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手塚治虫論は大好き派からも大嫌い派からも出尽くしていて、今更述べることなどない。
誤解のないように書いておけば、手塚は天才であり、マンガの神様である。
ただ、自分自身の思い出にひっそりと書いておくのもいいと思う。
他のページもそうだけど、ここは特に暇な人だけ、つきあって下さい。
手塚は中学生に対する最後の講演で、野次馬精神を大切に(好奇心を持て)、人生で一番ショックだったことを大切に、そして命を大切にと話した。
僕が小さかった頃、1960年代というのは月刊漫画雑誌の全盛だった。隣が貸本屋だったので、新しい号が入ると一番に借りに行った。確か15円くらいだった記憶がある。
特に60年代というのは夏目房之助の『漫画と戦争』(講談社現代新書)にもあるように戦争漫画の全盛期だった。何しろ、戦艦大和の大図解とか、ヨーロッパ戦線の略図とかが付録だった。「46サンチ砲」や「マジノ線」などやたら戦争に詳しい少年として僕らはみんな育っていた。
戦艦の図鑑に「センチ」ではなく「サンチ」が使われているのは小学生の僕には不思議で仕方がなかった。誤植だと思った。理由が分かったのは大学生になってからだった。これは海軍がフランス式で教育されていて、centimetreの読み方もフランス語風に「サンチ」となったのだった。
さて、そうした戦記物の漫画大流行の中で異彩を放っていたのが、手塚治虫だった。
最初に読んだのは『ロック冒険記』だった。最初は「おさむし」って変な名前だなぁと思っていたが、すぐに「おさむ」と読むことが分かった。『少年』という雑誌には手塚の『鉄腕アトム』が連載されていた。他の漫画家とはまるで違う世界が広がっていた。
□ 手塚に影響されて僕は漫画家になるしかないと思っていた。始めてみたが、取りあえず、キャラクターを考えることが難しい。まず、模倣からと思って『鉄腕アトム』のストーリーを考えた。
思えば、僕は鉄腕アトムになりたかった。10万馬力の力をもって自由に空を飛び、悪者をやっつけて正義を守りたかった。アトムがダメなら『サイボーグ007』だった。
そこで、アトムの絵を描こうとしたのだが、すぐに行き詰まってしまった。それまでは漫画の模写を何度もしていたのだが、実際にストーリーにすると、アトムが色々な角度で出てきて、それを描写しなければならなかった。
じゃあ、アトムの頭の三角の髪は一体どんな風に付いているのか?どのページをめくっても頭の上から見たアトムの髪の毛の様子などは出てなかった。
本当にめげてしまった。そこから一歩も進まなかった。ウワバミの絵ばかり描いて叱られて6歳で画家になることを諦めた「星の王子さま」みたいにマンガを描くことを止めた。
こうして自分の漫画家への道は閉ざされてしまい、日本漫画界は巨星(?)を失った!?
□ それから20年くらいすぎて手塚治虫の自伝を読んでいたときに、「髪の毛は美学的にかっこいいようにどこから見ても二つ見えるように描いた」という文章にぶつかった。
それだけのことを知るのに20年もかかる馬鹿も馬鹿だが、それだけのことだった。
ディズニーランドでミッキーマウスを見て間抜けに感じるのは横からでは耳がただの直線になっていまうことだ。マニュアルでは必ず前向きに撮られるように指示があるようだ。
この話をちょうど小学3年生になる長男に話すと「そうだ、そうだ」とうなづいてくれた。しかも、僕と同じことを考えていた。
「あの、足さぁ、飛ぶ時、取れるけど、あれは発射台みたいに置いていくのかなぁ、と思ったけど、そしたら降りる時に歩けないもんねぇ」。
虚構なのだ。長男は昔の自分と同じことを考えていた!
小さい頃『0マン』(ゼロマン)を読んでいたが、後に『山椒魚戦争』を知って、人類と別の文明を持った種族がいたのではないかというモチーフが同じだと分かった。もしかしたら、手塚はチェコのカレル・チャペック『ロボット』を読んでいたのではないかと思った。
読んでいないはずがなかった【恩師の千野栄一先生はチャペックの専門家でもあったが後に『ロボット』(岩波文庫)を訳している】。つまり、『鉄腕アトム』はディズニーとチャペックから生まれたと分かった。『ブラックジャック』や『陽だまりの樹』がチャペックの『長い長いお医者さんのはなし』から来ているとは言わないが…。
ミッキーの耳の●●はアトムの頭の▲▲になった(手塚は自伝でガジャ頭とされた自分の頭からと書いているが)。手塚はアトムの指までミッキーに合わせて4本にしていた。手塚はディズニーの申し子である。また、手塚の他の作品でも世界文学の様々な要素が絡み合っていて、「盗作」ということはできなくなっている。伝播しているうちに「変容」を繰り返すのであって、同じ要素を見いだしても鬼の首を取ったようにあげつらうことはできない。オリジナルを求めても何も出て来ない。
□ 手塚治虫論の多くが手塚の偉大さを大体、次のように述べている。
ストーリー漫画の確立、俳優システムの採用、アニメの確立である。
しかし、実はどれもディズニーが手を染めていたことだった。
ディズニーは『白雪姫』を始めとしてストーリー漫画(アニメ)をいっぱい作っていたし、ミッキーもドナルドもいろいろな役をこなしていた。アニメは実験映画『ファンタジア』を含めて、音楽とも融合した素晴らしいものを作っていた。
□ アメリカで販売されているTシャツにLying Kingと書かれたトレーナーがある。
"Mirror, mirror,
on the wall,
who created me after all?"Tシャツの裏には手塚の次の言葉が印刷してある。
"What I try to say through my work is simple. My message is as follows: 'Love all creatures!' 'Love everything that has life!' I have been trying to express in defferent ways through my work the message such as: 'preserve nature.' 'bless life.' 'be careful of a civilization that puts too much stock in science.' 'do not wage war.' and so on"
これはディズニー映画のLion Kingのパロディなので「嘘つき王」ということである。つまり、ディズニーの『ライオン・キング』は手塚の『ジャングル大帝』を模倣した作品であり、それを認めないのは嘘つきだ、というのである。
『ライオンキング』が公開された時にアメリカではこうした抗議行動がいっぱい起きた。日本でも取りざたされて朝日新聞の社説にまで載った。
しかし、手塚プロは抗議するどころか、ディズニーに似ているといわれて光栄ですというコメントまで出した。
どうしてなのだろうか?
□ 有馬哲夫『ディズニーとは何か』(NTT出版)という本が出た【2004年に決定版ともいえる同著者の『ディズニーとライバルたち アメリカのカートゥン・メディア史』フィルムアート社が出た】。この本はディズニーという文化の解読の仕方が書いてある。これまでは小野耕世の『ドナルド・ダックの世界像』(中公新書)やドルフマン&マトゥラール『ドナルド・ダックを読む』(晶文社)しかなかった。ドルフマン&マトゥラールはマルクス主義や精神分析の観点からディズニーを読み込んだ。主人公たちには両親が不在で、子どもたちの世界から「性」が排除されていて、外部の権力(叔父さん)に律せられてしまう。大人:帝国、子ども:植民地というような図式も見られ、子どもは原住民と同じ扱いなのだ。また、拝金主義というか、ディズニーの世界では誰も労働せず、生産過程を排除してしまっていると考えた。この本の後書きにもあるように、ディズニーはこの本に対して訴訟を起こすことができなかった(ただ、彼らの参考にしていたドナルドのマンガはアメリカ版とは違っていた)。
比較的新しいところでは能登路雅子『聖地としてのディズニーランド』(岩波新書)やマーク・エリオット『闇の王子ディズニー』(草思社)というのがあって、それぞれ刺激的だったのだ。特に後者はディズニーの暗黒面を描いていて、ハリウッドの赤狩りの先頭に立って、FBIのスパイも務めたことが分かってくる。まるでダースベーダーはウォルトおじさんだったかと思わせる。同時に、初期のアニメの頃からずっと資金繰りに苦労していて、ディズニーランドの建設でさえ、ABCテレビの放映権と引き替えで資金が確保できたことが分かった。ただし、ディズニーはジャガイモ飢饉の時に移民してきた曾祖父を起源にしているアイルランド系である。ケネディの祖父も同じ頃にアメリカに渡ったのだ。
1928年、ウォルト・ディズニーは「ジュリアス・ザ・キャット」を作ったが、「フィリックス・ザ・キャット」の模倣であると抗議を受けた。そこで、ニューヨークからロサンゼルスへと帰る汽車の中で前年に発表した「うさぎのオズワルド」(Oswald the Lucky Rabbit)は友人に裏切られ、スタッフまで取られたので、これに代わるキャラクターを考えていたウォルトは、汽車のなかでネズミをキャラクターにすることを思いつく。部屋を借りるお金もなくなり、寝泊まりしていたスタジオに、えさをねだる1匹のネズミがいたのだった。このネズミの名をとって「新しいキャラクターをモーティマーと名づけよう」と妻に話すが、妻は反対し「ミッキーのほうがかわいいわ」と提案した。こうして、ダサイ名前からMMと語呂のいい名前になった(そして、ドナルド・ダック、デイジー・ダックとDDも生まれた)。その代わりにミッキーの恋のライバルであり、ミニーマウスの幼なじみとして、モーティマーマウスが登場する(が未見)。第1作は「フィリックスのノンストップ引こう」のパロディで「プレーン・クレージー」、第2作は「ギャロッピング・ガウチョ」だったが、相手にもされなかったという。第3作の「蒸気船ウィリー」がトーキーで成功した。
ちなみに、ノーマ・ジーン・ベーカーNorma Jean Bakerはマリリン・モンローMalyrin Monroe(ジーン・ハーローJean Harlowなどから)と名前を変えて新しい人生を歩み始めた。
ミッキーというのはマイケルの愛称なのだが、アイルランド系に多い名前でもとは「アイルランド野郎」くらいの蔑称であった。どうしてかというと、マイケルは大天使ミカエルのことで、天使はカトリックの信仰の象徴であった。宗教改革以降、人気が下火となったのだが、アイルランドはカトリックを守ってきた。ジャガイモ飢饉などでアメリカに渡ったアイルランド人はWASPから差別された名残なのである。ドナルド・ダックの方はアイルランド人と同じカトリックのケルト系民族であるスコットランド人に多い名前である。
ザッカーマン『じゃがいもが世界を救った』(青土社)によれば、ジャガイモは「征服した土着民の食べ物」としてヨーロッパの多くに国で不人気だった。ところが、アイルランドだけは違っていた。というのもアイルランドの圧倒的な貧しさがあったからだ。小麦のパンがなく、カラス麦をオートミール状にしたものにバターを入れたお粥を食べていた。しかも気象条件がジャガイモに最適だった。泥炭を燃やした暖房ですごしたからいつも真っ黒だった。ところが、ジャガイモで食生活が安定して栄養状態がよくなったために出生率が高まり、人口爆発を招いた。そこへ胴枯病(未知の虫の害)で1845年から49年にかけてのジャガイモ飢饉が起きてしまい、餓死者が100万人を越えるとみんな移民していったのだ。
アカデミー賞を独占した『ミリオンダラー・ベイビー』のトレーナー(クリント・イーストウッド)は敬虔なアイルランド系カトリックだ。ラストに宗教が絡んでくるのだが、「モ・シュクラ」というゲール語(アイルランド語)を刺繍したグリーンのガウンを女性ボクサーのヒラリー・スワンクに贈る。グリーンはアイルランドのナショナル・カラーで彼女の試合にはアイリッシュのファンが集まっていた。3月17日の聖パトリックの日には色々な国でアイルランド系の人が緑色のものを身に着けてパレードするのである。
ちなみに、英語でミッキーマウスというと「くだらないもの」を指すことがある。子どもっぽい映画ばかりだからということもあるし、ミッキーの絵が描かれた時計が売り出されたことがあったのだが、粗悪品だったということもある。
ディズニー本人はアニメの脚本も絵も制作していないが、「ディズニーランド」という夢の国をプロデュースした。日本では「メディア・ミックス」というところだが、ウォルトの考えたのは「シナジー」(synergy)と呼ばれる手法であった。最初の総天然色長篇アニメ『白雪姫』は公開前に70もの会社と契約が結ばれていたという。今はもう一つの成功した会社マクドナルドと組んでその企業戦略を成功させている。僕らからすれば、そうした見え見えの戦略に乗せられる人が大勢いるということで、たかが鼠に一喜一憂する姿が理解できない。
ウォルトがディズニーランドで実践したことは人々を「見物人」から「参加者」へ変容させたことだ。吉見俊哉『共生する社会』(東京大学出版会1995年)をまとめると次のようになる。場面ごとに与えられた役割を演じるように要請される。ここには映像世界との連続性がある。もちろん、スプラッシュマウンテンが「差物」という理由から上映されない『南部の唄』から来ていることを知っている人は少ないし、ランドの「カリブの海賊」から映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズが作られたことなど知っている子どもはいない。ただ、「表象」というものは「物語性」を伴うように、ディズニーランドに「物語性」があふれている。外から見えるのはシンデレラ城くらいのもので、中から見える外の現実はない。車・貨幣・弁当・ゴミなどが排除されている。家で作った家庭弁当が許される空間ではない。だから、人々の眼差しは個々の領域や場面が提供する物語に閉じこめられ外部に出ない。
従来の遊園地には「俯瞰する装置」があった。塔・パノラマ・観覧車なのである。特権的な中心から世界を俯瞰することができた。ディズニーランドでは俯瞰する視点の消失があり、他の「冒険の国」などを別の国から眺めることはできない。ランドとシーさえも途絶されている。<内部>ではインターラクティヴ、<外部>からそれを俯瞰できないことになっている。
なお、有馬の『ディズニーとは何か』ではディズニー文化そのものを詳述している。特に面白かったのは『南部の唄』の黒人差別問題とヒロインたちとフェミニズム問題、くまのプーさんの著作権問題であった。
※2006年に出た藤原帰一『映画のなかのアメリカ』(朝日新聞社)にはディズニーと差別について次のようにまとめてある。
白いディズニー
ここには秘められた人種意識や民族意識がある。すでに『三匹の子ぶた』や『ダンボ』でも、現実社会に置き換えれば非アングロサクソンとなるような役柄が特定の動物に割り振られていた。たとえば、『三匹の子ぶた』の続編、『オオカミは笑う』のオオカミはなぜかドイツ語を話していた。あるいは、『ダンボ』に飛行を教えるカラス。最初は空飛ぶ象なんてあるもんかと嘲笑し、しまいには飛行の秘伝を教えるカラスたちの英語は明瞭な南部なまり、どう見ても黒人としか考えられない。また、『ファンタジア』に登場する、線形の目がつり上がったキノコたち、これはもう東洋人のカリカチュアそのものだ。『リトル・マーメイド』でも、水中に住む人魚たちには誤解の余地のないカリブ海のイメージが与えられ、カリプソに従って歌い踊るわけだ。だって、人魚のはずのアリエルが、どうして日焼けしているんだろう。
僕なら最後の部分は「人魚が日焼けするなんてアリエル? アリエナイ!」とするところだ。
差別ではないが、新井潤美『不機嫌なメアリー・ポピンズ イギリス小説と映画から読む「階級」』(平凡社新書)によれば、ディズニー版『メアリー・ポピンズ』【『メリーポピンズ』が正式な日本語題名である―金川注】には作者のP・L・トラヴァーズの名前は「コンサルタント」としてしか映り出されない。実際には彼女の意見や助言の大部分は取り入れられなかったそうだ。映画のイメージに不満を抱いていて、「メアリー・ポピンズのような、お行儀のよい人物が、屋根の上で、脚をあげて、ペチコートを見せてフレンチ・かんかんを踊るなんて。[中略]もちろん、メアリー・ポピンズならばかんかんくらい踊ろうと思えば踊れるでしょうが、でもたとえそんなことをしても、彼女のスカートはおとなしく足首にぴったりとついたままであるに違いありません」と憤慨した(Ellen Dooling Draper et al., A Lively Oracle)という。プーさんにしろ、他の作品にしろ、原作をないがしろにしてハッピーエンドの映画を作り続けるディズニーの姿勢が現れている。
カステルン・ラクヴァの『ミッキー・マウス』(現代思潮新社)によれば、ドイツ人がディズニー映画をどう受容したかが分かる。ヒトラーもミッキー・マウスの大ファンで、アメリカ参戦後も密かにディズニー映画を楽しんだという。非政治的なストーリーではなく、保守的なイデオロギーが隠されているせいだ。ウォルトの言葉から筆者は明らかにしている。
ちょっと横道にそれるが、僕らの世代にとってディズニーというとテレビの番組『デイズニーランド』だった。放送開始は58年8月29日夜の8時、日本テレビ網だった(アメリカ本国では54年10月ABCテレビ網)。ここにウォルト・ディズニーおじさんが出てきて(「カメオ・ロール」ということがある)、4つの国のうち(冒険、お伽、漫画、未来の国)ティンカーベルの振りかけたところに行くことになるのだが、僕らは漫画の国になることを望んでいた。しかも、この番組はプロレスと隔週で!放送され、ゴールデンアワーなので姉とのチャンネルバトルが9年間も続いた。目くるめく映像にうっとりした翌週は米国人レスラーをなぎ倒す力道山の空手チョップに拍手していた。能登路は「日本人の子供は一週おきに、アメリカという漠たる存在に対する劣等感と優越感を交互に味わっていた」と書いている。
さて、この「『文化』とは誰のものか」という章に『ライオン・キング』に関する話が載っている。映画のクレジットの中に日本人や日系人の名前があり、彼らが手塚を知らないでいるはずがないし、最も決定的なのは『ライオン・キング』のディレクターの一人ロジャー・アラースが1980年代に2年間日本に滞在していることだという。
『ライオン・キング』が『ジャングル大帝』からかなり影響を受けていたのは確かだが、ではそれは「盗作」だということになるのだろうか。今日の著作物の複雑な製作過程やグローバルな文化状況のなかでは、そのように断定することが簡単でないということがわかる。
まず、『ジャングル大帝』など手塚の漫画にはいつくもの版があることをあげている。有馬は触れていないが、これに関しては漱石の孫である夏目房之助が書いた『手塚治虫はどこにいる』(筑摩書房)で、手塚が版元が代わったり、版が大きく変わる度に過去の漫画に手直しをしていたことを検証している。テレビの場合も放送局の都合で『キンバ・ザ・ライオン』(Kimba the Lionは外国タイトルで日本ではJungle Emperor Leoとされていた)という名前だけでなく、さまざまな変化が繰り返されていて「正典」というものが存在しない。ちなみに、「白いライオン(ホワイトライオン)」というアイディアは、手塚がかつて動物の絵本を依頼された際にライオンの絵を白熱灯の下で彩色したところ、黄色を塗るつもりが電灯の黄色い光のために白と黄の絵の具を間違えて塗り、出来上がってみると白いライオンになって没になった失敗談が発端と手塚自身が書いている。
いずれにしろ、アメリカでは『鉄腕アトム』でさえ残酷だと手直しされた位だし、最近でも『もののけ姫』が残酷だとして限られた映画館でしか上映されなかったことは記憶に新しい。
また、『キンバ・ザ・ライオン』には「盗作」疑惑を最初に取り上げたフレッド・ラッドらの手が入っていて、手塚を「盗作」したとは断定できない。
制作過程を考えても、現代の複雑な制作事情を考えると、誰が意図的に行ったということはとても断定できない。『ジャングル大帝』にインスパイアされたことは事実でも、他の作品のオリジナリティを考えると『ライオンキング』だけに手塚の「貢献」を書く訳にはいかない。それほど、グローバルなビジネスというのは難しい。
このような状況を一言でいうなら、やはりボーダーレスということになるだろう。それは単に、外国のものが日本に入り、日本のものが外国に出ていくということだけではない。とくに最近見られる現象は、外国のものが日本に入ってきて改作され、それが再び外国に出ていってヒットする、あるいは日本のものが外国に出ていき、形を変えて日本に逆輸入され人気を博しているということだ。
有馬はあげていないが、映画でいえば、黒澤明の映画はアメリカ映画の影響が強い。ところが、アメリカに輸入されて『荒野の七人』になったり、『ラストマン・スタンディング』になったり、と影響しあっている。
さらにミュージカルの「ライオンキング」は文楽(人形浄瑠璃)を影響を受けているが、誰もパクったとは思わない。日本の伝統文化を学んだ女性による新しい文化の創造なのである。人形を人間国宝が操る文化があるだけで独特だと思う。文楽の影響で作られず、着ぐるみだったら面白かっただろうか?!
手塚は評判を気にする人だった。伝説になっているのは無名だった草森紳一が『話の特集』の初期の頃、手塚批判を書いたら発売日の早朝早い時間に編集部の入口で手塚が待っていたと、矢崎泰久編集長が回想していた。有名なのは劇画に嫉妬した話だ。劇画の登場以降、手塚の筆致が変わった。『アキラ』の大友克洋の才能にも嫉妬した。作家の亀和田武がうっかり誉めてしまったら、「ねえ、カメワダ君、大伴克洋の巧さは認めるけど、その本当の評価というのは、あと三年待ちたい」と真剣に語ったという。
□ ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』(著作集2 晶文社)で述べたように複製テクノロジーとメディア・テクノロジーが発達する以前は、人の手で芸術作品が作られていた。一回きりだった芸術作品にはオリジナルなもの、個性、そしてオーラがあったが、現代技術、特にデジタル技術というのはコピー技術を発達させた。オリジナルの芸術作品とコピーとの価値の違いがなくなった。情報を共有できるからどこかに一つだけあるということ自体、意味がなくなった。
『スター・ウォーズ』はどの作品もアーサー王伝説をはじめとした多くの古典作品に依拠して作られている。『インディ・ジョーンズ』シリーズも同様である。だからといって、それらの作品の価値が下がる訳ではなく、新しい革袋に新しい酒を詰めた作品に仕上がっている。
ウィンドウズOSはマックOSの模倣だと思うが、今では誰も問題にしない。リナックスもマックやウィンドウズに似ていると思うが、人間の考え着くところは似ているのかもしれない。ガンダーラの仏像と日本の仏像は似ているが、日本の仏像の価値が下がる訳ではない。文化というのは伝播するものだからだ(とはいえ、僕らの小さい頃に法隆寺の円柱がギリシャのエンタシスから来ていると教わった説は否定されているように今では学説が大きく違っていることもある)。
美川憲一よりもコピーであるコロッケの方が面白いのが私たちの生きる「脱構築」の時代なのだ。
□ インターネットをはじめ、さまざまなメディアが大量の情報を出している。情報の洪水に溺れて、何がオリジナルで、真実なのか分からなくなってきている。それどころか、コピーである絵葉書の方が、目の前の風景よりも本物らしく映ることが増えている。
本物は何か、という問いでさえ無意味に響いてくる。それが「文化製品」を扱う「文化産業」なのかもしれない。
手塚の偉大さはディズニーに依存しているところが大きいが、正確にいえば、全ての文化を総合して漫画を創造したのである。ストーリー漫画というものをこれほど普及させ、日本アニメを発展させ、テレビゲームなどの基礎を作り、ロボットに対する親近感を人々に植え付けたことなど、多大な貢献がある。
手塚の死後、一人だけ批判をした男がいる。宮崎駿である。「手塚治虫に神の手を見た」というタイトルである。手塚が「鉄腕アトム」などで簡単に自己犠牲を強いていることを非難していた。ストーリーを作る時に主人公を死なせるというのは安易な手法なのである。手塚は東映アニメ『西遊記』(手塚の『ボクの孫悟空』が原作)で企画に加わっていて、最後まで孫悟空の女友だちが死ぬ結末を考えていた。結局、ハッピーエンドに終わったのだが、悲劇にすればいいというものではない。また、手塚が「鉄腕アトム」で他の会社が受注できないように単価を極端に安くしたことが後のアニメ蚕業のブラック化を生んだとしている。
加藤典洋が『敗者の想像力』(集英社新書2017年)で『千と千尋の神隠し』を取り上げている。『神隠し』はアカデミー長篇アニメ賞を受賞した(日本映画興業収益トップ)が、宮崎は受賞はないと語っていた。自分の作品は勧善懲悪ではないからとか、「山場を作って手に汗を握らせ、最後には正義が勝つ、というような映画のセオリーを踏めば」観客の心を掴めることはわかっている、「けれどもそれでは、どこかの国のテロリストと正義の味方しか知らない世界に生きている人たちと同じことになる。そういう世界観で映画を作る気はさらさらない」と養老孟司との対談で語っている。この映画の最後では車の落ち葉で時間が経っていることが示される。加藤は次のようにいう。
…そうしたアニメであれば、この世界から立ち去るこのトンネルの場面では、必ずや、すっかり成長し、たくましくなった千尋の姿が観客の前に示され、彼らに強く働きかけ、彼らの心を動かそうとすることだろう。
しかし、宮崎はそうはしない。湯婆婆の支配する世界は揺るがず、千尋は両親を救出するが、両親もそのことを知ることはなく、千尋自身、そのことをどう思っているのか、観客にはわからない。しかもその映画に、私たちは心を動かされる。ハリウッド的な映画よりも遥かに強く。なぜなのだろうか。
-----加藤典洋『敗者の想像力』(集英社新書2017年)加藤は次のようにディズニーをまとめている。確かにフロイトは「エディプス・コンプレックス」を発見したが、皆が「父親殺し」をしなければ大人になれない訳ではない。
ディズニー式の成長とは、子どもが大人になることだが、それは大人から見られた成長である。たとえば米国のマージョリー・K・ローリングズの『子鹿物語』(一九三八年)。そこでは、主人公が、可愛がってきた子鹿が成長し、畑を荒らすようになったおろ、育んできたものを、あるとき、殺さなければならなくなる。そこでは、自分で可愛がり、育んできたものを、ある時、撃ち殺すことが、大人になるということ、成長することの意味であり、そこでの通過点である。しかし、いつも人は、そのようにしか大人になれないわけではない。それは、一つの大人になる物語の典型であって、子どもたちにたいする、一刻も早く、試練に遭い、克服し、大人になれ、という促し、急きたてでもある。それは、子どもから見れば大いなる抑圧ともなる成長観に立つ、極めて近代的な成長の物語の範型なのである。
しかし、むろん、子どもは、そんなふうにではなくとも、成長できるし、成長をする。社会の認める大人になるというのではない、むしろ、もう子どもではなくなる、という、子ども自身にだけわかる。別の仕方で。
-----加藤典洋『敗者の想像力』(集英社新書2017年)「別の仕方で」と言いながら、加藤は西原理恵子の『ぼくんち』を取り上げている。なお、日本版の『仔鹿物語』(1991年)もあり、こちらは機関士の親に黙って鹿を飼うが、問題を起こすので森に返すことにして終わる。加藤は『オズの魔法使い』を対照させたら良かったかもしれない。ドロシーが戻ると何もかにも犬までもそのままだった。ただ、周りの人々への再解釈が行なわれる。
こうして批判できるのも手塚がいたからこそだ。手塚がいなければ、宮崎がアニメの道に進んでいたかどうか分からない。
ディズニーがなかったら、手塚はお医者さんになっていたにちがいない。だからこそ、手塚の遺族は抗議しなかったのである。
外国と違って日本の豊かな漫画文化は手塚のおかげで花開いた。
算数と理科が大の苦手で、その代わり本を読むのが何より好きで、役にも立たない空想を巡らせてばかりいた子供の頃の私に、科学の中にも物語があると最初に教えてくれたのが、手塚治虫だった。科学が解明しようとする世界は、時にどんな物語よりも神秘的であり、そこの人間が関わっている以上、必ず数値に表せない豊かな心の働きがのぞいて見えてくる。獲得した科学技術も、それを操る人間の品性によって、いかようにも姿を変えてしまう。手塚漫画を読む楽しみとは、科学と物語の親しさに身を浸す喜びでもある。
-----小川洋子『博士の本棚』(新潮社)
【富山商船高専学生会機関誌『信天翁』2002年3月号初出】
山田 この『夜のミッキー・マウス』については、やっぱりちょっと詩集を代表するって感じがあったんじゃないですか? |