ネタ穿鑿はキリがない I fear I have nothing original in me---Excepting Original Sin.
Thomas Campbell, “To a Young Lady, Who Asked Me to Write Something Original for Her Albums”独創とは、思慮深い模倣以外の何ものでもない。---ヴォルテール 模倣は独創の母である。ただ一人のほんとうの母である。二人を引き離して了ったのは、ほんとうの近代の趣味にすぎない。模倣してみないで、どうして模倣できぬものに出会えようか。---小林秀雄「モオツァルト」 全くのゼロからアップルパイをつくりたければ、まずは宇宙をつくらなければならない。---カール・セーガン
優れた芸術家は真似し、
偉大な芸術家は盗む、とピカソは言った。
僕らは臆することなく、
すごいと思ったさまざまなアイデアを
いつも盗んできた。
-----スティーブ・ジョブズ「インタビュー」誌1994年
2010年4月に共同通信からこんな記事が流れた。
アニメ「アルプスの少女ハイジ」の原作で、スイスの童話作家ヨハンナ・スピリが書いた「ハイジ」(1880年)が、出版された年の約50年前に書かれた別の作品に酷似しているとドイツの研究者が指摘し、「ハイジは盗作だった」などと両国メディアを騒がせている。
発端はドイツのフランクフルトで研究活動をする若手文学研究者、ペーター・ビュトナー氏(30)の指摘。同氏は偶然、1830年ごろにドイツ人作家が出版した「アルプスの少女アデレード」という童話本を発見。ハイジは一般的に女性の名前アデレードの愛称として使われるうえ、筋書き、使われている文章などがそっくりという。
スイス・フランス語圏のタブロイド紙「バンミニュッツ」は9日「ハイジの神話が崩壊」と1面トップで報じたほか、ドイツとスイスのテレビや新聞がこぞって報じた。同氏は「私は盗作とは言わない。スピリは作品の一部を使っただけで、シェークスピアやゲーテも同じことをやっている」と冷静に話している。
確かに執事のロッテンマイヤーさんはハイジを本名のアーデルハイドと呼んでいる。ハイジというのはAdelheidの末尾の-heidを可愛らしくした(指小辞)でできた愛称である。
□ 冒頭にジョブズの言葉を引用したが、ウィンドウズができた時にビル・ゲイツはアップルコンピューターを盗んだと思った。プルダウンを逆にプルアップにしただけだ、なんて思っていた。後にプルダウンもマウスもジョブズがゼロックスのパロアルト研究所から「盗んだ」ものだった。マウスはパソコンを飛躍的に便利にしたが、ジョブズのすごいのはマウスを使わないパッドを作ったことだ。フロッピーを標準化したのもジョブズだったが、フロッピーもなくしてしまった。ジョブズが「アップル」という名前を使ったのはビートルズが好きだったから(諸説あり)というが、ビートルズも“She loves you”や“From me to you”“Twist and shout”などのの「ウーウー」という高い声の出し方は憧れのリトル・リチャードから「盗んだ」。
どんな変革者も島ではない。連綿と続いていることを考えてみたい。文化の「伝播」(
でんぱんでんぱ)について考えたい。□ 太宰治は短編「二十世紀旗手---(生れて、すみません)」というのを書いている。「生れて、すみません」なんて太宰はコピーライターの旗手だと思えるが、詩人寺内寿太郎の創作という。黙って使われ、「生命を盗(と)られたよう」…寺内は痛憤の心情を周囲に漏らしたと伝えられる---という話を2010年4月21日の読売「編集手帳」で知った。ちょうど、上海万博のPR曲が日本の岡本真夜の「そのままの君でいて」のパクりだということが分かった時のコラムである。「生まれて、すみません」が黙って使われたからといって、「生命を盗られたよう」はさすがに大袈裟な気がするがどんなもんだろう。だって、僕だって何度も口にしている気がする。「パクって、すみません」と太宰は謝らなかったのか!?
太宰の代表作『斜陽』は愛人の太田静子(太田治子の母)の日記を一部はそのまま使ったものである。誰もが涙した『走れメロス』もシラーの詩から採っているが、その元はピタゴラス派にまで行きつくが、まだまだ先に起源が見えてくる。太宰のパクリについては近藤周吾先生が詳しい。
寺山修司も多いが、こちらは久保陽子先生が詳しい。自分の俳句から別の短歌を作ってパクりとされたこともあるし、誰だって知っている中村草田男や西藤三鬼からパクって「自己なき男」と呼ばれたこともある。
ほとんど同じ論文を違う学会に出している学者もいたが、それほど論文数が問題になる世界があるのだ。
マザー・テレサの名言に「愛の反対は憎しみではなく無関心です」というのがある。これは1986年ノーベル平和賞受賞者の Elie Wiesel (エリ・ヴィーゼル) の言葉だ。おそらく、この言葉自体も誰かがそんな風に言っていたのかもしれない。ナイチンゲールは「愛の反対は『知らない』です」と語ったはずだ。
The opposite of love is not hate, it's indifference. The opposite of beauty is not ugliness, it's indifference. The opposite of faith is not heresy, it's indifference. And the opposite of life is not death, but indifference between life and death. (U.S. News & World Report, 27 October 1986)
小谷野敦『猫を償うに猫をもってせよ』(白水社)の「映画『七人の侍』の有名な合戦シーンは『蜜蜂(みつばち)マアヤの冒険』から材を得ている」というところが、面白かった。「手塚の【『ジャングル大帝』】ものはドイツの作家フェリクス・ザルテンの『バンビ』がネタではないかとも言われており、ネタ穿鑿はキリがない」ともいう。
漱石の孫である夏目房之介は『手塚治虫はどこにいる』(ちくま文庫)という本を書いたが、これは手塚が『ジャングル大帝』のメディアが変わるたびに改編していたことから、どれがオリジナルか分からなくなっていることを問題にした評論だった。2009年にオリジナルな『ジャングル大帝』というのが発売されたが、これがまた新しいオリジナルとして歩き始めることになる。手塚の他の作品も同様で、オリジナルが分からなくなっている。
手塚治虫の『鉄腕アトム』は明らかにミッキー・マウスの模倣で、●●が▲▲になっただけだ。指が4本になっているのも同じだ。ロボット自体はチェコのカレル・チャペックの『ロボットRUR』から来ているのは間違いない。というのも『0マン』は明らかにチャペックの『山椒魚戦争』を基にしている。とはいえ、手塚の価値が下がる訳ではない。『ブラックジャック』や『アドルフに告ぐ』などはウォルト・ディズニーに作れただろうか?
宮沢賢治のメモ書きされた「雨ニモ負ケズ」が「詩」なのには疑問がある。2019年に高志のくに文学館で展示されたが、手帳に書いてある。
高村光太郎の『智恵子抄』も版がややこしくて、どれが本当か分からなくなるし、だいたい、「純愛」ものとはいえぬ大人の事情があることが分かる。
林芙美子の『放浪記』も朝ドラや森光子で見た人が多くて文学として成立していると思っているかもしれないが、メモがいっぱいあるようなもので重複も多く、放浪しているのは芙美子ではなくてテクストだ。貧乏ギャル(当時芙美子は20歳)のブログのようなものなのである。
井伏鱒二は太宰の恩師だが、『黒い雨』は重松静馬の日記と軍医・若竹博の『若竹手記』を多用してことが知られている。井伏が1985年、『井伏鱒二自選全集』(新潮社)に収録する際、『山椒魚』の末尾「ところが山椒魚よりも先に〜おこってはゐないんだ」の部分を全て削除してしまった。この件に関しては文壇のみならず各方面から、作品は作者のものなのか、読者のものなのか、大いに議論された。
恩田陸は『土曜日は灰色の馬』(晶文社)で次のように書いていて、内田百けん【門+月】の「柳検校【「検」は旧字体】の小閑」がタイトルを何度も変えていることを問題にしている。
小説家には、版を変えるたびに自分の作品に加筆を重ねるタイプの人がいる。常にベストを目指すのは立派だと思うが、個人的な本音を言えば、人間は日々へんかしているのだから、直しにはキリがないし、往生際が悪いなと思う。改稿ならまだしも、中には、タイトルまで変えてしまう人もいる。作品の顔であるタイトルを変えるのは勇気がいる。短編といえで、しょっちゅう店の看板を掛け換えるさっかはあまり信用できない。
ネタ自身が一つではないことが多い。バーンスタインが作曲した「キャンディード」は作詞が主に リチャード・ウィルバーが担当し、スティーヴン・ソンドハイム、バーンスタインも参加し、リリアン・ヘルマンまで加わっていて、どれが「正典」かわからなくなっている。それでは困るので、現在はバーンスタイン自身による1989年の改訂が完全版とされている。大体、ヴォルテールの原作だってあるのだ。
音楽というものはオリジナルな楽譜というものがあって、それに基づいて演奏されて初めて音楽になると思っていたのだが、村上春樹はインタビュー集『夢見るために毎朝僕は目覚めるのです』(文藝春秋)p.299で「アーノルド・シェーンベルグが『音楽というのは楽譜で観念として読むものだ。実際の音は邪魔だ』みたいなことを言っていたけど」などと恐ろしいことを話している。でも、考えてみれば、演奏家の演奏というのは作曲家自身のオリジナルなイメージからずいぶん離れてしまっているのかもしれない。ただの「誤解」で演奏しているのかもしれない…。
朝日「天声人語」(2011年1月26日)
カステラや金平糖など、和の空気をまとう渡来品は多い。童謡「ちょうちょう」の元歌はスペイン民謡、「むすんでひらいて」の作曲者はフランスの思想家ルソーだという▼『日本の唱歌』(講談社文庫)からさらに引くと、〈小ぎつねコンコン、山の中〉の「小ぎつね」はドイツ民謡だ。詞は〈草の実つぶして、おけしょうしたり〉と可愛らしく続くが、元の大意は「こらキツネ、ガチョウを返さねえとズドンとやるぞ」と趣を異にする▼さて、「あおげば尊し」の原曲が、どうやら19世紀に米国で作られた「卒業の歌」だとわかった。日本では明治期、文部省で詞を合議して小学唱歌集に載せたというが、出自は「唱歌最大の謎」とされてきた。ちなみに先の文庫本は、作曲は日本人とする説を紹介している▼謎を解いたのは米英民謡に詳しい一橋大名誉教授、桜井雅人さん(67)。欧米の古い教科書や賛美歌を探るうち、1871年に米国で出版された歌集に同じ旋律を見つけたという▼ただ、友との別れを惜しむ原詞には、歌の味わいを決める「わが師の恩」「身を立て、名をあげ」の句がない。日本版はどうも、国家が期待する人間像を紛らせたようだ。唱歌自体、西洋文化を学ばせる国策だった▼だんだん歌われなくなったのは、この創作部分ゆえと聞く。門出の場で教師が恩を売り、立身出世を強いるのはまずいと。ごもっともだが、歌の故国が判明した今、これはアメリカンドリームの奨励と解釈し直したい。厳かな曲調といい、若者の背中をドンと押すには悪くない。
自信がない時は原点に戻ろうとする。原典が手に入らない時には辞典や事典を調べたり、図書館で本を調べる。ウィキペディアも原典を明記しろ、と多くの言葉に注がついている。ところが、原点がなかったり、原典も分からない。まして辞書は絶対ではない。「雄弁は銀、沈黙は金」“Speech is silver, silence is golden.”ということわざについて、時田昌瑞『岩波ことわざ辞典』にこれは作られたギリシャ・ローマ時代には金よりも銀の方が価値があったからまるで意味が違うと書かれている。判断のしようがなかったが、NHKスペシャルで「世界を変えた戦国日本」(2020年7月5日放送)を対比させた時に、オランダは世界の3分の1を算出する佐渡などの銀(銀貨が当時のグローバルな通貨だった)を狙って徳川家康に近づき、ヤン・ヨーステンら(リーフデ号の遭難は1600年で関ヶ原の直前だった)の持っていた大砲を使って関ヶ原や大坂の陣で勝ったのだという。しかも平和になって余った日本の侍を傭兵として使って最大の帝国スペインを負かしてアジアから駆逐し、世界初の株式会社「オランダ東インド会社」を創立したのだという。スペインは貿易とキリスト教をセットで要求してきたのだが、オランダは貿易だけだったために、家康に好まれたという。ここで忘れてはいけないことはグローバル化は21世紀に始まったのではない。コロンブスが動きだした時に始まっていたのだ。
「コロンブスの卵」のエピソードはコロンブスが最初ではない。ヴォルテール(「習俗論」第145章)にいわせれば、フィレンツェの大聖堂を作ったブルネレスキが行ったことだという。
□ 黒澤明はジョン・フォード監督の影響が大である。ジョン・フォードのダイナミズムを日本にもたらした。ジョン・フォードに『荒野の三悪人』、後に『三人の名付け親』という作品があるが、黒澤は『隠し砦の三悪人』を作っている。この作品は『スターウォーズ』に大きな影響を与え、スピルバーグは黒澤に『乱』を作らせた。『乱』はシェイクスピアの『リア王』の改変であり、毛利元就の話も使っている。黒澤の『七人の侍』は後に西部劇『荒野の七人』になったが、『七人の侍』自体は明らかに西部劇の影響を受けていて、公開当初は「西部劇に負ける」みたいな批判があった。後に監督となるクリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』は監督が勝手に盗んだので、裁判となって黒澤が勝った。
西部劇の影響が強いからアメリカで人気があったが、ハリウッドと違うことがある。「立役(たてやく)」は強いけれど、恋愛はしないことになっている。恋は二枚目の役目だ。アメリカでヒーローが活躍してヒロインを手に入れるというのは決まりごとであった。
「協」 川崎洋(『詩集言葉遊びうた』思潮社)
毛利元就は病床に三人の子どもを集め
一本ならたやすく折ることができるが
三本合わせると折るのが難しい
つまり兄弟が団結すれば毛利家は安泰
と諭しました
ぼくが小学校のとき教わった
逸話ですが
これはつくり話でした
元就が死ぬころ三人は成人で
長男は元就より先に死んでいます
<協>という文字は
あからさま過ぎて
変に胡散臭い感じがしませんか?
ところで
日米防衛協力
はつくり話ではない
のです『生きる』はクレジットがないが、明らかにゲーテの『ファウスト』だ。伊藤雄之助が「メフィストフェレスになる」と宣言していて、小田切みきは魂の救済者グレートヒェンを演じている。ブランコの場面などはドストエフスキーの『イワン・イリイチの死』が元になっている。
イングマール・ベルイマンの『野いちご』(57)の冒頭には名誉博士号をもらうことになる老人が奇妙な夢を見る。これが黒澤明の『酔いどれ天使』の画面と似ているのが、川本三郎は『ギャバンの帽子、アルヌールのコート』(春秋社)で次のように書いている。
向こうの角から霊柩馬車がやってくる。街頭に片方の車輪を引っかけてしまう。キイキイときしむ。馬車から棺桶がすべり落ちてくる。ここにも死がある。
老人が棺に近づくと棺のなかの死人が顔を出し、老人をなかに引きずり込もうとする。その顔はなんとイサク自身。一九二〇年代のドイツ表現主義の映画を思わせるドッペルゲンゲル(もうひとりの自分)の幻想。
この場面は期せずして黒澤明『酔いどれ天使』(48)で、肺病を病んだやくざの三船敏郎が、夢のなかで、棺桶のなかに自分を見る場面と重なり合う。ベルイマンが当時、黒澤明の映画を見ていたとは考えにくいからこれは両者がドイツ表現主義の影響を受けた結果と考えるほうが自然だろう。
『天国と地獄』(1963年)は黒澤の映画(英訳はHigh and Lowで各国語でさまざまな訳)で今でもポスターを見たのを覚えているのだが、アメリカのエド・マクベインの『キングの身代金』(87分署シリーズの一つ)が基になっている。嫌なことにこの映画がオリジナルとなったのか吉展ちゃん誘拐殺人事件などが連発して困ったことになった。題名はカンカン(ギャロップとも呼ばれる)で有名な序曲のある「天国と地獄」だ。オッフェンバックの曲として有名だが、オリジナル版には序曲はなかった。ウィーンで上演した時にカール・ビンダーが劇中の曲を編曲して作成した。しかも、このオペレッタのタイトルは“Orphee aux Enfers”でギリシャ神話から採られた「地獄のオルフェウス」である。イザナギ・イザナミにも同じ話があって、起源は?といいたくなるが、実はこの話はバーンスタインのCDを聴くまで知らなかった。サン=サーンスは『動物の謝肉祭』の「亀」はパロディになっている。すごいのはオリジナルなど何とも思わない宝塚では「天国と地獄〜オッフェンバック物語」を一路真輝のトップお披露目公演(1993年)として上演している。ちなみにオッフェンバックの最も有名なオペラ「ホフマン物語」も未完で死後E・ギローによって完成されたものだ。ちなみにオルダス・ハックスレーに『天国と地獄』(Heaven and Hell)というのがあるが、こちらはウィリアム・ブレイクの『天国と地獄の結婚』(The Marriage of Heaven and Hell)から採られている。
山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』がアメリカでリメークされて、『イエロー・ハンカチーフ』となる。でも、原作はピート・ハミルの『幸せの黄色いリボン』だ。しかも、ドーンの“Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree”という歌があって、僕もそらで歌える曲だ。ウィキペディアによれば、「この曲の歌詞は、上記の伝承を元に自分が1971年に執筆したコラム「Going Home」に基づいたものだとして提訴した。ハミルのコラムは、出所して妻の元へ帰る男がバスの中からオークの木に結ばれた黄色いハンカチを見るというもので、1972年にはテレビドラマになっている。被告側の調査で、ハミル以前にもこの伝承をまとめた文献があることが示され、訴訟は取り下げられた」という。これだけでもかなり複雑だ。更に、この前にジョン・ウェインが出た西部劇『黄色いリボン』があって、その歌も有名だ。それも民謡から来ているというが、その民謡の元がイギリスにあったり…。
『ゴジラ』もアメリカ版が作られて、イメージの違いに驚いたものだったが、『キングコング』や『絶海の嵐』、そして1993年の『原子怪獣現わる』が下敷きになって1994年に制作されたことは誰だって分かる。しかも、伊福部昭の音楽も彼が崇拝していたラヴェルのピアノ協奏曲の第三章に出てくるテーマの借用とされる。
ラヴェルといえば、黒澤明の『羅生門』だって、二番目の真砂の供述場面で流れる音楽がラヴェルの「ボレロ」そっくりだという批判があった。黒澤は『蝦蟇の油』(岩波)で「私の耳には、脚本で女主人公のエピソードを書いている時、すでにボレロのリズムが聞こえていた。そして、早坂【文雄】にそのシーンのために、ボレロを書いて欲しいと頼んだ」と書いている。早坂は4分の3拍子のリズムのスペインの舞踏音楽のボレロ形式を真似たのであってラヴェルを真似たのではなかったのである。きっと。
宮崎駿の『風の谷のナウシカ』がBD(バンドデシネ)作家メビウスの『アルザック・ラプソディ』から採ったことは明らかで、後にメビウスはナウシカこそが自分が作りたかったようなアニメだとし、娘の名前をナウシカにしたくらいである。メーヴェに乗ったナウシカを思い出す絵である。
ポール・グリモーでジャック・プレヴェール(東大仏文出身の高畑勲は詩集を訳している)が脚本を書いたアニメ『王と鳥』(『やぶにらみの暴君』が一部見られる)を見てびっくりした。ジブリは多くをこの映画から平気で採っている。きれいに言えば、『ルパン三世』のプラットフォームに『王と鳥』を載せて『カリオストロの城』を作ったのだ。カリオストロはマリ−・アントワネットを追いつめた詐欺師の名前から採られている。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は仏教説話にしか見えないが、ある時、『ニルスのふしぎな旅』で有名なラーゲルレーヴ(ノーベル文学賞を女性初で獲ったスウェーデンの作家)の作品にキリストを題材にしたものがあってびっくりした。僕が調べて資料では彼女からとなっていたが、今は更にケーラスだかという人の作品から鈴木大拙を通じて来ているとされる。が、彼も再版でラーゲルレーヴの一部を取り入れているという。だんだん、どうでもよくなってくる。
ウエルズ恵子『魂をゆさぶる歌に出会う』(岩波ジュニア新書)によれば、マイケル・ジャクソンのムーンウォークのすり足は奴隷制度時代の「リング・シャウト」(the ring shout)の足運びにまでルーツをたどれるという。信者たちは輪になって歌いながらすり足で回り続ける。移動のときに足を床から離さない、左右の足を交差させないのが決まりだ。足を引きずるわけは、一つにはアフリカの伝統があると思われ、もう一つにはプロテスタントのキリスト教では踊ることが悪いことだったからだ。快楽は悪魔がコントロールする領域とされたためだ。この話はマイケルを糾弾することにはならない。マイケルがロックという「プラットフォーム」で、「ムーンウォーク」として名づけた瞬間にオリジナルになったのである。
坂本九の「上を向いて歩こう」は全米でヒットした最初の日本の曲だったが、「スキヤキ」(ソング)と命名されて(誰も「ウエヲムイテアルコウ」などと発音できなかったため日本の身近なもので代用した/ベルギーやオランダでは「忘れ得ぬ芸者ベイビー」と改題)エキゾチシズムを刺激しただけではない。ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」第一楽章のメロディがヒントになっているとされ、西洋人にもなじみのメロディではあったのだ。つまり、西洋のものを日本のものにした「スキヤキ」だった。
ちなみに、すき焼きだって、明治以降だし、他の鍋料理だって柳田國男の『明治大正史 世相篇』では鍋料理が「僅々(きんきん)五六十年の発明であり、また普及である」と述べていて昔はやってはいけないことだったという。つまり、「火の神信仰への叛逆を怖れ」「竈(かまど)の分裂」を引き起こすようなことは避けられたのだ。
日本料理の代表格になっている寿司だって、魚を保存するために東南アジアで考えられた「なれ鮨」が起源である。江戸前はずっと後だし、そのネタの代表であるトロだって捨てられていて、赤身が好まれたものだった。カリフォルニアロールを好む外国人が増えてくると、誰も日本起源と思わなくなるかもしれない(が、日本にたくさん来るようになってから本物の寿司が分かったらしい)。
ラーメンは中国が起源とされるが、語源も分からず、全く同じものはない。つまり、日本の中で発達してきたものである。世界的にも日本のものだと思われている。だから、IPPUDO NYが2008年にイーストヴィレッジに出店した時、ニューヨークタイムズは“Fly to Japan: Round Trip, Only $13”と書いた。
そうめんは「素麺」と書くから涼しげな感じがするが、中国から来た時は「索麺」だったという(金田一春彦『ことばの歳時記』)。
本国にない「外国」が日本にはある。カレーだって、日本のものになってしまっている。カレーパンがあるし、スナック菓子もカレー味のものが多くて、外国人はびっくりする。
フランス料理だって、イタリア料理がメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスとともに入ってきてからだし、今のスタイルも元々のフランス式ではなくて、19世紀に入って来たロシア式が基本になっている。
焼肉やホルモンは実は在日の人が発明したものであり、朝鮮半島における焼肉は本来、プルコギ(ジンギスカンみたいなもの?)だそうだ。タン塩、ホルモンなどなどは在日コリアンが作ったものだという。野村進の『コリアン世界の旅』(講談社プラスアルファ文庫)には「こんな『白丁』みたいなことをするようになって」と焼き肉店を営む在日コリアンは親族から嘆かれたという。白丁とは最下層の賤民のことである。食べることに困った在日コリアンはホルモンを食べるようになったのだ。
「本物」と簡単にいうけれど、そんなに簡単ではない。「芸能人ランキング」という番組で、「本物」のシシャモと「偽物」のシシャモを一流芸能人は見分けられるか、という問題があった。すると、全員が「偽物」とされたシシャモの方がおいしい、「本物」に違いないといったのである。みんながおいしいというものを排除する理由は一つもない。
ブランド品だって、最初はそれぞれの国で作られていたかもしれないが、最近では中国などに作らせている物が多くなってきた。ブランド品を作っている中国のメーカーが技術をつけて更にいい品物を作ったら、それでも「偽物」なのかと思う。
コンビニの「セブンイレブン」はアメリカが発祥だったが、日本式のサービスが優れているということになり、日本の方が勢力を得て、日本に本社がある。何しろ、日本には「本歌取り」という伝統がある。元のものよりも更にいいものにするのが伝統文化なのだ。「トイザらス」も「ゴールドジム」もアメリカでは倒産している。
□ ネタがあるといっても、個々の作品の価値が下がることはない。物語なんて、古いネタが入った鍋を魔女の杖でかき回して作られているからである。
林知己夫が『日本らしさの構造』(東洋経済新報社)で平川祐弘の「イソップ物語・比較倫理の試み」(『諸君』1977年4-5月号)から「セミとアリ」について長く考察している。世界に拡がっていく度に変容していることが分かるが、「原本さがしはとてもできるものではないと始めから予想していたとおり、案の定みつからない」としている。
日本で何度も映画化されている『孫悟空』だってインドの古代叙事詩「ラーマーヤナ」の英雄ハスマットをモデルにしている。では、「ラーマーヤナ」が最初かというと絶対にそうはいえないだろうし、今の伝説にはいろいろな話がくっつけられて、どう演出しても問題がなくなっている。
『スター・ウォーズ』についてもいろいろな起源を見つけることができる。ルーカスは「普遍的な物語」を求めて、『ターザン』のエドガー・ライス・バローズ、E・E・スミス、フランク・ハーバートなどのSF、グリム童話や『ナルニカ国ものがたり』のC・S・ルイス、『指輪物語』のトールキンなどのファンタジー、『金枝篇』や各地の神話などを読み込んだという。中でも神話学者ジョセフ・キャンベルがさまざまな神話の構造を分析した『千の顔をもつ英雄』から得たものが多かった。
ディズニーランドのスプラッシュマウンテンは映画『南部の唄』を題材としていたから「ディッピ・ドゥ・ダ」という歌が響いていた(2020年の黒人差別運動の際に黒人プリンスの話に変えられた)。『南部の唄』の基は『リーマスおじさんの話』という、黒人奴隷が白人の子どもにアフリカの民話をしてあげるものだ。うさぎどんの話は人類学でいうトリックスターの話で、どの文化にもある話である。日本でいえば、スサノオノミコトなどである。
平行進化ということもある。宗教儀式などどの宗教だって同じだ。訳の分からない「お経」があったり、歌(「正信偈」の「偈」は歌という意味)があったり、寄進があったり、布教の仕方もそっくりだ。信者はどの宗教でも信者を増やさなければならない。
イギリスの中世には神明裁判(ordealで現在は「試練」の意味で使われることが多い)、つまり神意による裁判では冷たい水や焼いた鉄を使う判定が行われた(こんな神判に代わり、12世紀のイギリスで定着したのが陪審員裁判だった)。縛った被告を池に投げ込んで浮かべば有罪、熱い鉄を持たせ一定期間内にやけどが治れば無罪という、無茶苦茶な方法なのだが、日本にも盟神探湯(探湯・誓湯/くかたち、くかだち、くがたち)というものがあった。ある人の是非・正邪を判断するための呪術的な裁判法(神判)で、対象となる者に、神に潔白などを誓わせた後、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。毒蛇を入れた壷に手を入れさせ、正しい者は無事である、というのもあった。日英でつながっているはずもないのに同じことをやっている。
ミュージカル「ライオンキング」は文楽(人形浄瑠璃)を影響を受けているが、誰もパクったとは思わない。日本の伝統文化を学んだ女性による新しい文化の創造なのである。人形を人間国宝が操る文化があるだけで独特だと思う。文楽の影響で作られず、着ぐるみだったら面白かっただろうか?!
□ 起源というのは語源もそうだが、キリがないものである。メールの返事のRE:について、多くの人はREPLY、またはRETURNの省略だと思っているが、ラテン語のin re(〜について)の省略だという説もあるのだ。ラテン語でresというと「モノ」であって、republicはres publica「共有のもの」→「共和国」となったのだが、アメリカで生まれたネットでいちいちラテン語が活躍しているとは思えない。きっとラテン語ができる人が創った後知恵だろう。ドイツ人は返信にAW:を使うことがあるが、Antwortで「返信」であって「〜について」ではない。
『本当は怖いグリム童話』という本があって、この本自体が盗作ではといわれたが、グリムの話にオリジナルなどない。いい伝えがあって、それぞれの人がそれぞれに勝手に「編集」して生まれたもので、最初にグリムが載せた話が絶対に「正しい」ということはない。
柳田国男は「昔話は動物の如く、伝説は植物の如く」と二つのジャンルを明確に分けた。伝説というのはそれぞれの土地に根付いたものだということだったのだ。しかし、伝説にしても、前にあったどこかの話を改変しながら生まれてくるものだから、この区別は簡単ではない。
高山の民話に「味噌買い橋」というのがある。夢枕で老人が「味噌買い橋に行けば耳寄りな話が聞ける」というので入ったのだが、何も得られない。長吉の様子を見ていた味噌屋の主人が「私も沢上の長吉という男の家の庭に杉の木があって、根元に宝が埋まっているといわれたが、わざわざ行くほど愚かではない」と諭す。家に帰ると根元から宝が出てきたという話だ。これはグリムの「ドイツ伝説集」にあってヨーロッパにも似た話があるのだが、ルーツは『千夜一夜物語』だという。ただし、橋は出てこない。これは中野京子の「味噌買い橋」(『ベスト・エッセイ2013』光村図書)が書いている話だ。
2020年のコロナ禍の時、「アマビエ」という妖怪が疫病を防いでくれると有名になったのだが、水木しげる『日本妖怪図鑑』には「アマエビ」と記されていた。すっかり、思い込んでいたらしいのだが、この「アマビエ」も「アマビコ」を間違って書き写したとされる。オリジナルは分からないのである。
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有名なラグビーの起源だって怪しい。1823年、パブリックスクール、ラグビー校でのフットボールの試合中にウィリアム・エリスという少年がいきなり、ボールを抱えて走り出した。これが起源となって名前も学校名から「ラグビー」となった、という。
しかし、エリク・ダニング&ケネス・シャド『ラグビーとイギリス人 ラグビーフットボール発達の社会学的研究』(ベースボール・マガジン社で原題は“Barbarians, Gentlemen and Players”)によれば眉唾だそうだ。ラグビーとサッカーの共通の母胎は、14世紀ごろから英国で行われていた民俗ゲームとしてのフットボールである。街区を舞台に、ルール無用でボールを奪い合い、死者も出るような荒々しいものだった。1点先取で勝負を決めていたことから、長時間続けるために得点するのを難しくしようとオフサイドが生まれたとされる。
この原始的なゲームはやがて、ボールを蹴るのを主流となったのだが、19世紀前半に、ランニングイン、つまり「持って走る」ことが容認されたのがラグビー校だ。これに対して「持って走る」禁止を掲げたのがイートン校だった。両者の対立を軸に、2つの球技に分化したのだというから、サッカーは「イートン」という名前になるべきだった。
『こんな日本でよかったね』(バジリコ)で内田樹は「人間が語るときにその中で語っているのは他者であり、人間が何かをしているときその行動を律しているのは主体性ではなく構造である」というが、構造主義的にいえば、誰かが何かであるということは本人が主体的に選んでいるのではなく、選ばされているだけなのである。趣味などは実に個人的な好みだと思っているかもしれないが、階級的にというか構造的にどんな趣味を選ぶか決まってくる。というのがブルデュー『ディスタンクション』の結論だ。
昔から「ヨーロッパ思想はすべてプラトンの脚注である」といわれてきた。
僕らが何かを語るといっても、すでに誰かが語ったことをなぞっているだけである。まったく新しい言語で話すことができれば、「創造的」かもしれないが、それは誰にも通じないことになる。
「人間」の社会で使われている言葉は「手垢」のついた、いわば「お下がり」である。「母語」は「母親」からの「お下がり」であり、母親も別の「人間」に存在していた「お下がり」を使っているにすぎない。排他的(exclusive)な独占権などを主張することはできないし、「中古品」が嫌だといって、「自分の言葉」を創ることはできない。「私的言語(private language)」は私とあなたの関係では成立するかもしれないが、世間の「人間」においては役立たない。ミハイル・バフチンはこうした不確かな存在の「自分の言葉」をヘテログロシア(heteroglossia「異+言語」)と呼んだ。バフチンによれば、基本的に「言葉は人口密集地」であり、そこには「他者」の意図が常に存在するという。言葉を自分のものとしてオリジナルに使っているつもりでも、実際に行われていることは「使用済み」の言葉を借用して、自分なりの「アクセント」を加えていることに他ならない。
だから、何がオリジナルか問うてみても意味のないことなのである。そのオリジナルもどこかのオリジナルをなぞっているだけだからだ。誰かがオリジナルな言葉を作っても、流布しなければコミュニケーションの道具として意味がない。イエスペルセンという文法学者のイドも国際語として作ったのだが、誰も使わなかった。
五木寛之の「イッツ・ア・ロング・ウェイ・トゥ・インテリ」は教訓的である。「プロマイド」と連呼していた若者に「あれはブロマイドが正しい」と嗜めたおじさんに「あれはマルベル堂が『プロマイド』として売り出したからプロマイドが正しい」と反論したのだった。外国語としての起源か日本語としての起源か、正解は一つではない。
『こんな日本でよかったね』の「あとがき」で、内田樹は構造主義とは「どういう『構え』か、一言で言うと『自分の判断の客観性を過大評価しない』という態度」であり、「構造主義的なものの見方というのは、私たちの日常的な現象のうち、類的水準にあるものと、民族誌的水準にあるものを識別する知的習慣のことであるといえるのではないでしょうか」と述べている。
千野栄一先生は「翻訳できるものと翻訳できないもの」(『文学』1980年12月号→『翻訳』岩波)の中で「大山鳴動して鼠一匹」のような中国起源の慣用語句は西洋のものとは一致せず等価のものすら見出せない、と書いたのだが、柳沼重剛の『語学者の散歩道』(研究社出版1991年→岩波現代文庫)で「山々が陣痛を起こすのだろう、そして笑いたくなるようなねずみが生まれるのだろう」(parturient montes, nascetur ridiculus mus.)というのがホラティウスの『詩論』にあることを示しているから、まさに「大山鳴動してねずみ一匹」のような話になった。最後に柳沼は「ただしホラティウスはギリシアの諺をもじって利用したのだと注をつけておく、これがいちばん穏当なやり方であろう」と書いている。
僕らが研究を続けなければならないのは思い込みをなくすためである。思い込みは下手すると偏見につながってしまう。
経験と常識は、すぐにサビついてしまうのです。だからつねに勉強し、磨いておかねば役に立ちません。困ったことに経験と常識がサビつくと。「偏見」というべつのものにへんかしてしまいます。
さらに困ったことに、人間は、自分の経験と常識がサビて偏見に変わってしまったことに自分ではなかなか気づかないんです。他人に指摘されてはじめて気づくことが多いし、たとえ指摘されても、サビて偏見になってしまったことを認めずに怒る人もいます。
パオロ・マッツァリーノ『みんなの道徳解体新書』(ちくまプリマー新書)p.149□ 言語論的転回(linguistic turn)というものがあった。本質主義(essentialism)から構築主義(constructionism)への大変化である。本質主義というのは事物にはそれ自体に固有で根源的な属性としての本質が存在すると考えるものである。したがって本質は現実に先立つとする。物事には本質があって、それが実証的な手続によって解明できるとする。これが近代化学の基礎を形成してきた。
構築主義というのは物事は社会的に構築されると考える。ソシュールの構造主義がレヴィ=ストロースやアルチュセールなどの構造主義、ポスト構造主義の中で展開してきたもので、本質的な実体は存在しないとされる。「現実」または「世界」と呼ぶものは、他との関係で歴史的、社会的に構築されると考えられるようになったのである。こうして真理、進歩、実証主義などを前提とする本質主義が否定され、認識や存在というものが根底から問われるようになってきたのである。つまり、オリジナルなものにも本質はないのである。
□ 僕の文章は、やたら引用が多いが、もしこれを引用でなくて、自分の言葉として書いたとしたら、ずいぶん賢く見えるかもしれない。でも、そんなことはとっくに考えている人がいるんですよ、ということで、引用だらけになってしまうのだ。ただ、引用元の人が本当にオリジナルで考えたかどうかは分からない。「バツイチ」という言葉は明石家さんまが離婚した時に初めて知ったのだが、その前にそう言っていた人が必ずいたはずだ。ただ、一気に流行させる力を持っていなかっただけだ。
言葉っていうもの自体が自分の発明したものではなく、他人が発明したものを「引用」しているにすぎない。「言語の牢獄」(池上嘉彦先生の言葉だが、既にフレドリック・ジェイムソン『言葉の牢獄』という本もある)の中から少しだけ手を出すことはできるが、逃れることはできないのである。そんな中で、オリジナルなど見つけることは至難の技なのである。
森山未來とともさかりえが出た演劇「ネジと紙幣」では、放蕩息子の森山が「始まりを知ろうとするんだけれど、それが分かってもその始まりがあるんだ」と嘆く場面がある。宇宙がビッグバンでできたらしいことは理解できるが、一般人は「では、ビッグバンの前はどうだったの?」と問いただしてしまう。何もなかったといわれても釈然としないが、何もなかったのである。
みんな「文化的いいわけ」をしているだけなのだ。
□ 正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は名句中の名句として知られる。ところがこれには元歌があって「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」がそれである。実はこれは友人の漱石の俳句なのである。
「柿くへば…」が発表されたのは明治28年11月8日『海南新聞』であり、「鐘つけば…」、、それに先立つこと2か月、明治28年9月6日『海南新聞』だった。子規の代表句は漱石との共同によって成立したといえるものなのである。愚陀仏庵(ぐだぶつあん)における二人の友情の結晶だった。「柿くへば…」は、子規が松山から東京へ帰る途中、奈良に立ち寄ったときに作られた。この奈良行きが、子規にとっては最後の旅となり、この旅の費用を貸したのが漱石だった。つまり、「柿くへば…」は元ネタも費用も漱石に頼っていることになる(「柿くへば金がなくなる法隆寺」)。この後7年間、子規は病床に伏し、ついには亡くなる。漱石の孫の半藤末利子が『漱石の長襦袢』に紹介しているが、末利子のもとに、子規の妹・律の孫の正岡明から10円玉が郵便で送られてきた。この時の借金の返却で、120年間の利子は子規の好物の奈良名産の御所柿だった。
坪内稔典は『俳人漱石』(岩波新書)で「鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは、これ、寺の風景として平凡です。はっとするものがありません」「『柿くへば鐘が鳴る』は意表を突く。あっと思うよ」という。正岡子規自身、「柿などヽいふものは従来詩人にも歌よみにも見離されてをるもので、殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかつた事である。余は此新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかつた」(「くだもの」明治34年)と書いている。
坪内は『柿喰ふ子規の俳句作法』(岩波書店)でも「子規の代表句は、漱石との共同によって成立した。それは愚陀仏庵における二人の友情の結晶だった。」「個人のオリジナリティをもっぱら重んじるならば、子規の句は類想句、あるいは剽窃に近い模倣作ということになるだろう。だが、単に個人が作るのではなく、仲間などの他者の力をも加えて作品を作る、それが俳句の創造の現場だとすれば、子規のこの場合の作り方はいかにも俳句にふさわしいということになる」という。
柿喰(かきくい)の俳句好みしと伝うべし---正岡子規 □ 考えてみれば、俳句の創始者・芭蕉だって、『奥の細道』の内容は同行した曾良の『奥の細道随行日記』とは異なるものである。曾良の記述が正しいと言い張っても何も出てきはしない。
1973年にあのねのねが歌った「赤とんぼの唄」というのがあった。「赤とんぼ 赤とんぼの 羽根を取ったら アブラムシ/アブラムシ アブラムシの 足を取ったら 柿の種…」と続くのだが、蕉門十哲の一人と言われた俳人宝井其角(たからいきかく)が「あかとんぼ/はねをとったら/とうがらし」という句を詠んだ。これに師匠の松尾芭蕉が「それじゃ、俳句とはいえん。おまえはトンボを殺してしまっている」といって、手を入れて「とうがらし/はねをつけたら/あかとんぼ」と返したというから驚きだ。アマール・ナージ『トウガラシの文化誌』(晶文社)に出てくる話だ。
日本の名曲とされる山田耕筰の「赤とんぼ」だって前半はシューマンの「序奏と協奏的アレグロ ニ短調 op.134」の中で繰り返されるフレーズに似ていることが吉行淳之介の指摘で騒ぎになったことがある。耕筰はドイツ留学でシューマンを研究していたのだった。しかし、「ヨナ抜き」の立派な日本歌曲にしているから、何か文句ある?
『ファイナル・カウントダウン』という現代の軍艦が太平洋戦争中にタイムスリップする映画を見ていて仰け反ったことがある。最後に聞こえた音楽が岩崎宏美の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」そっくりだったからだ。こちらはパクリを認めていて、現在はアメリカ人作曲家と日本の作曲家の二人の名前が並べられることになっている。
漱石に戻ると、デビュー作の『吾輩は猫である』はエルンスト・ホフマンの『牡猫ムルの人生観』にヒントを得ているとされ、そういう噂も立った。漱石も気にしたらしく、最後の方でこれについて弁明をしている。が、その後、すぐに終わったということは無関係でなかったのではないかと思うが、『猫』があったからこそ、漱石が生まれたのだし、日本の近代文学も知的になったのだから、オリジナルなどどうでもいい気になってくる。
漱石が大好きだったのは落語だったし、漱石と同様に近代日本語を作ったとされるのが三遊亭圓朝である。つまり、落語をマネして日本語の基礎ができているのだが、落語はそれこそさまざまな仏教説話や中国の話などからネタを採っている。日本独自の藝ではあるのだが、舶来物なのである。ある貧乏な書生の話。饅頭を食べたいが金がない。饅頭屋の前に行き、大声を上げてぶっ倒れてみせた。驚いた饅頭屋からわけを尋ねられ、答えた。「饅頭がこわいのだ」。案の定、おもしろがった相手が饅頭を押しつけてきた。中国の古い笑話集にある「饅頭こわい」である。おなじみの古典落語はこれをもとに作られたようで、色々と手も加わっている。仲間たちが怖いものを順番に打ち明ける場面があり、蛇、蜘蛛…と来て、まさかの饅頭に至る。
落語「片棒」(「あかにし屋」)はシェイクスピアの「リア王」みたいな噺だ。吝(けち)兵衛には三人の息子がいて、どういう葬儀をしてくれるか訊く。長男の金太郎は勢を尽くした葬儀、次男の銀之助は破天荒な、色っぽい弔いを提案する。末弟の鉄三郎。通夜は「仕方ないから」やるものの、出棺は朝早くコッソリやってしまう。その棺ももったいないから奈漬けの樽にしたい、それをかつぐ人足を雇うと日当がかかり、片棒はあたくしがかつぐ…というケチケチぶり。吝兵衛は大喜びで「そうか、(棺の)片棒はおとっつあんがかついでやるよ」…。
もちろん、落語を基にした話も日本ではいっぱいできているから複雑だ。『座頭市』では目の不自由な主人公が丁半賭博で振って「勝負は壺の中」という。サイコロが外に出ているのを気づかないのだと思ってみんなそちらに賭けると、「さて、これは壺の外だから放って」と言いながら壺を開けると正反対だったという復讐だった。この見事な話は落語の「看板のピン」から来ていて、老人が惚けて外に出している設定になっている。ちなみに、この手に感心した男がマネをしようとして大失敗するというのは落語ならずともよくあるパターンだ。
シュールな落語「頭山」(上方では「さくらんぼ」)もさまざまなオリジナルが考えられ、『徒然草』の「堀池(ほりけ)の僧正」だって候補になる。西洋のほら吹き男爵にだって、弾が尽きたのでサクランボを代わりにしたら、雪がなくなると鹿の肉が埋まっていてサクランボのソースで食べたなんていうのもある。
落語「しわい屋」(上方「始末の」)では鰻屋の匂いだけで飯を食う男が出てきて、店主が金を出せというと「では、音だけ」という噺があるが、これはフランスにオリジナルがあると鹿島茂が書いていた。アーサー・ビーナードもアメリカで“Free Smell”と書いてあるレストランがあって調べるとフランス小話で「匂い泥棒」という16世紀の話だったとしている。
日本人女性がパンティを履いたのは白木屋デパート事件だとされるが、この話も本当かどうか分からず、オリジナルはフランスにある。
オリジナルが改変されたり、捏造だったりもする。マリ−・アントワネットは空腹だという庶民に「ケーキを食べなさい」と言ったという話になっているが、鹿島茂は正確にはブリオッシュだったと書いている(“Qu'ils mangent la brioche.”=“Let them eat brioche.”)。ルソーが『告白』の中で書いているのが最初とされるが、今はこのブリオッシュ説も捏造だとされる。
オリジナルなど「異説あり」だらけで無意味な作業になってしまう。
□ 推理小説やサスペンス映画のオリジナルを知ろうというのは無理である。松本清張に「凶器」という短編があって、海鼠(なまこ)餅で殺人を犯すが、刑事が来た時にご馳走にして出してしまう。小さい頃に読んだ内容だったのだが、後にロアルド・ダールに「おとなしい凶器」というのを見つけた。凍った羊肉が鈍器として使われ、犯人は血の付いた凶器をオーブンに入れてから警察に電話をして食べさせるのである。ダールの方が古いことは分かったが、江戸川乱歩に「凶器としての氷」というエッセイがあって、63見つけた意外な凶器のうち、氷が10例あったという。ネットで調べると、ディクソン・カーの「三つの塔」によれば、イタリアのメディチ家に氷片を弓で射て人を殺す話があり、紀元1世紀のローマの詩人マルティアスのエピグラムにも似た方法が書かれているという。E・ジョブスンとR・ユーティスの「茶の葉」でもトルコ風呂で殺されている人が見つかるが、凶器が分からない。しかし、傷中に茶の葉の切れ端が入っていて、魔法瓶に氷柱の短剣を隠していたことがばれて解決する。
推理小説などは映画化される時に改変されることも多く、リメイクされる度にオリジナルから離れていく。そして、そもそも殺人トリックが作者のオリジナルとは意識的にせよ、無意識にせよ、誰にも分からないのである。山本周五郎『五辨の椿』はトリュフォーの『黒衣の花嫁』、ウルリッチ(アイリッシュ)の推理小説の映画でなく、原作をネタにしているのじゃないかという説もあるが、周五郎の方がはるかに文学性に富んだ作品になっている。
トリュフォーが撮ることになっていた『俺たちに明日はない』はもっとオリジナルが複雑である。
□ 哲学者カントは黒人の芸術は真似ばかりで独創性がない、と言った。これに対して、ヘンリー・ルイス・ゲイツは『シグニファイング・モンキー』(南雲堂フェニックス)で言い返している。独創性なんてつまらぬものにこだわるのはヨーロッパ人だけだ。むしろ互いの作品を引用し、改変し合うことこそ黒人文化の力である。それに、白人文化のご本尊シェークスピアだって、他人の作品の書きかえばっかりやっているじゃないか、と。黒人文化における改変とは、ジャズを思い浮かべればわかりやすい。『サウンド・オブ・ミュージック』の「私のお気に入り」を、ジョン・コルトレーンはソプラノ・サックスで見事に吹きかえている。あれは独創なのか模倣なのか。そのどちらでもある、と言い切っている。
『ノルウェイの森』とは違って、『ダンス・ダンス・ダンス』の場合は書きはじめる前にまずタイトルが決まった。このタイトルはビーチボーイズの曲から取ったと思われているようだが、本当の出所は(どちらでもいいようなものだけれど)ザ・デルズという黒人バンドの古い曲である。日本を出発する前に、家にある古いレコードをひっかき集めて自家製オールディーズ・テープを作っていったのだが、その中にこの曲がたまたま入っていた。いかにも昔風リズム・アンド・ブルースというタイプの曲である。のんびりとしていて、ざらっとした雑な感じで、その辺が不思議に黒っぽい。その曲をローマで毎日聴くともなくぼんやり聞いているうちに、タイトルにふとインスパイアされて書き始めたのだ。もちろんビーチ・ボーイズにも同じ曲があることは知っていたけれど(高校のときによく聴いた)、直接的な始まりはこのデルズの曲の方である。
この小説は始めから終わりまでだいたいすんなりと気持ちよく書けたと思う。『ノルウェイの森』は僕としてもそれまで書いたことのないタイプの作品だったし、「この小説はいったいどういう風に受け入れられるんだろう」とあれこれ考えながら書いたのだけれど、この『ダンス・ダンス・ダンス』に関しては、そんなことはまったく考えずに、自分の書きたいようにのびのびと好きに書いた。隅から隅まで僕自身のスタイルの文章だし、登場してくる人物も『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と共通している。だから久しぶりに自分の庭に戻ってきたみたいで、すごく楽しかった。というか、書くという行為をこれほど素直に楽しんだことは、僕としても稀である。「冬が深まる」(村上春樹『遠い太鼓』講談社文庫)
2011年に「白い恋人」の石屋製菓が「面白い恋人」の吉本興業を訴えるという事件があった。目くそ鼻くそを笑う、とはこのことだ。「白い恋人」は明らかに記録映画「白い恋人たち」のパクリだ。先に売りだしていたというのなら、納得はできるが、お菓子の方が遅い。商品名の由来は、ある年の師走に創業者がスキーを楽しんだ帰りに「白い恋人たちが降ってきたよ。」と何気なくいった一言によるとされ、紙箱のパッケージ裏面に記載されている。これは映画をパクったものではない、という言い訳にすぎない。誰だって「白い恋人」と聞いたら1968年のグルノーブル冬季五輪とフランシス・レイが作ったテーマ曲を思い出すからだ。「白い恋人」の発売は1976年だ。石屋製菓は賞味期限偽装で問題になったこともある。パロディが許されない社会になったら、どうするのだろう。だいたい、ラング・ド・シャ(猫の舌)なんてお菓子はオリジナルじゃない。「ラーメン」は中国のものだから、日本人が「ラーメン」という名前を使ったり、販売してはいけないというようなものである。さすがにエッセイの専門家は文章がうまいので、コピーする。
天声人語2011年12月3日(土)
先の戦争中に「ぜいたくは敵だ」のスローガンがあった。これに「素」を足して、「ぜいたくは素敵(すてき)だ」とやったシャレはパロディー史に燦然(さんぜん)と輝く。この手のもじりの面白さには「法則」がある。言葉の変化はできる限り小さくて、意味の変化が大きいほど、笑いの声は大きくなる▼「白い恋人」を「面白い恋人」とやったのは、法則通りといえる。北海道の名高い菓子をもじり、大阪の吉本興業などが関西の駅や空港で売り出した。いかにも大阪らしい「本歌取り」に、ニヤリとした向きは多かったろう▼それを「本家」の石屋製菓が商標権侵害で訴えた。長年かけて育てた商標や名声を、丸呑(の)みされたような立腹は分かる。とはいえ、どちらの肩を持つか。法律解釈はおいて、巷(ちまた)の声は色々のようだ▼文芸作品でも、たまに議論がある。たとえば寺山修司の一首〈向日葵(ひまわり)の下に饒舌(じょうぜつ)高きかな人を訪わずば自己なき男〉には、中村草田男の〈人を訪はずば自己なき男月見草〉という先行句があった。これをどう見るかはなかなか難しい▼遊び心で通る手法もある。4月の小紙俳壇の〈雪とけて村一ぱいの休耕田〉を、選者の金子兜太さんは「一茶の『雪とけて村一ぱいの子ども哉(かな)』の本歌取り成功」と評した。これなど作者の「お手柄」といった感がする▼世の中に名手はいるもので、先の川柳欄にさっそく〈「面白い変人」ならば揉(も)めてない〉の寸鉄が載っていた。お菓子の訴訟に、パロディーの「妙と副作用」を考えさせられる笑ったのは池澤夏樹の『近現代詩歌』(河出書房新社)で代表作「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」を選者の穂村弘が「戦争で父を亡くし、米軍基地の町三沢で中学時代を過ごした作者の肉声であるように見える。だが、言葉のレベルでは、『一本のマッチをすれば湖は霧』『めつむれば祖国は青き海の上』(いずれも『天の狼』)という富澤赤黄男かきおの二つの俳句の本歌取りというか、ほとんどコラージュなのだ。このような敬虔さの欠如、そして躊躇(ためら)いの無さが、その作品に異様な鮮やかさを与えている」と解説していることだ。
多くの人は「正しさ」を求めてオリジナルを追求するが、「オリジナル」とか「根源的」とかいうものはないのである。
アリストテレスは本質は起源に遡らなければならないと考えた。でも、起源というのはそんなに簡単に分かるものではない。
本当はどうだったか、ということより、今現在、みんなどう考えているか、ということの方が面白いのであって、起源は案外つまらないものだったりする。
高田保『ブラリひょうたん』「知識と時代」
強力サムソンにとってはライオンぐらい何でもありゃしない。ある日出て来たその一匹をなぐり殺した。幾日かの後に恋人とその死骸を見にいったら、なんと綺麗な蜜蜂がそこから湧いて飛び立っていたノノ。
これは聖書の中に出て来る話だが、現代では小学生だって黙って聞いてはいないだろう。それは蜜蜂ではない。きっと蠅にきまっている! だが十七世紀末では誰もそんな異議はとなえなかったというのだ。卑書だからというので遠慮したのではない。蜜蜂というものについて何にも知らなかったからである。
何でも知っているということは大した徳だ。だが人間は知っている数が多いだけ聞違いも多いものだといわれる。「話の泉」の先生方が時折アヤフヤなのも、だから当然かもしない。アリストテレスは何でも知っている大学者だったが、蜂の巣の支配者が女性であることは知らなかった。
「驚くべき豊富な博物学的知識の持主」とブランデスはシェクスピアのことを賞め上げている。そのシェクスピアが最近映画で有名になった「ヘンリー五世」の中で蜜蜂についての長口上を述べているが、彼にしても同じことだった。自然科学的にいったら一行おきに出鱈目だというのである。
ところが同じ詩人でもミルトンとなるとそうではない。男蜂が女蜂の養われ者だということがはっきり「失楽園」の中でうたわれている。失明していた筈の彼なのにと誰しも賞めたくなるだろうが、しかし、これには種があるかもしれない。
実は、自然科学者が蜜蜂の生態を正確につき止めたのはシェクスピアが死んでから五十年の後だったのである。そしてそれから五十年の後にミルトンがあの詩を書いたというわけなのである。シェクスピアの出鱈目も、ミルトンの正確も、だから時代のせいであって詩人たちの責任ではないのである。
しかし本当の事をいえば、ここに同じく詩人ヴァージルがいるのだ。彼はその詩の中でカルタゴ人の精励を讃えながら蜜蜂について男蜂が怠けものであることや、中性蜂が働きものであることをちゃんと述べているのである。十七世紀中葉に自然科学者がそれを発見したとはいうが、実は紀元前のこのヴァージルの文句に裏書をしただけにすぎないじゃないかともいえる。 (一・八)シェイクスピアがどれだけ原作を超えているかは、少し詳しい入門書を読めば十分である。プッチーニの「蝶々夫人」も原作はひどいという。
これが当時のイタリア駐在公使大山綱介の夫人・久子がプッチーニに日本の旋律を教えたことが分かったという。トッレ・デル・ラーゴにあるプッチーニの屋敷が、大山氏の別荘に近かったこともあって、日本の歌曲を紹介し、議論を重ねたことを明らかにしている。「薄幸でありながら、一途な愛を求めて生きたヒロインたちに列なる、強さを併せ持った人間なのです」と書いている。
日本の近代はクラーク博士に育てられたといっても過言ではないが、“Boys, be ambitious!”がたまたま「少年よ、大志を抱け!」と訳されたからそうなったようなもので、本当は「野心を持て」という意味だったようだ。出身地のニューイングランド地方でよく使われた別れの挨拶(「元気でな!」)だったという説もある。そのクラーク博士本人だって、ジョン・エム・マキ『クラーク−−その栄光と挫折』(北海道大学図書刊行会)によれば、アメリカにおける晩年は鉱山会社を破産させたり、詐欺師のようなものであったらしい。それでも多くの弟子を「育てた」(8ヶ月の滞在で彼に直接科学とキリスト教的道徳教育の薫陶を受けた1期生からは佐藤昌介北海道帝国大学初代総長や渡瀬寅次郎東京農学校講師で実業家らを輩出しただけだったが、2代目のホイーラー教頭もクラークの精神を引き継いだため、2期生からは新渡戸稲造、内村鑑三、広井勇、宮部金吾ら「札幌バンド」と呼ばれる人々を輩出した)のだから、ウソでもいいのだ。こういうのを“sentimental fallacy”(感傷的誤謬)ということがあるが、どんな偉人だって、あら探しをすれば、埃が出てくるものだ。
キリスト教の多くの話も異教徒から見れば変なのが多い。生まれた年は西暦1年だとは誰も思っていない。12月25日だって怪しい。野宿していた羊飼いたちがそのお告げを受けたという聖書の記述があるが、降誕の地、ベツレヘム地方の12月は寒くて野宿などできないというのである。だから初期のキリスト教徒たちの間では、複数の日が降誕祭として祝われていたという。だが4世紀にローマ皇帝がキリスト教を公認したころから統一すべきだという機運が強まり、12月25日に決まったそうだ。それが、ローマに広く浸透していた冬至祭とコラボした。太陽の力が弱くなる冬至のころ、その蘇りを願い太陽神ミトラの誕生を祝った祭りだ。
ジョージ・ワシントンが少年の頃、桜の木を切ったことを正直に父親に告白したことから正直者だとして知られるが、ずっと後の伝記作家のでっちあげであることが知られている。
リンカーンのゲティスバーグの演説は名演説だとされるが、実際には失望で受け止められ、拍手もなかったという。親友のラモンにリンカーンは"Lamon, that speech was like a wet blanket on the audience. I am distressed by it." (濡れた毛布は火事を消すことから「白けさせるもの」の意)と言ったことが知られており、今目にする原稿は後に改訂されたものらしい(3分で終わりそうもない)。
日本でも大岡越前の多くの話がイソップやその他の外国の話でできていることもよく知られている。水戸黄門に至っては…。
だから、僕らが問題にするのは「言説」(ディスクール)というものである。今、ここで語られていることの価値を見い出すことである。
ジョン・フォード監督『リバティ・バランスを撃った男』で悪党のバランスを撃ったのがジョン・ウェインとわかった後で、記事にしないのかというジェームズ・スチュワートに新聞記者が「伝説が現実になった今その伝説を記事にします」といって真実を書いた原稿を破り捨てると、もう一人の記者も「それが西部だ」という。大切なのは真実よりは伝説なのだ。
神話や伝承の価値は、それが事実か否かよりも、どれだけ多くの人がどれだけ長い間信じてきたかにある。ローマ人はずっと、自分たちはトロイの勇者の末裔だと信じてきたし、ギリシア人でさえもそう思っていたのだった。
塩野七生『ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず(上)』(新潮文庫)
□ ユーミンの「卒業写真」という曲は今でも卒業式シーズンになると聞こえてくるのだが、多くの人は憧れの男性を歌ったものだと思っているだろう。
ところが、ある番組によれば、これは女性教師のことを歌った曲で、「遠くでしかって」というのも恩師だからだという。
ところが、ウィキペディアを見ると、「歌詞の内容から恋人と思われがちであるが、同性の友人のことである。(松任谷由実のオールナイトニッポンで松任谷自身が解説)」と書いてある。
どれが本当だか分からない。本人に聞けば分かる、というかもしれないが、本人だって作った時の思いと、今の思いとは違っているだろうし、特定の人だけを考えて作詞などしていないはずだ。万が一、別れた恋人だったら、絶対に「違う」と答えるだろうし…。
でも、この曲が気に入っている人がそれぞれの理由で好きになっていればいいのだ。みんな自分のことを歌っていると思い込んでいる。誰もがモデルになりえるからヒットするのである。
□ 毎日新聞「余録」に次のようなエッセイが載った。「雁風呂」があったのかなかったのか、語源は何なのか、いろいろな問題を感じさせる。
余録:襲われたトキ(2010年3月13日)
浜辺の木片で風呂をたき、雁(がん)を供養したという「雁風呂」伝説だ。江戸期の随筆によると、秋飛来する雁は海上での羽休めのためにくわえてきた木片を浜辺に落とす。翌春、雁はそれを拾って北に帰るが、越冬中に落命した鳥の数だけ木片が残るという▲津軽の外ケ浜の伝説といわれるが、地元ではそんな言い伝えはないという。ただ筒井功さんの「風呂と日本人」(文春新書)によると「外ケ浜の釜風呂」は江戸時代には実在した。当時の記録では、山土を盛って作った蒸し風呂だったそうだ▲今ではあった場所すら分からないが、カラブロ(蒸し風呂)がカリブロに転じ、哀切かつ珍妙な話と結びついたのではないかと筒井さんは見る。「雁風呂」は今も歳時記に残され、冬鳥が帰るこの季節に俳人たちの情趣をそそり続けている▲雁風呂の記述のなかでも古い正徳年間の「滑稽(こっけい)雑談」では、それが越の国の海島の風習とされている。もしかしたら伝説のルーツは佐渡かもしれない。【…】
こんなエッセイも載ったことがある。
余録:フランスでは月の表面の模様は休みなく働き続ける(2012年10月29日)
フランスでは月の表面の模様は休みなく働き続ける男に見立てられた。ある男が安息日を無視して働くのを神様が見とがめ、月に送られたのだ。一方、ドイツの伝承では遊び好きで怠け者の娘がその罰として月で糸を紡(つむ)いでいる姿だという▲まあ月の模様の見え方にも土地柄はあらわれようが、世界各地で似た話も多い。月で糸を紡ぐ女の物語は欧州、東南アジア、オセアニア、アメリカ大陸にも広く分布する。木を切る人や、水をくむ人に見立てる民族も多い▲人を救うために火へ身を投じたウサギを帝釈天(たいしゃくてん)が月にまつる「今昔物語」の話の起源はインドである。ミャンマーなどにも月とウサギの物語がある。日本のウサギが臼でつく餅は不老不死の薬で、こちらは中国の伝説に由来するらしい(「世界神話事典」角川書店)▲なぜ、あんな模様が……古くから世界中の人類の想像力をかき立ててきた月の表面の暗く見える部分である。実は39億年以上前の巨大隕石(いんせき)の衝突の跡だと日本の研究グループが確認したという。【…】
□ 作家の二葉亭四迷のペンネームが「くたばってしまえ」から来ているというのはよく知られた話である。ところが、この説を裏付ける証拠がない。どこにも書いてないというのだ。「書いてない」というのは紙メディアを絶対視している表れにもなるのだが、書いてなくてもそんな気持ちで付けたと言ったかもしれず、違った由来で付けたのだが否定はしなかったかもしれず、また、他人からそう言われているうちに、そのままにしているということもある。本人だって、そのうちどうでもよくなることがある。
でも、「二葉亭四迷」というペンネームが「くたばってしまえ」から来ているというのは日本のペンネーム史上、惨然と輝く「言説」であることは間違いない。命名の瞬間は意識しなかったにせよ、サブリミナルとして無意識の中にあったかもしれない。「江戸川乱歩」だって、そんなペンネームの付け方を知っていたから、ポーの名前を日本風にしたのだから、この「言説」は生きているのである。
画家のダリには贋作が多かったとされる。ダリはいちいぢ頼まれてチェックをするのだが、時には自分よりうまいのがあって、そのままサインをしてしまう、という話を聞いたことがある。ほんとかどうかわからないが、ありそうな話なので大好きである。
20世紀最高の傑作はマルセル・デュシャンの「泉」とされる。便器を横にしただけのもので、便器はデパートに売っていたものだ。それにMattと書いただけのものを展示して物議を醸しだした。パリのポンピドゥ・センターにはこの「泉」が飾ってあるが、オリジナルではない。後のレプリカのはずだ。
アンディ・ウォーホルも現代芸術には欠かせない作家であるが、彼の代表作「マリリン・モンロー」にしろ「キャンベル・スープ」にしろ、彼が撮った写真でも彼がデザインしたラベルでもない。ただ、これを色を変えて並べることで「芸術」というものに反旗をあげたのだ。たいてい、反逆者は儲からないことになっているが、ウォーホルは他人の褌でしこたま稼いだ。
□ 本当のことは誰にも分からないのである。次の詩は中島みゆきが一番好きな詩だといっている詩だ(ほんと)。
「うそとほんと」 『谷川俊太郎の問う言葉答える言葉』
うそとほんとはよく似てる
ほんとはうそによく似てる
うそとほんとは双生児うそはほんととよくまざる
ほんとはうそとよくまざる
うそとほんとは
化合物うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ“history”と“story”は同じ語源である(フランス語ではhistoireで両方の意味がある)。歴史と物語というのは西欧でも、では区別がついていないのである。羽仁五郎のエッセイ(『羽仁五郎歴史論抄』筑摩書房)に、ある歴史家が窓の外で起きた事件の真相を知ろうとしたが、話がみんな食い違っていて分からない。自分で見に行ったが分からない。まして歴史というのは自分が見てもいない昔のことを書くということはどういうことだろうと反省したと書いている。
『世界をゆるがした十日間』というロシア革命のドキュメンタリーで有名なジョン・リードは伝記映画『レッズ』を観ていると、ロシア語も使えないのに革命のただ中にいたというだけで書いている。それって、本当に「見た」といえるのだろうか?と思ったのは僕だけじゃないはずだ。
最近では鎌倉幕府の成立年代が違ってきている。「幕府」という言葉も江戸後期、反徳川の勢力が用いた「政治用語」だったのだという。源頼朝の像とされるのも怪しまれ、足利尊氏や他の多くの武将の肖像も怪しまれている。聖徳太子にいたってはいなかったのではないかという説も高校の教科書に載るようになった。
フィクションだが、黒澤明の『羅生門』は一つの「事実」が語る人によってまるで違ってくることをテーマにした映画だった。京都学派の今西錦司は「真理は一つでなくてもええんや」と言っていたし、高坂正堯は色紙にはいつだって「真偽の境は定かならず」と書いていた。
関係している人さえも分からない、生み出した本人だって分からないのに、何が「真実」だと言えるのだろう。
もっとも昔のソ連のように「真実」がころころ変わる国もあった。強制収容所で3人が話し合った。「おれは10年前に同志ポポフを批判してここに送られた」。「おれは5年前に同志ポポフを擁護してここに来た。おい、あんたはどうだい?」。「私がそのポポフだよ」…というアネクドートがある。指導部や市民の粛清と強制収容所送りが繰り返された旧ソ連のスターリン時代だった。--ある時独裁者、スターリンの時計がなくなり、秘密警察の長官に徹底捜査を命じた。ところが後に自分で置き忘れたことが分かり長官に告げると、彼は困った顔でこう言った。「もう20人の容疑者を逮捕して、全員が犯行を自白していますが」。むろんこれも政治小話で、粛清された人が全員自分の罪を「自白」したと発表されるのが常だったことを皮肉っている。
ドイツの哲学者フッサールは「伝統とは起源の忘却である」といっている。逆にいえば、起源が分からなくなって、忘れてしまうから、伝統と呼ばれるものが生まれてくる。伝統をありがたがるのは今、ここで生きている人間なのだから、それはそれでいいのだ。佐藤俊樹『桜が創った「日本」』(岩波新書)によると、開花時期の異なる桜がいっぱいあって、1カ月くらいは花が楽しめた、つまり、「散り際の美学」などというものはずっと後になってからだったというのだ。志村ふくみは『一色一生』(求龍堂)で「その時はじめて知ったのです。桜が花を咲かすために樹全体に宿している命のことを、一年中、桜はその時期の来るのを待ちながらじっと貯めていたのです」と書いている。なるほど、耐えて咲いて散る「忠臣蔵」は桜と同じ構造だと分かる。軍歌に多いのも分かるような気がする。しかし、ソメイヨシノの前にはそんな「伝統」はなかった。
日本人は春というと一斉に咲き誇る満開の桜のイメージを思い浮かべるが、佐藤俊樹『桜が創った「日本」』(岩波新書)は「ソメイヨシノ革命」でそのような風景はソメイヨシノが普及する以前にはなかったという。次の説明は構築主義的でもある。
…吉野桜の名で広まったというのは、「吉野桜」として受け入れられたということでもある。ソメイヨシノニは「これこそ吉野の桜だ!」と思わせる特別な何かがあったのだ。
吉野桜が普及する前に、「吉野の桜」という言葉が日本語の世界で普及していた。そういう名の地層、想像力の地層の上に、ソメイヨシノは根づき、広まっていったのである。現代ふうに言えば、書物や口づてといったメディアによる想像の拡大があり、その後に現実が遅れて出現した。ただ由来をごまかして売りつけたのではない。【…】
吉野の桜は多くの歌や詩に詠まれたが、詠んだ人が実際に見たとはかぎらない。西行みたいな人はむしろ例外で、「吉野の桜」は現実のサクラを表す言葉ではなく、一種の記号として使われ、語られてきた。それを実在する特定の桜に結びつけたがるのあh、近代人の悪い癖である。【…】…義政や芭蕉や東湖の句はもう一つの重要な事実を教えてくれる。ソメイヨシノの出現以前に、ソメイヨシノが実現したような桜の景色を何人もが詠っていたのだ。この桜が現実にした光景は、想像の上ではすでに存在していた。桜の美しさの理想(イデア)として、もともと存在していたのである。【…】
ソメイヨシノに伝統を見る人だけでなく、断絶を強調する人もまた、この遠近法【ただ一つの桜の美しさ、ただ一つの桜らしさがずっとあったかのように再構成した遠近法】から自由ではありえない。そうすることで、ソメイヨシノが実現した桜への感性が消去されるからである。「伝統がない」という新たな伝統がそこで創造されてしまう。ないことがあることになり、あることがないことになる。それは遠近法の二つの側面であり、始まりを司る神ヤヌスの二つの顔である。
起源と反起源の遠近法。「近代」という時間と社会の了解は、どこかどうしようもなく、そういう視座を人々に抱かせる。いくつもの起源を同時に想像し、何重にも歴史の物語を派生させていく衝撃。「革命」とは本来そういうものなのかもしれない。
ソメイヨシノ革命。私たちは今もその中にいる。それはもろもろの説話や伝承を含めて、私たち自身の物語なのである。つまり、伝統は存在しなかった(1)。伝統というのは古くからあるから伝統であるが、通常「真理」だと思われて常識化している命題を覆す逆説だ。しかし、ソメイヨシノが作り出した風景は、日本人の桜をめぐる想像力の中に美の理想として存在していたものだと佐藤は述べる。つまり、伝統は存在していた(2)。(1)と(2)をまとめて縮めると、伝統は存在しなかったが、存在していた(3)。伝統は存在した、という命題を同じに否定してかつ肯定しているので、これは矛盾である。(3)の場合は、「伝統は存在しなかった」の「伝統」は現実の世界をさし、「伝統は存在した」の「伝統」は想像力の世界を指すと考えればいい。
藤井青銅『日本の伝統という幻想』(柏書房)によれば次の通り。古ければいいというものではないが、そんなに古くないのが「伝統」だ。笑えるのは「着物警察」と呼ばれる女性たちがいることだ。
都をどり/明治5年 靖国神社/明治12年。前身の「東京招魂社」は明治2年 初詣/明治18年 蚊取り線香/明治23年。「渦巻き型」は明治35年 橿原神社/明治23年 平安神宮/明治28年 夫婦同姓/明治31年、最初は「夫婦別姓」だった(明治9年、太政官指令による) 良妻賢母/明治32年 神前結婚式/明治33年 告別式/明治34年 国技・大相撲/明治42年【新しい体育館が「国技館」と命名されたから「国技」になった】 古典落語という名前/昭和23年 恵方巻という名前/平成10年。風習は昭7年頃? 小熊英二は『私たちはいまどこにいるのか』の中で、「あなたは独創的でありたいか否か」、こう問われたらあなたはどう答えますかと問いかける。まず「問いが前提としていることそのものを問い直す」ことが大切で、「独創的」とは何かを考えている。近代以前の社会では「独創的」など問題ではなく、「神様が正しいと認めてくれるか否か」だった。英語のoriginarilityは「独創的」と今はされるが、元は「真正であること」だった。日本では神ではなく「しきたり」に従って生きていけばよかった。近代になって神も「しきたり」も身分も否定して自由になったといえるが、自分が何者であるか、何をしたらよいかは、自分たちで決めなければならなくなった。結局、お互いを基準にするしかない。こうした社会では「他人から評価されない」のは辛い。しかも、「他人の評価」といっても共通の評価基準があり、いちばん有力なのはお金で、次に有力なのはやはり数字で表せる成績だ。こんな近代社会で「独創的」でありたいか否かは、「差をつけて評価されたい」「同じでないと排除されそうで不安」という大きなジレンマになる。小熊は自分が当然としか思っていなかった社会の構造を問い直すことが社会科学だという。こういう視点をふまえたうえで、「独創的」でありたいか否か、それは「自分で考えてください」。
現代芸術はマルセル・デュシャン「泉」やアンディ・ウォーホルのように何が独創的かそのものを聞きただしているから、何を表現しているか聞いてもムダだ。おそらく、それはビートルズのいうようにSomethingそのものなのだ。
起源を求めれば「正しい日本語」が分かるというなら、「本腰を入れる」(NHKでは使ってはいけない言葉になっている)とか「女性上位」(時代)などを使う度に顔を赤らめなければならない。
ハワイのフラ、バリのケチャやレゴン・ダンス、カンボジアのアプサラ・ダンスなどは「伝統文化」だとされる。だけど、実際には「伝統文化」や「未開民族」が観光産業と結びついたメディアによって作り出されているのである。少なくても21世紀になった今、アフリカやニューギニアにかつてのような「未開」は存在しない。あくまで観光用に演じているだけである。「エスニック料理」という各国の「伝統料理」も日本では簡単に食べられるようになっているが、本当にネイティブの人びとの「伝統」食なのだろうか?「エキゾチック」な雑貨も同様である。アイヌの人びとが彫った北海道土産の熊の彫刻は元々、日本人が教えたものだし、今では韓国で製造されているとも聞く。
「孫の手」だって語呂が成立していて、ほのぼの感があるのだが、中国の仙女「麻姑」(まこ)がオリジナルとされる。
ロシアのおみやげと言えばマトリョーシカだが、「この人形のルーツは日本にある」という説がある。19世紀末、箱根に来たロシア人主教が入れ子式こけしの七福神「福禄寿(ふくろくじゅ)」を国に持ち帰ると、民芸品の産地、セルギエフ・パッサードにてアイデアがいかされ、マトリョーシカが作られたと言われている。1900年のパリ万博で初めて出店されたという。だからモデルになった人形を「フクルマ」というが、福禄寿のことである。ちなみに、マトリョーシカというのは女の子の名前「マトリョーナ」に由来する。
日光のおみやげの「三猿」だって、ケニアで見たことがあり、オードリーの映画『尼僧物語』にも、フランス映画『ジャンヌ・モローの思春期』にも出てくるし、実は世界中にあるみやげだったりする。英語では“See no evil, hear no evil, speak no evil.”というのだが、日本の方が語呂が合っていてオリジナルに見えてしまう。
『尼僧物語』(結核にアルコールがいいといわれるが、尼僧に禁じられていると言われて)狛犬はどの神社にも魔除けとして置いてある。小さい頃はてっきり獅子だと思っていたが、「高麗犬」と書かれる。スフィンクスまで遡る人もいて起源は分からない。しかも、時代によって右と左が違っていることがある(放生津八幡宮の木造のと石像など)。
向田邦子の『あ・うん』というのはプラトニックな三角関係の小説だが、奥さんは夫もその友達の自分に対する恋心も阿吽の呼吸で知っているのである。
実は昭和17年以降の国定教科書には「コマイヌサン ア コマイヌサン ン」が載っていて、昭和9年生まれからの子どもはこの言葉で育っている。おそらく、五十音図が「ア」から始まり、「ン」で終わることを教えたかったからだろう。
山下晋司が『観光文化学』(新曜社)でいうように「だれが、だれのために、何を、何のために、文化を資源化するかという問題」を考える必要がある。
西江雅之『異郷日記』(青土社)の「バリ島観光の中心地のひとつ、ウブド」では、夜になるとお寺で音楽と踊りのショーが行われるが、すでに祭りや儀式の宗教性が薄められていて、観客用になっている。これを批判する人も多いのだが、先生は「伝統とは未来である」という。人が何か行動を起こそうとする時…我知らずに何かの文化基準に従って行動を起こしてしまう。たとえば日本では“四”という数は、“死”という意味に通じるといって、…避けられる」。伝統はそれ自体、「支え」となって人に行動を起こさせるが、行動とは、一瞬ごとの今の更新が、ひたすら未来へなだれこんでいくことである。だから「決して過去だけで成立するものではない。伝統は、一瞬先に待ち構えているもの」だという。「伝統は創られ」ていくものなのだ。
時代に合わせて変化しないものは残らないから「伝統」になりえないのだ。「お歯黒」という「伝統」があったが、どの形にせよ残すことはできなかったから、「伝統」にはなっていない。その他多くの江戸の「伝統」は手を替え品を換え、生き残っているから「伝統」として胸を張れるのだ。とはいえ、江戸時代そのままに残っているものは少ない。
文化のすべては模倣と逸脱からなっている。創造と破壊を繰り返して残ってくるものなのである。模倣の上に立って独創性が生まれる。
「盗む」 茨木のり子(「スクラップブック」から)
あのひとからは盗みました
バックボーンこしらえる材料をあのひとからは盗みました
おしゃれの しゃれの 気合いをあのひとからも盗みました
様という美しい宛名の文字をあのひとからも盗みました
世界を捉えるカメラアングルをわれらは大した泥棒なのに
警官はばかにのほとんと歩いています 春風のなか言葉というのは誰かが作ったものではない。自分で自分の独自の言語を作ったという人はいない。他人と接することがなければ言語は成立しないからである。誰もが親から言葉を学んでいる。オリジナルな言葉などというものはないから、言葉にオリジナリティなんてことはないのである。今、心の中で使っている言語は確かに自分自身のものなのだが、言葉自体は自分のものでhない。その意味で言葉から疎外されている。
オリジナルなどないというのは「本物」(authenticity)などないと同じことだ。何をもって「本物」だといえるのだろうか?
内田樹は『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)でロラン・バルトの「作者の死」の「テクストはさまざまな文化的出自をもつ多様なエクリチュールによって構成されている。そのエクリチュールたちは対話をかわし、模倣し合い、いがみ合う。しかし、この多様性が収斂する場がある。その場とは、これまで信じられてきたように作者ではない。読者である。【…】テクストの統一性はその起源ではなく、その宛先のうちにある。【…】読者の誕生は作者の死によって贖わなければならない」を引用して、「このことはそのままインターネット・テクストに当てはめることができる」と言っている。また、リナックスOSを引き合いに出して「作家やアーティストたちが、コピーライトを行使して得られる金銭的リターンよりも、自分のアイデアや創意工夫や知見が全世界の人々に共有され享受されているという事実のうちに深い満足を見出すようになる、という作品のあり方のほうに惹かれるものを感じる」と語っていて、「快楽を求めたバルトの姿勢を受け継ぐ考え方のように思われる」という。オリジナリティなんてみみっちいことを言うんじゃないよ、ということだ。ジェイムズ・ジョイスも「イマジネーションとは記憶のことだ」という。さらに、こんなことも書いている。
「オリジナル神話」というのがその典型的な病態です。クリエイティブな言語活動というのは、他人の用法を真似ないことだと勘違いした人がいた。できるだけ「できあいの言葉」を借りずに、自分の「なまの身体的実感」を言葉に載せれば、オリジナルな言語表現ができあがると思い込んだ。でも、これはたいへん危険な選択です。僕たちの言語資源というのは、他者の言語を取り込むことでしか富裕化してゆかないからです。先行する他者の言語を習得し、それを内面化し、用法に合うような身体的実感を分節するというしかたでしか僕たちの思考や感情は豊かにならない。
でも、他人の言葉を模倣するこうとを潔しとしない人たちがいる。それよりは、自分のリアルな身体的実感を(どれほど貧しくても)自分の手持ちの語彙だけで表現したい。そのほうが「ピュア」だと思っている。
この言語についてのイデオロギーによって日本人の言語資源は恐ろしいほど貧しくなったと僕は見ています。そういう人たちの言語能力が劣化しているのは、身体的実感をたいせつにしているからではないんです。身体的実感を重んじるあまり、用法の拡大や精密化に興味を示さなかったからです。
-----内田樹『街場の文体論』人は誰の手助けも受けずに生まれることはない。生まれたからも見えたり、隠れたりする、さまざまなものからの影響を受けて生きているのである。
『詩人の墓』へのエピタフ 谷川俊太郎『トロムソコラージュ』(新潮社)
無限の沈黙である私は
お前に言葉を輿(あた)へてやらう。
「神が人間を考へる」ジュール・シュペルヴィエル 中村真一郎訳生まれたとき
ぼくに名前はなかった
水の一分子のように
だがすぐに母音が口移しされ
子音が耳をくすぐり
ぼくは呼ばれ
世界から引き離された
大気を震わせ
粘土板に刻まれ
竹に彫りつけられ
砂に記され
言葉は玉葱の皮
むいてもむいても
世界は見つからない
…最初に戻るが、ジョブズが開発したiPhoneはスマホと簡単にいうほど小さい道具だが、世界を変えた。でも、新しい技術は何もない。部品もアップルが作ってはおらず、日本製のものが多くて、中国で組み立てている。オリジナルがあって、ジョブズがうまくまとめただけだ。
知っていると思いますが、
私たちは自分たちの食べる食べ物の
ほとんどを作ってはいません。
私たちは他人の作った服を着て、
他人のつくった言葉をしゃべり、
他人が想像した数学を使っています。
何が言いたいかというと、
私たちは常に何かを受け取っているということです。
そしてその人間の経験と知識の泉に
何かお返しができるようなものを作るのは、
すばらしい気分です。
-----スティーブ・ジョブズ【2010年3月3日】
※後に清水良典『あらゆる小説は模倣である。』(幻冬社新書)が出た。ここに引用されているボルヘスの文章が、全てを語っているのかもしれない。
ずっと昔読んだ本のページを、いまあらためて読み直してみると、そこに物語られている寓話が、いままでは自分の独創とばかり思いこんでいたのに、じつはそれを私が別の空間、別の時間の中に移しかえて私流に練り直したにすぎなかったことを発見して、感謝と驚きの念を覚えるのである。しかしながらもっとも重要なことは、私の虚構物語とまったく同じ雰囲気をそこに発見したことであった。
-----ボルヘス『逃げてゆく鏡』(河島英昭訳)