宴会嫌い What is the best key for unlocking the tongue? (舌の錠をあけるのに一番よいキーは何か?)
Ans. Whiskey. (ウィスキー)宴会というものが大嫌いである。忘年会など出たことがない。大体、「飲みニュケーション」などという輩が嫌いである。飲まないと話せないって、どういうことか?そういう奴に限って、ふだんも威張っているくせに、飲んだらもっと威張ったりする。最低だ。飲んで絡むなんて、人間として間違っている。僕は酒が好きだが、酒をぐだぐだ言うのに使うのは酒に対して失礼だ。酒でしかいえない職場というのはおかしい。その後、別の関係者たちとも飲むことが増えたが、酔っぱらいの面倒は疲れる。「腹割って話そう」って、腹割って死んでしまえ!
嫌いなのは「手酌酒」の禁止だ。宴席でひとりりちびちびやると周りがシラケる。隣を見ていて都合良く注がなければならないが、味のある手酌酒もないではない。食通の池波正太郎は手酌派だった。「ビールを注ぎ足すのは愚の骨頂」と書いている(『男の作法』新潮文庫)。時代が変わって「自分のペースで飲みますから気にしないでください」というと多くは許してもらえる。早稲田あたりの学生が流行らせた「一気飲み」なんて愚の骨頂で、「アルハラ」という言葉もできて、かなり根絶された。
驚いたのは2021年に菅総理の長男で利害関係のある東北新社から接待を受けた山田真紀子内閣報道官が「私は絶対に飲み会の誘いを断わりません、一度断わると二度と誘われないからです」という動画を堂々と流していたことだった。「モーレツサラリーマン」の時代の倫理である。そうでないと女性は昇級できないのか?
昔は飲むことが多かった。親戚の法事に行くのも泊まりがけで、そのまま家庭で飲むことも多かった。今は居酒屋が増えているが、歓送迎会や忘新年会も大きな料亭で開くことが多かった。自宅飲みする人は少なかったかもしれない。とはいえ、数人は7時ごろに訪ねると燗酒で楽しんでいた。
飲む理由も多かったのだ。佐野洋子もその理由を書いていた。
知り合いの知り合いに医者がいる。
月一度の計算というのが大変なんですってね。アルバイトの学生を何人かやとい、
奥さんも一緒にまる五十時間徹夜で死にもの狂いで計算する。
終わると全員「あー、終わった、終わった」と合唱し、
医者は「さあ、焼き肉でも食いに行くか」と
一同ぞろぞろと焼き肉を食いに行くのだ。
奥さんは次の日「久しぶりに東京のデパートに行ってくるわ」とうきうき出かける。
そして、今度、最新のコンピューターを導入した。何と一時間で一人でやってしまう。
医者はボウ然としてガックリきてしまった。「さあ、焼き肉でも食おうか」が言えないのである。
アルバイトの学生とも知り合うことがないのである。
奥さんは「久しぶりに東京のデパートに行ってくるわ」とも言わないのである。
医者は、これでいいのかと考えこんでいるそうである。
便利なもの、あればいいなあと思うものは、こういうものではないだろうか。【…】
-----佐野洋子『ヨーコさんの“言葉” わけがわからん』(講談社)と、僕が勝手に思っていても、相手がそう思ってくれなくて、いつも絡まれる。「無礼講」とかいって、勝手に上司が無礼なことを言ってくる。こちらが言えば、何をされるか分からない。「人間嫌い」にされてしまったら、反論する言葉もない。
大体、酒席で説教するのが間違っている。その前に「誉める時は人前で、叱る時は人のいないところで」というのが基本だ。
『葉隠』にも「たいていの人は、人が聞きたくないことをいうのが親切のように思い、それを相手が受け入れないと、どうしようもないとあきらめる。しかしこれでは何の役にも立たない。人に恥をかかせ、人の悪口をいうのと同じである。自分の気晴らしにいったに過ぎない」と警告している。
アラビアのことわざには「真実の矢を射るときは、その先端に蜜を浸せ」というのがある。酔っ払った相手が思っているだけの「真実」かもしれないが…。
「都落ち事の起こりは無礼講」 −−サラリーマン川柳 だから、出席するのを止めてしまった。僕は自分では反発をくらうような人間ではないと思うのだが、そう思っている人がいるようだ。
『イソップ寓話』でゼウスが宴会に全動物を招待するのだが、カメだけは来なかった。次の日、ゼウスがなぜ来なかったかと聞くと、カメは「家が楽しい、家こそ都」と答えた。怒ったゼウスはカメが家ごと動き回らねばならぬようにした。イソップは「他人のところでぜいたくするより、質素な暮らしを良しとする人が大勢いる」と書いている。僕は空高く舞い上がるタカのように生きられない。ドンガメでしか生きられない。
「教官!」「何だ、松本」「教官、私はドジで間抜けな亀です」なのだ。
平和主義を唱えても、相手が戦争主義だと殺される。絡むのは反対と唱えても、相手は聞いてくれない。それと同じように絡む奴は絡んでくる。後に大学附属中学の校長になった、一つ上の先輩が「俺が守るから行こう」といって忘年会に出たことがあるが、しっかりと絡まれていた。
彼も独身だったのだが、僕も当時独身だったから、Yという教師が「あんたが結婚できないのは母ちゃんが悪い」なんて母親を見たこともないのに絡んできた。このYは化学の教師だったのだが、酒乱だった。実験はしないのに、アルコールだけは確実に減っていくなどと噂されていた。驚いたのは、柔道八段という先生が絡まれて辛かったと話していたことで、その昔、うちの学校では修学旅行もあったのだが、このY先生が酒で問題を起こすので中止になったと話していた。実際、55歳を過ぎてから宴会にはあまり出なくなった。何でも奥さんが出たら大変だから止めろといっていたようだ。
送別会にはさすがに出てきていたのだが、同期のNと訳の分からないことでもめていた。でも、みんなこれで最後だと安堵していた。
絡むのではなく、誉めあう宴会にならないものだろうか?「ウィンザー効果」というが、本人に直接誉めるよりは、他人を介して誉めた方がいい。酒の場面でも、「いやあ、この間、君のことを○×さんが誉めていてね」というようになれば、最高なのだが、悪口ばかりが飛び交う。
先日は同級生だけど学校のトップになっている人が酔っ払って「あいつが一番悪い」などと締めのスピーチで挨拶してしまい、さすがに翌週、「何言ったか覚えてなくてごめんなさい」と謝りに来た。僕も周りの人もいつもの悪口だと思っているから何とも思っていないのに、覚えていないと本人には結構きついものらしい。
大体、日本人にはアルコール分解酵素が少ないとされる。だから、日本人は情けないと林望先生は『大人の知的旅行術』(オータバプリケイションズ)で書いている。
私は、人と人のコミュニケーションを図るという上では、酒は適当なメディアではないと思っている。
なぜなら日本人はすぐ酔っぱらって正気を失ってしまうからだ。正気でないつきあいなど、意味はない。この点ではイギリスの茶など、ぜひ見習いたいものであるが、どっこい会話のメディアとしての茶の本質を見失って、ただただスノビッシュな「お遊び」としか受け取ろうとしないのは、まことに頑ななる態度と言わねばなるまい。
大嫌いな言葉に「ノミニュケーション」というのがある。飲んでコミュニケーションということなのだが、ロクなことはない。それよりは「ノミハラ」という言葉を作りたいくらいだ【2018年頃には「アルハラ」という言葉が使われるようになった】。
最近はシンポジウムというのが多いけれど、誰も意味を知らないで使っている。元は「共に」「飲む」という意味のsyn-posionというギリシャ語でこれをラテン語にしたものである。とこれだけ言っても分からないだろうが、プラトンに『饗宴』という作品なのである。弁論者たちの「飲む」ことについての議論が面白い。
冒頭で一同は「今日の集りをむやみに飲む会にしないで、ただもう気の向くままに飲もう」と同意する。その話を聞く人は誰でも「驚倒し、心を奪われてしまう」といわれるソクラテスの飲み方は尋常ではない。「御馳走のあったときなどでも、本当にそれを味わい楽しむ力を持っていたのはこの人だった。特に飲むことにかけては」とされるソクラテスは「いくらでもすすめられるだけ飲み干して、しかも酔うということがなく」「酔ったのを見た者が無い」という。その時も、最後まで眠らずに楚楽テスト議論を続けていた二人もついに居眠りをしてしまった。夜が明けたので、ソクラテスはその「二人を寝つかせてから立ち去り」、「沐浴してから、いつもの通りに時を過した後、夕方になってから家路についたという話である」と締めくくられている。
メイヨーは『産業分明における人間問題』という本で「ホーソーン実験」を紹介している。作業効率を調べるためにシカゴホーソーン工場で行なった実験で、フォーマル・グループよりも、インフォーマル・グループの存在が、組織内での目標達成のための士気にとって重要であることを発見した。
そういえば、今は少なくなったが、昔は宴会芸を強要されることも多かった。何もできないと、音痴な歌を歌って顰蹙を買うしかなかった。初めての歓迎会で一緒に赴任した元・中部高校の校長が宴会芸を見せて、みんなこれで伸し上がってきたんだと思ったものだった。
そうそう、その時に仲居さんが、つくづく僕の手を見て、「あんたぁ、苦労してない手だね」と(恐らく)嫌味でなく褒めてくれた。内面の苦労は手には出ないのだ。
昔は盃を回したものだった。汚いじじいが口をつけた盃からお酒を飲まなければならない。初めて大人の宴会に出た時はぞっとした。
政治学者のジェラルド・カーチスは『政治と秋刀魚』(日経BP社)の中で、この時に使われていた「お流れ頂戴します」という表現を1966年に政治家の宴会で初めて見たというのだが、最近は使われなくなってきていると書いている。「お流れ頂戴します」とうんが日本のタテ社会を象徴した言葉だったが、なくなってきているということは日本の社会そのものが大きく変わってきていることを示しているという。目上の人からの「流れ」を目下の者が頂く、なんていう社会ではなくなってきている。
幸い、2020年のコロナCOVID-19のおかげで生活スタイルが変化した。オンライン宴会などというバカなイベントまで開かれた。
今の職場ではないが、前の職場でよく飲んでいた先生がアル中で亡くなった。さすがにショックだった。最後はひどかったらしい。
大学の後輩で、お茶大の講師をしていたこともあるY君もアル中で亡くなった。お茶代でなくて飲み代が原因だった。
先日、東京で会った女友達が「おごってあげるわ、お金持ちになったのよ」というので、聞いてみると離婚した旦那がアル中で亡くなったのだが、離婚してからも保険金をかけ続けていたのだという。すると退職金ほどのお金が入ってきたというのだ。
宴会が好きだと思われている節がある。まあ、それなりに楽しい話ができると思うが、おそらく芸風がシラフでも酔ったように語るところからだろう。でも、何で他の人にサービスしなければならないのか分からなくなって、あまり出ないことにしている。だって、スナックで美人でもない子に「話、面白いわね」などと言われて飲むほど馬鹿じゃない。
若い頃、山形県の湯田川温泉に行ったが、コンパニオンが40代だった。志村けんのバアさん芸者・ひとみばあさんみたかった。富山だとたまに若い子もいるが、学生じゃないかとどきどきするし、和倉温泉などは30以上の女性が多い。問題は誰かが僕を「教授」と紹介すると、いきなり進学相談をされてしまうことだった。いつも若い学生と話しているのでコンパニオンの意義が分らないが、職場に感謝すべきだ。
それでも、幹事を任されることが多かった。雪でみんな来れなくなってひどい目にあったこともある。ドタキャンがあって大変だった。「ドタキャンのないように」とメールしたら「どういう意味か?」と分らんちんたちに文句を言われた。でも、おいしいお店を探し、みんなに相談し、料理を吟味して、内輪だけの楽しい宴会を開くのは嫌いじゃない。驚いたことに、『英雄伝』で有名なプルタルコス(1世紀後半〜2世紀初頭)に『食卓歓談集』(岩波文庫)があり、「宴会の幹事はどういう人物であるべきか」という議論がなされている。当時は集まってから幹事が決められた。幹事は乾杯の音頭を取ったり、議論のテーマを提示したり(何しろ「酒席で哲学論議をしてもよいか」という章もあるのだ)、余興の段取りをした。度を越えた笑いはダメとしながら、悪ノリ強制の例が載っている。弄られキャラというのは昔からいるのだ。
幹事は嫌いじゃないのだが、ごくごく最近まで、嫌いな先生がいて、送別会も出なかった。出たくないこともあるのだが、「長」がつくとそうもいかなくなる。自分の送別会の時は大嫌いな奴が最終講義に対する質問攻めでしつこく、ビールをかぶせてやろうかと思ったくらいだ。「はい、はい、あんたの方が賢いよ」っていって。
歌人の穂村弘は大げさにも『世界音痴』(小学館)という言葉で宴会嫌いを説明している。
やがて座が盛り上がってくると、みんなは「自然に」席を移動しはじめる。じぶんのグラスを手に、トイレに立ったひとの席に「自然に」座っている。座られた方もごく「自然に」また別のところにいどうして、その場所で新たな話の輪をつくっている。だが、私には最初に座った席を動くことが、どうしてもできない。
みんなのようにやればいいんだと思っても、トイレに立ったひとの席に自分が座ってしまうと、何かおそろしいことが起きるような気がして体が動かない。なぜなら、私だけは「自然に」それができないからだ。【…】
飲み会のとき、離れた席から、ほむらくーん、と呼ばれると、涙が出るほどうれしい。呼ばれた理由が何であってもうれしい。いそいそとそこまで行ったところで「眼鏡外してみせて。ほらほら、この人眼鏡外すと面白いんだよ」と云われてもうれしい。この世界に、一瞬、触れたことがうれしいのである。黄昏のレモン明るくころがりてわれを容れざる世界をおもふ 井辻朱美
-----穂村弘『世界音痴』(小学館)小料理屋で親しい者どうしが4、5人でああでもない、こうでもないと飲むのが一番楽しいかもしれない。
佐野洋子の「ヨーコさんの“言葉”・選「朝目がさめたら、風の吹くままに」というのがあって、こんな文章が出てきた。
さんざん女房を泣かした人が、女房が病気になるとすべてをなげうち看病と真心をささげ、
一周忌には涙なしには読めない美しい愛妻記を友人知人にくばり、
三回忌のころには若い新しい女房とはつらつとやったりするのを知ると、
側に行って肩をたたいて、おいしいおすしなんかしみじみとごちそうしたくなる。うっかり、町の宴会に出ると「先生」扱いをされてしまうので、嫌だ。「あんたの先生じゃないよ」といいたくなるのだが、旅館などで仲居さんが嫌うのは医者と教師ということに決まっているからだ。コンパニオンも引いてしまうのがよく分かる。
そうそう、北陸自動車道が全通した年に忘年会の幹事になってしまったことがある。どうせなら越後湯沢温泉に行こう、という計画を立てた。当時は半ドンがあった頃で、3時間あまりかかるからバスの中でお酒を出そうということになった。これが地獄だった。つまり、酔っぱらいが続出してしまい、その酔っぱらいがトイレ休憩を取りたがるものだから、SAごとに降りて、それで遅くなって、余計に酒を飲み、SAで降りて…と悪循環になってしまった。
着いた時には会計課長がぐでんぐでんになっていて、宴会では裸踊りを始めるという、ていたらくだった。今ではセクハラでとても叶うことができないだろうが、昔は牧歌的だったのだ。僕は当時ずっと禁酒をしていて、一口を飲まずにおバカな人たちを観察するのは辛いものがあった。
帰りは寺泊に寄って、その後も連中は飲み続けていたから、辛かった。飲めない先生が絡まれて、これまた辛そうだった。
一番楽しかった忘年会はNHKに出ていた頃のスタッフと、あるアナウンサーの結婚報告も含めた忘年会だった。きれいなアナウンサーたちに囲まれて幸せだった。
今見たら、「辛」という字と「幸」という字は似てるのね。
「幸と辛」 吉野弘
幸いの中の人知れぬ辛(つら)さ
そして時に
辛さを忘れてもいる幸い
何が満たされて幸いになり
何が足りなくて辛いのか外国では酔っ払いに厳しい。イタリア語通訳の田丸公美子はイタリアでは酔っ払いというものを見た事がないという。何ごとにつけ自分に甘いイタリア人が酒に関してはかなり自制しているというのだが、理由は簡単だ。酔いつぶれては女性と楽しむことができない。だから、男同士ではしご酒をして、くだを巻くなんてことは皆無だという。レストランは男女でいっぱいなのだ。
「忠臣蔵」のように討ち入りが大成功を収めたのは忘年会のおかげだという。一方、大石は京都・祇園で遊興にふけって吉良側の目をあざむいたとされる。その大石による「酒飲みの五箇条」がふるっている。「喧嘩、口論固く無用」「盃、下に置くべからず」「したむ【こぼす】べからず」「抑えること無用、もっとも相手によるべし」「助申すまじくこと。ただし、女には苦しからず」。ケンカをしたり、酒をこぼしたりせず、とことん飲め、酒の上で安請け合いしてはならないが、女性相手のときは例外としている。
OEDにはperpotation「酔っぱらいの具体例」という単語が記載されている。ジンを給料にしていたこともある国だから、いろいろな酔っ払いがいたのだろう。
宴会の戒めは「おいあくま」だとされる。
「お」怒るな…酒席で怒るなんておかしいし、喧嘩を売ってくるやつもいる。売られて買ってはいけない。ジョークで軽く受け流すか、その場を去ろう。
「い」威張るな…自慢したり、講釈を垂れたり、説教したりするのは最悪。
「あ」甘くみるな…「無礼講」といわれて本当に無礼なことをする輩がいるが許せない。無礼講といって、パワハラするのもいる。
「く」くさるな…しょぼんとしてしまう人がいる。周りに気を遣わせるので止めてほしい。
「ま」負けるな…酒を飲んで、いろいろな誘惑に負けないこと。セクハラが典型的だけど、悪口、中傷、噂なんかがよくない。問題は、問題のある人はこんな戒めを考えたこともない、という事実だ。
【2010年1月31日】
※まさかの事態が2017年に始まった。町内会長になったからである。それぞれの総会後に直会、(歓送迎会)、奉賛会後に直会、行灯カーニバル、イベント後の反省会、一泊研修、北電との飲み会、忘年会、新年会、奉賛会万雑(「まんぞう」で総会)など宴会だらけである。
□関連のある自作エッセイ 忘年会の憂鬱…外国にない日本 終わった人…同窓会嫌い
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