東地方で、その地域で見られなかったり、きわめて珍しかったりする大木をさしていう語。千葉県香取郡神崎町神崎神社のクスノキ、東京都明治神宮外苑のヒトツバタゴ、あんにゃもんや」と記載。他の木でも使われるから何じゃもんじゃという感じ。民俗学的には占いや神事に使われていた植物で、植物名を直接呼ぶのが憚られたからだという説もある。

 似たような話に「揚子江」がある。中国で「長江」と呼ばれていることは日本でもよく知られるようになったし、地理の教科書にもそのように書かれるようになったが、どうして「揚子江」だったか。これは19世紀に、西洋人が船頭に川の名前を訊ねたところ、船頭は危機間違えて近くに架かっていた橋の名前を答えてしまったという。その橋の名が「揚子橋」だった。

 起源を求めれば「正しい日本語」が分かるというなら、「本腰を入れる」(NHKでは使ってはいけない言葉になっている)とか「女性上位」(時代)などを使う度に顔を赤らめなければならない。

 メディアが発達すると最初に使った人が誰だか分かることもある。例えば、「エッチする」という言葉でセックスという重さから解放したのは島田紳助だということが分かっていて『現代用語の基礎知識85年版』に初めて載った(これさえ明石家さんまという説がある)。好きな言葉ではないが、「視線」と言わず、「目線」と最初に言い出したのは連合の初代事務局長山田精吾だと、ある経済団体の機関紙に書いてあった。視線だと冷たい。目線ならあったかい。山田は、目線を低くして組合員に語りかけたという。「情報」という訳語もドイツのクラウゼヴィッツ(Clausewitz)の『戦争論』の翻訳の際、森鴎外がNachsicht(敵情報知)の訳語として使用して日本語として定着させたというのが定説だが、実際にはさまざまな説が出ている。

 作家のペンネームだって、津島修治がどうして「太宰治」になったか分からないし、『男はつらいよ』の「車寅次郎」という名前も様々な理由が見つけられる。ごく最近のことなのに、語源を探ることは容易ではない。

 しかも、聞いても使っているうちに意味が変わっているなんてことが多い。作家の場合は都合のいい、面白い説があるとその説で通してしまうこともある。「根暗」という言葉を作ったのはタモリであることは間違いないし、「笑っていいとも」という番組であることも、時期も分かっている。しかし、タモリは後に「この言葉は表面は明るいが実は暗い内面を持つような人を指していた」と述べているように、「ひたすら暗い人」を指しているのではなく、屈折した気持ちをもつ人を指していたのである。当然、差別語ではなかった。

 差別語でいえば、「馬鹿チョン」カメラの「馬鹿チョン」があるが、カメラに付いている時は意識しないが、「馬鹿でもチョンでも…」というと意識せざるを得ない(しかし、これは江戸時代からあった表現で差別ではないという説もある---だからといって現在使っていいということにはならない)。

 大好きなのは「ちちんぷい」の語源だ。気休めのまじないなのだが、徳川家光の乳母の春日局が「智仁武勇御代(ごよ)の御宝(おんたから)」の略が語源だという説がある。病弱だった家光が徳川幕府の基礎固めを果たしたのだから威力がある。

 命名論とも関わるのだが、最初に名付けた人の命名の理由は一つではない。自分の子どもにどんな名付け方をしたか、たった一つの理由という人はいないだろう。

 アニメ『となりのトトロ』の由来は「所沢のお化け」というのを、子どもが所沢をいいにくくて「トトロ」となったというのが通説である。ところが、映画の中で小さいメイがお姉さんのサツキに自分が出会ったお化けを説明する時に「トトロ」という。「トトロって、絵本に出ていたトロルのこと?」というサツキの問いかけに対して「コックリするメイ、大まじめ」と宮崎監督のト書きにも書かれているから、メイ本人は確かに「トロル」のことだと思って「トトロ」と発音したようだ。うまく「トロル」と発音できなかったメイは、舌足らずに「トトロ」としか言えなかったということだ。

 語源と原典(“あやかり”のモデル)を区別した方がいいかもしれない。

 「しゃれこうべ」というのを考えてみると「舎利(骨)+頭」だと思えてくるが、辞書をみると「晒れ+頭」という具合に書いてある。僕の頭がただの「しゃれ頭(こうべ)」だった!

 洋画に時々「レンズ豆」というのが出てくる。小さい頃、レンズに似た形だからそう呼ばれたのだろうと思っていたら逆だった。つまり、凸「レンズ」の方がレンズ豆に似ているからラテン語からlens(英語ではlentis)と名づけられたのである。

 こんなのは笑い話だというかもしれないが、例えば「ねずみ」の語源について説がいっぱいある。

  

  1. 『大言海』などは「根住・根棲」の意味。『東雅』も「ネは幽陰の所をいう。スミは栖の義」
  2. 『日本古語大辞典』などはアナズミ(穴住)説。
  3. 『菊池俗言考』などはネズミ(不寝魅)説で夜も寝ないからという。
  4. 『和訓栞』は人が寝た後、「寝盗」からという。
  5. 『名言通』は人が寝た後、出てネイツミ(寝出見)からという。
  6. 『日本釈名』はヌスミの転だという。

 一つだけ見ると、すごい学者だと思うかもしれないが、実際にはこんな風にして、親父ギャグ大会になっている。特に大槻文彦の『大言海』には大限界がある。その文彦先生だって苦労はしていたのである(『言海』「ことばのうみのおくがき」明治二十四年四月)。

 某語あり、語原つまびらかならず、或人、偶然に「そは何人か西班牙語ならむといへることあり」といふ、さらバとて、西英對譯辭書をもとむれど得ず。「何某ならば西班牙語を知らむ」「君その人を識らば添書を賜え」とて,やがて得て,その人を訪ふ、不在なり。ふたゝび訪ひて遇へり、「おのれは深くは知らず、某學校に、その國の辭書を藏せりとおぼゆ」「さらば添書を賜へ」とて、さらにその學校にゆきて、遂にその語原を、知ることを得たりき。

 ロシアの亡命作家ナボコフも珍種の蝶々を収集するようにロシア語っぽい英語の単語を探すことに熱中していたという。駄ジャレをいわずにはいられない人がいるように、外国語の中に母国語の痕跡を探さずにはいられないというのは母国を失った人の性(さが)なのである。

 「テキヤ」の語源にも諸説あるが、仏教の教えを分かりやすい言葉で説きながら香や仏具を売り歩いた武士「香具師(こうぐし)」が「野士(のし)」と呼ばれるようになり、やがて祭礼や縁日で者を売る商人全体を指すようになる。これが明治以降「ヤー的」に、更に上下を逆にして「テキヤ」になったという説が強い。他に「目の前の通行人はすべて敵と思って商売せよ」という意味からテキヤになったという説もある。面白いと思う説を信じるしかないのである。こうして、語源学者は「テキヤ」と変わらなくなる。

 ピーカンとは快晴のことで、もともと映画業界が撮影時に使っていた言葉である。語源は快晴の空がタバコのピース缶の色に似ていたという説、快晴の日はカメラのピント合わせが多少曖昧でも完全に合うことから「ピントが完全」を略したとする説、単純に太陽の光が「ピーンと届いてカンカン照り」を略した、オペラ曲「ある晴れた日に」のピンカートンからという説など様々だが正確なことはわかっていない。

 昔話の「花咲かじいさん」になぜか「ポチ」という犬が出てくるが、「ポチ」というのは日本語としてかなり珍しい音形である。これを英語の“Spotty”だとする人もいる。スポット、つまり、ぶち犬でなければならないのである。更に“pooch”とかフランス語の“petit”からという説もある。調べてみるとポチという犬の名前が流行したのは明治3,40年だという。少なくとも「花咲かじいさん」が今の形になったのはそんなに昔のことではないようだ。が、本当のことは誰にも判らない。「チコちゃんに叱られる!」では「聞き間違えを聞き間違えた」と結論づけていた。明治初期にはぶち犬が多くて「ブチ」と日本人が言っていたのを外国人が英語のブチ犬「patches」(当て布のパッチ)だと聞いてこれを発音したのを日本人が「ポチ」と聞き間違えて、流行した。当時の和英にも載っている。更に国語教科書の犬の名前がポチになり、「花咲かじいさん」でも採用されたとしていた。もちろん、「異説あり」だ。

 いくつかある味噌の語源説には、かの鑑真和上も関係があり、江戸期の辞書『和訓栞(わくんのしおり)』によれば、鑑真が食べて「未曽有(みぞう)」と感嘆したというのだが、あまりあてにはならない。

 語源に関して正解はない、というのが学問的には正しいといえる。最近のテレビでは必ず「※異説があります」と書かれている(これを「追加法」といって「※効果には個人差があります」とか「※あくまで個人の感想です」なんて書いてある)ようなものだ。

 最初に書いたように言葉の起源は分からない。起源とか根源を求めても、何もないのが本当だ。ニーチェは「始まりの拒否」をしたというのはミシェル・フーコーの言葉だが、語源といっても始まりを考えないことが大切だ。19世紀のパリの言語学会で言語の起源についての論文は認めないことになっているように、起源や根源はない。

 言語学で問題にすべきは「民間語源」のような「発生」である。どのように発生してきたかで民衆の言葉に対する力が見えてくるのである。

 北杜夫は『どくとるマンボウ青春記』で「パクる」はドイツ語「包むパッケン」から来た言葉と書いていて松本高校が発祥だと考えている。確かに「バイト」や「サボる」「アベック」などドイツ語やフランス語を入れた語は旧制高校発祥のものがあるかもしれない。ただ、「ぱくつく」なんて言葉が前からあったから、意味が拡がっただけとも考えられる。こうやって民間語源が拡がっていく様子が分かる。

 こんな調子でずっと語源を誤解したままということがある。「水商売」というのは酒などの水を基本として扱う商売だからだと思っていたら違っていた。

【…】料理店、バー、キャバレー、喫茶店、タクシーなど、それぞれsh苦行としてさまざまな局面【…】を持っている。だが、われわれはそれらの中から「客まかせで、流れ行く水のように収入が不安定である」という「局面」【…】だけを大きく取り上げて「水商売」というのである。もっともここは隠喩と受けとることもできるけど。
     -----井上ひさし『自家製 文章読本』(新潮文庫)

 「二月」を「如月」というが、この語源も「気更来」(陽気がよくなってくる)と「衣更着」(まだ寒さ厳しく衣を重ねて着る)という正反対の説がある。ちょうどこれは「急がば回れ」と「善は急げ」と真逆の諺があって、場合によって庶民が使い分けてきたのと似ていて庶民の知恵といえるのだ。

 「たぬきそば」の語源は『新明解国語辞典』によれば「東京、世田谷の砧(キヌタ)家で始めたキヌタソバがその始まりという」としっかり書いてあるのだが、「きつねうどん」(もちろん、きつねは油揚げが大好きだから)が先にできていて、キツネ:タヌキ=うどん:そばという図式があって初めて定着したのである。定着するためにも民間語源の力が必要なのだ。

 ところで、関東ではうどんもそばも具材が揚げ玉だったら「たぬき」、油揚げがのったら「きつね」になる。「きつね」は1893年創業の大阪のうどん屋で考案され、後にそば版のたぬきが登場したという。東京では天ぷらの「タネ」を抜いたものだから「たぬき」となったという説もあるのだ。東洋水産が「緑のたぬき」を出した直後には違うという苦情もあったという。

 柳田国男は「節用禍」という言葉で語源に対して戒めている。つまり、『節用集』という辞書に載っているから語源はこうである、ああである、という態度は間違っているという。文字や文書の知識が言葉の姿を歪めたり、解釈を曲げたりする現象を批判している。英語で語源はOEDに載っている通りだと決めつけてしまうようなものだ(山田俊雄にも「節用禍・辞書禍」『詞林間話』角川書店がある)。

 「ねずみ」の語源のように、ある本に書かれていたから語源はこうだ、という決めつけてはいけない。もっと言えば、日本人は文字信仰というものがあって、印刷されたものに権威をみつけ、そこで思考停止することが多い。文字から脱却しなければならない。それはどんな学問でも同じだ。

 語源の場合は、特に後から漢字を当ててあって、「あんばい」が「塩梅」で梅干しを付けるのにちょうどの塩の量だ、という語源説が人口に膾炙される。「案配、按配、按排」(ほどよく配列する)という漢字もあるし、柳田のように「間(あわい)」が変わったものだという説もある。

 しかし、柳田がどんなに偉大でもこの説が正解とはいえないのである。「湯たんぽ」の語源について柳田国男は「方言と昔」で「たたけばそんな音のするもの」だからだという。歳時記にも「湯婆」とあるように、唐音読みで「たんぽ」と読むことに由来していると考えるのが有力だ(湯婆はそれだけで湯たんぽを示す/「婆」は「母」の意味もある)。

 もう一つ大切なことは借用である。自国語だと思っているのに、元は外来語ということがままある。天ぷらは日本独特の料理だが、ポルトガル語である。「合羽」や「南瓜」(読める人もすくなくなっただろうけど)なども日本に定着している。

 逆にアイヌ語で「神」は“kamui”、「高坏」は“tukui”などの言葉になっているが、同源と考えるよりは借用と考えた方がよさそうだ(ただし、縄文学や遺伝子研究の進展で見方が違ってくるかもしれない)。

 学者の説も民間の説もそんなに変わらない。

 落語の「薬缶」で八五郎に怪しげな語源を語って、 茶碗は「置くとちゃわんと動かないから茶碗」、薬缶は「矢が当たるとカーンというからやかん」というご隠居さんと大して変わらない。ホウボウは落ち着きなくほうぼう泳ぎ回るから、コチはこっちに泳いでくるから、マグロは真っ黒だからという。「だって、マグロの切り身は赤(あけ)えじゃないですか」と納得しないのを「だからお前は愚者だ…切り身で泳ぐ魚がいるか」と諭す。ウナギはヌルヌルしているからヌルと呼ばれていたが、鵜が間違って飲み込んで「鵜が難儀、鵜が難儀」が縮まってウナギになったという。こんな具合に「民間(民衆)語源」(folk etymology)が生まれてくる。

 落語「百年目」では大旦那が道楽を覚えた大番頭を呼んで、こんな説教をするのだが、「旦那」は梵語dana-patiを略した漢語で「僧に施しをする人=施主」から来ていて違う語源だ。

「一軒の主を旦那と言うが、その訳をご存じか。昔、天竺に栴檀(せんだん)という立派な木があり、その下に南縁草(なんえんそう)という汚い草が沢山茂っていた。目障りだというので、南縁草を抜いてしまったら、栴檀が枯れてしまった。調べてみると、栴檀は南縁草を肥やしにして、南縁草は栴檀の露で育っていた事が分かった。栴檀が育つと、南縁草も育つ。栴檀の“だん”と南縁草の“なん”を取って“だんなん”、それが“旦那”になったという。こじつけだろうが、私とお前の仲も栴檀と南縁草だ。店に戻れば、今度はお前が栴檀、店の者が南縁草。店の栴檀は元気がいいが、南縁草はちと元気が無い。少し南縁草にも露を降ろしてやって下さい」

 他にも「つる」という演目がある。「鶴」の語源を「唐土(もろこし)から雄がツーと、雌がルーと飛んできたためにツルになった」と聞いたのを他人に話そうとしてしくじる話である(江戸と上方では異同がある)。

 古文で習ったかもしれないが、「くしゃみ」は「くさめ」から来ていて、「くしゃみをすると早死にするという俗信があって、『くさめくさめ』と繰り返し云うと防げるといわれた」と『大辞泉』にも書いてある。「くさめ」は「糞食(くそは)め」、つまり「糞食らえ」だったとされるのが普通だ。これだってサンスクリット語の「長寿」を意味するクサンメから来ていて、これの中国語訳が「休息命(くそくみょう)」から来たとか、もったいつけた民間語源があるから気をつけなければならない。

「民間語源」というのは古今東西を通じて民衆がいつの間にか言葉を分解して考えているような例である。民衆の語るこじつけの語源解釈だが、なかには的をはずしていないものがある。へたな役者のことを「大根」というが、これは「素人」の「しろ」から「大根」になったとか、下手な役者のことを「馬の脚」というが、これとの連想からという説があるが、大根は生でも煮ても、決して「あたらない」というのは後からできた説でも説得力がある。英語では“ham”というが、不器用な人間を賞賛する minstrel show の歌 The Hamfat Man からの造語で“hamfatter ”の短縮という説があるが、一説には米国の Hamish McCullough(1835-85)の劇団 Ham's Actors からという説もある。

 武士などが使った「一所懸命」が「一生懸命」に変わったのは「一所」を「一生」だと民間の人たちが間違えたからである。

 「ビー玉」の語源は古来、「ビードロ玉」から来ているとされていた。「ビードロ」はポルトガル語でvidroで「ガラス」というのは歌麿の浮世絵「ビードロを吹く女」などで知られているが、近年、ラムネ(lemonadeが語源)に用いるA玉があって、この規格外がB玉とされたことから、という説があって、こちらの方が面白いから、みんな飛びついて、「民間語源」として残っていく。「エー玉」「ビー玉」というのがどこかで使われていない限り(文章に残っていないと証明できない)、受け入れ難い。とはいえ、「ビードロ玉」というのも文献にあるかというと、(寡聞ながら)ない。ウィキを見ると「言語学の世界では完全に否定されている」と書いてあったが、「ビー玉の語源について」という学会があった話も(寡聞ながら)聞いていない。「俗説」と決めつけることはとても難しいのだ。

 柴田武が書いているが、「青大将」は「青い」「大将」(お仲間!?)だからと民間語源で考えがちだが、実は「青大蛇」が訛ったものである。「大将」はタイシヤウ、「大蛇」はダイジヤと書かれたことから証明できる(タイシヨウだったら「大蛇」とは結びつかないことになる)。

 こんな風に表記が変わって語源から遠ざけられることが多い。「稲妻」というのは「稲の夫(つま)の意味で、古代、いなびかりによってイネの穂が孕むと信じられていたことから呼ばれたが、今の表記は「いなづま」だけでなく、「いなずま」でもいいとされる。そして、「いなずま」となると語源から離されることになるが許されていない。「地震」は語源的には「ぢしん」だが、「じしん」と書かなければならない。

 「むすびの神」は結婚式を司る、ただの「縁結びの神」だと民間では思われているが、もともと「産霊」と書かれていて、「ムス・ピ」から出ていることが国語史から分かってくる。ムスは「苔むす」のムスで「生む」「生み出す」の意味。ピは「霊」のことをいう。つまり、「むすびの神」は、男女に「子を生み出させる神」のことで、結婚しても子どもを生まない夫婦は「むすびの神」に見離された存在ということになる。

 民間語源の典型的なのは「夜這い」であろう。「夜這っていく」からと思われるが、「呼び合う」が縮まったものである。「歌垣」(うたがき)とか「かがい」と呼ばれた行為と同じ風習に遡る。

 日本語の語源を考える時に注意することは、もともと音声だったのが、それに合わせた漢字で書かれた途端に、漢字に引っ張られて解釈することが多く、惑わされるということだ。地名や姓名などの語源などもカタカナで考えなければならない。

 蒲焼の語源は諸説あり、以下の順に有力とされる。1)昔は、開かずに竹串にさして丸焼きしていたが、その形が「蒲の穂(がまのほ)」に似ていたことから「がま焼き」と言われ、転訛して「かばやき」になったとする説。2)焼きあがった蒲焼の色や形が、「樺の木(かばのき)」に似ていることからとする説。3)香りの良さから「香疾(かばや)」と呼ばれ、転じて「蒲焼」になったとする説。
4)「蒲鉾焼き」が略され、「蒲焼」になったとする説。

 ハンバーガーの語源は「ハンバーグ」から来ているが、「ハンバーグ」はドイツのハンブルグから来ている。都市の名前が語源になっているのだが、問題は「ハンバーガー」から「チーズバーガー」とか「月見バーガー」というのができた瞬間に、これは民間語源でできた語という(「異分析」という)。だって、「バーガー」という代物はなかったのだ。そのうち、ダイエット用で半分にした「4分の1バーガー」なんてものも生まれるかもしれない。「ハイジャック」は飛行機の乗っ取りだが、その後「カージャック」「バスジャック」「シージャック」などに広がった。

 「帝王切開」(Caesar/Caesarean section/operaion)というのはジュリアス・シーザーが帝王切開して生まれたからという説があるが、実際にはラテン語のcaesarea「切る」とCaesar「シーザー」とをドイツ人がお節介にも間違ってしまい、「シーザー(帝王)の切開」となってしまったのである。

 スコットランドで、新種のゲームが考案され、そのゲームのうたい文句が Gentlemen Only, Ladies Forbidden... (紳士のゲームにして、ご婦人の為すこと能わず...)ということからGOLFになった、というのはウソである。フォルクスワーゲンの車ゴルフはスポーツから採られているのではない。ドイツ語で英語のgulf「湾(岸風)」に相当する。

 英語だとasparagusをa sparrow+grassと分析して「雀」+「草」だと思っているアメリカ人も多い(実際には“spark”と近い語源を持ち、ギリシャ語の「膨らむ」から来ている)。「土砂ぶりの雨が降る」は英語の慣用句ではIt rains cats and dogs.といい、ラテン語のcata doxas(経験に反する)という意が語源だとする説もあるそうだが、哲学を学んだ人が面白がって作った説かもしれない。

 学生が就職の家族欄に父親を「大工」と書くのが嫌だというので考えてあげたことがある。「お父さんは農業か、工業か、商業か」と訊くと「工業です」という。「小さいものを作っているのか、大きい物を作っているのか」と訊くと「大きい物」だと答えた。「じゃあ、大・工業だな」と教えてあげた。

 面白い話はいくらでも作れる。「ベーコン」の起源はイギリスの哲学者フランシス・ベーコンである。ベーコンは内臓を取り出した鶏に雪を詰めて保存する実験をしていて死亡した。寒空の下で風邪を引いたとも、食した肉にあたったとも伝えられている。冷凍食品づくりの先駆者だろう。その道に携わった人の経験談によれば冷凍の技術よりも、いかにして鮮度を保ちつつ常温に戻すか、解凍の技術に頭を悩ませたという。ベーコンは政策に携わる者に戒めを残している。「いわく遅緩、いわく腐敗、いわく傲慢、いわく軽挙」だという。…というのは全くのガセネタである。

 腐ったような大豆が「納豆」で、箱に納めてもないのに「豆腐」は逆ではないか、などと民間語源がジョークに使われることも多い。

 民間語源が洗練されると物語になる。竹取物語も富士山の民間語源の物語(沢山の兵士が登ったので「士が富める」、不死の薬を燃やしたので「不死」の二つの説)と考えることもできる。そう言えば、かぐや姫が求婚者の一人、あべの右大臣に出した難題は「火鼠(ひねずみ)の皮衣」の入手だった。右大臣は唐に使いを出したが、ニセモノをつかまされ、燃えぬはずの皮衣はめらめら燃えてしまう。「あべなし=あえなし」という語呂合わせで終わるあっけない結末だった。竹取の作者は駄ジャレが好きだったのだ。

 どうして「部屋」というようになったか、という次のような昔話もある。

 結婚したばかりのお嫁さんが、亭主がいなくなると姑と二人きりになる。お嫁さんは窮屈で、何とか夫婦の部屋がほしい。若夫婦なので欲求不満も募ってくる。そして、姑とケンカをして、追い出されてしまう。原因はお嫁さんの放屁がストレスからやたら大きかったということだ。

 家を出て、通りすがりに商人が牛の背に商品をいっぱい載せてやってくる。そこにあった梨の木を見上げて、あの梨を全部もらえらば、俺の荷物を全部あげてもいいのに、と口走った。たまたま、梨の木の下にいたお嫁さんがおならを一発ならした。すると振動があまりにも大きくて、梨の実が全部落っこちた。それで商人の荷物を全部自分のものにすることができた。そこへ亭主が追いかけてきたので、二人で商品を町にもっていき、大金を手にした。そして、とうとう自分たちだけの部屋を持つことができた。

 これが「屁屋」、つまり、「部屋」の語源である。

 能登の先端に「狼煙」燈台がある。「のろし」と狼がどう関係があるかというと、中国の兵学書にのろしに狼の糞を混ぜると天まで真直ぐ登っていくと書いてあるからだ。

 もう一つ、日本独自の「民間語源」がある。言葉と次元が違う、漢字の起源に関する「民間字源」である。

「娘」  川崎洋(『詩集言葉遊びうた』思潮社)

娘は みんな
良い

とはかぎらない

 例えば、「漢字って面白いですね。良い時代は“娘”と書いて、家に入るから“嫁”になって、古くなると“姑”になって、顔に波が出ると“婆”になる」なんて説明をする人がいる(が、中国語で“娘”=母なのである)。「アリは義理堅い虫だから“蟻”って書くんですね」なんていう人がいる。「“泊”と“晒”は逆ではないか、だって、白くする方は“泊”で、陽が西に傾いた時に“晒”のではないですか?」という質問をする人がいる。

 「人」という字は“互いに支え合っている”からという人がいるが、本当は人を横からみた象形文字だった。『宇宙兄弟』では「支え合っているんじゃなくて、右の方がどうみても負担が大きいだろう、「支える者がいて」「その上に立つ者がいる」と茄子田博士が語る場面がある(8巻)。子育ての話で「“親”という漢字は“木の上に立って見てる”ですから、そんな風に子どもを見守ってください」とも言われる(ちなみに「親りに」で「まのあたりに」と読む)。「“歩”っていうのは「少し止まる」と書くでしょ、だから、ちょっと止まっていても前進はしているのよ」…。

 俵万智は石垣島を詠った『旅の人、島の人』(ハモニカブックス)で次の歌作っているが、まさに歌人の想像なのである。

“むらさきに染まる雲あり「紫陽花」はこんな空から生まれた漢字”俵万智「アコークロー」(『未来のサイズ』角川書店)

 料理家の神田川俊郎は「人を良くすると書いて『食』」だと言っていた。

「車櫻(くるまさくら)なんて書きますてぇとね、誰も名前だと思わないんですよ。 ほう、“車櫻”(クルマザクラ)なんてのはあるのかい?、なんてね。いやこの『櫻』って字が結構 面白うございましてね、木へんに貝二つでしょ、それに女ですから『二階の女は気に かかる』と、こう読めるんですよ、面白いでしょ? しかし漢字ってのは面白うございますねぇ。 しかばねに水と書いて『尿』、つまりションベンだ。しかばねに米と書いて『屎』、つまり クソですよね。で、あっしが変だなぁと思うのはね、しかばねに比2つ書いてこれがなんと 『屁』なんだよ『屁』。どうして比が『屁』か、つまりオナラはピーッて洒落かなぁって思って 、ハッハハハー!(本人大爆笑)」

山田洋次監督『男はつらいよ』第1作(ホテル・ニューオータニでのさくらのお見合いに寅が代理でついていって相手の母親を怒らせてしまう画面)

 こんな芸当ができるのも、織田作之助の「秋の暈」のようなエッセイが書けるのも漢字のおかげなのだ(「惷」の立ち場はどうなるんだ!)。

 秋という字の下に心をつけて、愁と読ませるのは、誰がそうしたのか、いみじくも考えたと思う。まことにもの想う人は、季節の移りかわりを敏感に感ずるなかにも、わけていわゆる秋のけはいの立ちそめるのを、ひと一倍しみじみと感ずることであろう。私もまた秋のけはいをひとより早く感ずる方である。といって、もの想う故にではない。じつは毎夜徹夜しているからである。

 これらの多くは漢字の起源を無視した議論なのである。(実際の発音は少し違うが)“娘”をリョウ、“嫁”をカ、“姑”をコ、“婆”をバなどという発音が先にあって、これらを表す漢字の左を意味、右を音としたのであって、右側の旁(つくり)に積極的な意味はない。もっとも、「嫉妬」はどちらも女偏だが、藤堂明保編『学研漢和大字典』の「妬」の説明に「女性が競争相手に負けまいと、真っ赤になって興奮すること」と書いてある。知ーらないっと。どれだけ続けてもいいけれど、阿辻哲次『日本人のための漢字入門』講談社現代新書に詳しい。

 そういえば、「鮫」は魚類の中では珍しく交尾をすることから、漢字では魚偏に交で鮫と書くという説があるが、まだ確かめていない。阿辻の本で驚いたのは「也」という漢字が女陰を表わすという説があって、儒学者は迷惑しているのだが、どうも本当らしい。「つび」【門/也】という国字ができているくらいだ。

 アリのことをギ、船が泊まるのをハク、布を晒すことをセイと言ったから“蟻”や“泊”や“晒”になった形声文字なのであって、中国語の音を忘れて日本人が勝手に面白いということはできない。

 ドウダンツツジは「満天星」とも書くが、天の神が液体をこぼして当たったのがこの花で、満点の星のように咲いたからだという。「どうだん」は「灯台躑躅」が「どうだん」となったという。

 阿辻哲次によれば「私の話を信用してください。ほら、儲かるという字は“人”の“言”うことを“信”じる“者”と書くじゃないですか」といってトリし寄りを騙す詐欺師もいるそうだ。儲という字は“人”と、字音を表す“諸”からなっている字ででたらめだ。

 民間語源ではないが、「頁」は中国で「頁」の近代音「よう」が「葉」と同音であることから用いたもので、漢字なのにカタカナ表記するところは非常に奇妙に思える。

 今の漢字で考えると間違えることもある。例えば、「親切」はそのままだと「親を切って」何が親切かと思うが、漱石などの頃は「深切」と書いて、「身を深く切られるように、身に沁みること」という意味だったという。今の漢字によって元の意味が裏に隠れてしまう。

 朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』にはウッチャンナンチャンのナンチャンの言葉として「恋っていう文字には下に心があるから下心。愛は真ん中にあるから真心なんよ」という会話が出てくる。

 これでもいいが、“「愛」という字は「心」を「受」けると書く”なんて話をして女の子を口説こう!

「蕾」   杉山平一(『杉山平一詩集』土曜美術社)
          
誰がつくった文字なのだろう
草かんむりに雷とかいて
つぼみと読むのは素晴らしい
とき至って野山に
花は爆発するのだ
遠い遠い花火のように
その音はまだ
この世にとヾいてこない

 その前から誰かが話していることだが、ケネディは演説で語源を使ったことがある。中国語の「危機」というのは「危険」と「機会」(チャンス)からできているというのだ。

"The Chinese use two brush strokes to write the word 'crisis.' One brush stroke stands for danger; the other for opportunity. In a crisis, be aware of
the danger--but recognize the opportunity."-----John F. Kennedy

 語源は証明が難しい。方法論としては文献調査、比較、内的再建というのがあるのだが、難しい。「竹取物語」のように文献に書いてあったからといって正しいとは限らない。比較は日本語の場合、同源の言語が知られていないから無理だ。内的再建というのは「さけ」と「さか」が「酒」と「酒屋」で交替する現象を通してどちらが先か考えていくものである。

 「民間語源」に対して「学者語源」ということがあるが、学者だって人の子だ。

 「神」と「上」は同じ語源かという問題がある。貝原益軒、新井白石、賀茂真淵らは「上」からだといっていたが、実は「神」と「上」では使われる漢字の種類が違うのである。同じイの音でも「神」の方は乙音と呼ばれる音で「上」は甲音と呼ばれる音なので違う物なのだ。だから語源は違う、なんてことにはならない。つまり、少なくとも“kam-”の部分は共通していて、ここが同源なのかもしれないのである。似ているからといって同源ということがないから本当に語源は難しい。英語のpenとpencilは機能も似ているから同源と思えるが、penはpenna(羽根)がフランス語penneになり、英語のpenになったものだが、pencileはラテン語のpenicilium(しっぽ)が語源で、画家用のブラシを指した。penisとは同源である。

 犬の「ポチ」がフランス語のpetitからとか英語のspottyからという説はうそ臭いと分かるが、「ぐっすり」がgood sleepからといわれたら?

 今の若い人は使わないし、状況自体少なくなっているが「えんこ」という言葉がある。これは「エンジン・故障」の省略だと考えられるが、実は江戸時代の『柳多留』の中でも使われていて、子どもが動かなくなった状況を「えんこ」というから違うことが分かる。語源学では、こうした「○×の語源は△□ではない」という否定的な言い方しか生まれてこない。

 『岩波古語辞典』はそうした証明を飛ばしてできた辞典の一つである。これは言語学者ではなく、国語学者の大野晋が編纂したもので自分の知っている言語で説明できるものは説明してある。「ツマ」というのは端にあるもので「爪」や「妻」というのはここから派生した、というのは構わないにしろ、これを朝鮮語で説明するのは、学会で承認されたものではない。

 英語やフランス語などで「語源学」が成立するのは、インド・ヨーロッパ語族の研究が進んでいて、どの語がどういう派生をしたかすぐに分かるからである。英語の語源を調べたかったらOxford English Dictionaryを調べさえすればいい。American Heritage Dictionaryでも十分に調べられる。ただし、スタンバー『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』(左右社)によればWebsterにはデタラメなものもあるという。“beck”という語を取り上げているが、新しい版では簡潔になっている。“posh”についての長い論議も出ている。

 もちろん、それにも限度があって、風間喜代三先生は『印欧語の故郷を探る』(岩波新書)で次のように描いている。

 どの印欧語をみても、その語彙には語源不明のものがかなり含まれている。ギリシア語についてフランスのP・シャントレヌの語源辞書のあげる全語彙のうち、52.2パーセントが語源不明、残る語彙の6分の1(全体の8パーセント)がセム系などからの借用語で、印欧語起源を持つものは全体の40パーセント以下といわれている。最も古い資料であるヒッタイト語の場合。対応が認められるのは約2割にすぎない.【…】

 比較文法にとってギリシア語は重要な言語である。しかしはたしてその全語彙の何割が印欧語系であろうか。いわゆる地中海文明を担った人たちのものと思われる出所不明の形が,ギリシア語には数えきれないほど見られるが、ホメーロスの「イーリアス」の最初の2行の詩句の中で、印欧語系と思われる語彙は一つも含まれていない。一つの言語の長い歴史を考えればこのような語彙の混合は当然のことである。

 日本語で成立しないのは日本語の起源が分かってないからである。

 今まででもっとも面白かった語源論は村山七郎の「ティダ考」だった。沖縄で太陽のことを「ティダ」という。だから灰谷健次郎の小説『太陽の子』はルビが「てぃだのふぁ」となっている。この語源をいろいろ調べたがなかなか分からず、ようやくたどり着いたのが、「お天道様」と同源で「天道」だった!とするものである。これは沖縄方言との音韻対応など比較が学問的にしっかりできているから成功したのである。それ以外は望み薄だ。実は、村山七郎は日本語が南島語から来ているとする説を唱えていて、日本語起源論は本当に難しいと思う。

 「西瓜」や「胡桃」「胡散」「胡乱」「胡瓜」などは西の方から伝わって中国語を経て日本に入ったことは分かる。「葡萄」はギリシャ語の“”から中国語の「葡萄」に音訳されたと『日本国語大辞典』には書いてあるが、同時にウズベク語との説もあると併記されている。だけど、正しいか分からない。

 大野晋は朝鮮語で説明することもあるが、タミール語で説明することが多い。しかし、言語学者は誰もタミール語と日本語が同系だとは思っていないのである。

 語源は証明が難しいので「本物」の言語学者は手を染めないものである。「『カレー』と『からい』は関係がある」とまで書いていたが、反論もできない。

 でも、タミール語と日本語が関係がない、と証明することも難しい。「ある」ことの証明に比べ、「ない」ことの証明は格段に難しく、不存在証明が「悪魔の証明」と言われるのと同じだ。

 金田一春彦がウメモドキの語源について書いていたが、「梅に似ているから」というのは間違いで、「もどく(挑く)」は非難する、抵抗するという意味の動詞。中世の芸能では主役と張り合う役を「もどき」といった。つまり赤い実を付けて「梅にだって負けないぞ」と張り合っているように見えるのでウメモドキと名付けた、という。僕は言語学者モドキなのである。というところでおしまい。