いらっしゃいませ 中野サンプラザ様 どのような本名をお探しでございますか 在庫も豊富に取り揃えてございます 純一郎などはいかがでしょう いまなら真紀子もサービスでお付けいたします 東京では慎太郎も人気です 【…】 ---島田雅彦 (2001年詩のボクシング 対戦相手:サンプラザ中野) 序文 わ ら や ま は な た さ か あ 後記 り み ひ に ち し き い 文献 る ゆ む ふ ぬ つ す く う れ め へ ね て せ け え HP ろ よ も ほ の と そ こ お
いらっしゃいませ 中野サンプラザ様 どのような本名をお探しでございますか 在庫も豊富に取り揃えてございます 純一郎などはいかがでしょう いまなら真紀子もサービスでお付けいたします 東京では慎太郎も人気です 【…】 ---島田雅彦 (2001年詩のボクシング 対戦相手:サンプラザ中野)
序文 わ ら や ま は な た さ か あ 後記 り み ひ に ち し き い 文献 る ゆ む ふ ぬ つ す く う れ め へ ね て せ け え HP ろ よ も ほ の と そ こ お
Tweet 間違いや誤植を直すように努力していますが、個人ではどうしようもない部分もあります。 冷ややかに「間違っている」とおっしゃるよりは是非、間違いを教えてください。よろしくお願いします。 由来など何も書いていない人の部分は後に調べようと思っています。お待ちください。 また、ペンネームの由来を教えてあげよう、という作家がおいででしたら、是非教えてください。 はじめに ノーマ・ジーン・ベーカーNorma Jean Bakerはマリリン・モンローMalyrin Monroe(ジーン・ハーローJean Harlowなどから)と名前を変えて新しい人生を歩み始めた。呼びやすくて覚えやすい名前にするために、ミッキーマウスMickey Mouse、ミニーマウスMinnie Mouseと同様、イニシャルがMMとなるように考えた(ウォルト・ディズニーは元々ミッキーをモーティマーと名付けるつもりだったが、妻リリーの一声で現在の名前になった。その代わりにミッキーの恋のライバルであり、ミニーマウスの幼なじみとして、モーティマーマウスが登場する)。あの、みのもんただって御法川法男(みのりかわ・のりお)じゃあ、押しがきかなくなる。やっぱりMMになるように考えた(「みの」は御法川から「もんた」は申年生まれという事と「モンタサン」という競走馬が好きだった事から名付けられた---名付け親は放送作家で元参議院議員の野末陳平)。島田紳助もSSで親しみやすい(本名・長谷川公彦)。モンローのようにm-とr-を繰り返すのはロマーン・ヤーコブソンは類音法(paronomasia)と呼んだ(『一般言語学』みすず)。 「ミッキーマウス」の恋人の名前を「ミニーマウス」とするのは言葉の連想でダジャレだが、「ポパイ」の恋人を「オリーブ(オイル)」となるのは謎かけである。後者はほうれん草に一番似合う料理はオリーブオイルを使ったものだとされるからで、モノの連想で謎かけで同じ言葉遊びでもメカニズムが異なる。 ココ・シャネル(Coco Chanel)は本名をガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel)といった。ボヌール(幸福)な人生ではなくて孤児院で育った。そして、ココは小さい頃の愛称だと話していたらしいが、実はお針子仕事のかたわら、歌手を志してキャバレーで歌っていた時の歌、「Ko Ko Ri Ko(フランス語のオノマトペ「コケコッコー」)」と、「Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのはだれ)」という曲の題名にちなんでつけられたものだった。CCの方が語呂もいいし、ロゴにも応用できて、選ばれるべきして選ばれた愛称だったのである。ちなみに、スーパーマンはClark Kentであるし、恋人はLois Laneだ。Donald DuckとDaisy Duckは頭韻を踏み、甥っ子たちはHuey,Dewey,Louieと脚韻を踏んでいる。 ちなみに会田昌江という人がなんて女優になったか知っている人はいるだろうか?往年の原節子の本名なのだが、原節子は原節子でなければ収まらない。「原」という素朴で郷愁を誘う姓と「節子」という節度ある名が日本人の郷愁を呼ぶのだ。 作家も俳優や女優と同じように名前を変える。フランソワーズ・クアレズFrancoise Quoirezという名前をフランソワーズ・サガンSaganと変えることによって初めてメジャーになれるのだ(サガンというのは彼女の大好きなプルーストの『失われた時を求めて』の登場人物の名前から採ったもの)。 その意味で作家は三つの人生を生きることができる。実名の人生と、筆名の人生と小説の人生の三つである。小説の名前についていえば、作家は作品に出てくる名前を多くの場合、作品全体に関わるくらいの力を込めて名づける。例えば、ナバコフの『ロリータ』のヒロイン12歳の少女のドロレス・ヘイズの“Dolores”というのはラテン語で「悲哀、悲しみ」を意味するが、その後の人生を語っているかのようである。カフカの『変身』もグレゴール(グレーゴル)・ザムザと濁音が4つもある名前でなければ日本で人気が出なかった(ゴジラやギドラのように怪獣は濁音からできている)。漱石の『吾輩は猫である』の中にもバルザックが小説の主人公の名前を考えあぐねて、パリの街を一日中歩き回る話が出てくるが、それほど真剣に考えなければならないものなのである。まして自分の名前ともなると…。 名前がないとどうなるか。典型的には星新一のエヌ氏、エフ博士のようになってしまう。村上春樹もカタカナ名が多い。星は「人間の描写」というエッセイで次のように書いている。 すなわち人物描写に反発するあまり、主人公がほとんど点と化してしまった。私がよく登場させるエヌ氏のたぐいである。【…】また、なぜ名前らしい名を使わぬかというと、日本人の名はそれによって人物の性格や年齢が規定されかねないからである。貫禄のある名とか美人めいた名というのは、たしかに存在するようだ。 作品の主人公の点化が進むと、一方、物語の構成へのくふうが反比例して強く要求され、いっそうつらくなる。このタイプは作品が古びにくいかわり、発表の時点ではパンチの力が他にくらべ薄くなりがちで、それを補わなければならぬのである。 こうなると小説と呼ぶより寓話である。 名前は自己と切り離しがたい一部で自身の全体とつながるきわめて重要な自己の核だ。ペンネームを持って表現活動をするということは、ペルソナ(仮面)をかぶって仕事をするということに他ならないが、ペンネームを持つ以前の自己を変革してしまうという側面さえ持っている ペンネーム(号)は歴史も変える。吉田松陰は通称を寅次郎といったが、これは車寅次郎と同じ名前である(映画解説はつらいよ-----『男はつらいよ』参照)。周りから「寅さん」とか「寅ちゃん」と呼ばれるような人間であったら、明治維新は来なかったかもしれない。
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間違いや誤植を直すように努力していますが、個人ではどうしようもない部分もあります。 冷ややかに「間違っている」とおっしゃるよりは是非、間違いを教えてください。よろしくお願いします。 由来など何も書いていない人の部分は後に調べようと思っています。お待ちください。 また、ペンネームの由来を教えてあげよう、という作家がおいででしたら、是非教えてください。
ノーマ・ジーン・ベーカーNorma Jean Bakerはマリリン・モンローMalyrin Monroe(ジーン・ハーローJean Harlowなどから)と名前を変えて新しい人生を歩み始めた。呼びやすくて覚えやすい名前にするために、ミッキーマウスMickey Mouse、ミニーマウスMinnie Mouseと同様、イニシャルがMMとなるように考えた(ウォルト・ディズニーは元々ミッキーをモーティマーと名付けるつもりだったが、妻リリーの一声で現在の名前になった。その代わりにミッキーの恋のライバルであり、ミニーマウスの幼なじみとして、モーティマーマウスが登場する)。あの、みのもんただって御法川法男(みのりかわ・のりお)じゃあ、押しがきかなくなる。やっぱりMMになるように考えた(「みの」は御法川から「もんた」は申年生まれという事と「モンタサン」という競走馬が好きだった事から名付けられた---名付け親は放送作家で元参議院議員の野末陳平)。島田紳助もSSで親しみやすい(本名・長谷川公彦)。モンローのようにm-とr-を繰り返すのはロマーン・ヤーコブソンは類音法(paronomasia)と呼んだ(『一般言語学』みすず)。
「ミッキーマウス」の恋人の名前を「ミニーマウス」とするのは言葉の連想でダジャレだが、「ポパイ」の恋人を「オリーブ(オイル)」となるのは謎かけである。後者はほうれん草に一番似合う料理はオリーブオイルを使ったものだとされるからで、モノの連想で謎かけで同じ言葉遊びでもメカニズムが異なる。
ココ・シャネル(Coco Chanel)は本名をガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel)といった。ボヌール(幸福)な人生ではなくて孤児院で育った。そして、ココは小さい頃の愛称だと話していたらしいが、実はお針子仕事のかたわら、歌手を志してキャバレーで歌っていた時の歌、「Ko Ko Ri Ko(フランス語のオノマトペ「コケコッコー」)」と、「Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのはだれ)」という曲の題名にちなんでつけられたものだった。CCの方が語呂もいいし、ロゴにも応用できて、選ばれるべきして選ばれた愛称だったのである。ちなみに、スーパーマンはClark Kentであるし、恋人はLois Laneだ。Donald DuckとDaisy Duckは頭韻を踏み、甥っ子たちはHuey,Dewey,Louieと脚韻を踏んでいる。
ちなみに会田昌江という人がなんて女優になったか知っている人はいるだろうか?往年の原節子の本名なのだが、原節子は原節子でなければ収まらない。「原」という素朴で郷愁を誘う姓と「節子」という節度ある名が日本人の郷愁を呼ぶのだ。
作家も俳優や女優と同じように名前を変える。フランソワーズ・クアレズFrancoise Quoirezという名前をフランソワーズ・サガンSaganと変えることによって初めてメジャーになれるのだ(サガンというのは彼女の大好きなプルーストの『失われた時を求めて』の登場人物の名前から採ったもの)。
その意味で作家は三つの人生を生きることができる。実名の人生と、筆名の人生と小説の人生の三つである。小説の名前についていえば、作家は作品に出てくる名前を多くの場合、作品全体に関わるくらいの力を込めて名づける。例えば、ナバコフの『ロリータ』のヒロイン12歳の少女のドロレス・ヘイズの“Dolores”というのはラテン語で「悲哀、悲しみ」を意味するが、その後の人生を語っているかのようである。カフカの『変身』もグレゴール(グレーゴル)・ザムザと濁音が4つもある名前でなければ日本で人気が出なかった(ゴジラやギドラのように怪獣は濁音からできている)。漱石の『吾輩は猫である』の中にもバルザックが小説の主人公の名前を考えあぐねて、パリの街を一日中歩き回る話が出てくるが、それほど真剣に考えなければならないものなのである。まして自分の名前ともなると…。
名前がないとどうなるか。典型的には星新一のエヌ氏、エフ博士のようになってしまう。村上春樹もカタカナ名が多い。星は「人間の描写」というエッセイで次のように書いている。
すなわち人物描写に反発するあまり、主人公がほとんど点と化してしまった。私がよく登場させるエヌ氏のたぐいである。【…】また、なぜ名前らしい名を使わぬかというと、日本人の名はそれによって人物の性格や年齢が規定されかねないからである。貫禄のある名とか美人めいた名というのは、たしかに存在するようだ。 作品の主人公の点化が進むと、一方、物語の構成へのくふうが反比例して強く要求され、いっそうつらくなる。このタイプは作品が古びにくいかわり、発表の時点ではパンチの力が他にくらべ薄くなりがちで、それを補わなければならぬのである。 こうなると小説と呼ぶより寓話である。
すなわち人物描写に反発するあまり、主人公がほとんど点と化してしまった。私がよく登場させるエヌ氏のたぐいである。【…】また、なぜ名前らしい名を使わぬかというと、日本人の名はそれによって人物の性格や年齢が規定されかねないからである。貫禄のある名とか美人めいた名というのは、たしかに存在するようだ。
作品の主人公の点化が進むと、一方、物語の構成へのくふうが反比例して強く要求され、いっそうつらくなる。このタイプは作品が古びにくいかわり、発表の時点ではパンチの力が他にくらべ薄くなりがちで、それを補わなければならぬのである。
こうなると小説と呼ぶより寓話である。
名前は自己と切り離しがたい一部で自身の全体とつながるきわめて重要な自己の核だ。ペンネームを持って表現活動をするということは、ペルソナ(仮面)をかぶって仕事をするということに他ならないが、ペンネームを持つ以前の自己を変革してしまうという側面さえ持っている
ペンネーム(号)は歴史も変える。吉田松陰は通称を寅次郎といったが、これは車寅次郎と同じ名前である(映画解説はつらいよ-----『男はつらいよ』参照)。周りから「寅さん」とか「寅ちゃん」と呼ばれるような人間であったら、明治維新は来なかったかもしれない。
ペンネームの起源は古い。(エフェソスの)クセノフォンXenophon Ephesius【3〜4世紀】もペンネームであろうといわれている。日本で一番古いのは紫式部と言われる。藤原北家の出で、女房名は「藤式部」だったが、「紫」の称は『源氏物語』の作中人物「紫の上」に、「式部」は父が式部省の官僚・式部大丞だったことに由来する。自分の書いた小説のヒロインから名前を採っているという意味でも興味深いペンネームだ。 鴎外や子規や直木三十五などは生涯にいくつものペンネーム(号)をもった。滝沢馬琴は公式な名前は源興邦(おきくに)だが本名の他に34も名前を持っていた。例えば「曲亭馬琴」というのは「くるわでまこと」という意味で、要するに本来みんなお遊びのはずの廓で、まじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という自嘲的な筆名だった。「滝沢」というのは明治以降に読まれた名前で本人の希望する名ではなかったという。江博物学者の貝原益軒は「損軒」と名乗っていたのを、80歳を過ぎて「益軒」に改名したのだが、「損」などとつける方がおかしい。田中優子『江戸はネットワーク』(平凡社)は江戸時代の文人は本名以外にたくさんの号をもっていて、場合に応じて使い分けたという。そして「自己の一貫性など、鼻もひっかけない」生き方を楽しんだのだ。 ペンネームというと二葉亭四迷がもっとも有名だが、江戸時代にも狂歌三大家のひとり朱楽菅江(あけら・かんこう)は「あっけらかん」から名前を作っている。 鷲田清一と内田樹の対談『大人のいない国』(プレジデント社)の中で二人は次のように語っている。 鷲田「近代社会って生まれて死ぬまで同じ自分でないといけないという脅迫観念があって、直線的に自分の人生を語ろうとするじゃないですか。昔の偉い人は何回も名前が変わった。失敗しても名前を変えるくらいの気持ちでいたらええよ、と。人生を語るときは直線でなく、あみだくじで語れ、と言いたいね。あのとき内田さんと合ったからこんな人生に曲げられてしまった、でいいんです(笑)。出会った人を数えたほうがいいですよ」 内田「昔は幼名とか隠居名がありましたね。立場変えるから名前も変えちゃおうみたいなことが頻繁にあったと思うんですよ。そうなると人格じゃなくて機能がその人の名前ですよね」 鷲田「すごい知恵や思う」 内田「固有名を最後まで貫徹するというのは、すごく不便なことですよ。それまでやったことを一回リセットしたいと思うことってあるじゃないですか。革命家や芸術家は移民や流浪民だったから、国境を越えるたびに名前の読み方も変わった。人間は初めから最後まで首尾一貫したアイデンティティを持っていなければいけないという不便なことになったのはたかだか明治維新からでしょう」 そうなのだ。名前は機能なのである。それは歌舞伎や落語などに見られる「襲名」にも見られる。リセットして、別の機能の芸人になるということなのだ。 井上ひさし(「筆名考」『ふふふ』講談社)によれば、欧米でもっとも多くの筆名を持ったのは、イギリスの探偵小説家ジョン・クリージー(John Creasey)で全部で28の筆名で合わせて560冊の探偵小説や冒険小説を書いたという。「一つの名前で、何百冊も探偵小説を書いてみなさい。あんまり多すぎて、自分でもなにを書いたか判らなくなるではありませんか」といい、晩年のインタビューでは「じつは、若いころから、自分が多作するのではないかと気づいていましたのでね、内容に合わせて、いくつも筆名を使い分けないと、やっていけないと思ったのですよ」と答えている。井上は「筆者の知る限り」世界でもっとも数多く筆名を持ったのは、中国の魯迅だったという。阿二、阿法から始まって、令飛、Lまで、なんと126種もの筆名を駆使しているとして、井上は話を続ける。 当時、蒋介石(しょうかいせき)の国民党政府は、魯迅の首に莫大な懸賞金をかけていた。蒋介石は、筆をもって鋭く烈しく政府批判を仕掛けてくる魯迅が邪魔で仕方がなかったのである。つまり魯迅は一編書くたびに名前を変えて、探索の目から逃れていたわけで、香の場合は命懸けの筆名作戦だった。 わが国で、魯迅と並ぶのはまちがいなく芥川龍之介で、習作時代の立田川雄之介から始まって、その早い晩年の餓鬼(がき)老人に至るまで、筆名の数はおそらく五十は越すだろう。なぜ、そんなにたくさんの筆名や雅号が必要だったのか。『澄江堂(ちょうこうどう)』雑記には、こうある。 <(雅号、筆名の多いのは)必しも道楽に拵(こしら)へたのではない。……趣味の進歩に応じておのづから出来たものと思つてゐる。> ここまで書いてくると、やはり筆者としては、己(おの)が事情について考えざるを得ない。 本名、井上廈。廈という字はだれも読めないから、平仮名に開いて、ひさし。まことに平凡である。五百六十冊も書けないし、雑誌を一冊丸ごと一人で書くこともなく、変身願望もなく、時の政府に追われることもなければ、趣味が進歩することもない。趣味は昔から野球と映画とそぞろ歩き。この平凡な半生が、どうやら平凡な筆名に現れているようだ。 近代においては自己の一貫性・継続性を示すためにペンネームを複数もつことは少なくなってきたのだが、その一つの伝統は唯一、自己を秘匿・誇張して表現できる場所、つまり、ネット上にハンドル・ネームとして残っている。例えば、村上龍の『共生虫』では家族とのつながりを感じることができない、ひきこもりの男が「ウエハラ」という名前で、本名を拒否して生きている。おっと、ハンドルネームといえば、検索エンジンのYahoo!の由来は「Yet Another Hierarchical Officious Oracle」(またも登場した階層的かつお節介な神託)の略だといわれているが、開発したファイロとヤンは自分たちのことを「ならずもの」だと考えているから、「粗野な人」という意味がある「yahoo」(『ガリヴァー旅行記』に登場する、人間の形をした野獣)という言葉を選んだと主張している。ペンネームを扱う時も同様だが、名前の由来には一つの正解はない。後から色々なネタを加えていくことが多いからである。 21世紀の日本でも本名を隠したままの作家がいるし、ベテラン作家が公表せずに別のペンネームを使っている場合もあり、大森兄弟のように兄弟で共同執筆、越前魔太郎のように舞城王太郎、乙一、新城カズマら8人で共同執筆している場合もあり、尾崎翠と「連名」で『瑠璃玉の耳輪』を書いた津原泰水のような例も出てきた。ネット小説などが増えるとともに、作家主義から作品主義に変わってきたのだ。2010年ごろからとみに「本名未公表」という作家が増えて来た。プライバシーの問題も大きくてSNSなどで本名が知られたりするとまずいことが多いからだと考えられる。もともと本名を隠すための機能があったのだから、当然と言えば当然。 本名と簡単に使っているが、本名がはっきり分かる訳でもない。写真家のマン・レイ(Man Ray)はRadnitzky, Emmanuelなのか、Rudnitskyなのか、Rudnitzkyなのか、Radenskiなのか、分かっていない。本人が秘匿している場合もあれば、勝手に変えて使っている場合もあるし、言語的に定まらないことだってある。第一、マン・レイというのがどっちが苗字なのかもソラリゼーションのようにまるでぼんやりしている。 鈴木裳三は「日本人ほど名前に凝る民族は珍しいとさえ思われるのに、その歴史的研究を捨てて顧みないのは不審にたえぬ」と言ったという(池内紀『ことばの引き出し』大修館)。 「田村カフカ」と僕は言う。「田村カフカ」とさくらは反復する。 「変わった名前だね。覚えやすいけど」 僕はうなずく。べつの人間になることは簡単じゃない。でもべつの名前になることは簡単にできる。 -----村上春樹『海辺のカフカ 石田衣良『坂の下の湖』(日本経済新聞出版社)の「名前はむずかしい」で子どもの名前が「蒼空」(そら)、「琉醒」(りゅうせい)、「壽来人」(じゅきと)、「月愛」(るな)、「珠瑛璃」(じゅえり)、「愛夏羽」(あげは)、「乃輝」(ないき)、紗音瑠(しゃねる)なんていうのが出てきて、田舎のスナックじゃないと嘆いていて、次のように書いている。 事情はなにも、子どものネーミングだけではない。ぼくは小説新人賞の選考委員をいくつか務めているけれど、最終選考にあがってくる作家志望のペンネームに、この困ったちゃんが実に多い。そういう人に限って、凝りにこったペンネームをつける割には、肝心の応募作のタイトルがまるで無神経だったりする。言葉に対するセンスをまるで磨いていないのだ。それではプロの作家になるのは困難である。 日本人の名前は音の響きだけでなく、漢字の表意性も強く、しかも欧米に比べ自由度が非常に高い。親はめったにない機会だから、オリジナリティをはっきしようとするのだろうが、そこでどうしても加減がわからずに、やしるぎてしまう。誰もが創造的な世界は、ルールのないでたらめな思いつきの世界に堕ちやすいものである。 OEDにはanonymunculeという単語が記載されていて、「匿名の三流作家」という意味だという。anonymous(匿名)とhomunculus(凡人)の組み合わせからなる単語である。こったペンネームもおかしいし、匿名で下手な文章を書いていても恥ずかしい。
ペンネームの起源は古い。(エフェソスの)クセノフォンXenophon Ephesius【3〜4世紀】もペンネームであろうといわれている。日本で一番古いのは紫式部と言われる。藤原北家の出で、女房名は「藤式部」だったが、「紫」の称は『源氏物語』の作中人物「紫の上」に、「式部」は父が式部省の官僚・式部大丞だったことに由来する。自分の書いた小説のヒロインから名前を採っているという意味でも興味深いペンネームだ。
鴎外や子規や直木三十五などは生涯にいくつものペンネーム(号)をもった。滝沢馬琴は公式な名前は源興邦(おきくに)だが本名の他に34も名前を持っていた。例えば「曲亭馬琴」というのは「くるわでまこと」という意味で、要するに本来みんなお遊びのはずの廓で、まじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という自嘲的な筆名だった。「滝沢」というのは明治以降に読まれた名前で本人の希望する名ではなかったという。江博物学者の貝原益軒は「損軒」と名乗っていたのを、80歳を過ぎて「益軒」に改名したのだが、「損」などとつける方がおかしい。田中優子『江戸はネットワーク』(平凡社)は江戸時代の文人は本名以外にたくさんの号をもっていて、場合に応じて使い分けたという。そして「自己の一貫性など、鼻もひっかけない」生き方を楽しんだのだ。
ペンネームというと二葉亭四迷がもっとも有名だが、江戸時代にも狂歌三大家のひとり朱楽菅江(あけら・かんこう)は「あっけらかん」から名前を作っている。
鷲田清一と内田樹の対談『大人のいない国』(プレジデント社)の中で二人は次のように語っている。
鷲田「近代社会って生まれて死ぬまで同じ自分でないといけないという脅迫観念があって、直線的に自分の人生を語ろうとするじゃないですか。昔の偉い人は何回も名前が変わった。失敗しても名前を変えるくらいの気持ちでいたらええよ、と。人生を語るときは直線でなく、あみだくじで語れ、と言いたいね。あのとき内田さんと合ったからこんな人生に曲げられてしまった、でいいんです(笑)。出会った人を数えたほうがいいですよ」 内田「昔は幼名とか隠居名がありましたね。立場変えるから名前も変えちゃおうみたいなことが頻繁にあったと思うんですよ。そうなると人格じゃなくて機能がその人の名前ですよね」 鷲田「すごい知恵や思う」 内田「固有名を最後まで貫徹するというのは、すごく不便なことですよ。それまでやったことを一回リセットしたいと思うことってあるじゃないですか。革命家や芸術家は移民や流浪民だったから、国境を越えるたびに名前の読み方も変わった。人間は初めから最後まで首尾一貫したアイデンティティを持っていなければいけないという不便なことになったのはたかだか明治維新からでしょう」
鷲田「近代社会って生まれて死ぬまで同じ自分でないといけないという脅迫観念があって、直線的に自分の人生を語ろうとするじゃないですか。昔の偉い人は何回も名前が変わった。失敗しても名前を変えるくらいの気持ちでいたらええよ、と。人生を語るときは直線でなく、あみだくじで語れ、と言いたいね。あのとき内田さんと合ったからこんな人生に曲げられてしまった、でいいんです(笑)。出会った人を数えたほうがいいですよ」
内田「昔は幼名とか隠居名がありましたね。立場変えるから名前も変えちゃおうみたいなことが頻繁にあったと思うんですよ。そうなると人格じゃなくて機能がその人の名前ですよね」
鷲田「すごい知恵や思う」
内田「固有名を最後まで貫徹するというのは、すごく不便なことですよ。それまでやったことを一回リセットしたいと思うことってあるじゃないですか。革命家や芸術家は移民や流浪民だったから、国境を越えるたびに名前の読み方も変わった。人間は初めから最後まで首尾一貫したアイデンティティを持っていなければいけないという不便なことになったのはたかだか明治維新からでしょう」
そうなのだ。名前は機能なのである。それは歌舞伎や落語などに見られる「襲名」にも見られる。リセットして、別の機能の芸人になるということなのだ。
井上ひさし(「筆名考」『ふふふ』講談社)によれば、欧米でもっとも多くの筆名を持ったのは、イギリスの探偵小説家ジョン・クリージー(John Creasey)で全部で28の筆名で合わせて560冊の探偵小説や冒険小説を書いたという。「一つの名前で、何百冊も探偵小説を書いてみなさい。あんまり多すぎて、自分でもなにを書いたか判らなくなるではありませんか」といい、晩年のインタビューでは「じつは、若いころから、自分が多作するのではないかと気づいていましたのでね、内容に合わせて、いくつも筆名を使い分けないと、やっていけないと思ったのですよ」と答えている。井上は「筆者の知る限り」世界でもっとも数多く筆名を持ったのは、中国の魯迅だったという。阿二、阿法から始まって、令飛、Lまで、なんと126種もの筆名を駆使しているとして、井上は話を続ける。
当時、蒋介石(しょうかいせき)の国民党政府は、魯迅の首に莫大な懸賞金をかけていた。蒋介石は、筆をもって鋭く烈しく政府批判を仕掛けてくる魯迅が邪魔で仕方がなかったのである。つまり魯迅は一編書くたびに名前を変えて、探索の目から逃れていたわけで、香の場合は命懸けの筆名作戦だった。 わが国で、魯迅と並ぶのはまちがいなく芥川龍之介で、習作時代の立田川雄之介から始まって、その早い晩年の餓鬼(がき)老人に至るまで、筆名の数はおそらく五十は越すだろう。なぜ、そんなにたくさんの筆名や雅号が必要だったのか。『澄江堂(ちょうこうどう)』雑記には、こうある。 <(雅号、筆名の多いのは)必しも道楽に拵(こしら)へたのではない。……趣味の進歩に応じておのづから出来たものと思つてゐる。> ここまで書いてくると、やはり筆者としては、己(おの)が事情について考えざるを得ない。 本名、井上廈。廈という字はだれも読めないから、平仮名に開いて、ひさし。まことに平凡である。五百六十冊も書けないし、雑誌を一冊丸ごと一人で書くこともなく、変身願望もなく、時の政府に追われることもなければ、趣味が進歩することもない。趣味は昔から野球と映画とそぞろ歩き。この平凡な半生が、どうやら平凡な筆名に現れているようだ。
当時、蒋介石(しょうかいせき)の国民党政府は、魯迅の首に莫大な懸賞金をかけていた。蒋介石は、筆をもって鋭く烈しく政府批判を仕掛けてくる魯迅が邪魔で仕方がなかったのである。つまり魯迅は一編書くたびに名前を変えて、探索の目から逃れていたわけで、香の場合は命懸けの筆名作戦だった。
わが国で、魯迅と並ぶのはまちがいなく芥川龍之介で、習作時代の立田川雄之介から始まって、その早い晩年の餓鬼(がき)老人に至るまで、筆名の数はおそらく五十は越すだろう。なぜ、そんなにたくさんの筆名や雅号が必要だったのか。『澄江堂(ちょうこうどう)』雑記には、こうある。
<(雅号、筆名の多いのは)必しも道楽に拵(こしら)へたのではない。……趣味の進歩に応じておのづから出来たものと思つてゐる。>
ここまで書いてくると、やはり筆者としては、己(おの)が事情について考えざるを得ない。
本名、井上廈。廈という字はだれも読めないから、平仮名に開いて、ひさし。まことに平凡である。五百六十冊も書けないし、雑誌を一冊丸ごと一人で書くこともなく、変身願望もなく、時の政府に追われることもなければ、趣味が進歩することもない。趣味は昔から野球と映画とそぞろ歩き。この平凡な半生が、どうやら平凡な筆名に現れているようだ。
近代においては自己の一貫性・継続性を示すためにペンネームを複数もつことは少なくなってきたのだが、その一つの伝統は唯一、自己を秘匿・誇張して表現できる場所、つまり、ネット上にハンドル・ネームとして残っている。例えば、村上龍の『共生虫』では家族とのつながりを感じることができない、ひきこもりの男が「ウエハラ」という名前で、本名を拒否して生きている。おっと、ハンドルネームといえば、検索エンジンのYahoo!の由来は「Yet Another Hierarchical Officious Oracle」(またも登場した階層的かつお節介な神託)の略だといわれているが、開発したファイロとヤンは自分たちのことを「ならずもの」だと考えているから、「粗野な人」という意味がある「yahoo」(『ガリヴァー旅行記』に登場する、人間の形をした野獣)という言葉を選んだと主張している。ペンネームを扱う時も同様だが、名前の由来には一つの正解はない。後から色々なネタを加えていくことが多いからである。
21世紀の日本でも本名を隠したままの作家がいるし、ベテラン作家が公表せずに別のペンネームを使っている場合もあり、大森兄弟のように兄弟で共同執筆、越前魔太郎のように舞城王太郎、乙一、新城カズマら8人で共同執筆している場合もあり、尾崎翠と「連名」で『瑠璃玉の耳輪』を書いた津原泰水のような例も出てきた。ネット小説などが増えるとともに、作家主義から作品主義に変わってきたのだ。2010年ごろからとみに「本名未公表」という作家が増えて来た。プライバシーの問題も大きくてSNSなどで本名が知られたりするとまずいことが多いからだと考えられる。もともと本名を隠すための機能があったのだから、当然と言えば当然。
本名と簡単に使っているが、本名がはっきり分かる訳でもない。写真家のマン・レイ(Man Ray)はRadnitzky, Emmanuelなのか、Rudnitskyなのか、Rudnitzkyなのか、Radenskiなのか、分かっていない。本人が秘匿している場合もあれば、勝手に変えて使っている場合もあるし、言語的に定まらないことだってある。第一、マン・レイというのがどっちが苗字なのかもソラリゼーションのようにまるでぼんやりしている。
鈴木裳三は「日本人ほど名前に凝る民族は珍しいとさえ思われるのに、その歴史的研究を捨てて顧みないのは不審にたえぬ」と言ったという(池内紀『ことばの引き出し』大修館)。
「田村カフカ」と僕は言う。「田村カフカ」とさくらは反復する。 「変わった名前だね。覚えやすいけど」 僕はうなずく。べつの人間になることは簡単じゃない。でもべつの名前になることは簡単にできる。 -----村上春樹『海辺のカフカ
石田衣良『坂の下の湖』(日本経済新聞出版社)の「名前はむずかしい」で子どもの名前が「蒼空」(そら)、「琉醒」(りゅうせい)、「壽来人」(じゅきと)、「月愛」(るな)、「珠瑛璃」(じゅえり)、「愛夏羽」(あげは)、「乃輝」(ないき)、紗音瑠(しゃねる)なんていうのが出てきて、田舎のスナックじゃないと嘆いていて、次のように書いている。
事情はなにも、子どものネーミングだけではない。ぼくは小説新人賞の選考委員をいくつか務めているけれど、最終選考にあがってくる作家志望のペンネームに、この困ったちゃんが実に多い。そういう人に限って、凝りにこったペンネームをつける割には、肝心の応募作のタイトルがまるで無神経だったりする。言葉に対するセンスをまるで磨いていないのだ。それではプロの作家になるのは困難である。 日本人の名前は音の響きだけでなく、漢字の表意性も強く、しかも欧米に比べ自由度が非常に高い。親はめったにない機会だから、オリジナリティをはっきしようとするのだろうが、そこでどうしても加減がわからずに、やしるぎてしまう。誰もが創造的な世界は、ルールのないでたらめな思いつきの世界に堕ちやすいものである。
事情はなにも、子どものネーミングだけではない。ぼくは小説新人賞の選考委員をいくつか務めているけれど、最終選考にあがってくる作家志望のペンネームに、この困ったちゃんが実に多い。そういう人に限って、凝りにこったペンネームをつける割には、肝心の応募作のタイトルがまるで無神経だったりする。言葉に対するセンスをまるで磨いていないのだ。それではプロの作家になるのは困難である。
日本人の名前は音の響きだけでなく、漢字の表意性も強く、しかも欧米に比べ自由度が非常に高い。親はめったにない機会だから、オリジナリティをはっきしようとするのだろうが、そこでどうしても加減がわからずに、やしるぎてしまう。誰もが創造的な世界は、ルールのないでたらめな思いつきの世界に堕ちやすいものである。
OEDにはanonymunculeという単語が記載されていて、「匿名の三流作家」という意味だという。anonymous(匿名)とhomunculus(凡人)の組み合わせからなる単語である。こったペンネームもおかしいし、匿名で下手な文章を書いていても恥ずかしい。
ペンネームを一生懸命考えるのは日本だけではなくて外国でも同じで、例えばバルザックはあんなにも大作家だったにもかかわらず、コンプレックスがあったのでオノレ・ド・バルザックHonore de Balzacと貴族でもないのに「ド」を付けた(「僭称」した)。 『ロビンソン・クルーソー』のダニエル・デフォーは少し複雑で本名はFoeだったが、「敵、障害」を意味するのでダンフォーとかさまざまな名前を考えたらしい。結局、後に高貴な意味を持つことになるdeをつけてDefoeという名前で落ち着いた。 生まれながらに立派な実名をもつ武者小路実篤のような公卿華族の家系の人には分からない苦労である。どうせ、おいらは「裏小路高血圧」程度だ! でも、いつも偉そうにしていた評論家・江藤淳でさえ自分の名前が嫌いだったんだろうな、一生懸命ペンネームを考えたんだろうな、と思うと愉快になってきて、しまいには江頭じゃなくて目頭が熱くなる。『言海』の大槻文彦も儒者磐渓に立派な清復(通称は復三郎、復軒と号した)という名前をつけてもらいながら、文彦という名前にした。司馬遼太郎も『福田定一の街道を歩く』だったら誰も読まないだろうと考えたんだろうな、と嬉しくなる。エンゲルスEngelsでもF・オスワルトOswaldというペンネームをもっていたし、レーニンLeninだって本名はUl'yanovで他150ものペンネームを持っていたから許す。 18世紀は「ヴォルテールの世紀」といわれた位だが、大思想家ヴォルテールVoltaireは本名・アルーFrancois-Marie Arouetだった。同様に、 マリー・アンリ・ベイルMarie Henri BeyleはスタンダールStendahl、チャールズ・ラムCharles LambはエリアEliaに、エミール・オーギュスト・シャルチエEmile-Auguste ChartierもアランAlain(<アラン・シャルチエAlain Chartier 中世詩人)と名前を短くした。彼等には「裕仁」「明仁」「徳仁」みたいに姓がないというか姓か名か不明だ。きっとタモリのように人気者になりたかったのだろう。日本と同じように西欧の影響で近代文学を出発させた中国でも、魯迅(周樹人)や茅盾(沈徳鴻)などヴォルテール流のペンネームが多い。 ウィリアム・シドニー・ポーターWilliam Sydney PorterのようにO・ヘンリーと短く分かりやすくした人もいる。ただし、彼は銀行員時代に公金横領の罪を犯していて、一時は中米で逃亡生活を送っていたが妻の病気で帰国して、3年間も拘置生活を経験しているのを隠したかったということもあるようだ。実際、有名になってからも住所を明らかにしなかったといわれている。 小説『アクセル』の中で「生きるなんて、召使にやらせておけ」という名言を残したリラダンは本当は長い名前でジャン=マリ=マチアス=フィリップ=オーギュスト=ド・ヴィリエ・ド・リラダンだったが、ただのリラダン(ヴィリエ・リラダン)と短くした。アポリネールGuillaume Apollinaireも長くて Guillaume Albert Vladimir Apollinaire de Kostrowitzkyだったが、短くした。 『トム・ソーヤーの冒険』で知られるユーモリスト、マーク・トウェインは本名がサミュエル・ラングホーン・クレメンスだったが、ミシシッピ川を遡上する船の水先案内(パイロット)の通行可能な水深を報せる叫び「マーク・トウェイン」(Mark Twain)をペンネームにした。マークは印を付ける、マークするという意味で、トウェインは2のこと。ここでは「2尋(ひろ)」(尋は両腕を伸ばした長さ)で約3メートルのことである。これをジョークでペンネームにしたのだが、マークが名、トウェインが姓というのではなく、2語は切れないことになっている。 名前を増やす人もいる。『ホフマン物語』で有名なE.T.A.ホフマンは19世紀初頭に活躍したドイツの作家で怪奇小説や推理小説のもととなる短編小説を数多く残している。作家だったが、同時に音楽家でもあり、また画家だった。とくにモーツァルトを愛し、名前のAはアマデウスをとって、自分でつけたものだ。僕ならプロデウスとつけそうになる。 ちなみに、ラムが『ロンドン雑誌』に「エリア随筆」を書き始めたのは1820年8月で45歳の時だった。周囲を気づかうために、もと南海会社に勤務していた同僚から無断で借用したものだったが、有名になってきたころに由来を打ち明けて一緒に笑おうと久しぶりに旧友を訪れた。しかし、肝心の相手はもはやこの世にはいなかった。
ペンネームを一生懸命考えるのは日本だけではなくて外国でも同じで、例えばバルザックはあんなにも大作家だったにもかかわらず、コンプレックスがあったのでオノレ・ド・バルザックHonore de Balzacと貴族でもないのに「ド」を付けた(「僭称」した)。
『ロビンソン・クルーソー』のダニエル・デフォーは少し複雑で本名はFoeだったが、「敵、障害」を意味するのでダンフォーとかさまざまな名前を考えたらしい。結局、後に高貴な意味を持つことになるdeをつけてDefoeという名前で落ち着いた。
生まれながらに立派な実名をもつ武者小路実篤のような公卿華族の家系の人には分からない苦労である。どうせ、おいらは「裏小路高血圧」程度だ!
でも、いつも偉そうにしていた評論家・江藤淳でさえ自分の名前が嫌いだったんだろうな、一生懸命ペンネームを考えたんだろうな、と思うと愉快になってきて、しまいには江頭じゃなくて目頭が熱くなる。『言海』の大槻文彦も儒者磐渓に立派な清復(通称は復三郎、復軒と号した)という名前をつけてもらいながら、文彦という名前にした。司馬遼太郎も『福田定一の街道を歩く』だったら誰も読まないだろうと考えたんだろうな、と嬉しくなる。エンゲルスEngelsでもF・オスワルトOswaldというペンネームをもっていたし、レーニンLeninだって本名はUl'yanovで他150ものペンネームを持っていたから許す。
18世紀は「ヴォルテールの世紀」といわれた位だが、大思想家ヴォルテールVoltaireは本名・アルーFrancois-Marie Arouetだった。同様に、 マリー・アンリ・ベイルMarie Henri BeyleはスタンダールStendahl、チャールズ・ラムCharles LambはエリアEliaに、エミール・オーギュスト・シャルチエEmile-Auguste ChartierもアランAlain(<アラン・シャルチエAlain Chartier 中世詩人)と名前を短くした。彼等には「裕仁」「明仁」「徳仁」みたいに姓がないというか姓か名か不明だ。きっとタモリのように人気者になりたかったのだろう。日本と同じように西欧の影響で近代文学を出発させた中国でも、魯迅(周樹人)や茅盾(沈徳鴻)などヴォルテール流のペンネームが多い。
ウィリアム・シドニー・ポーターWilliam Sydney PorterのようにO・ヘンリーと短く分かりやすくした人もいる。ただし、彼は銀行員時代に公金横領の罪を犯していて、一時は中米で逃亡生活を送っていたが妻の病気で帰国して、3年間も拘置生活を経験しているのを隠したかったということもあるようだ。実際、有名になってからも住所を明らかにしなかったといわれている。
小説『アクセル』の中で「生きるなんて、召使にやらせておけ」という名言を残したリラダンは本当は長い名前でジャン=マリ=マチアス=フィリップ=オーギュスト=ド・ヴィリエ・ド・リラダンだったが、ただのリラダン(ヴィリエ・リラダン)と短くした。アポリネールGuillaume Apollinaireも長くて Guillaume Albert Vladimir Apollinaire de Kostrowitzkyだったが、短くした。
『トム・ソーヤーの冒険』で知られるユーモリスト、マーク・トウェインは本名がサミュエル・ラングホーン・クレメンスだったが、ミシシッピ川を遡上する船の水先案内(パイロット)の通行可能な水深を報せる叫び「マーク・トウェイン」(Mark Twain)をペンネームにした。マークは印を付ける、マークするという意味で、トウェインは2のこと。ここでは「2尋(ひろ)」(尋は両腕を伸ばした長さ)で約3メートルのことである。これをジョークでペンネームにしたのだが、マークが名、トウェインが姓というのではなく、2語は切れないことになっている。
名前を増やす人もいる。『ホフマン物語』で有名なE.T.A.ホフマンは19世紀初頭に活躍したドイツの作家で怪奇小説や推理小説のもととなる短編小説を数多く残している。作家だったが、同時に音楽家でもあり、また画家だった。とくにモーツァルトを愛し、名前のAはアマデウスをとって、自分でつけたものだ。僕ならプロデウスとつけそうになる。
ちなみに、ラムが『ロンドン雑誌』に「エリア随筆」を書き始めたのは1820年8月で45歳の時だった。周囲を気づかうために、もと南海会社に勤務していた同僚から無断で借用したものだったが、有名になってきたころに由来を打ち明けて一緒に笑おうと久しぶりに旧友を訪れた。しかし、肝心の相手はもはやこの世にはいなかった。
時の権力によってペンネームを変えなければならない場合もある。井原西鶴 は本名を平山藤五 ( ひらやま とうご )といったが、晩年に「西鵬」と名乗った。これは時の5代将軍徳川綱吉 が娘鶴姫を溺愛するあまり出した「鶴字法度」(庶民の鶴の字の使用禁止)に因んだものだった。別号は鶴永 、二万翁 だった。 作家ではないが、作曲家のメンデルスゾーンのおうちはとても裕福でおじいちゃんがカントにも影響を与えた哲学者でお父さんが大銀行家で大富豪だった。ただ、ユダヤ人だったので、一家はプロテスタントに改宗をして、彼の名前もフェリックス(幸運)からメンデルスゾーン・バルトルディに改名してしまう。メンデルスゾーン自身はこの名前を嫌ったという。 権力が固有名詞に関与してくる、名前を通して人を支配するというのは『千と千尋の神隠し』そのままの世界だが、いつだってどこだってあるのだ。米原万里は「罵り言葉考」(『不実な美女か貞淑な醜女か』)の中で次のように書いている。 アンドレイ・サハロフ(砂糖)博士がゴリキー(苦い)市に流刑になったころ、市の名称をスラトキー(甘い)に改めるべきだ、などという小話が流行ったものだが、ご存知のとおり、最近現実の出来事として、長年公式筋に「ソビエト文学の父」視されてきたこの作家のペン・ネームは、「ソビエト水爆の父」の流刑先となったヴォルガ河畔の市の名称から外された。作家の生まれ故郷だった市は、作家の生まれた頃も、またその作品の中でもそう呼ばれているニジニイ・ノヴゴロドという昔の名前に戻った。 ※ゴリキーは本名ペシコフ、アレクセーイ・マクシモヴィチでヴォルガ川流域の町ニジニイ・ノヴゴロドドに生れた。
時の権力によってペンネームを変えなければならない場合もある。井原西鶴 は本名を平山藤五 ( ひらやま とうご )といったが、晩年に「西鵬」と名乗った。これは時の5代将軍徳川綱吉 が娘鶴姫を溺愛するあまり出した「鶴字法度」(庶民の鶴の字の使用禁止)に因んだものだった。別号は鶴永 、二万翁 だった。
作家ではないが、作曲家のメンデルスゾーンのおうちはとても裕福でおじいちゃんがカントにも影響を与えた哲学者でお父さんが大銀行家で大富豪だった。ただ、ユダヤ人だったので、一家はプロテスタントに改宗をして、彼の名前もフェリックス(幸運)からメンデルスゾーン・バルトルディに改名してしまう。メンデルスゾーン自身はこの名前を嫌ったという。
権力が固有名詞に関与してくる、名前を通して人を支配するというのは『千と千尋の神隠し』そのままの世界だが、いつだってどこだってあるのだ。米原万里は「罵り言葉考」(『不実な美女か貞淑な醜女か』)の中で次のように書いている。
アンドレイ・サハロフ(砂糖)博士がゴリキー(苦い)市に流刑になったころ、市の名称をスラトキー(甘い)に改めるべきだ、などという小話が流行ったものだが、ご存知のとおり、最近現実の出来事として、長年公式筋に「ソビエト文学の父」視されてきたこの作家のペン・ネームは、「ソビエト水爆の父」の流刑先となったヴォルガ河畔の市の名称から外された。作家の生まれ故郷だった市は、作家の生まれた頃も、またその作品の中でもそう呼ばれているニジニイ・ノヴゴロドという昔の名前に戻った。 ※ゴリキーは本名ペシコフ、アレクセーイ・マクシモヴィチでヴォルガ川流域の町ニジニイ・ノヴゴロドドに生れた。
哲学者のヴォルテール(Voltaire)の本名はフランソワ・マリー・アルエ(Francois-Marie Arouet)という。ただ単にヴォルテールにした。「タモリ」とか「つんく」といった名前だ。諸説があってはっきりしないのだが、ヴォルテールは「ヴォロンテール」(volontaire意地っぱり)という小さい頃からあだ名をもじったということになっている。また本名の綴りのアナグラムだという説もある。 スコットランドの小説家サキ(Saki)のペンネームの由来はイランの詩人オマル・ハイヤームの詩『ルバイヤート』に登場する「酒を酌する少年」の意からとされる説が通説であるが、確証に乏しいという。南アメリカ産のサル「サキ」から採ったという説もある。確かなことは分からないし、本人が書いていてもウソかもしれない。多くの場合、人間が何かをする動機というのは一つではない。 中には親の名前が重くてペンネームにした人もいる。エイズで亡くなった哲学者のミシェル・フーコー(Michel Foucault)は本名ではない。フーコーの家は曾祖父も、祖父も、父も医者で、家の後継者にはポールという名前を付けることに決まっていた。フーコーの母親アンヌはこの習わしが嫌いで、ポールの後に連結記号をつけてポール=ミシェルという名前にした。ポール=ミシェル・フーコーは大きくなってから嫌いだった父の名前であるポールを外して、ミシェル・フーコーと名乗るようになった。つまり、医者にしようとしていた父への反発と、生涯続いた母親への愛情がこの名前から読みとれるのである。 フーコーとほぼ同時代を生きた哲学者ロラン・バルト(Rolan Barthes)もある対談の中で自分の姓はBarthesの綴りどおり、本来「バルテス」なのだが、世間の人、つまり、フランス人一般がフランス語の発音に従って語尾の“s”を落として発音して「バルト」と呼ぶのに従っていると語っている。わざわざこんなことにこだわる理由がある。バルトはノルマンディのシェルブールに生まれたが、1歳の時の父の死後、父方の祖父母の住むフランス南西部のバイヨンヌに中学まで過ごしたという。ここはバスク族のフランスでの中心地である。篠田浩一郎は「バルトと<日本>、およびその教訓」(『修羅と鎮魂』小沢書店1990)でバルトがこのバスク人の血を引いているのではないかと推測しているが、これが本当だとすれば、その出自を明確にしたいがために、本来「バルテス」だと発言しているのであろう。こうしたシニフィアン(能記=記号表現=音声面)にこだわる姿が、バルザックの小説の主人公であり、去勢された歌手の名前サラジーヌから出発して『S/Z』や、「プルーストと名前」「サド論」などを生んだのではないだろうか?蛇足もいいところだが、フジTVアナだった中村江里子の夫はバルトの甥だという。実業家でシャルル・エドワード・バルトだそうだ(タレントのセイン・カミュの大叔父がアルベール・カミュというのも驚きだったが…)。 フーコー、バルトと来るともう一人の哲学者も心配になる。実はジャック・デリダ(Jacque Derrida)もペンネームなのだ。アルジェリア生まれでユダヤ人の、この思想家の本名はジャッキー(Jackie)だった。ジャッキー(フランス語でいえば、Jacques qui?で「ジャックって誰?」…「ダリダってだりだ」という駄ジャレも結構いい線いっているかも…)といういかにもアメリカ的な名前は自分の著作を世に問う際に、ふさわしくないと考えて、ジャックという、よりフランス的な名前を選んだ。JackieをJacques qui?と考えること自体が、デリダの「脱構築」を暗示していた。デリダの長男はピエール・アルフェリというペンネームでオッカムに関する論文を書いたのち詩学や詩のほうへ進んだ。息子にも「脱構築」されてしまった。 アナトール・フランス(Anatole France)も本名はジャック・アナトール・フランソワ・チボー(Jacques Anatole Francois Thibault)だったが、フランスを名乗った。アラン (Alain) だってエミール=オーギュスト・シャルティエ(Emile-Auguste Chartier)という長い名前だった。 ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille)もロード・オーシュ名義で発表された処女作『眼球譚』をはじめとして、トロップマン、ルイ三十世、ピエール・アンジェリック等の様々なペンネームを使ったことでも有名。 親の名前どころか、ヘルマン・ヘッセHermann Hesseのように自分の名前が重くなる人もいる。ヘッセは再出発の意味を込めて『デーミアン』ではエーミール・シンクレーアEmile Sinclairというペンネームで発表した。しかし、まもなく批評家の文体分析によって見破られてしまった。 「カーニバル論」や「ポリフォニー論」で有名な思想家ミハイル・バフチンは1920年代後半に戦闘的な作品を著すが、ペンネームではなく、仲間あるいは弟子とでもいうべきヴォロシノフとメドヴェジェフの名前を借りていた。そのため、著者問題が生じている。 考えてみれば、プラトンだってペンネーム(?)だった。プラトンは若い頃、レスラーだった。本名は祖父の名をとって「アリストクレス」だったが、ギリシャ語で「幅広い(大男)」を意味する「プラトン」という名前は肩幅か額の広さからきたリングネームだという(詳しくはラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』岩波文庫に書いてあり、レスリング選手アリストンが名付けたという)。「人間の資質や精神形成で一番重要なのは、音楽・文芸と体育である」(『国家論』)などという言葉を残している。キケロだって鼻の形からのニックネームみたいなものだった。 もっとすごいのはマリア・カラスの愛人だった(というか、ジャッキー・ケネディを手に入れた)海運王の名前はアリストテレス・ソクラテス・オナシスだった。開運にはこれくらいすごい名前をつけなければならないようだ。 日本では雅号や俳号、画号など別名を持っているが、外国は少ない。ルネサンス以外の画家は本名が多い。ボッティチェッリは4人兄弟の末っ子だったが、お兄ちゃんが太っていて「樽」と呼ばれていた。ボッティチェッリは「小さな樽」を意味するあだ名だった。「ダ・ヴィンチ」は美術史ではレオナルドと呼ぶのが正しい。これは「ヴィンチ村出身の」レオナルドというあだ名だったからだ。スペインで活躍した「ギリシャ人」だったので「エル・グレコ」と呼ばれていたし、バロックを発展させたグエルチーノは「斜視」だったために、そのあだ名で定着した。 相撲取りの四股名(「しこな」で「醜名」とも)だって同じく論考の対象になるだろうが、Wikipedia「四股名」に詳しいので譲る。四股名について、民俗学者の和歌森太郎は「シコ名をもって、普通人とは違うことを示していた」と書いていたが、「異人」だということを示すものだったのだ。 シェイクスピアは哲学者フランシス・ベーコンのペンネームだったという、楽しい説もある。 ジョージ・オーウェル(George Orwell)も本名はエリック・アーサー・ブレア(Eric Arthur Blair)だったが、理由は不明。ウィキペディアによれば、サフォークにあるオーウェル川が好きだったことと、ジョージという名前の簡潔さが好きだったからだという。Kenneth Miles, H Lewis Allways, PS Burtonというのも考えたが、止めた。 軽い名前をつける人もいる。チェーホフは最初「B」という匿名で最初の作品「学のある隣人への手紙」を書いた。その後のペンネームも「私の兄の弟」とか「脾臓のない男」とか「ユリシーズ」というふざけた名前を使っていた。そのうち、「A(アー)・チェホンテー」「アントーシャ・チェホンテー」という名前を使い、本名を用いるのはずいぶんと後だった。「医学はまじめな分野ですが、文学は遊びです」とか「医学が本妻、文学は恋人」とか言っていたらしい。 流行に合わせる人もいる。写真家のナダール(Nadar)は本名ガスパール=フェリックス・トゥールナション(Gaspard-Felix Tournachon)だったが、ボードレールたちとつきあっていたころ、人名の語尾にarやdarをつけるのが流行っていて、最初、「トゥルナダール」(Tournadar)としていたが、短くなってしまったのだ。
哲学者のヴォルテール(Voltaire)の本名はフランソワ・マリー・アルエ(Francois-Marie Arouet)という。ただ単にヴォルテールにした。「タモリ」とか「つんく」といった名前だ。諸説があってはっきりしないのだが、ヴォルテールは「ヴォロンテール」(volontaire意地っぱり)という小さい頃からあだ名をもじったということになっている。また本名の綴りのアナグラムだという説もある。
スコットランドの小説家サキ(Saki)のペンネームの由来はイランの詩人オマル・ハイヤームの詩『ルバイヤート』に登場する「酒を酌する少年」の意からとされる説が通説であるが、確証に乏しいという。南アメリカ産のサル「サキ」から採ったという説もある。確かなことは分からないし、本人が書いていてもウソかもしれない。多くの場合、人間が何かをする動機というのは一つではない。
中には親の名前が重くてペンネームにした人もいる。エイズで亡くなった哲学者のミシェル・フーコー(Michel Foucault)は本名ではない。フーコーの家は曾祖父も、祖父も、父も医者で、家の後継者にはポールという名前を付けることに決まっていた。フーコーの母親アンヌはこの習わしが嫌いで、ポールの後に連結記号をつけてポール=ミシェルという名前にした。ポール=ミシェル・フーコーは大きくなってから嫌いだった父の名前であるポールを外して、ミシェル・フーコーと名乗るようになった。つまり、医者にしようとしていた父への反発と、生涯続いた母親への愛情がこの名前から読みとれるのである。
フーコーとほぼ同時代を生きた哲学者ロラン・バルト(Rolan Barthes)もある対談の中で自分の姓はBarthesの綴りどおり、本来「バルテス」なのだが、世間の人、つまり、フランス人一般がフランス語の発音に従って語尾の“s”を落として発音して「バルト」と呼ぶのに従っていると語っている。わざわざこんなことにこだわる理由がある。バルトはノルマンディのシェルブールに生まれたが、1歳の時の父の死後、父方の祖父母の住むフランス南西部のバイヨンヌに中学まで過ごしたという。ここはバスク族のフランスでの中心地である。篠田浩一郎は「バルトと<日本>、およびその教訓」(『修羅と鎮魂』小沢書店1990)でバルトがこのバスク人の血を引いているのではないかと推測しているが、これが本当だとすれば、その出自を明確にしたいがために、本来「バルテス」だと発言しているのであろう。こうしたシニフィアン(能記=記号表現=音声面)にこだわる姿が、バルザックの小説の主人公であり、去勢された歌手の名前サラジーヌから出発して『S/Z』や、「プルーストと名前」「サド論」などを生んだのではないだろうか?蛇足もいいところだが、フジTVアナだった中村江里子の夫はバルトの甥だという。実業家でシャルル・エドワード・バルトだそうだ(タレントのセイン・カミュの大叔父がアルベール・カミュというのも驚きだったが…)。
フーコー、バルトと来るともう一人の哲学者も心配になる。実はジャック・デリダ(Jacque Derrida)もペンネームなのだ。アルジェリア生まれでユダヤ人の、この思想家の本名はジャッキー(Jackie)だった。ジャッキー(フランス語でいえば、Jacques qui?で「ジャックって誰?」…「ダリダってだりだ」という駄ジャレも結構いい線いっているかも…)といういかにもアメリカ的な名前は自分の著作を世に問う際に、ふさわしくないと考えて、ジャックという、よりフランス的な名前を選んだ。JackieをJacques qui?と考えること自体が、デリダの「脱構築」を暗示していた。デリダの長男はピエール・アルフェリというペンネームでオッカムに関する論文を書いたのち詩学や詩のほうへ進んだ。息子にも「脱構築」されてしまった。
アナトール・フランス(Anatole France)も本名はジャック・アナトール・フランソワ・チボー(Jacques Anatole Francois Thibault)だったが、フランスを名乗った。アラン (Alain) だってエミール=オーギュスト・シャルティエ(Emile-Auguste Chartier)という長い名前だった。
ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille)もロード・オーシュ名義で発表された処女作『眼球譚』をはじめとして、トロップマン、ルイ三十世、ピエール・アンジェリック等の様々なペンネームを使ったことでも有名。
親の名前どころか、ヘルマン・ヘッセHermann Hesseのように自分の名前が重くなる人もいる。ヘッセは再出発の意味を込めて『デーミアン』ではエーミール・シンクレーアEmile Sinclairというペンネームで発表した。しかし、まもなく批評家の文体分析によって見破られてしまった。
「カーニバル論」や「ポリフォニー論」で有名な思想家ミハイル・バフチンは1920年代後半に戦闘的な作品を著すが、ペンネームではなく、仲間あるいは弟子とでもいうべきヴォロシノフとメドヴェジェフの名前を借りていた。そのため、著者問題が生じている。
考えてみれば、プラトンだってペンネーム(?)だった。プラトンは若い頃、レスラーだった。本名は祖父の名をとって「アリストクレス」だったが、ギリシャ語で「幅広い(大男)」を意味する「プラトン」という名前は肩幅か額の広さからきたリングネームだという(詳しくはラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』岩波文庫に書いてあり、レスリング選手アリストンが名付けたという)。「人間の資質や精神形成で一番重要なのは、音楽・文芸と体育である」(『国家論』)などという言葉を残している。キケロだって鼻の形からのニックネームみたいなものだった。
もっとすごいのはマリア・カラスの愛人だった(というか、ジャッキー・ケネディを手に入れた)海運王の名前はアリストテレス・ソクラテス・オナシスだった。開運にはこれくらいすごい名前をつけなければならないようだ。
日本では雅号や俳号、画号など別名を持っているが、外国は少ない。ルネサンス以外の画家は本名が多い。ボッティチェッリは4人兄弟の末っ子だったが、お兄ちゃんが太っていて「樽」と呼ばれていた。ボッティチェッリは「小さな樽」を意味するあだ名だった。「ダ・ヴィンチ」は美術史ではレオナルドと呼ぶのが正しい。これは「ヴィンチ村出身の」レオナルドというあだ名だったからだ。スペインで活躍した「ギリシャ人」だったので「エル・グレコ」と呼ばれていたし、バロックを発展させたグエルチーノは「斜視」だったために、そのあだ名で定着した。
相撲取りの四股名(「しこな」で「醜名」とも)だって同じく論考の対象になるだろうが、Wikipedia「四股名」に詳しいので譲る。四股名について、民俗学者の和歌森太郎は「シコ名をもって、普通人とは違うことを示していた」と書いていたが、「異人」だということを示すものだったのだ。
シェイクスピアは哲学者フランシス・ベーコンのペンネームだったという、楽しい説もある。
ジョージ・オーウェル(George Orwell)も本名はエリック・アーサー・ブレア(Eric Arthur Blair)だったが、理由は不明。ウィキペディアによれば、サフォークにあるオーウェル川が好きだったことと、ジョージという名前の簡潔さが好きだったからだという。Kenneth Miles, H Lewis Allways, PS Burtonというのも考えたが、止めた。
軽い名前をつける人もいる。チェーホフは最初「B」という匿名で最初の作品「学のある隣人への手紙」を書いた。その後のペンネームも「私の兄の弟」とか「脾臓のない男」とか「ユリシーズ」というふざけた名前を使っていた。そのうち、「A(アー)・チェホンテー」「アントーシャ・チェホンテー」という名前を使い、本名を用いるのはずいぶんと後だった。「医学はまじめな分野ですが、文学は遊びです」とか「医学が本妻、文学は恋人」とか言っていたらしい。
流行に合わせる人もいる。写真家のナダール(Nadar)は本名ガスパール=フェリックス・トゥールナション(Gaspard-Felix Tournachon)だったが、ボードレールたちとつきあっていたころ、人名の語尾にarやdarをつけるのが流行っていて、最初、「トゥルナダール」(Tournadar)としていたが、短くなってしまったのだ。
逆に重い名前をつける人もいる。アナトール・フランス(Anatole France)は本名をJacques Anatole Francois Thibaultだったのに、フランスなどという大きな名前にしている。日本だったら名前負けするといって避けられるところだ。「大西巨人」とか「夢枕漠」などは名前負けしなかった方だろう。 ポール・ヴァレリーは「テスト氏」(Monsieur Teste)を自分の分身とした。ちなみにフランス語で株式会社のことを“Socete Anonyme”(「無名会社」)というふうになる。テスト氏は無名なものが株の動きでつくられているというのを、おもしろいと考えた。株は見えないのに、会社は見える。株が動けば会社も動く…。
逆に重い名前をつける人もいる。アナトール・フランス(Anatole France)は本名をJacques Anatole Francois Thibaultだったのに、フランスなどという大きな名前にしている。日本だったら名前負けするといって避けられるところだ。「大西巨人」とか「夢枕漠」などは名前負けしなかった方だろう。
ポール・ヴァレリーは「テスト氏」(Monsieur Teste)を自分の分身とした。ちなみにフランス語で株式会社のことを“Socete Anonyme”(「無名会社」)というふうになる。テスト氏は無名なものが株の動きでつくられているというのを、おもしろいと考えた。株は見えないのに、会社は見える。株が動けば会社も動く…。
ブロンテ姉妹のように当時の風潮から男性名でデビューしたというが、実はお父さんがつけた名前だという。最後のeにトレマがついていてまるでフランス人みたいだ。でも、フランスの血は全く入っていない。彼女らが憧れたのだろうか?お父さんのパトリック(アイルランド人に多い名前で聖パトリックの日3月17日に生まれたため)がBruntyという本名ではレクター(教区司祭)にはなれないと思い、ナポレオン時代の英雄ネルソン卿が名誉あるブロンテ公爵(The Duke of Bronte)の称号を持っていることを新聞で知り、Bronteという変わった名前に変えたというのが真相らしい。 「不倫」中だったのでメアリー・アン・エバンスMary Ann Evansという名前でなくジョージ・エリオットGeorge Eliotという男性名でデビューした作家もいる。女でいることに疲れた?ためにカレン・ブリクセンKaren Blixenという可憐な名前を男性名のアイザック・ディネーセンIsak Dinesenにした作家もいる(男爵という名前だけで結婚して愛情のない夫に梅毒を移され、Karen Christence 〜, Baroness Blixen-Fineckeというのが本当に嫌になっていたのだ)。 「ショパンの恋人」「男装の麗人」とされたジョルジュ・サンド(George Sand)は本名をオーロール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)といった。パリに滞在した最初の頃、サンドは、なぜ男装を選んだか。それは、便利さと、倹約精神からだという。自らの回想で次のように述べている。 私の足は、例のベリー産の小さくて優秀な足で、大きな木靴の上でバランスをとりながら、悪い道を歩くコツは学んでいた。しかし、パリの歩道の上では、私は氷上の船のようなものだった。お上品な靴は二日で破れ、シューズカバーは、私の足をとり、私は裳裾の持ち上げ方を知らなかった。私は泥だらけで疲れ果て、風邪をひいた。 ショパンはタバコを吸い、パンツをはき、社交界で浮き名を流し、それを自ら小説に書くような型破りな彼女のことを最初はよく思っていなかったようだが、し徐々に母性的な彼女に惹かれていった…。 性別が特定できない名前を使う女性もいる。コッポラが映画化した『アウトサイダー』『ランブルフィッシュ』の原作者S.E.Hinton(本名はSusan Eloise Hintonだが、隠している)や『ハリー・ポッター』シリーズのJ.K.Rowling(本名はJoanne Rowling)がいる。 また、「あやかり」もある。チリのノーベル賞パブロ・ネルーダPablo Neruda【本名 Ricardo Neftari Reyes Basoalto】はフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌPaul-Marie Verlaineと「小地区の物語」に感銘を受けたチェコの作家ヤン・ネルダJan Nerudaの書いたペンネームを付けた。歌手のボブ・ディランは本名がRobert Zimmermanだったが、イギリスの詩人ディラン・トマス(Dylan Thomas)に感化を受けて名前を変えた(ロバートがボブになるのは通例どおり)。 逆にザメンホフは『国際語』という本を「希望者博士」D-ro Esperantoのペンネームで書いたが、これがエスペラントという言語の名前になった。
ブロンテ姉妹のように当時の風潮から男性名でデビューしたというが、実はお父さんがつけた名前だという。最後のeにトレマがついていてまるでフランス人みたいだ。でも、フランスの血は全く入っていない。彼女らが憧れたのだろうか?お父さんのパトリック(アイルランド人に多い名前で聖パトリックの日3月17日に生まれたため)がBruntyという本名ではレクター(教区司祭)にはなれないと思い、ナポレオン時代の英雄ネルソン卿が名誉あるブロンテ公爵(The Duke of Bronte)の称号を持っていることを新聞で知り、Bronteという変わった名前に変えたというのが真相らしい。
「不倫」中だったのでメアリー・アン・エバンスMary Ann Evansという名前でなくジョージ・エリオットGeorge Eliotという男性名でデビューした作家もいる。女でいることに疲れた?ためにカレン・ブリクセンKaren Blixenという可憐な名前を男性名のアイザック・ディネーセンIsak Dinesenにした作家もいる(男爵という名前だけで結婚して愛情のない夫に梅毒を移され、Karen Christence 〜, Baroness Blixen-Fineckeというのが本当に嫌になっていたのだ)。
「ショパンの恋人」「男装の麗人」とされたジョルジュ・サンド(George Sand)は本名をオーロール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)といった。パリに滞在した最初の頃、サンドは、なぜ男装を選んだか。それは、便利さと、倹約精神からだという。自らの回想で次のように述べている。
私の足は、例のベリー産の小さくて優秀な足で、大きな木靴の上でバランスをとりながら、悪い道を歩くコツは学んでいた。しかし、パリの歩道の上では、私は氷上の船のようなものだった。お上品な靴は二日で破れ、シューズカバーは、私の足をとり、私は裳裾の持ち上げ方を知らなかった。私は泥だらけで疲れ果て、風邪をひいた。
ショパンはタバコを吸い、パンツをはき、社交界で浮き名を流し、それを自ら小説に書くような型破りな彼女のことを最初はよく思っていなかったようだが、し徐々に母性的な彼女に惹かれていった…。
性別が特定できない名前を使う女性もいる。コッポラが映画化した『アウトサイダー』『ランブルフィッシュ』の原作者S.E.Hinton(本名はSusan Eloise Hintonだが、隠している)や『ハリー・ポッター』シリーズのJ.K.Rowling(本名はJoanne Rowling)がいる。
また、「あやかり」もある。チリのノーベル賞パブロ・ネルーダPablo Neruda【本名 Ricardo Neftari Reyes Basoalto】はフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌPaul-Marie Verlaineと「小地区の物語」に感銘を受けたチェコの作家ヤン・ネルダJan Nerudaの書いたペンネームを付けた。歌手のボブ・ディランは本名がRobert Zimmermanだったが、イギリスの詩人ディラン・トマス(Dylan Thomas)に感化を受けて名前を変えた(ロバートがボブになるのは通例どおり)。
逆にザメンホフは『国際語』という本を「希望者博士」D-ro Esperantoのペンネームで書いたが、これがエスペラントという言語の名前になった。
エラリー・クイーンEllery Queen(ダニーFrederic DannayといとこのリーManfred B. Lee)のように共同執筆の二人が一人のペンネームを持つこともあった。ソ連でもイリフ・ぺトロフIl'ya Il'f & Evgeniy Petrovという名前で合作した(イリフは本名ファインジリベルグ。ウクライナのオデッサ生まれのユダヤ系作家で、新聞記者として出発。他の一人、ペトロフは本名カターエフ)。日本でいえば、藤子不二雄のようである。桐生操というか。 アガサ・クリスティーAgatha Christieもペンネームだ。厳密にいえば一時的に本名だった。本来はアガサ・ミラーで、アーチボート・クリスティーと結婚し、アガサ・クリスティーとなった。この時、処女作品を発表し、大ヒットさせたが、「愛の失踪事件」などの後、二人は離婚し、名前が再びアガサ・ミラーとなった。小説家としての名前は「アガサ・クリスティー」で通っていたので離婚前の名前をそのままペンネームとして使ったのである。ただ、クリスティーは夫婦愛(夫婦の断絶?)を描いた『春にして君を離れ』 (Absent in the Spring----シェイクスピアのソネット98から)などの6冊の恋愛(?)小説ではペンネーム、メアリー・ウェストマコット(Mary Westmacott)を使っている。クリスティーは自身四半世紀近くも関係者に自分が著者であることをもらさないよう箝口令を敷いてきた。これは、「アガサ・クリスティー」の名で本を出した場合、ミステリと勘違いして買った読者が失望するのではと配慮したものである。アガサは後の夫で考古学者マックス・マローワンの名前を入れたアガサ・クリスティー・マローワン名義でも2冊書いている。 二つの名前どころか、多くの人が同じペンネームを持つことだってある。アメリカ映画にはAlan Smithee(日本では「スミシー」というが英語では「スミジー」)という名前の映画監督がよく出てくる。これは監督が映画にクレジットされたくない場合や途中で(プロデューサーなどとの喧嘩で)交替して載せられなくなった場合に用いられる偽名で1967年から使われはじめたものである。ありふれた名前のAlan Smithにしようとしたのだけど、同名の人が映画関係にいたらしくて、指小辞の-ee(pantsに対してpanties,birdに対してbirdieというようなもの)をつけてできた名前である。例えば、デニス・ホッパーが監督した『ハートに火をつけて/Catch Fire』もクレジットにはAlan Smitheeになっている。 逆に一人がカー・ディクソン(Carr Dickson)とカーター・ディクソン(Carter Dickson)などと分けて書く作家もたくさんいる。『映画の考古学』のツェーラムCeramもMarekを逆さまにしてkとcを変えた。孤狸庵と名前を使い分けた遠藤周作は「私がもし遠藤周作という名だけで人生を押し通していたならば、自分のなかにあるユーモアの面、くだけた面は随分と制約をうけただろう」「それによって私の人生探究心と生活好奇心の二つを並存させ、それを共に成長させられたのである。おかげで人一倍、生きたという気持ちをこの年齢で持っている」(「名前を二つか三つか持とうよ」『周作塾』講談社文庫)と書いている。
エラリー・クイーンEllery Queen(ダニーFrederic DannayといとこのリーManfred B. Lee)のように共同執筆の二人が一人のペンネームを持つこともあった。ソ連でもイリフ・ぺトロフIl'ya Il'f & Evgeniy Petrovという名前で合作した(イリフは本名ファインジリベルグ。ウクライナのオデッサ生まれのユダヤ系作家で、新聞記者として出発。他の一人、ペトロフは本名カターエフ)。日本でいえば、藤子不二雄のようである。桐生操というか。
アガサ・クリスティーAgatha Christieもペンネームだ。厳密にいえば一時的に本名だった。本来はアガサ・ミラーで、アーチボート・クリスティーと結婚し、アガサ・クリスティーとなった。この時、処女作品を発表し、大ヒットさせたが、「愛の失踪事件」などの後、二人は離婚し、名前が再びアガサ・ミラーとなった。小説家としての名前は「アガサ・クリスティー」で通っていたので離婚前の名前をそのままペンネームとして使ったのである。ただ、クリスティーは夫婦愛(夫婦の断絶?)を描いた『春にして君を離れ』 (Absent in the Spring----シェイクスピアのソネット98から)などの6冊の恋愛(?)小説ではペンネーム、メアリー・ウェストマコット(Mary Westmacott)を使っている。クリスティーは自身四半世紀近くも関係者に自分が著者であることをもらさないよう箝口令を敷いてきた。これは、「アガサ・クリスティー」の名で本を出した場合、ミステリと勘違いして買った読者が失望するのではと配慮したものである。アガサは後の夫で考古学者マックス・マローワンの名前を入れたアガサ・クリスティー・マローワン名義でも2冊書いている。
二つの名前どころか、多くの人が同じペンネームを持つことだってある。アメリカ映画にはAlan Smithee(日本では「スミシー」というが英語では「スミジー」)という名前の映画監督がよく出てくる。これは監督が映画にクレジットされたくない場合や途中で(プロデューサーなどとの喧嘩で)交替して載せられなくなった場合に用いられる偽名で1967年から使われはじめたものである。ありふれた名前のAlan Smithにしようとしたのだけど、同名の人が映画関係にいたらしくて、指小辞の-ee(pantsに対してpanties,birdに対してbirdieというようなもの)をつけてできた名前である。例えば、デニス・ホッパーが監督した『ハートに火をつけて/Catch Fire』もクレジットにはAlan Smitheeになっている。
逆に一人がカー・ディクソン(Carr Dickson)とカーター・ディクソン(Carter Dickson)などと分けて書く作家もたくさんいる。『映画の考古学』のツェーラムCeramもMarekを逆さまにしてkとcを変えた。孤狸庵と名前を使い分けた遠藤周作は「私がもし遠藤周作という名だけで人生を押し通していたならば、自分のなかにあるユーモアの面、くだけた面は随分と制約をうけただろう」「それによって私の人生探究心と生活好奇心の二つを並存させ、それを共に成長させられたのである。おかげで人一倍、生きたという気持ちをこの年齢で持っている」(「名前を二つか三つか持とうよ」『周作塾』講談社文庫)と書いている。
こうして色々調べてみると、柔らかい名前に変えたり、難読字を読みやすくしたり、立派な名前にしたり、洒落に走ったり、みんな苦労している。字画を考えて命名した人もいるかもしれない。あべ静江が安部静江だったら、固すぎるし、飯島愛が石井久子、じゃなくて石井光子じゃ非行に走っても様にならない。 片仮名では成功しないと言われたのに、成功しているのは野球のイチローくらいなものである。イチローが鈴木一朗という銀行の書類の見本みたいな名前だったら、メジャーにはなりえなかったのではないだろうか。作家でも「いとうせいこう」「えのきどいちろう」や「オバタカズユキ」のように平仮名、片仮名の名前が増えてきた。年寄りには「なめた感じがする」と不評のようだが、若者の多くが意味が前面に出過ぎる漢字を嫌うのと同様に、作家も身軽になりたいのであろう。 また、本当のことは誰にも分からない。本人も何となくつけてしまって後から理屈をつけることがあるからである。なだいなだが「毛沢山」とつけたかったとか、村上春樹が「龍」というペンネームにしたかったとか、作家自身が命名について書いていてもにわかに信じることはできない。正宗白鳥の「はくしょん」説のように伝説の方が面白かったりして、作家自身も「それ、いただき!」といってそのまま「伝説」にする場合もある。 作家とか評論家はたった一つの理由で名前をつけることは少ない。小谷野敦は『文章読本X』を書いたが、次のように書いている。 「X」をつかたのは、「ウルトラマンX」のヒロインの坂ノ上茜が好きだからでもあるが、「ドクターX」にあやかった、と考えてもいいし、シアターΧ(カイ)という、両国にあった劇場も思い出す。 だから、一つの理由だけで命名を語ることはできない。最初に述べたミッキーマウスだって、デビュー作は「蒸気船ウィリー」だったから最初はウィリーというつもりだったはずだ。途中、モーティマーという名前を考えて、最終的にミッキーになったのだが、梅田修『ヨーロッパ人名語源辞典』(大修館)によれば、祖国はアイルランドだという。ミッキーという名前がマイケルの愛称だということはもちろんだが、17世紀終わりにアイルランドでカトリックのスチュアート王朝再興運動が起こった時、カトリック的な名前として子どもに多くつけられたのがマイケルだという。後に「ジャガイモ飢饉」でアイルランド移民がアメリカに押し寄せると、マイケルはアイルランド人を指す蔑称になったという。ディズニーの曾祖父も「ジャガイモ飢饉」でアメリカに移民した。そして、この蔑称だったものを逆手にとってキャラクターに名付けたのだという。そこまで考えなくてもいいかもしれないが、考えてもいいかもしれない。
こうして色々調べてみると、柔らかい名前に変えたり、難読字を読みやすくしたり、立派な名前にしたり、洒落に走ったり、みんな苦労している。字画を考えて命名した人もいるかもしれない。あべ静江が安部静江だったら、固すぎるし、飯島愛が石井久子、じゃなくて石井光子じゃ非行に走っても様にならない。
片仮名では成功しないと言われたのに、成功しているのは野球のイチローくらいなものである。イチローが鈴木一朗という銀行の書類の見本みたいな名前だったら、メジャーにはなりえなかったのではないだろうか。作家でも「いとうせいこう」「えのきどいちろう」や「オバタカズユキ」のように平仮名、片仮名の名前が増えてきた。年寄りには「なめた感じがする」と不評のようだが、若者の多くが意味が前面に出過ぎる漢字を嫌うのと同様に、作家も身軽になりたいのであろう。
また、本当のことは誰にも分からない。本人も何となくつけてしまって後から理屈をつけることがあるからである。なだいなだが「毛沢山」とつけたかったとか、村上春樹が「龍」というペンネームにしたかったとか、作家自身が命名について書いていてもにわかに信じることはできない。正宗白鳥の「はくしょん」説のように伝説の方が面白かったりして、作家自身も「それ、いただき!」といってそのまま「伝説」にする場合もある。
作家とか評論家はたった一つの理由で名前をつけることは少ない。小谷野敦は『文章読本X』を書いたが、次のように書いている。
「X」をつかたのは、「ウルトラマンX」のヒロインの坂ノ上茜が好きだからでもあるが、「ドクターX」にあやかった、と考えてもいいし、シアターΧ(カイ)という、両国にあった劇場も思い出す。
だから、一つの理由だけで命名を語ることはできない。最初に述べたミッキーマウスだって、デビュー作は「蒸気船ウィリー」だったから最初はウィリーというつもりだったはずだ。途中、モーティマーという名前を考えて、最終的にミッキーになったのだが、梅田修『ヨーロッパ人名語源辞典』(大修館)によれば、祖国はアイルランドだという。ミッキーという名前がマイケルの愛称だということはもちろんだが、17世紀終わりにアイルランドでカトリックのスチュアート王朝再興運動が起こった時、カトリック的な名前として子どもに多くつけられたのがマイケルだという。後に「ジャガイモ飢饉」でアイルランド移民がアメリカに押し寄せると、マイケルはアイルランド人を指す蔑称になったという。ディズニーの曾祖父も「ジャガイモ飢饉」でアメリカに移民した。そして、この蔑称だったものを逆手にとってキャラクターに名付けたのだという。そこまで考えなくてもいいかもしれないが、考えてもいいかもしれない。
正確にいえば、号(雅号)とペンネームは性格が異なる。金文京によれば次の通りである。 ペンネームが文学活動の場に限定されるのに、雅号は文学に限定されず、本人その人のライフスタイルを象徴するものであった。 雅号はもとの姓名と抵触せず「東坡居士蘇軾」のように併記することが可能だった。 雅号はあくまで名であって、姓と両立しうるが、ペンネームは姓名を兼ねるか、スタンダールのように姓とも名ともつかぬものである。 雅号は隠逸的境地への共感を示すもので、排他的に自己の個性を主張するものではないから、他人の雅号と抵触せず、同名の者が何人いてもかまわない。自分の雅号とも抵触しないから、一人の人物が複数の雅号をその時の気分次第で混用してもかまわない。 おっと、この金文京も本名で『三国志演義の世界』『花關索伝の研究』『中国小説選』などは、金海南という名前で『水戸黄門「漫遊」考』という本を出している。
正確にいえば、号(雅号)とペンネームは性格が異なる。金文京によれば次の通りである。
ペンネームが文学活動の場に限定されるのに、雅号は文学に限定されず、本人その人のライフスタイルを象徴するものであった。
雅号はもとの姓名と抵触せず「東坡居士蘇軾」のように併記することが可能だった。
雅号はあくまで名であって、姓と両立しうるが、ペンネームは姓名を兼ねるか、スタンダールのように姓とも名ともつかぬものである。
雅号は隠逸的境地への共感を示すもので、排他的に自己の個性を主張するものではないから、他人の雅号と抵触せず、同名の者が何人いてもかまわない。自分の雅号とも抵触しないから、一人の人物が複数の雅号をその時の気分次第で混用してもかまわない。
おっと、この金文京も本名で『三国志演義の世界』『花關索伝の研究』『中国小説選』などは、金海南という名前で『水戸黄門「漫遊」考』という本を出している。
どうして名前にこだわるかについて、例えば、浅羽通明は『大学講義 野望としての教養』(時事通信社)の中で名前はもっともミニマムな文芸だと話している。 …「名前」は、つける時にそれなりにきれいな言葉とか、きれいな語感とか、かっこいい意味のある、良い意味のある言葉、あるいは親なり誰なりの文字を一字取るとか、何らかの創作行為が行われてつけられるわけですね。その背景、何がかっこいいか、何が伝統があるか、何が価値あるか。そこはまさにその背景にある文化体系、教養というものが見晴らされるわけです。本講義全体のテーマは、「教養」、文化体系としての「教養」と、あと「自分」です。「教養」を背景として創作された「自分」のシンボル。「名前」は、まさに「教養」と「自分」の交錯する結節点であるわけですね。
どうして名前にこだわるかについて、例えば、浅羽通明は『大学講義 野望としての教養』(時事通信社)の中で名前はもっともミニマムな文芸だと話している。
…「名前」は、つける時にそれなりにきれいな言葉とか、きれいな語感とか、かっこいい意味のある、良い意味のある言葉、あるいは親なり誰なりの文字を一字取るとか、何らかの創作行為が行われてつけられるわけですね。その背景、何がかっこいいか、何が伝統があるか、何が価値あるか。そこはまさにその背景にある文化体系、教養というものが見晴らされるわけです。本講義全体のテーマは、「教養」、文化体系としての「教養」と、あと「自分」です。「教養」を背景として創作された「自分」のシンボル。「名前」は、まさに「教養」と「自分」の交錯する結節点であるわけですね。
ペンネームにしろ、本名にしろ、作者としての意識が生まれたのは最近のことである。ロバート・イーグルストンは『エイ尾文学とは何か』(研究社)の中で、西洋ではウィリアム・キャクストンが最初の印刷機を1466年か67年に導入してから作者としてのアイデンティティが生まれたという。チョーサーは別にして、中世の物語やロマンスにはほとんど作者の名前がなかった。そして、「真の源」としての作者の概念が生まれたのはたぶん18世紀だという。産業革命の時期に書き物が売買できることが分かり、特別な才能を持っていることが重要になったからである。
ローレンス・ブロックは『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』(原書房)で、自分は本名で書くべきだと考えているが、ペンネームはどんな理由で使うのか分析している。分かりやすい例で示してみる。 1.著者の本名が適当でない場合…夏目金之助や生麦生米生卵男、という名前の人がいたら、別の名前を考えるだろう。 2.著者がなんらかの理由で世間に認知されたくない場合…元妻から身を隠したい人など。 3.著者が異なる種類の本を書いている場合…同じ作家が殺人事件を書いたり、童話を書いたりする場合など。 4.著者があまりにも多作な場合…一人でたくさんの本を出しているとなると出版業界も読者もまじめに取り合ってくれないから。 5.著者が専門家に見られたい場合…女性の視点から書かれた小説にブロックも使っているという。 6.著者が書いたものを誇りに思っていない場合…著者がゴミを本にしていることをよく知っている場合、自尊心を傷つけずにすむ。 永江朗は『<不良>のための文章術』(NHKブックス)の中で「別の人格を演じよ」といってペンネームの効用を書いている。 非常識人を演じるためには、常識について熟知していなければならないし、悪人であることを自覚するためには悪についてふだんから考えていなければなりません。そこの自己分裂をペンネームはうまく救ってくれます。常識人として生きる本名の自分のなかで、非常識について考察するもうひとりの自分が、ペンネームを与えられて実態のある人格として動き回るのです。ペンネームを持つことによって、常識人としての自分にかかっていたストッパーがはずれて、面白いことを書けるようになることもあります。また、ペンネームがあれば、たとえ親兄弟や親戚、ご近所のみなさんに、ペンネームでの仕事を知られたとしても、「あれは仕事で書いていることであって、本心から書いているのとはちょっと違うのだな」と受け止めてもらえるという効用もあります。
ローレンス・ブロックは『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』(原書房)で、自分は本名で書くべきだと考えているが、ペンネームはどんな理由で使うのか分析している。分かりやすい例で示してみる。
1.著者の本名が適当でない場合…夏目金之助や生麦生米生卵男、という名前の人がいたら、別の名前を考えるだろう。 2.著者がなんらかの理由で世間に認知されたくない場合…元妻から身を隠したい人など。 3.著者が異なる種類の本を書いている場合…同じ作家が殺人事件を書いたり、童話を書いたりする場合など。 4.著者があまりにも多作な場合…一人でたくさんの本を出しているとなると出版業界も読者もまじめに取り合ってくれないから。 5.著者が専門家に見られたい場合…女性の視点から書かれた小説にブロックも使っているという。 6.著者が書いたものを誇りに思っていない場合…著者がゴミを本にしていることをよく知っている場合、自尊心を傷つけずにすむ。
永江朗は『<不良>のための文章術』(NHKブックス)の中で「別の人格を演じよ」といってペンネームの効用を書いている。
非常識人を演じるためには、常識について熟知していなければならないし、悪人であることを自覚するためには悪についてふだんから考えていなければなりません。そこの自己分裂をペンネームはうまく救ってくれます。常識人として生きる本名の自分のなかで、非常識について考察するもうひとりの自分が、ペンネームを与えられて実態のある人格として動き回るのです。ペンネームを持つことによって、常識人としての自分にかかっていたストッパーがはずれて、面白いことを書けるようになることもあります。また、ペンネームがあれば、たとえ親兄弟や親戚、ご近所のみなさんに、ペンネームでの仕事を知られたとしても、「あれは仕事で書いていることであって、本心から書いているのとはちょっと違うのだな」と受け止めてもらえるという効用もあります。
以下にペンネームを抜き出してみたが、ここでアナグラムというのは晩年のソシュールも凝った「字謎」で、並べ替えて別の語を作るものである。例えば、「これが人生か…」と悩んでいるより「これが火星人」と並べ替えてしまえば気が楽になる。シェイクスピアの最後の作品『テンペスト』に出てくるキャリバンCalibanというのはcannibal(食人種)のアナグラムである。チャールズ・ラムのペンネームのエリアEliaもイタリア人の友人から採ったと本人は書いているが、「嘘」a lieのアナグラムという見方もある(嘘の反対だからホント?)。Parliament(国会)→partial men(党派根性の人々)という皮肉も作れる。 社名で有名なのはエドウイン(Edwin)でデニム(Denim)のアナグラムだ。東京にある常見米八商店の常見社長が作った会社で、DenimのDeを前後を逆にし、nimを前後逆にし、mを上下逆にし、それにEd+winで「江戸で勝つ」という意味がかけてある。 匿名(***)で出した『マルドロールの歌』で有名なロートレアモン Lautreamontの本名はイジドール・リュシアン・デュカス(Isidore Lucien Ducasse)であり、ウジェーヌ・シューの暗黒小説の主人公・ラトレオーモン Latreaumontのアナグラムだ。他にも考えられ、有名なのはフランソワ・カラデックによるL'autre est a Mont.「他者はモンテヴィデオにいる」という説だ。更に、デュカスは「ロートレアモン伯」Le Comte de Lautreamont」と考え、ComteはConteと同音異義で、Le conte de l'autre est a Mont.「他者の物語はモン(モンテヴィデオ)にある」と読む(ウルグアイのモンテヴェデオが出てくるのは父の仕事の関係で移住していたから)。 『不思議の国のアリス』のルイス・キャロル(Charles Lutwidge→ラテン語Carolus Ludovicus→逆転して英語→Lewis Carroll)の『シルヴィーとブルーノ完結篇』には妖精シルヴィーが弟ブルーノに勉強を教える。 Sylvie was arranging some letters on a board--E--V--I--L.`Now, Bruno,' she said, `what does that spell?' Bruno looked at it, in solemn silence, for a minute. `Iknow what it doesn't spell!' he said at last. `That's no good,' said Sylvie. `What does it spell?' Bruno took another look at the mysterious letters. `Why,it's "LIVE", backwards!' he exclaimed. つまり、EVIL(悪)はLIVE(生きる)に通じるというアナグラムなのだ。これを柳瀬尚紀は「咎」と「各人」で日本語のアナグラムに変えた! ジャン=リュック・ゴダールの映画にも「穴グラム?」が多くて『ウィークエンド』にはANALYSE(分析する)という言葉を分解して「ANAL」「YSE」の2行に分ける。つまり「肛門」「化」?PHOTOGRAPH(写真)という言葉を分解して「FAUX」「TOGR」「APHE」の3行に分けている。発音はほぼ等しくなるが「FAUX」とは実は「ニセモノ」の意味。つまりはニセモノを撮る機械ということになる。また、「CID」→「L'OCCIDENT」→「DENT」と一つの単語の中に入っている別の単語を見せる。「アラビアの首長」→「西洋」→「歯」などと分析して遊んでいる。 『ダ・ヴィンチ・コード』ではヒロインのソフィーが子供の頃、祖父のソニエールにアナグラムを教わる。ソニエールはピカソの傑作《アヴィニョンの娘たち(Les Demoiselles d'Avignon)》が“穢らわしい無意味ないたずら書き(vile meaningless doodles)”のアナグラムになっていると美術雑誌の取材で指摘したことがあったという話になっている。この他にもアナグラムだらけの作品になっている。ちなみに、アンドレ・ブルトンはダリ(Salvador Dali)を「ドル亡者」(Avid Dollars)とアナグラムで批判したことがある。これは外国の特許ではなく、「シラカバ」派も「バカラシ」と揶揄されたものだった。 アナグラムは筒井康隆『文学部唯野教授』にも出てくる。早治大学文学部教授の唯野仁は大学教授としての日常を乗り切りながら、金や名声の為ためではなく自らの文学理論の実践のため、野田耽二というペンネームを用いて大学に内緒で小説を発表している。 「唯野先生は一時のがれに、話のテーマを横すべりさせようとしておられる」井森はにこりともしない。「では、唯野先生と野田耽二が同一人物であるということを認められるのですね」 「絶対に同一人物じゃありません。第一あなた、名前が違うでしょ」唯野はうろたえた。「たとえペンネームであろうと、名前が違えばもう別人なんです」 「公的にはね」井森はにやっと笑った。 「公的に私的にも、それはたとえ同一人物であっても同一人物ではない」【…】 この「唯野仁」のアナグラムが「野田耽二」だ。唯野が非常勤で立智大学で行った「文芸批評論」の第一回の講義で美しい学生の奈美子に出会い奈美子は唯野が野田耽二であることを見抜かれる。“TADANO JIN⇔NODA TANJI”。唯野は奈美子と関係を持ち両親にまで紹介されるが、自分が野田耽二であることを隠していることをいうと奈美子はそれを臆病だと言って唯野の前から姿を消す……。 漢字にもアナグラムがあり、万葉集には「山上復有山」というのがある。漱石も「山上復有山」という絵を描いているが、これで「出」という意味だ。この辺りは加納善光の「謎解きアナグラム」(『文字の博物誌』大修館)が詳しい。 ※アナグラムのジェネレーターがある(Anagram Genius)。試しに“Kinji Kanagawa”をやってみると“Akin. A jaw. A king.”となる。王様に近い気分になって顎が落ちそうだ。
以下にペンネームを抜き出してみたが、ここでアナグラムというのは晩年のソシュールも凝った「字謎」で、並べ替えて別の語を作るものである。例えば、「これが人生か…」と悩んでいるより「これが火星人」と並べ替えてしまえば気が楽になる。シェイクスピアの最後の作品『テンペスト』に出てくるキャリバンCalibanというのはcannibal(食人種)のアナグラムである。チャールズ・ラムのペンネームのエリアEliaもイタリア人の友人から採ったと本人は書いているが、「嘘」a lieのアナグラムという見方もある(嘘の反対だからホント?)。Parliament(国会)→partial men(党派根性の人々)という皮肉も作れる。
社名で有名なのはエドウイン(Edwin)でデニム(Denim)のアナグラムだ。東京にある常見米八商店の常見社長が作った会社で、DenimのDeを前後を逆にし、nimを前後逆にし、mを上下逆にし、それにEd+winで「江戸で勝つ」という意味がかけてある。
匿名(***)で出した『マルドロールの歌』で有名なロートレアモン Lautreamontの本名はイジドール・リュシアン・デュカス(Isidore Lucien Ducasse)であり、ウジェーヌ・シューの暗黒小説の主人公・ラトレオーモン Latreaumontのアナグラムだ。他にも考えられ、有名なのはフランソワ・カラデックによるL'autre est a Mont.「他者はモンテヴィデオにいる」という説だ。更に、デュカスは「ロートレアモン伯」Le Comte de Lautreamont」と考え、ComteはConteと同音異義で、Le conte de l'autre est a Mont.「他者の物語はモン(モンテヴィデオ)にある」と読む(ウルグアイのモンテヴェデオが出てくるのは父の仕事の関係で移住していたから)。
『不思議の国のアリス』のルイス・キャロル(Charles Lutwidge→ラテン語Carolus Ludovicus→逆転して英語→Lewis Carroll)の『シルヴィーとブルーノ完結篇』には妖精シルヴィーが弟ブルーノに勉強を教える。
Sylvie was arranging some letters on a board--E--V--I--L.`Now, Bruno,' she said, `what does that spell?' Bruno looked at it, in solemn silence, for a minute. `Iknow what it doesn't spell!' he said at last. `That's no good,' said Sylvie. `What does it spell?' Bruno took another look at the mysterious letters. `Why,it's "LIVE", backwards!' he exclaimed.
Sylvie was arranging some letters on a board--E--V--I--L.`Now, Bruno,' she said, `what does that spell?'
Bruno looked at it, in solemn silence, for a minute. `Iknow what it doesn't spell!' he said at last.
`That's no good,' said Sylvie. `What does it spell?'
Bruno took another look at the mysterious letters. `Why,it's "LIVE", backwards!' he exclaimed.
つまり、EVIL(悪)はLIVE(生きる)に通じるというアナグラムなのだ。これを柳瀬尚紀は「咎」と「各人」で日本語のアナグラムに変えた!
ジャン=リュック・ゴダールの映画にも「穴グラム?」が多くて『ウィークエンド』にはANALYSE(分析する)という言葉を分解して「ANAL」「YSE」の2行に分ける。つまり「肛門」「化」?PHOTOGRAPH(写真)という言葉を分解して「FAUX」「TOGR」「APHE」の3行に分けている。発音はほぼ等しくなるが「FAUX」とは実は「ニセモノ」の意味。つまりはニセモノを撮る機械ということになる。また、「CID」→「L'OCCIDENT」→「DENT」と一つの単語の中に入っている別の単語を見せる。「アラビアの首長」→「西洋」→「歯」などと分析して遊んでいる。
『ダ・ヴィンチ・コード』ではヒロインのソフィーが子供の頃、祖父のソニエールにアナグラムを教わる。ソニエールはピカソの傑作《アヴィニョンの娘たち(Les Demoiselles d'Avignon)》が“穢らわしい無意味ないたずら書き(vile meaningless doodles)”のアナグラムになっていると美術雑誌の取材で指摘したことがあったという話になっている。この他にもアナグラムだらけの作品になっている。ちなみに、アンドレ・ブルトンはダリ(Salvador Dali)を「ドル亡者」(Avid Dollars)とアナグラムで批判したことがある。これは外国の特許ではなく、「シラカバ」派も「バカラシ」と揶揄されたものだった。
アナグラムは筒井康隆『文学部唯野教授』にも出てくる。早治大学文学部教授の唯野仁は大学教授としての日常を乗り切りながら、金や名声の為ためではなく自らの文学理論の実践のため、野田耽二というペンネームを用いて大学に内緒で小説を発表している。
「唯野先生は一時のがれに、話のテーマを横すべりさせようとしておられる」井森はにこりともしない。「では、唯野先生と野田耽二が同一人物であるということを認められるのですね」 「絶対に同一人物じゃありません。第一あなた、名前が違うでしょ」唯野はうろたえた。「たとえペンネームであろうと、名前が違えばもう別人なんです」 「公的にはね」井森はにやっと笑った。 「公的に私的にも、それはたとえ同一人物であっても同一人物ではない」【…】
この「唯野仁」のアナグラムが「野田耽二」だ。唯野が非常勤で立智大学で行った「文芸批評論」の第一回の講義で美しい学生の奈美子に出会い奈美子は唯野が野田耽二であることを見抜かれる。“TADANO JIN⇔NODA TANJI”。唯野は奈美子と関係を持ち両親にまで紹介されるが、自分が野田耽二であることを隠していることをいうと奈美子はそれを臆病だと言って唯野の前から姿を消す……。
漢字にもアナグラムがあり、万葉集には「山上復有山」というのがある。漱石も「山上復有山」という絵を描いているが、これで「出」という意味だ。この辺りは加納善光の「謎解きアナグラム」(『文字の博物誌』大修館)が詳しい。
※アナグラムのジェネレーターがある(Anagram Genius)。試しに“Kinji Kanagawa”をやってみると“Akin. A jaw. A king.”となる。王様に近い気分になって顎が落ちそうだ。
日本語独自の命名は文字遊びによるものである。小林祥次郎『日本のことば遊び』(勉誠出版)によれば、元禄に既にあって、『女重宝記』『男重宝記』などの実用書を書いた苗村丈伯(じょうはく)は「艸田寸木子」とか「艸田子」などという号を用いたという。松平定信も自叙伝を『宇下人言(うかのひとごと)』とした。現代では推理作家の木々高太郎は本名「林髞(たかし)」を分解した。こうした「異分析」を使ったものとしては、「石平」庄一が姓だけを「石田衣良」にした例がある。タレントでは「中島淳子」が「夏決まり」(夏はおまえで決まり)で「夏木マリ」と芸名を変えた例がある。
加藤周一はマッカーシーと親しかったバリー・ゴールドウォーター上院議員のことを「金水」と書いておちょくった文章を書いている。芸術家で建築家のフンデルトヴァッサー(Hundertwasser)が日本で「百水」と号していたのも同じ遊びだ。 もっと複雑な人がいて、日本語を分解して使う外国人もいる。例えば、ミチャエル・エンデは『エンデ全集3』(岩波書店)の「エンデのラスト・トーク1 <言葉>そして<名>」で次のように語っている。「エンデ」=「終」=「糸+冬」と考えたのだ。 エンデ: 近頃、ときどき“糸冬(ヴィンターファーデン)”という筆名で署名することもあるんです。プライベートな場合ですが、たとえばティーネマン社社長のハンス=イェルク・ヴァイトブレヒトの誕生祝いに、大勢の作家が一章ずつ書いて、本を作ったことがあるのですが、私は最後にその本の批評を書き、“糸冬”と署名しました。
加藤周一はマッカーシーと親しかったバリー・ゴールドウォーター上院議員のことを「金水」と書いておちょくった文章を書いている。芸術家で建築家のフンデルトヴァッサー(Hundertwasser)が日本で「百水」と号していたのも同じ遊びだ。
もっと複雑な人がいて、日本語を分解して使う外国人もいる。例えば、ミチャエル・エンデは『エンデ全集3』(岩波書店)の「エンデのラスト・トーク1 <言葉>そして<名>」で次のように語っている。「エンデ」=「終」=「糸+冬」と考えたのだ。
エンデ: 近頃、ときどき“糸冬(ヴィンターファーデン)”という筆名で署名することもあるんです。プライベートな場合ですが、たとえばティーネマン社社長のハンス=イェルク・ヴァイトブレヒトの誕生祝いに、大勢の作家が一章ずつ書いて、本を作ったことがあるのですが、私は最後にその本の批評を書き、“糸冬”と署名しました。
また「有職読み」(ゆうそくよみ)というのは成功した人が元の名前ではなく、音読みで読まれる現象を指す。森有礼(ありのり)を「ゆうれい」、福田恆存(つねあり)が「こうそん」、水上勉(つとむ)が「べん」などと呼ばれるようになればメジャーということだ。唐風、法名風にして威厳をつけている。『徒然草』の作者も法名の「吉田兼好(けんこう)」で知られているが、俗名は「ト部兼好(うらべかねよし)」と呼ばれていたはずだ(「吉田」というのは先祖が京都吉田神社の社務職にあったことからで後に改称したことによるので間違い)。漢字が分かればよくて、読み方は二の次にする性癖が日本人にはあるから生まれたといえる。詳しくは高梨『名前のはなし』に「有職読みという名の音読」という項がある。 松本清張は有職読みの「せいちょう」をそのままペンネームにした。辻仁成は作歌活動では「ひとなり」で音楽活動では有職読みの「じんせい」である。吉本隆明は「たかあき」なのだが、人が勝手に有職読みの「りゅうめい」と呼んでいる。 ちょうど、俳優が「阪妻」「アラカン」「エノケン」「勝新」「キムタク」などがメジャーになって省略形で呼ばれるようになったのと似ているかもしれない(省略されたからメジャーになったのかもしれないが…)。百人一首にも入っている曽祢好忠(そねよしただ)は丹後掾(たんごのじょう)という役目を持っていたので「曽単掾」、略して「曽掾(そたん)と呼ばれていた。江戸時代には歌舞伎の中村富十郎が「中富」(なかとみ)と呼ばれた。丸谷才一の「与太を飛ばす」(『人形のBWH』文藝春秋)にはこんなことが書いてあった【仮名遣いは丸谷のもの】。 日本のジャーナリストたちは気が早くて能率を尊ぶためか、人気ライターを略称ないし綽名で呼ぶことが多い。 司馬遼太郎はシバリヨウ 松本清張はセイチヨウ 柴田錬三郎はシバレン 水上勉はベンチヤン 吉田健一はヨシケン 山本健吉はヤマケン 野坂昭如はクロメガネ ひと時代前は変な言ひ方もあつて、 今日出海(こんひでも)はヒデミンコン 外国で「有職読み」に相当するのはラテン語読みであろう。例えば、コロンブスはイタリアではコロンという名前だったが、有名になってからラテン語読みされるようになってコロンブスになった。アメリゴ・ヴェスプッチもラテン語読みすると「アメリクス」であり、その女性形が自分が発見した訳でもないのに、「アメリカ」として残った。ルイス・キャロルというペンネームも名前のチャールズ・ラトウィッジ(Charles Lutwidge)をラテン語読みにカロラス・ルドヴィカス(Carolus Ludovicus)とし、その順序を逆転して、響きのよい英語読みに戻した---二回転半ひねりくらいのペンネームなのだ。 予言で有名なノストラダムスも本名はミシェル・ド・ノートルダムで、先祖がユダヤ教からキリスト教に改宗した時に、ノートルダム=聖母マリアという名前を選び、ノートルダムのラテン語名がノストラダムスなのだ。『ノートルダムの予言書』で誰か信じるだろうか。
また「有職読み」(ゆうそくよみ)というのは成功した人が元の名前ではなく、音読みで読まれる現象を指す。森有礼(ありのり)を「ゆうれい」、福田恆存(つねあり)が「こうそん」、水上勉(つとむ)が「べん」などと呼ばれるようになればメジャーということだ。唐風、法名風にして威厳をつけている。『徒然草』の作者も法名の「吉田兼好(けんこう)」で知られているが、俗名は「ト部兼好(うらべかねよし)」と呼ばれていたはずだ(「吉田」というのは先祖が京都吉田神社の社務職にあったことからで後に改称したことによるので間違い)。漢字が分かればよくて、読み方は二の次にする性癖が日本人にはあるから生まれたといえる。詳しくは高梨『名前のはなし』に「有職読みという名の音読」という項がある。
松本清張は有職読みの「せいちょう」をそのままペンネームにした。辻仁成は作歌活動では「ひとなり」で音楽活動では有職読みの「じんせい」である。吉本隆明は「たかあき」なのだが、人が勝手に有職読みの「りゅうめい」と呼んでいる。
ちょうど、俳優が「阪妻」「アラカン」「エノケン」「勝新」「キムタク」などがメジャーになって省略形で呼ばれるようになったのと似ているかもしれない(省略されたからメジャーになったのかもしれないが…)。百人一首にも入っている曽祢好忠(そねよしただ)は丹後掾(たんごのじょう)という役目を持っていたので「曽単掾」、略して「曽掾(そたん)と呼ばれていた。江戸時代には歌舞伎の中村富十郎が「中富」(なかとみ)と呼ばれた。丸谷才一の「与太を飛ばす」(『人形のBWH』文藝春秋)にはこんなことが書いてあった【仮名遣いは丸谷のもの】。
日本のジャーナリストたちは気が早くて能率を尊ぶためか、人気ライターを略称ないし綽名で呼ぶことが多い。 司馬遼太郎はシバリヨウ 松本清張はセイチヨウ 柴田錬三郎はシバレン 水上勉はベンチヤン 吉田健一はヨシケン 山本健吉はヤマケン 野坂昭如はクロメガネ ひと時代前は変な言ひ方もあつて、 今日出海(こんひでも)はヒデミンコン
日本のジャーナリストたちは気が早くて能率を尊ぶためか、人気ライターを略称ないし綽名で呼ぶことが多い。
司馬遼太郎はシバリヨウ 松本清張はセイチヨウ 柴田錬三郎はシバレン 水上勉はベンチヤン 吉田健一はヨシケン 山本健吉はヤマケン 野坂昭如はクロメガネ ひと時代前は変な言ひ方もあつて、 今日出海(こんひでも)はヒデミンコン
外国で「有職読み」に相当するのはラテン語読みであろう。例えば、コロンブスはイタリアではコロンという名前だったが、有名になってからラテン語読みされるようになってコロンブスになった。アメリゴ・ヴェスプッチもラテン語読みすると「アメリクス」であり、その女性形が自分が発見した訳でもないのに、「アメリカ」として残った。ルイス・キャロルというペンネームも名前のチャールズ・ラトウィッジ(Charles Lutwidge)をラテン語読みにカロラス・ルドヴィカス(Carolus Ludovicus)とし、その順序を逆転して、響きのよい英語読みに戻した---二回転半ひねりくらいのペンネームなのだ。
予言で有名なノストラダムスも本名はミシェル・ド・ノートルダムで、先祖がユダヤ教からキリスト教に改宗した時に、ノートルダム=聖母マリアという名前を選び、ノートルダムのラテン語名がノストラダムスなのだ。『ノートルダムの予言書』で誰か信じるだろうか。
「有職読み」もあだ名の一つだが、全く違った「あだ名」というものがある。池内紀に『あだ名の人生』(みすず書房)というのがあって、目の付け方がすごいな、と思わせる。「あだ名、通称、あるいは身代わりのようにしてつけられた呼び名−−それぞれその人の要約にあたるようなもの。いかにしてあだ名がついたか、事情はさまざまだが、世の中にひそんだ悪ガキの知恵にも似ている。それを借用すると、個性ゆたかな肖像が浮かび出るのではなかろうか?」(あとがき)という。神社の祭礼などで立てられている幟(のぼり)の勢いのある太字は、江戸中期の書家・三井親和(しんな)の手になるものが多かったという。この書家、偉ぶったところがなく、看板、商店のノレンであれ、浴衣の背中の飾りであれ、頼まれれば、快く書いてやったから、当時は人気者。下町の深川に住んでいたから、人呼んで「深川親和」だった。 日本で初のバスガイド付き観光バスを走らせ、別府温泉を世界に知らしめたピカピカおじさん・油屋熊八、東京に哲学堂を残した妖怪博士・井上円了……。それぞれに相当、変わり者だが、そのあだ名で一生を貫いた彼らの生は爽快(そうかい)だ。棟方志功を「俗」と一蹴(いっしゅう)した谷中安規は、居場所がいつもあやふやで、ついたあだ名は「風船画伯」で悲運な最期を迎える。「あだ名」がある人は個性豊かだ。
「有職読み」もあだ名の一つだが、全く違った「あだ名」というものがある。池内紀に『あだ名の人生』(みすず書房)というのがあって、目の付け方がすごいな、と思わせる。「あだ名、通称、あるいは身代わりのようにしてつけられた呼び名−−それぞれその人の要約にあたるようなもの。いかにしてあだ名がついたか、事情はさまざまだが、世の中にひそんだ悪ガキの知恵にも似ている。それを借用すると、個性ゆたかな肖像が浮かび出るのではなかろうか?」(あとがき)という。神社の祭礼などで立てられている幟(のぼり)の勢いのある太字は、江戸中期の書家・三井親和(しんな)の手になるものが多かったという。この書家、偉ぶったところがなく、看板、商店のノレンであれ、浴衣の背中の飾りであれ、頼まれれば、快く書いてやったから、当時は人気者。下町の深川に住んでいたから、人呼んで「深川親和」だった。
日本で初のバスガイド付き観光バスを走らせ、別府温泉を世界に知らしめたピカピカおじさん・油屋熊八、東京に哲学堂を残した妖怪博士・井上円了……。それぞれに相当、変わり者だが、そのあだ名で一生を貫いた彼らの生は爽快(そうかい)だ。棟方志功を「俗」と一蹴(いっしゅう)した谷中安規は、居場所がいつもあやふやで、ついたあだ名は「風船画伯」で悲運な最期を迎える。「あだ名」がある人は個性豊かだ。
小説にちなんでペンネームをつけるということがあるが、逆に小説を忌避して別の名前を持つ人もいる。野口英世である。本名の清作の名前を英世に替えた小林栄先生は、改名の動機となった『当世書生気質』に野々口精作が登場したことを当初から疑問に思っていた。清作から野々口精作のことを聞かされた時、小林先生は「それはどうしてもあやしい。『野々口精作』医学生、天才肌の将来有望なる青年とある。どうもお前の事によくあたっているではないか。これは坪内先生が見たように思うがどうだ」(小林栄『野口英世の思い出』)と詰め寄った。何しろ婚約することで相手の家から調達した大枚の渡米費用を、芸者をあげての送別会でほとんど使い果たすという途方もない金銭感覚を持ち、「借金魔」とされた野口だから、心当たりもあっただろう。小林先生は清作の希望をかなえてやろうと思い、「一つ考えたが『英世(ひでよ)』ということではどうか。英の字は小林家の実名の頭文字だ。世の字は世界、広い意味を持っている。医者の英雄になって、世界に良い仕事をするという事になる。近ごろは人間より名前の方が立派で、誠に不相応な人が多いが大丈夫か」と念を押したが、清作は「一生懸命がんばります」と明言した。 野口の死後、小林先生の手紙に対して、逍遥は次のような返事を出した。「復 故野口博士に関する追憶談は、誠に耳新しいことで、深い感興をもって拝読しました。この小説は明治17年に起稿して18年に出版した私のいたずら書きのもので、全(すべ)て架空の人物名であります。あのころ、博士は多分9歳、10歳でおられたようですので、姓名の類似は申すまでもなく偶然のことです。何故(なぜ)医学生にあのような放蕩(ほうとう)者を作り出したかと申しますと、当時東京大学医学部といっていた本郷の医学校は、その学科の特徴からか学生中に写楽者が多く、銭遣いが荒いと聞いておりましたので、私なりの風刺を試みただけのことにすぎません。いずれにしましても45、6年も前の悪作で、思い出すだけでも冷や汗が出るものでありますが、思いかけず世界的な人物、故博士の発奮の一機縁となりましたことは、これもひとえに貴下のご高論と、故博士の英偶なることであることは申すまでもないことであります。… 5月16日 伊豆熱海ニテ 坪内雄蔵」。 小林先生から思いもしなかった手紙を受け取った逍遥は、その年の7月25日号発行の『キング』に16ページにわたって「野口英世博士発奮物語 見よ!この母、この師、そしてこの人」と題して、一連の経過や自分の考えを述べているという。つまり、英世たちの取り越し苦労だったのだが、やっぱり野口清作では紙幣になりにくい。ちなみに母は「シカ」長女は「イヌ」という変わった(当時はありうることだったのだろうが)名前だった。
小説にちなんでペンネームをつけるということがあるが、逆に小説を忌避して別の名前を持つ人もいる。野口英世である。本名の清作の名前を英世に替えた小林栄先生は、改名の動機となった『当世書生気質』に野々口精作が登場したことを当初から疑問に思っていた。清作から野々口精作のことを聞かされた時、小林先生は「それはどうしてもあやしい。『野々口精作』医学生、天才肌の将来有望なる青年とある。どうもお前の事によくあたっているではないか。これは坪内先生が見たように思うがどうだ」(小林栄『野口英世の思い出』)と詰め寄った。何しろ婚約することで相手の家から調達した大枚の渡米費用を、芸者をあげての送別会でほとんど使い果たすという途方もない金銭感覚を持ち、「借金魔」とされた野口だから、心当たりもあっただろう。小林先生は清作の希望をかなえてやろうと思い、「一つ考えたが『英世(ひでよ)』ということではどうか。英の字は小林家の実名の頭文字だ。世の字は世界、広い意味を持っている。医者の英雄になって、世界に良い仕事をするという事になる。近ごろは人間より名前の方が立派で、誠に不相応な人が多いが大丈夫か」と念を押したが、清作は「一生懸命がんばります」と明言した。
野口の死後、小林先生の手紙に対して、逍遥は次のような返事を出した。「復 故野口博士に関する追憶談は、誠に耳新しいことで、深い感興をもって拝読しました。この小説は明治17年に起稿して18年に出版した私のいたずら書きのもので、全(すべ)て架空の人物名であります。あのころ、博士は多分9歳、10歳でおられたようですので、姓名の類似は申すまでもなく偶然のことです。何故(なぜ)医学生にあのような放蕩(ほうとう)者を作り出したかと申しますと、当時東京大学医学部といっていた本郷の医学校は、その学科の特徴からか学生中に写楽者が多く、銭遣いが荒いと聞いておりましたので、私なりの風刺を試みただけのことにすぎません。いずれにしましても45、6年も前の悪作で、思い出すだけでも冷や汗が出るものでありますが、思いかけず世界的な人物、故博士の発奮の一機縁となりましたことは、これもひとえに貴下のご高論と、故博士の英偶なることであることは申すまでもないことであります。… 5月16日 伊豆熱海ニテ 坪内雄蔵」。
小林先生から思いもしなかった手紙を受け取った逍遥は、その年の7月25日号発行の『キング』に16ページにわたって「野口英世博士発奮物語 見よ!この母、この師、そしてこの人」と題して、一連の経過や自分の考えを述べているという。つまり、英世たちの取り越し苦労だったのだが、やっぱり野口清作では紙幣になりにくい。ちなみに母は「シカ」長女は「イヌ」という変わった(当時はありうることだったのだろうが)名前だった。
ペンネームを考える時に姓名判断をした作家が稀にいるが、そんな運に頼るようでは大作家となりえない。姓名判断が得意だという小倉千加子は『シュレージンガーの猫』(いそっぷ社)で次のように書いている。 ちなみに、私は近代文学史に残る天才の姓名判断をしてみて、ほとんどが「運勢の悪い名前」であることを確認している。石川啄木や樋口一葉が凶運の名前だと言っても、それは夭折した作家をわざと選んでいるのだろうと批判される可能性があるので、夏目漱石や本名での森鴎外も決して吉運の名前ではなかったと言い足しておこう。姓名判断を信じるなら、名作は、「悪い名前」が生み出すのである。【…】 姓名判断は人間の真価を図るものではなく、あくまで現世での幸福を求める価値体系である。その意味ではきわめて世俗的なものであることは一応言っておかなければならない。
ペンネームを考える時に姓名判断をした作家が稀にいるが、そんな運に頼るようでは大作家となりえない。姓名判断が得意だという小倉千加子は『シュレージンガーの猫』(いそっぷ社)で次のように書いている。
ちなみに、私は近代文学史に残る天才の姓名判断をしてみて、ほとんどが「運勢の悪い名前」であることを確認している。石川啄木や樋口一葉が凶運の名前だと言っても、それは夭折した作家をわざと選んでいるのだろうと批判される可能性があるので、夏目漱石や本名での森鴎外も決して吉運の名前ではなかったと言い足しておこう。姓名判断を信じるなら、名作は、「悪い名前」が生み出すのである。【…】 姓名判断は人間の真価を図るものではなく、あくまで現世での幸福を求める価値体系である。その意味ではきわめて世俗的なものであることは一応言っておかなければならない。
なお、結婚で名前が変わる場合も多く、更に離婚して戻ることがあるので、本姓がどうなっているか、必ずしも明確ではない(し、そこまで調べる必要はないだろう)。バイオリニストの五嶋みどりは名前を「MIDORI」にしたが、その理由の一つを離婚しても名前が変わらないように、というものだった。 名前の変わっていない作家も取り上げているが、それぞれに理由があった。特に民俗学でいう「祖名継承」(そめいけいしょう)がなされているかどうかが興味深かったからである。これは「道雄」の子どもが「道治」で孫が「道弘」と漢字の一文字が継承されるものである。ちなみに中国では「諱避(きひ)」といって親の名前は伝えない。例外があって「之」という字だけは意味がなく、調子をととのえるだけなので、諱避しなくていいことになっている。王羲之(おうぎし)の息子は王献之(おうけんし)であった(二人ともすぐれた書家で「二王」と呼ばれた)。 名前には作家の決意が見て取れる。本名を選択することもまた、作家の決意である。萩原朔太郎が「名前の話」で次のように書いている。 運勢の話が出たから、ついでに気のついたことを言ふが、詩人や文士で、その作品と姓名から受ける聯想のちがふ人は、どうも文壇的に幸運を恵まれないやうである。前にも言つた通り、作家の名前からその作品を表象するのは、心理学上の当然な理由によるのであるが、中には異例的にさうでない場合もある。たとへばその特異な詩風で、大正詩壇に異彩を放つた鬼才詩人の大手拓次君なども、あの妖気をおびた藍色の蟇のやうな詩想や、蛇の卵のやうにぬらぬらと連なつた特殊の詩語や、それから特に、十字架上のキリストのやうに、蒼白で憂鬱の顔をした作者の風貌などを、その詩人としての姓名から表象することは、いかにしても僕には困難である。大手拓次といふ名の字面から浮ぶ聯想は、何かしらがツちりした、骨組の太い、血色の好い、四角張つた人間のやうに思はれる。この同じ詩人は、初期には吉川惣一郎といふ名で作品を発表してゐた。これは全然作り物のペンネームであつたが、字面から受ける印象が、ぴつたりとその詩風の特色と一致し、いかにもよく「名は性を現はす」といふ感じがした。然るに何を感じたのか、後年になつてそのペンネームを廃め、本名の大手拓次で詩を書き出してから、作品と名前との聯想関係が、全くちぐはぐのものになつてしまつた。のみならず不思議なことは、それ以来急に詩情が枯燥して、熱のないマンネリズムに堕してしまつた。そんなことから、この詩人の文壇的地位は甚だ不遇で、折角の稀有な鬼才さへも、殆んど詩壇的に認められないで死んでしまつた。姓名判断の易者に言はせたら、此処で必ず一理窟立てる所だらうが、とに角常識で考へても、作家の名前と作風とが一致せず、表象上に食ひちがつた感じを与へるやうなのは、その人の文壇的運勢上で何となく不吉な悪運を感じさせる。 芸術家は誰もが同じ決意を示す。名優だった六代目・尾上菊五郎は臨終にあたって「寺島幸三(本名)で生きていたってしようがねえ」という言葉を残した。舞台に生きた人の誇りと無念を伝えて余すところがない。 作家などの芸術家たちが自分の名前をどんな風に工夫しているか酌み取ってほしい。 「生きている作家になんてなんの価値もないよ」(@村上春樹『風の歌を聴け』)というから、死んだ作家だけのペンネームを取り上げようと思ったが、ペンネームは生きている作家の方が面白いかもしれないと思って、たくさんのペンネームを扱っている。 また、日本のペンネームで特殊なのは読まれることを前提としていないことだ。例えば、外山滋比古は『老楽力』(おいらくりょく)で「根本実当」という名前で自伝を書いた。これに対して『コンポジット氏40年』の「あとがきに代えて」で「日本人の名前は、見れども声にせず、というのが建前だから、読めないといって腹を立ててもらっても困る。読めなければ放っておけばよいのである」という。清音か濁音かも本当はよく分からない。間違えているかもしれないので要注意。 最後に、賞を取ったとか取らなかったとか書いてあるが、取るに足りないことではある。でも、参考に書いておいた。 村上春樹は蓮實重彦に「村上春樹作品は結婚詐欺だ」とされ、シンポジウムの締めで蓮實は「セリーヌと村上春樹ならセリーヌを読め、村上春樹を読むな」と言った。だから、最初に狙ってもらった群像新人文学賞だけで、芥川賞とは無縁である。 「芥川賞の候補になったことってある?」 「五年間で四回」 「でもとれなかった?」 彼はただ静かに微笑んだ。彼女はとくに許可を求めることもなく、となりのスツールに腰を下ろした。そしてカクテルの残りをすすった。 「いいじゃない。賞なんてどうせ業界内のおもわくでしょう」と彼女は言った。 「実際に賞をとった人がはっきりそう言ってくれれば、それはそれでリアリティがあるんだろうけどね」 ---村上春樹「日々移動する腎臓のかたちをした石」(『東京奇譚集』新潮社) 「俺が考えているのはね、もう少しでかいことなんだ」と小松は言った。 「でかいこと?」 「そう。新人賞なんて小さなことは言わず、どうせならもっとでかいのを狙う」 天吾は黙っていた。小松の意図するところは不明だが、そこに何かしら不穏なものを感じ取ることはできた。 「芥川賞だよ」と小松はしばらく間を置いてから言った。 「芥川賞」と天吾は相手の言葉を、濡れた砂の上に棒きれで大きく漢字を書くみたいに繰り返した。 「芥川賞。それくらい世間知らずの天吾くんだって知ってるだろう。新聞にでかでかと出て、テレビのニュースにもなる」 ---村上春樹「BOOK1 第2章」(『1Q84』新潮社) ※著名な人々を中心に書いてあって、どこでも手に入れることができる内容になっていて個人情報保護法に引っかかりそうなことは書いてありませんが、気になる部分があればお教えください。 *文字化け防止のため、上述のアルファベットにアクセントなど補助記号は付けないで次のように表記している。cはセディーユで「腔」となってしまう。
なお、結婚で名前が変わる場合も多く、更に離婚して戻ることがあるので、本姓がどうなっているか、必ずしも明確ではない(し、そこまで調べる必要はないだろう)。バイオリニストの五嶋みどりは名前を「MIDORI」にしたが、その理由の一つを離婚しても名前が変わらないように、というものだった。
名前の変わっていない作家も取り上げているが、それぞれに理由があった。特に民俗学でいう「祖名継承」(そめいけいしょう)がなされているかどうかが興味深かったからである。これは「道雄」の子どもが「道治」で孫が「道弘」と漢字の一文字が継承されるものである。ちなみに中国では「諱避(きひ)」といって親の名前は伝えない。例外があって「之」という字だけは意味がなく、調子をととのえるだけなので、諱避しなくていいことになっている。王羲之(おうぎし)の息子は王献之(おうけんし)であった(二人ともすぐれた書家で「二王」と呼ばれた)。
名前には作家の決意が見て取れる。本名を選択することもまた、作家の決意である。萩原朔太郎が「名前の話」で次のように書いている。
運勢の話が出たから、ついでに気のついたことを言ふが、詩人や文士で、その作品と姓名から受ける聯想のちがふ人は、どうも文壇的に幸運を恵まれないやうである。前にも言つた通り、作家の名前からその作品を表象するのは、心理学上の当然な理由によるのであるが、中には異例的にさうでない場合もある。たとへばその特異な詩風で、大正詩壇に異彩を放つた鬼才詩人の大手拓次君なども、あの妖気をおびた藍色の蟇のやうな詩想や、蛇の卵のやうにぬらぬらと連なつた特殊の詩語や、それから特に、十字架上のキリストのやうに、蒼白で憂鬱の顔をした作者の風貌などを、その詩人としての姓名から表象することは、いかにしても僕には困難である。大手拓次といふ名の字面から浮ぶ聯想は、何かしらがツちりした、骨組の太い、血色の好い、四角張つた人間のやうに思はれる。この同じ詩人は、初期には吉川惣一郎といふ名で作品を発表してゐた。これは全然作り物のペンネームであつたが、字面から受ける印象が、ぴつたりとその詩風の特色と一致し、いかにもよく「名は性を現はす」といふ感じがした。然るに何を感じたのか、後年になつてそのペンネームを廃め、本名の大手拓次で詩を書き出してから、作品と名前との聯想関係が、全くちぐはぐのものになつてしまつた。のみならず不思議なことは、それ以来急に詩情が枯燥して、熱のないマンネリズムに堕してしまつた。そんなことから、この詩人の文壇的地位は甚だ不遇で、折角の稀有な鬼才さへも、殆んど詩壇的に認められないで死んでしまつた。姓名判断の易者に言はせたら、此処で必ず一理窟立てる所だらうが、とに角常識で考へても、作家の名前と作風とが一致せず、表象上に食ひちがつた感じを与へるやうなのは、その人の文壇的運勢上で何となく不吉な悪運を感じさせる。
芸術家は誰もが同じ決意を示す。名優だった六代目・尾上菊五郎は臨終にあたって「寺島幸三(本名)で生きていたってしようがねえ」という言葉を残した。舞台に生きた人の誇りと無念を伝えて余すところがない。
作家などの芸術家たちが自分の名前をどんな風に工夫しているか酌み取ってほしい。
「生きている作家になんてなんの価値もないよ」(@村上春樹『風の歌を聴け』)というから、死んだ作家だけのペンネームを取り上げようと思ったが、ペンネームは生きている作家の方が面白いかもしれないと思って、たくさんのペンネームを扱っている。
また、日本のペンネームで特殊なのは読まれることを前提としていないことだ。例えば、外山滋比古は『老楽力』(おいらくりょく)で「根本実当」という名前で自伝を書いた。これに対して『コンポジット氏40年』の「あとがきに代えて」で「日本人の名前は、見れども声にせず、というのが建前だから、読めないといって腹を立ててもらっても困る。読めなければ放っておけばよいのである」という。清音か濁音かも本当はよく分からない。間違えているかもしれないので要注意。
最後に、賞を取ったとか取らなかったとか書いてあるが、取るに足りないことではある。でも、参考に書いておいた。
村上春樹は蓮實重彦に「村上春樹作品は結婚詐欺だ」とされ、シンポジウムの締めで蓮實は「セリーヌと村上春樹ならセリーヌを読め、村上春樹を読むな」と言った。だから、最初に狙ってもらった群像新人文学賞だけで、芥川賞とは無縁である。
「芥川賞の候補になったことってある?」 「五年間で四回」 「でもとれなかった?」 彼はただ静かに微笑んだ。彼女はとくに許可を求めることもなく、となりのスツールに腰を下ろした。そしてカクテルの残りをすすった。 「いいじゃない。賞なんてどうせ業界内のおもわくでしょう」と彼女は言った。 「実際に賞をとった人がはっきりそう言ってくれれば、それはそれでリアリティがあるんだろうけどね」 ---村上春樹「日々移動する腎臓のかたちをした石」(『東京奇譚集』新潮社)
「俺が考えているのはね、もう少しでかいことなんだ」と小松は言った。 「でかいこと?」 「そう。新人賞なんて小さなことは言わず、どうせならもっとでかいのを狙う」 天吾は黙っていた。小松の意図するところは不明だが、そこに何かしら不穏なものを感じ取ることはできた。 「芥川賞だよ」と小松はしばらく間を置いてから言った。 「芥川賞」と天吾は相手の言葉を、濡れた砂の上に棒きれで大きく漢字を書くみたいに繰り返した。 「芥川賞。それくらい世間知らずの天吾くんだって知ってるだろう。新聞にでかでかと出て、テレビのニュースにもなる」 ---村上春樹「BOOK1 第2章」(『1Q84』新潮社)
※著名な人々を中心に書いてあって、どこでも手に入れることができる内容になっていて個人情報保護法に引っかかりそうなことは書いてありませんが、気になる部分があればお教えください。
*文字化け防止のため、上述のアルファベットにアクセントなど補助記号は付けないで次のように表記している。cはセディーユで「腔」となってしまう。
【金川 欣二■本名・木村拓哉】
序文 わ ら や ま は な た さ か あ 後記 り み ひ に ち し き い 文献 る ゆ む ふ ぬ つ す く う れ め へ ね て せ け え HP ろ よ も ほ の と そ こ お (いきなり)あとがき 「あの烟るような島は何だろう」 「あの島か、いやに縹渺としているね。大方竹生島だろう。」 「本当かい」 「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質さえ確かなら構わない主義だ」 夏目漱石『虞美人草』 近代日本文学・評論の代表的な人々のペンネーム(pen name,pseudonym「偽の名前、匿名」,フランス語nom de plume「ペンの名前」ともnom de guerre「戦争の名前」ともいうが、後者はと言う意味で傭兵が軍務に付く時につけたあだ名から来ている)を取り上げた。きっと誰かがホームページにしていると思ったが、なかった。こんなの(調査しては書くだけで文章に“ひねり”もいらない…)は国文科の1年生の宿題だ! 当初は命名理由の分かっているものだけを取り上げるつもりだったが、とりあえず書いておいて徐々に調べて行こうと考えた。 結構、みんな実名(autonym)は平凡な名前だったんだなぁ、という感慨が沸いてくる。「ペンネームは、作家をのぞく小さい窓」(渡辺三男)という言葉があるが、同時に、不幸な作家の多さと遺伝子の強さ、文壇というものの存在に驚く。 全く無関係な感想なのだが、推理作家やSF作家に夫婦が多いことにも気がついた。純文学や私小説だと家庭崩壊型が多くて結婚なんてことにはならないのかもしれない。だから夫婦で作家というのはとても健全な気がしてしまう。 また、直木賞作家よりも芥川賞作家にペンネームが多いのも驚きだ。ロシア語の翻訳家にペンネームが多いのは弾圧から護る身の安全のためだった。 「除名」 谷川俊太郎 名を除いても 人間は残る 人間を除いても 思想は残る 思想を除いても 盲目のいのちは残る いのちは死ぬのをいやがって いのちはわけの分からぬことをわめき いのちは決して除かれることはない いのちの名はただひとつ 名なしのごんべえ 詩人は本名が多いのに、電信柱に立ち寄る犬のような評論家たちにペンネームが多いのは分からない。匿名で書かないと身の危険を感じるのだろうか?立花隆もペンネームだって知ってましたか?こんなのあんまりフェアじゃないような気がするのだけど…。 歌人は実名で書くのが常だが、俳人の方は俳号で書くのが常である。呉智英『朝日俳壇ウォッチング』(別冊宝島73)には歌壇と俳壇の違いが書いてあるのだが、(1)短歌の方が海外在住者の投稿が多く、俳句はゼロに等しい、(2)短歌の方が本名風の名が多いのに、俳句の方は半分が俳号だ、(3)星印のつく共選作は歌壇では頻繁に見られるが、俳壇では一年に数回しかない。と書いている。この背景に「短歌は作品、俳句は作家」という違いがあって、俳号をもてば俳人になれる、という事情もあるという。 俵万智『おれがマリオ』(文芸春秋) 本名とペンネーム並ぶ投稿歌ほぼ100パーセント本名がよし ■ 国語学風に分類することもできるが、面倒なのでデータをそのまま出した。無断掲載を禁じます。 ■ なお、鈴木輝一郎さんに教えてもらった話は次のとおり。 小説家の場合は『ぜんぶ平仮名の筆名は大成しない』というジンクスがあります。いわれてみればそうですよね。『なだいなだ』も『つかこうへい』も、本業は小説家じゃありませんな。 あと、税金の申告をする場合、筆名は屋号の扱いになります。だとすると『二代目司馬遼太郎』や『三代目藤沢周平』が出てきそうですが、今のところ文筆ではちょっと聞いたことがありませんね。陶芸や浮世絵ではよく聞きますけど。 ちなみに「いいだ・もも、いぬい・とみこ、きだ・みのる、つか・こうへい、なだ・いなだ、ぬやま・ひろし、むの・たけじ、サトウ・ハチロー」などが大成している。おっと、おすぎだって著述家で杉浦孝昭が本名だ。童話作家も「あさのあつこ」のように平仮名で成功している。 ■ 『[本]の秘密』(KAWADE夢文庫)によれば著作権法では、本名で書かれた著作物と、ペンネーム等で書かれた著作物とが区別されているという。それぞれの法的保護が異なるのだ。実名の場合は保護期間が著作者の死後50年間なのに対し、変名、または無名の場合は著作物の公表時から50年間とされている。つまり、本は本名で書いたほうが得ということだ(筆名であっても、それを名乗っている人物が現実の誰であるかを特定できる場合には、実名で執筆した場合と同じ扱いになるようだ)。 ■ ペンネームをつけるのは文学関係者だけではない。一番無関係に見える数学者だってペンネームをつける。数理統計学に「スチューデント分布」(t分布)というのがあるが、これはゴセットWilliam Sealy Gossetのペンネーム「スチューデント」にちなんだものである。日本でも「ロゲルギスト」といって理科系の学者がみんなでエッセーを書いていたことがある。 竹久夢二は茂次郎が本名だが、はたして竹久茂次郎であんなに人気が出たかどうか分からない。 漫画家では手塚治虫(「治」だったがオサムシが好きで)とか藤子不二雄(我孫子素雄+藤本弘/手塚でなくて「足塚」不二雄としていた時代もあったが、 「ぼくらは、“不二雄”というペンネームを先に作ったの。藤本のフジと、安孫子素雄のオをとって、“フジオ”とした。そして名字をなににしようかと考えたんだ。せめて、手塚先生の足下におよびたいっていうんで、“足”ってつけたの。結構字面も悪くないわけ。結局、単行本『最後の世界大戦』と、「冒険王」の『四万年漂流』、「漫画王」の別冊付録『三人きょうだいとにんげん砲弾』、それに「探偵王」の読み切り一冊ぐらいでやめてしまった」…)、石ノ森章太郎(本名は「小野寺」だが、故郷の「石森」つまり、「いしのもり」を誰も読んでくれないので画業30周年を期に「石ノ森」とした)、横山光輝はお寺さんみたいな光照を変え、柴門ふみ(サイモン&ガーファンクルから)、秋本治(「山上たつひこ」にちなんで「山止たつひこ」としていた)、はらたいら(いつも腹をすかしていた)、わたせせいぞう(渡瀬政造!)などが有名だが、別の人に任せる。『ルパン三世』のモンキー・パンチというペンネームは最初に漫画を描いた時、編集長の清水氏(故人)が無国籍性を強調するような名前を、と勝手につけたもので、最初は非常にいやだったという。しかし、清水氏は作家が誰も評価しなかった『クレヨンしんちゃん』のヒット性を見抜き、世に出したほどの名編集長。彼を尊敬するようになり、今はこのペンネームに誇りを持っているそうだ。 外国の漫画家では『タンタン』の作者、ベルギーのエルジェ(Herge)の本名はジョルジュ・レミ(Georges Remi)で、ペンネームは本名のイニシャルGRを逆さにしたRGをフランス語読みしたものになっている。ちなみにタンタンの相棒の犬「スノーウィ 」はフランスでは「ミルゥ」(Milou)だが、各国で適当な名前に変えられている(日本はアメリカ版のSnowyから)。 俳優や女優でペンネームをもっている人もいる(呉田軽穂は松任谷由実のペンネームでグレタ・ガルボから、美微杏里は藤真利子で女優のビビアンリーから)がとりあえず無視した。 加山雄三は作曲家としての弾厚作というペンネームを持っているが、欲張りなことに團伊玖麿と山田耕筰の名前を合わせたものだという。指揮者の外山雄三は加山雄三のペンネームだと思っていた人も多い。 ちなみに山田耕筰は1930年まで「耕作」としていたが、後に毛が薄くなって2本つけたとか、縁起がいいとかで「耕筰」にして、戸籍もこちらの方に変えてしまった。それどころか、北原白秋にも糖尿病発病以後は「伯秋」と変えるように進言している。 作曲家でペンネームを使っていたのは他にオッフェンバック(出身のオッフェンバッハ・アム・マインからで本名はよく知られていない)がいる。 ■ 赤ちゃんの命名にも役に立つと思うが、作家を目指す人のペンネームを考える時のヒントにもなると思う。上に見えるように「ぬ、へ、め」がないし、「ら行」の作家は少ないので、「ぬへめ正一」とか「雷電太郎」なんて名前はインパクトがあると思う。「落雷磊落」なんてRRだし、対照になっているし、オチもついている! と書いてから、『パソコン創世記』と「青空文庫」で有名な富田倫生さんから、生まれた時に雷がなっていて、「富田雷太」となったかもしれない、というメールをもらった。「ライター富田」で語呂もいい。 ■ <ラジオのニュース>米軍も多大の戦死者を出しましたが、ヴェトコン側も115人戦死しました。 女「無名って恐ろしいわね」 男「なんだって?」 女「ゲリラが115名戦死というだけでは何もわからないわ。 一人ひとりのことは何もわからないままよ。妻や子供がいたのか? 芝居より映画のほうが好きだったか?まるでわからない。ただ115人戦死というだけ」 ※ジャン=リュック=ゴダール「気狂いピエロ」【村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』にも引用】 ■ ペンネームと日本文化について考える。論文にしてもいいのだけど、面倒なのでここで書いておく。 ペンネームを使う作家の割合は日本人が一番多いと思う。思うだけで調べていない(調べようがない)のだが、この「ペンネーム図鑑」で見るように実に多い。本名の方が少ないのではと思える。 当然、これは日本文化と深い関わりをもっていると考えられる。その大きな原因が「キャラクター」である。「キャラが立つ」などという言葉が日本人は好きし、お笑いでなくても自分の「キャラ」を大切にしている人は多いと思う。ペンネームを使うことで、日本人は別のキャラになりたがっているのだ。実生活とは違う自分をアレンジしたいと思っているのだ。村上春樹も書いているように、実名ではひどく迷惑を感じることもあるし、もともと私小説が多かった日本の文学界では主人公と作家自身が同一に見られる傾向があった。だから、私小説を嫌う現代の作家はペンネームを使う。 しかも、日本語には表意文字の漢字があることがこれに拍車をかけている。「団鬼六」などは実にキャラが立った名前である。漢字の支えがあるから「おにろく」と読もうと「きろく」と呼ばれようと、気にならないのである。ひらがなだけのペンネームを持っている作家は大成しない、とされるのもキャラの立て方が足りないと思われるからである。「辛酸なめ子」や「綾小路きみまろ」(?)くらいにキャラの立った名前を考えなければ、自分の立ち位置を確認できなくなるのである。 ■ 僕もペンネームを考えたい。 個人政党を作る時には「欣二党」というのが決まっているが、作家名は難しい。せめて先祖が「綾小路」くらいの名前をもっていてくれたら、と恨めしく思う。深作欣二監督と黒澤明監督の名前をもらって「黒作欣二」にしようとも思ったが、富山の「黒作り」みたいに思われてしまう。伊丹十三の十分の一くらいの文章家になりたくて「伊丹十三分の一」にしようと思ったこともあった。住んでいたところから「金川文京」はまあまあだが、「金川豊島」は年増みたいだなぁ。「金川豊島園」はどうだろう。スティーブン・キングをもじって「素地文欣二」?アナグラムで「川中貴人」(「たかひと」と読ませたい)も考えたが、平凡だ。ビリばっかりだったし、millionよりも大きな数だし、美しい里が好きだから「美里庵」(Billion)にしようかししら? 誰か姓名判断してつけてぇ〜。 なお、芥川賞や直木賞受賞者などで書いてない作家は本名だと思ってください。自分の名前が載っていないとお怒りの作家は本名と命名の理由と(よろしければ)登録料を添えてご連絡ください。 命名の理由が書いてないのはそれぞれの作家の伝記などで徐々に調べて埋めていくつもりです。 2001年9月に紀田順一郎『ペンネームの由来事典』(東京堂出版)が出版された。紀田さんからこうした事典を出すという話をお伺いしていた。この本の主な対象は明治期の文豪である(が、阿佐田哲也も入っている)。従って、このホームページと一部重なるところがあり、事典からの補足はそのように加えたと書いて補足してある。マイナーな作家も多いが、さすがに書誌学者で、面白くて、お勧めします。 『マタニティ』という育児の雑誌から『ペンネーム図鑑』を紹介したいといわれて、なんのこっちゃ、と思ったのだが、子どもの命名のヒントになるということだった。どれだけヒントのされてもいいけれど、名前負けしたり、実は破滅的な作家だったりしても、こちらは責任を持ちません。 でも、ヒントにして立派に子どもが成長された時には、是非、報せてください。 ■Award Web ■探偵作家・雑誌・団体・賞名事典 ■直木賞のすべて ■日本SF作家クラブ ■SFイエローページ200 ■私立PDD人名辞典 ■著作リストの部屋(HPリンク集) ■日本文藝家協会(Who's Whoやリンク集など) ■日本ペンクラブ ■人名録(読み方) ■スカラベ人名辞典 ■90年代の芥川賞・直木賞受賞作 ■People chase ■文学者掃苔録(墓所が分かります) ■早稲田大学OB・OG名鑑(文芸・評論) ■早稲田と文学 ■雑誌『マルクス主義』の執筆者名調査 ■公式サイトリンク集作家 ■ほら貝:作家事典 ■青空文庫(著作権の切れた文学が読めます) ■同一作家の別ペンネーム(漫画家) ■Wikipedia(pen name) ■参考文献:ペンネーム関連書
「あの烟るような島は何だろう」 「あの島か、いやに縹渺としているね。大方竹生島だろう。」 「本当かい」 「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質さえ確かなら構わない主義だ」 夏目漱石『虞美人草』
「あの烟るような島は何だろう」 「あの島か、いやに縹渺としているね。大方竹生島だろう。」 「本当かい」 「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質さえ確かなら構わない主義だ」
夏目漱石『虞美人草』
近代日本文学・評論の代表的な人々のペンネーム(pen name,pseudonym「偽の名前、匿名」,フランス語nom de plume「ペンの名前」ともnom de guerre「戦争の名前」ともいうが、後者はと言う意味で傭兵が軍務に付く時につけたあだ名から来ている)を取り上げた。きっと誰かがホームページにしていると思ったが、なかった。こんなの(調査しては書くだけで文章に“ひねり”もいらない…)は国文科の1年生の宿題だ!
当初は命名理由の分かっているものだけを取り上げるつもりだったが、とりあえず書いておいて徐々に調べて行こうと考えた。
結構、みんな実名(autonym)は平凡な名前だったんだなぁ、という感慨が沸いてくる。「ペンネームは、作家をのぞく小さい窓」(渡辺三男)という言葉があるが、同時に、不幸な作家の多さと遺伝子の強さ、文壇というものの存在に驚く。
全く無関係な感想なのだが、推理作家やSF作家に夫婦が多いことにも気がついた。純文学や私小説だと家庭崩壊型が多くて結婚なんてことにはならないのかもしれない。だから夫婦で作家というのはとても健全な気がしてしまう。
また、直木賞作家よりも芥川賞作家にペンネームが多いのも驚きだ。ロシア語の翻訳家にペンネームが多いのは弾圧から護る身の安全のためだった。
「除名」 谷川俊太郎 名を除いても 人間は残る 人間を除いても 思想は残る 思想を除いても 盲目のいのちは残る いのちは死ぬのをいやがって いのちはわけの分からぬことをわめき いのちは決して除かれることはない いのちの名はただひとつ 名なしのごんべえ
詩人は本名が多いのに、電信柱に立ち寄る犬のような評論家たちにペンネームが多いのは分からない。匿名で書かないと身の危険を感じるのだろうか?立花隆もペンネームだって知ってましたか?こんなのあんまりフェアじゃないような気がするのだけど…。
歌人は実名で書くのが常だが、俳人の方は俳号で書くのが常である。呉智英『朝日俳壇ウォッチング』(別冊宝島73)には歌壇と俳壇の違いが書いてあるのだが、(1)短歌の方が海外在住者の投稿が多く、俳句はゼロに等しい、(2)短歌の方が本名風の名が多いのに、俳句の方は半分が俳号だ、(3)星印のつく共選作は歌壇では頻繁に見られるが、俳壇では一年に数回しかない。と書いている。この背景に「短歌は作品、俳句は作家」という違いがあって、俳号をもてば俳人になれる、という事情もあるという。
本名とペンネーム並ぶ投稿歌ほぼ100パーセント本名がよし
国語学風に分類することもできるが、面倒なのでデータをそのまま出した。無断掲載を禁じます。
なお、鈴木輝一郎さんに教えてもらった話は次のとおり。
小説家の場合は『ぜんぶ平仮名の筆名は大成しない』というジンクスがあります。いわれてみればそうですよね。『なだいなだ』も『つかこうへい』も、本業は小説家じゃありませんな。 あと、税金の申告をする場合、筆名は屋号の扱いになります。だとすると『二代目司馬遼太郎』や『三代目藤沢周平』が出てきそうですが、今のところ文筆ではちょっと聞いたことがありませんね。陶芸や浮世絵ではよく聞きますけど。
小説家の場合は『ぜんぶ平仮名の筆名は大成しない』というジンクスがあります。いわれてみればそうですよね。『なだいなだ』も『つかこうへい』も、本業は小説家じゃありませんな。
あと、税金の申告をする場合、筆名は屋号の扱いになります。だとすると『二代目司馬遼太郎』や『三代目藤沢周平』が出てきそうですが、今のところ文筆ではちょっと聞いたことがありませんね。陶芸や浮世絵ではよく聞きますけど。
ちなみに「いいだ・もも、いぬい・とみこ、きだ・みのる、つか・こうへい、なだ・いなだ、ぬやま・ひろし、むの・たけじ、サトウ・ハチロー」などが大成している。おっと、おすぎだって著述家で杉浦孝昭が本名だ。童話作家も「あさのあつこ」のように平仮名で成功している。
『[本]の秘密』(KAWADE夢文庫)によれば著作権法では、本名で書かれた著作物と、ペンネーム等で書かれた著作物とが区別されているという。それぞれの法的保護が異なるのだ。実名の場合は保護期間が著作者の死後50年間なのに対し、変名、または無名の場合は著作物の公表時から50年間とされている。つまり、本は本名で書いたほうが得ということだ(筆名であっても、それを名乗っている人物が現実の誰であるかを特定できる場合には、実名で執筆した場合と同じ扱いになるようだ)。
ペンネームをつけるのは文学関係者だけではない。一番無関係に見える数学者だってペンネームをつける。数理統計学に「スチューデント分布」(t分布)というのがあるが、これはゴセットWilliam Sealy Gossetのペンネーム「スチューデント」にちなんだものである。日本でも「ロゲルギスト」といって理科系の学者がみんなでエッセーを書いていたことがある。
竹久夢二は茂次郎が本名だが、はたして竹久茂次郎であんなに人気が出たかどうか分からない。
漫画家では手塚治虫(「治」だったがオサムシが好きで)とか藤子不二雄(我孫子素雄+藤本弘/手塚でなくて「足塚」不二雄としていた時代もあったが、 「ぼくらは、“不二雄”というペンネームを先に作ったの。藤本のフジと、安孫子素雄のオをとって、“フジオ”とした。そして名字をなににしようかと考えたんだ。せめて、手塚先生の足下におよびたいっていうんで、“足”ってつけたの。結構字面も悪くないわけ。結局、単行本『最後の世界大戦』と、「冒険王」の『四万年漂流』、「漫画王」の別冊付録『三人きょうだいとにんげん砲弾』、それに「探偵王」の読み切り一冊ぐらいでやめてしまった」…)、石ノ森章太郎(本名は「小野寺」だが、故郷の「石森」つまり、「いしのもり」を誰も読んでくれないので画業30周年を期に「石ノ森」とした)、横山光輝はお寺さんみたいな光照を変え、柴門ふみ(サイモン&ガーファンクルから)、秋本治(「山上たつひこ」にちなんで「山止たつひこ」としていた)、はらたいら(いつも腹をすかしていた)、わたせせいぞう(渡瀬政造!)などが有名だが、別の人に任せる。『ルパン三世』のモンキー・パンチというペンネームは最初に漫画を描いた時、編集長の清水氏(故人)が無国籍性を強調するような名前を、と勝手につけたもので、最初は非常にいやだったという。しかし、清水氏は作家が誰も評価しなかった『クレヨンしんちゃん』のヒット性を見抜き、世に出したほどの名編集長。彼を尊敬するようになり、今はこのペンネームに誇りを持っているそうだ。
外国の漫画家では『タンタン』の作者、ベルギーのエルジェ(Herge)の本名はジョルジュ・レミ(Georges Remi)で、ペンネームは本名のイニシャルGRを逆さにしたRGをフランス語読みしたものになっている。ちなみにタンタンの相棒の犬「スノーウィ 」はフランスでは「ミルゥ」(Milou)だが、各国で適当な名前に変えられている(日本はアメリカ版のSnowyから)。
俳優や女優でペンネームをもっている人もいる(呉田軽穂は松任谷由実のペンネームでグレタ・ガルボから、美微杏里は藤真利子で女優のビビアンリーから)がとりあえず無視した。
加山雄三は作曲家としての弾厚作というペンネームを持っているが、欲張りなことに團伊玖麿と山田耕筰の名前を合わせたものだという。指揮者の外山雄三は加山雄三のペンネームだと思っていた人も多い。
ちなみに山田耕筰は1930年まで「耕作」としていたが、後に毛が薄くなって2本つけたとか、縁起がいいとかで「耕筰」にして、戸籍もこちらの方に変えてしまった。それどころか、北原白秋にも糖尿病発病以後は「伯秋」と変えるように進言している。
作曲家でペンネームを使っていたのは他にオッフェンバック(出身のオッフェンバッハ・アム・マインからで本名はよく知られていない)がいる。
赤ちゃんの命名にも役に立つと思うが、作家を目指す人のペンネームを考える時のヒントにもなると思う。上に見えるように「ぬ、へ、め」がないし、「ら行」の作家は少ないので、「ぬへめ正一」とか「雷電太郎」なんて名前はインパクトがあると思う。「落雷磊落」なんてRRだし、対照になっているし、オチもついている!
と書いてから、『パソコン創世記』と「青空文庫」で有名な富田倫生さんから、生まれた時に雷がなっていて、「富田雷太」となったかもしれない、というメールをもらった。「ライター富田」で語呂もいい。
<ラジオのニュース>米軍も多大の戦死者を出しましたが、ヴェトコン側も115人戦死しました。 女「無名って恐ろしいわね」 男「なんだって?」 女「ゲリラが115名戦死というだけでは何もわからないわ。 一人ひとりのことは何もわからないままよ。妻や子供がいたのか? 芝居より映画のほうが好きだったか?まるでわからない。ただ115人戦死というだけ」 ※ジャン=リュック=ゴダール「気狂いピエロ」【村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』にも引用】
<ラジオのニュース>米軍も多大の戦死者を出しましたが、ヴェトコン側も115人戦死しました。
女「無名って恐ろしいわね」 男「なんだって?」 女「ゲリラが115名戦死というだけでは何もわからないわ。 一人ひとりのことは何もわからないままよ。妻や子供がいたのか? 芝居より映画のほうが好きだったか?まるでわからない。ただ115人戦死というだけ」
※ジャン=リュック=ゴダール「気狂いピエロ」【村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』にも引用】
ペンネームと日本文化について考える。論文にしてもいいのだけど、面倒なのでここで書いておく。
ペンネームを使う作家の割合は日本人が一番多いと思う。思うだけで調べていない(調べようがない)のだが、この「ペンネーム図鑑」で見るように実に多い。本名の方が少ないのではと思える。
当然、これは日本文化と深い関わりをもっていると考えられる。その大きな原因が「キャラクター」である。「キャラが立つ」などという言葉が日本人は好きし、お笑いでなくても自分の「キャラ」を大切にしている人は多いと思う。ペンネームを使うことで、日本人は別のキャラになりたがっているのだ。実生活とは違う自分をアレンジしたいと思っているのだ。村上春樹も書いているように、実名ではひどく迷惑を感じることもあるし、もともと私小説が多かった日本の文学界では主人公と作家自身が同一に見られる傾向があった。だから、私小説を嫌う現代の作家はペンネームを使う。
しかも、日本語には表意文字の漢字があることがこれに拍車をかけている。「団鬼六」などは実にキャラが立った名前である。漢字の支えがあるから「おにろく」と読もうと「きろく」と呼ばれようと、気にならないのである。ひらがなだけのペンネームを持っている作家は大成しない、とされるのもキャラの立て方が足りないと思われるからである。「辛酸なめ子」や「綾小路きみまろ」(?)くらいにキャラの立った名前を考えなければ、自分の立ち位置を確認できなくなるのである。
僕もペンネームを考えたい。
個人政党を作る時には「欣二党」というのが決まっているが、作家名は難しい。せめて先祖が「綾小路」くらいの名前をもっていてくれたら、と恨めしく思う。深作欣二監督と黒澤明監督の名前をもらって「黒作欣二」にしようとも思ったが、富山の「黒作り」みたいに思われてしまう。伊丹十三の十分の一くらいの文章家になりたくて「伊丹十三分の一」にしようと思ったこともあった。住んでいたところから「金川文京」はまあまあだが、「金川豊島」は年増みたいだなぁ。「金川豊島園」はどうだろう。スティーブン・キングをもじって「素地文欣二」?アナグラムで「川中貴人」(「たかひと」と読ませたい)も考えたが、平凡だ。ビリばっかりだったし、millionよりも大きな数だし、美しい里が好きだから「美里庵」(Billion)にしようかししら?
誰か姓名判断してつけてぇ〜。
なお、芥川賞や直木賞受賞者などで書いてない作家は本名だと思ってください。自分の名前が載っていないとお怒りの作家は本名と命名の理由と(よろしければ)登録料を添えてご連絡ください。
命名の理由が書いてないのはそれぞれの作家の伝記などで徐々に調べて埋めていくつもりです。
2001年9月に紀田順一郎『ペンネームの由来事典』(東京堂出版)が出版された。紀田さんからこうした事典を出すという話をお伺いしていた。この本の主な対象は明治期の文豪である(が、阿佐田哲也も入っている)。従って、このホームページと一部重なるところがあり、事典からの補足はそのように加えたと書いて補足してある。マイナーな作家も多いが、さすがに書誌学者で、面白くて、お勧めします。
『マタニティ』という育児の雑誌から『ペンネーム図鑑』を紹介したいといわれて、なんのこっちゃ、と思ったのだが、子どもの命名のヒントになるということだった。どれだけヒントのされてもいいけれど、名前負けしたり、実は破滅的な作家だったりしても、こちらは責任を持ちません。
でも、ヒントにして立派に子どもが成長された時には、是非、報せてください。
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■参考文献:ペンネーム関連書
□資料提供・協力:miura-kさん、LUNACATさん、團野眞紀さん、岡島昭浩さん、加藤弘一さん、荒川友作さん、中 相作さん、Komatsuさん、木下由美さん、風太郎さん、キリンの母さん、ひろみんさん、Jasmineさん、ゆかさん、山内亜紀さん、 (情報を下さった方には感謝、感謝。本名かペンネームかお知らせください) ※本編が長くなりすぎて不安定になったので分けました。 序文 わ ら や ま は な た さ か あ 後記 り み ひ に ち し き い 文献 る ゆ む ふ ぬ つ す く う れ め へ ね て せ け え HP ろ よ も ほ の と そ こ お
□資料提供・協力:miura-kさん、LUNACATさん、團野眞紀さん、岡島昭浩さん、加藤弘一さん、荒川友作さん、中 相作さん、Komatsuさん、木下由美さん、風太郎さん、キリンの母さん、ひろみんさん、Jasmineさん、ゆかさん、山内亜紀さん、 (情報を下さった方には感謝、感謝。本名かペンネームかお知らせください)
※本編が長くなりすぎて不安定になったので分けました。
First drafted 1998 (C)Kinji KANAGAWA, 1995-. All Rights Reserved. ライコスジャパンの優良サイトに選ばれています。
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